最終章 三十三話 拉致

「お父さん……お母さん……」


 フウカの呆けた声が、ティム達の意識をモニターから引き離した。


「むう……なんという事だ……。もしこれが本当だとするなら、フウカの両親は……」

「そ、そうだよ! キキさんとヤーヴァさんは、どうなったの!?」


 まさか、二人とも、脱出が間に合わずに――。


『キキ・リューピン様とヤーヴァ・リューピン様はこれより七日後、最後の脱出艇に搭乗し、アーヴェルから退避されました』


 茫漠と視線をさまよわせていたフウカが、はっとアダムを見据える。


「じゃ、じゃあ……エデンにいるの? お父さんとお母さんは……!」

『はい。そのはずです』

「待て、待て! おかしいぞ! だったらどうして、先に逃げたはずのフウカがここにいる!? まさかエデンから送り返されたというわけでもあるまいに……!」

『不明です』

「なんだと!?」

「ね、ねえ、それより……お父さんとお母さんに、通信はつなげられない!?」


 フウカの叫びに、ティムもアダムを見る。

 そうだ。もしもまだテラフォーミングセンターの通信施設が生きているなら、エデンと交信する事だって、きっと不可能ではないはずなのだ。

 なのに、アダムからの返答は何とも煮え切らないものだった。


『可能です。しかし、不可能です』

「どういう事……!?」

『これをご覧下さい』


 スクリーンが切り替わり、宇宙空間の、ある惑星をマーカーで示す。


「これが……エデン……? 似てる……神様の星に……」

「うーむ……似てるというより、そのものかも知れんな。アダムの見せた過去の映像が正しいものなら、かつて古い人達はエデンからアーヴェルへ来た。彼らが去った後、長老は神様の星の話を広めた」


 ティム達を作った者が古い人であり、それを神と定義するなら、エデンイコール神様の星説はなるほど確かに――辻褄は合う。


「そう、だったんだ……だから長老さんは……」

「アダム、教えて。こうして座標も分かるのに、どうして星間通信ができないの……!?」

『不明な原因で、電波が遮断されます』

「通信施設は無事なのに……?」

『無事ではありませんが、最低限の機能は使用できます。しかし送信、受信――双方ともに、エデンまで届かない状態となっています』

「でも、こうして星は見えているのにっ……なんで……っ!」


 フウカが端末を叩き、無念を込めてうなだれる。

 すぐそこに両親がいるのに、手が届かない。声も届けられない。もどかしさを超えて、想像を絶する感情の奔流が、フウカの中で吹き荒れている事だろう。


「フウカ……」


 ティムもワガハイも、そんなフウカを見守る事しかできない。力になりたいのに、肝心の手がかりが、ここでぷっつりと途切れてしまったかのようだ――。


「会いたい……声が聞きたいよ……!」


 切なげに、そして悲しげに丸まったフウカの背中が、次の瞬間、あの極彩色の光で輝きだしていた。


「こ、これは……おい、フウカ!」

「え……?」

「ひ、ひひひ光ってるんだよ、またっ!」


 頭を上げたフウカの前で、スクリーンの映像ががだしぬけに歪み、何かが砕けるかのような耳障りな音とともに、灰色のノイズで埋まっていく。


「あ、アダム……? どうしたの、アダムっ……?」


 見れば、輝いているのはフウカのみならず、コントロールパネルそのものも同じだった。

 フウカの呼び掛けにアダムは応じず、代わりとでもいうように、スピーカーから途切れ途切れに聞こえて来たのは。


『……この、声……?』


 訝しそうな、知的な感じのする女の声だった。

 それを耳にした途端、フウカが瞠目する。

 何か、信じがたい事態が起きていた。ティムにも状況が呑み込めないが、恐らく今、フウカと応答しているのは、アダムではない。

 それどころか、この星の何者でもないのだろう。だって、スピーカーから漏れてくるこの声は、ついさっき――。


「お母、さん……?」

『えっ……?』


 まさか、とワガハイが叫ぶ。


「こ、こんな事があり得るのか……!? フウカ、お前が今交信しているのは……!」

「……キキ・リューピン」


 壁際にもたれ、今まで黙りこくっていたガレクシャスが、その名を口にした。


「お母さん……なの? ねぇっ……! ――私だよ、フウカ!」

『……フウカ……? え、ちょっと、やめてよ、誰だか知らないけど、こんないたずら……!』

「いたずらじゃないよ!」

『わ、私はもう一区切りつけたのよ!? フウカは死んだ……! あの星と運命を共にしたの! だ、だからもう、こんなむごい真似……ッ』

「私は生きてるよ! ずっとここで……頑張って……っ!」


 フウカは瞳に大粒の涙をたたえ、声も枯れよと必死に叫ぶ。


「お願い、信じて! お母さんっ!」

『……フウカ、なの……? 本当に……?』


 囁くような、自分へ問いかけるような、不安定で――それでいて、一筋の光を見つけたような、一つの質問が返される。


「そう、だよ……信じられないかも知れないけど、私、アーヴェルにいるの。ずっと……」

『ああ、嘘、嘘でしょう……!? フウカが、生きていた、なんて……っ!』


 嗚咽めいた呟きとともに、ごとり、と何かが倒れる音がする。

 もしや気絶でもしたのだろうか、と思われた矢先。


『ど、どうして無事だったの? あなたは今どこにいるの? 一人だけなの? アーヴェルはどうなっているの? パワーコアは……っ!?』

「ま、待ってよ、お母さん。いきなりそんないっぱい……答えられないよ」

『え、ええ、そうね……でも、そっか。フウカ……本当にあなたは、フウカなのね……?』

「……うん……そうだよ」


 再び、嗚咽。華やかな淡い光に包まれ、フウカもまた、泣いていた。

 静寂の空間を、二人分の泣き声が響き合うように木霊する。


『フウカ……良かった……生きていて。私、もう……諦めてたのよ。あなたの事……ごめんなさい』

「うん……いいよ」

『なんだか、声が大人びてる……こっちからは姿が見えないけど……』

「三年も過ぎてるから……ちょっとは成長したもん」


 途端、キキが黙り込んだ。


「お母さん……?」

『三年……? 嘘でしょう……?』

「な、何が……?」


 それに、と幾分か平静さを取り戻してきたキキの声が、尋ねて来る。


『あなた……どうやって今、通信してるの? それも私の携帯に……』


 えっ、と驚くのは、今度はフウカの方だった。


「この通信、お母さんの携帯につながっちゃってるの……っ!?」

『そ、そうよ。だからあなたが本当にアーヴェルにいるのか、疑ってて……』

「わ、私にもよく分からないよ。この交信、テラフォーミングセンターからしてるもの。だから普通、あり得ないはずなのに……」


 そう。考えれば考えるほど、この状況は不可解に過ぎた。

 失われたはずの惑星、その通信設備から放たれた交信が、一個人の携帯電話につながっているなどと。夢や魔法だと言われた方がまだ説得力がある。


『……フウカ。教えてちょうだい。あなたの身に何があったのか……最初から、全部』


 フウカは、相手から見えていないはずなのにこくりと頷き、語り始めた。

 宇宙船が落ちた事。ティム達と出会った事。そこで生活している事。そしてこのテラフォーミングセンターに辿り着いた事――。

 知る限りを伝え終えると、キキはしばらく黙りこくり、思案に暮れているようだった。


『……なんていうか、すごく、びっくりしちゃうような話ね。……でもフウカ、あなたは……もしかして、困っている事があるんじゃない?』

「え……?」


 思わぬ返しに、フウカは目を白黒させている。


『誰かに真実を喋れない状況にあるとか、あえて偽っているとか……だからこんなでっちあげを……』

「な――何言ってるのお母さん!? ぜ、全部本当の事だよ! 嘘なんか言ってない……!」

『落ち着いて。私はあなたが、エデンへ送還される前に、何者かに誘拐された可能性を考えてるの。数年間、あなたは犯人の元で監禁されていた……けれどそれが何らかの理由で、私への接触を許されて……』

「違う……全然違うよ! なんで信じてくれないの……!? 私は確かに、このアーヴェルでみんなと……!」


 だって、とどこか醒めた口調で、キキは言った。


『アーヴェルなんてとっくに、宇宙から消滅しているのだもの』


 キキは説明した。惑星アーヴェルは災厄の日から七日後、巨大なホールに取り込まれるようにして、粒子一つ残さず消え去ったと。

 できるだけの人員、物資を載せてエデンへ脱出したキキ達は、その瞬間を目撃していた。

 その後フウカと同じようにコールドスリープへ入り、目が覚めた時には予定通り、エデンはもうすぐ側だった。


『でも、その時、あなたを乗せた船だけは、どこにも見当たらなかった。血眼で捜したけれど、付近はおろか、わざわざアーヴェルのあった宙域にまで戻って捜索したのに……見つからなかったの』


 フウカは押し黙っていた。


『生存は絶望的だった。だから私達は、あなたの船が故障して、途中で漂流したものと……だってそうでしょう? なのにあなたは、数ヶ月過ぎた今頃になってアーヴェルは存在するとか電話をかけて来て、私の娘を名乗ってる。おかしいと思うのは普通じゃない?』

「数ヶ月……? エデンじゃたったそれしか時間が経ってないの……?」


 唖然とした面持ちでフウカが発した台詞に、ワガハイも困惑を隠しきれずに頷く。


「アーヴェルでは災厄の日からこちら、フウカがやって来た年月を含めても五十年以上が過ぎている。……時系列がおかしい」

「まるで、絵本の浦島太郎みたい……アーヴェルだけが竜宮城のような――時の流れの合わない異空間に引き込まれたみたいな……」


 でも、とフウカは首を振って母へ訴える。


「本当なの、アーヴェルはあるんだよ! 私だって、ここで生きてる。お願い、信じて……っ」

『信じてるわ。ただ、確かめないといけなかった。今、方々に連絡して、もう一度アーヴェルの座標を確認してもらってるわ。だけど、それでも見つからなかったら……』

「見つかるよ! だって、こっちからは見えてるんだもん……」

『そうね。もし仮に、見つからなかったとしても、何とか上を動かして、アーヴェルへ行くから。あなたが迷い込んでしまったのが陰謀の渦中だろうと絵本の中だろうと、どこであっても絶対に迎えに行く。今度こそ……諦めないわ』


 お母さん、とフウカは消え入りそうな声音で、目元を拭った。


「ありがとう、信じてくれて……。証拠なんて、何もない。科学じゃ説明がつかないのに」

『そんなの、理由なんて決まってるでしょ』


 キキの返答はあっけらかんとしたものだった。


『娘がそこで泣いてるからよ』


 フウカは嗚咽を噛み殺し、鼻だけをすすり上げる。

 ティムはそんなフウカの肩に手を置いた。


「分かってもらえて良かったね、フウカ」

「うん……っ!」

「映像通りの気丈な才媛というわけか。どのような状況でも、情と理、どちらにおいてもの納得を求める。我が輩と少し似ているな」

「えーっ、そうかなぁ……?」


 ティムがツッコみを入れている間に、フウカとキキの会話は続いていた。


『まだ色々聞きたい事はあるけど、一つだけ聞かせて。……パワーコアは知っている?』

「知ってる……アダムに見せてもらった」

『アダムも無事なの!? それは心強いわね……でもフウカ、くれぐれもパワーコアには気をつけて。この一連の不可思議な現象……私はあれが関わっていると読んでいるわ。あなたにはペンダントを渡したはずだけれど……』

「うん、今も持ってるよ。ここに――」


 言いかけたフウカの背後へ、巨躯の影が覆い被さった。


「……そうか、やはりな。お前がパスワードを持っていたか」

「え――」


 止める間も何もなかった。瞬時に送り込まれたガレクシャスの拳が、フウカの側頭部を打ち据え、ものも言わずに叩き伏せる。


「ふ、フウカ……っ!」

「ガレクシャス、貴様……!」

『な、なに、今の物音……! フウカ――フウカ、どうしたの!?』


 ガレクシャスは気絶し、光の消えたフウカを肩へ抱え上げ、そのままきびすを返してドアの方へと大股に向かう。


「フウカを返せ……!」


 ティムとワガハイは左右からガレクシャスへ掴みかかったが、ガレクシャスは一瞥すら寄越さず無造作に裏拳を振るい、飛びかかる二人をまとめて弾き飛ばす。


「こいつがいれば、俺の目的は果たされる……本当の力が手に入る」


 ガレクシャスは部屋を出て行く。

 ティムとワガハイは身を跳ね起こして急いで追ったが、ガレクシャスはすでに自分の乗ってきたモーターボートに乗り、シラ浜の方角へ離れて行った後だった。


「ど、どうしようワガハイ! フウカが……フウカが危ない!」

「おおお落ち着けティム!」


 今回はワガハイもティムに負けず劣らず、泡を食っているようだった。


「わざわざさらっていった以上、すぐフウカの身に何かあるわけじゃないはずだ……今はとにかく、奴の次なる一手を予測しなければ、対抗できん」

「が、ガレクシャスはパスワードがどうとか言ってたよね……それを持ってるのがフウカだって。――なら、最初からそのつもりで、テラフォーミングセンターで待ち構えてたって事……!?」

「間違いないだろう。そこから導き出される、奴の目標は……」


 パワーコア……! 二人は目を見交わし合い、言葉が重なる。


「パワーコアを用いて、何を目論んでいるのかは定かではない。しかし奴の思い通りにする事はできん」

「……」

「我々も急いでシラ浜へ戻り、工場地帯へ向かわねば! クルーザーには無線機もある、みんなに連絡して動ける戦力を少しでも集めるぞ!」


 いくぞティム! とワガハイが声をかけながら駆け出そうとして。


「……ティム……?」


 いつまでもその場から動かないティムに、怪訝そうな視線を向けてくる。


「どうした、急がねば手遅れに……」

「……ぼく行かない」


 ティムは錆びた地面を見つめながら、感情の消えた声色でぽつりと吐き出した。


「ぼくが行ったって、役に立てそうにないし……」

「な――何を言っているのだ、ティム……?」


 だからさ、とわざとらしい抑揚のある声で、ティムは目を上げる。


「ワガハイは他に、強そうな人を連れて行ってよ。フウカを助けるには、きっとそれが一番だと思うから。あ、もちろんぼくも一緒に、戦ってくれそうな人を捜すし……」

「ティム!」


 ワガハイが怒気を込めた叫びを上げ、ティムはびくりと身をすくめる。


「な、なんなのさ、急に大声出して……」

「お前はさっきから何を喋っている? フウカを助けに行くのに、お前が行かねば仕方ないだろう! 違うか?」

「違うよ……ワガハイこそ変な事言わないでよ」


 ティムは声を引きつらせながら、かぶりを振る。


「合理的、判断だよ……そうするのがフウカのために一番いいって思ったんだ。さっきだって、目の前でフウカがさらわれても……ぼくはまた何もできなかった」


 まざまざと呼び覚まされるは、この頃感じていた、無力感。疎外感。

 何歩も先を行くフウカに、取り残される恐怖と、自己嫌悪。


「ティム、お前……まさか本気じゃないだろうな……?」

「……それがフウカのために、一番いい方法でしょ……」


 自分なりに、ずっと考えて来た事。苦渋の決断。


「その言葉が、どれだけフウカを傷つけるか、分からないお前じゃないだろう……っ?」

「分かってるよ! だけど、そこから目を逸らして、もっとひどい事になるよりマシだ!」


 ティムは胸にわだかまっていたものを一息に吐き出す。

 スペック不足。残酷な現実を、はっきりと自覚しなければならない。守るためには。


「いつだってそうだった。ぼくは何もかも中途半端で……フウカと違って機械なんか直せないし、カインくらい鼻が利いたり、強くなんてない。ワガハイの話だって全然ついていけないし、ダララロみたいに人気があるわけでもない……」


 なら、ティムでなくてもいい。もっと性能が良くて、フウカを守れる人なら、誰でも。


(ごめんねフウカ……。ぼくじゃ、君を守れない……)


 適材適所。単なる効率の問題。

 ティムよりもうまく事を運べる人がいるなら、任せた方がいい。


「……見損なったぞ、ティム」


 ワガハイは怒鳴るでもなく罵るでもなく、静かにそれだけを言った。


「な、なんでさ……ッ!?」


 ティムは困窮しきりで、腕を突き出して半ば逆切れのように聞き返す事しかできない。


「なら教えてよ、ぼくに何ができるっていうのさ! ぼくがガレクシャスに勝てる!? 一人でフウカを救い出せる!? いつもいつも冷静に、合理的に行動しろって言ってるのは、ワガハイの方じゃない!」

「ああそうとも、常々言っていたとも。それが我が輩の役割だからだ! だがな……それでもそれは、その台詞だけは、お前が言っちゃならんもんだろうが!」

「なんでだよ……矛盾してるよ、ワガハイの言ってる事……っ!」

「お前が悩み苦しむ気持ちは分からんでもない。だがそれでも、最初にフウカと出会ったのは誰だ? その手を差し伸べたのは誰だ? 責任も何もかも投げ出して、いじけて竦んでいるつもりか?」

「ぼ、ぼくはそんなつもりじゃ……ッ」

「今フウカが一番必要としているのは、守って欲しいと思っているのは、他ならぬ誰なのか、もう一度考えてみろ!」


 ティムはたまらず、振り切るように身を翻し、センターの方へ走る。


 ワガハイは追ってこなかった。ただ虚空を吹き抜ける冷たい風だけが、ティムの背を急がせていた。

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