三十一話 キキとヤーヴァ 上

「……よし、これで各資材、ロボットの確認、人員の整理は一通り済んだね」

「そうね。当面の食料や生活必需品は、宇宙港の倉庫なら安全に管理できるわ。この島へもヘリで簡単に運搬できるはずよ」


 約五十年前のテラフォーミングセンター――その一室に設置されたミーティングルームには、二十代後半と思われる二人の男女が、ファイルを手に熱を込めて話し込んでいた。

 一人はこの計画の責任者に選ばれた、キキ・リューピン室長。そしてもう一人はその補佐のために船団とともに追従して来た、キキの夫、ヤーヴァ・リューピン室長補佐である。


「先行して派遣されていた調査団の最終報告によると、アーヴェルの大気、土、天候、危険生物など環境面ではまったく問題ないみたいだよ」

「おまけに私達は世界最高の医療機関に検査されて検疫を受けて、世界最高のワクチンも投与されている、世界最高に健康な人間だもの。ここに缶詰にされて鬱なんて発症するわけないし、自由に出歩いて気分転換だってできるものね」


 キキが肩をすくめつつ、窓の向こうに広がる赤茶けた大地を見やると、ヤーヴァも苦笑した。


「まぁ、地道にやっていこう。このテラフォーミングセンターを基点に惑星の改造を進めていけば、きっと大地も空も、地球のような緑と青に生まれ変わるはずだから」

「ふふ……そうね」


 地球。それが、キキ達の生まれ育った故郷であり――かつての惑星としての名前だ。

 急速な科学的発展を遂げた地球は、惑星エデンへと名前を変え、輝かしい新たな未来へと羽ばたいていくはずだった。

 しかし同時に、爆発的に増え続ける人口、切り倒されていく自然の数々など、多くの慢性的な社会問題に悩まされていたのも事実。

 そこで発足したのが、このセカンドアース・プロジェクトである。

 宇宙にまで探査の手を広げていたエデンは、少し離れた太陽系の座標に、エデンと酷似した環境の星を発見した。

 調査の結果、環境に手を入れさえすれば人の移住も可能と判断され、政府はその星をアーヴェルと名付けて、専門家の研究員、調査員、軍などの混成部隊を開拓団として編成。

 その第一陣としてはるばる輸送船でやって来たのが、ここにいるキキ達数百名からなるチームである。


「といっても、いざ勇んで降り立ってみたら、この惑星そのものに圧倒されるというか……何をすればいいか分からないものだね。さて、何から手をつけたものか」

「とりあえず、各エリアごとに区分けして、名前でも考えてみない? その後は本当に危険がないかこの目で確かめましょう」

「ぼくも同意するよ。まずは安全を確保するのが第一だ。いずれここに来る移民の人達のためにも、人命を最優先で動こう」


 さーて、とキキは両腕を軽く回して、双眸に活力をみなぎらせる。


「今日から忙しくなるわよ~。まずはみんなを集めて方針について協議しなきゃ! この足で新しい地球の大地を踏みしめて、初めての探索をする時が待ち遠しいわ!」

「ああ。人々のため、未来のために、尽力していこう。……その分、二人の時間が減ってしまうのは悲しいけどね」

「あら、もちろんその時間もきちんとひねり出すから安心して。――なんたって私は室長、このチームで一番頭が良くて、一番偉いんだもの、ね……あなた」


 からかうようにウインクして見せると、愛する夫は少し赤面しながら後頭部を掻き、照れくさそうに笑い返してくれた。




 数年が経過した。キキとヤーヴァは開拓計画とはまた別の案件について、二人きりで協議していた。


「――例のエネルギー反応を発見したって……!?」


 目を丸くして大声を出すヤーヴァを、キキは自分の唇に人差し指を当てて静かにするようたしなめる。


「私も報告を聞いて驚いてる。……この数年、まったく手がかりはなかったのに、まさか本当にあるなんて」

「まだぼくも信じられないよ。どうする。すぐに見に行ってみるかい?」


 もちろんよ、とキキは固い表情のまま頷き、ヤーヴァを伴ってセンターから、フェリーで島を出た。

 目指すは工場地帯。作業ロボット達を生産する工場や、地下鉄道を掘るための作業場のある場所だ。

 ――今回二人に課せられたこの計画に関して、政府から表向きには世間へ発表されていない、隠匿された裏の極秘任務が存在する。

 それは惑星アーヴェルの地下深くに眠っているというエネルギー体――通称『パワーコア』を発掘せよ、という内容だった。

 キキ達にもパワーコアが特殊な力場を発生させるという一点が伝えられているだけであって、他に充分な情報が与えられているわけではない。

 ただアーヴェルへの出発に際して、キキとごく少数の所員のみに命令が通達されたのである。それも戒厳令が敷かれ、決して表に出さないよう釘を刺された上でだ。


「ねえ、キキ」


 地下へと続くエレベーターの中で、ヤーヴァが気遣わしげに問いかけてくる。


「ぼくは君が未知という言葉に惹かれるのも知っているし、それを見極めるためには何をも恐れない勇気を持っている事を知っている」

「そうね、その通りだわ。でも、私がそうやって好き放題できるのも、あなたが側で目を光らせてくれているおかげよ。そうでしょう?」


 参ったな、とヤーヴァは気恥ずかしそうに苦笑して。


「そんな風に信頼を寄せてくれている君だからこそ言うけれど、今回ばかりは、少し自重した方がいいとぼくは思うんだ」

「あら、どうしてかしら。あなたの言葉ならなんでも聞くけれど、聞き入れるかどうかは別問題よ?」

「君は子供を身ごもっている」


 ヤーヴァの指摘に、キキはからかうような笑みを消した。


「ぼくも君もきっと後悔する。名前もつけていないその子に、もしもの事があったなら」


 ――ヤーヴァとはキキがまだ、何の権力も経験もない若手の時代に出会った。

 その頃、キキ・リューピンは持ちうるポテンシャルを発揮し、めきめきと才覚を現していた。

 怖いものなどなかった。むこうみずで、他人の迷惑など省みず、結果さえ出せば文句はないだろうとばかりに研究へ没頭し、才知を鼻に掛けて無能を見下してもいた。

 だから気がつくとどのチームにも居場所がなく、孤立していた。

 どうすればいいのか分からないので、もっと頑張った。頑張れば頑張る程に、キキから人は離れていった。誰もキキについて来られない。ついてくる者がいなければ、たった一人だ。若く後ろ盾のないキキにとっては死活問題に相当した。

 どん詰まりの底の底。そんな折りしも、当時は軍属だったヤーヴァ・スティヘイと偶然にも話をする機会があった。最初は気軽な立ち話だった。

 キキがどれだけ早口で、色々な事を喋り続けても、その意味なんて十分の一も分からないだろうに、ヤーヴァは楽しそうに耳を傾けてくれた。キキはヤーヴァが好きになった。

 それからも何かと理由をつけてヤーヴァとの逢瀬を繰り返した。人当たりの良いヤーヴァが側にいれば空気は和み、人も近寄ってきた。ヤーヴァとの付き合いをきっかけに、キキはまた人間の世界へ立ち戻る事が出来たのだ。二人が結ばれるのは自然な流れと言えた。


「そうね……あなたの言う通りよ。この件が終わったら、私はしばらく子育てに集中するつもり」

「本当かなあ……この件っていつまでだい?」

「もちろん、開拓が一段落するまでよ」


 キキは冗談めかし、大丈夫だという風にヤーヴァへ笑いかける。


「あなたと作った最高の宝物だもの、この子が幸せに生きられるような星をプレゼントしたい」

「そうだね……ぼくも同じ気持ちだよ」


 それに、とキキは自身の腹を撫でる。


「もう名前は決めてあるの。上に戻ったら、あなたにも伝えるわ」

「あはは、それは楽しみだね」


 そうして辿り着いた地底。エレベーターから出た先の、大空洞の奥深くにある狭い空間。

 漂うようにして音もなく浮遊するそれと、キキ達はついに相対する事になる。


「これは……一体……ッ!」


 目も潰れよとばかりの、混沌と輝く極彩色の光。

 球体のような、霧のような、正体の判然としない、形容しがたいその存在に、キキとヤーヴァ、その場に居合わせた所員達は魅入られたように言葉もなく立ち尽くした。


「光……? 違う、これはエネルギーの塊よ。それも、とてつもなく大きな――」

「調査班! 出力検知器を!」


 引きつったヤーヴァの呼び掛けに正気づいた所員の一人が、火の玉でも扱うみたいな慌てた動作で検知器を掲げ、光輝から発せられる情報を分析する。


「げ、現在特殊な力場が発生中……分析不能です! この光球が内包しているエネルギーは……」


 が、直後――画面に表示された数値や文字列を目にし、彼はまなじりが裂けんばかりに目を見開いた。


「こ、こんな……こんな数値、ありえない! コンピュータ・エデンでさえこれほどの出力は持ち得ないというのに……!」


 とっさにキキもモニターを覗き込み、言葉を失った。

 異常なスピードでエネルギー量を示す各数値が上がり続け、やがて検知器のキャパシティを超過したのか、エラーを起こしてあっさりとシステムダウンしてしまう。


「これが……パワーコア、なの……。政府は、なんてものを手に入れようと……」


 すでに網膜にまで焼き込まれているだろうに、キキは一瞬たりともその光から視線を離せない。

 他の者も似たようなものだ。一旦は我を取り戻しても、すぐに心を奪われ、精神をも削られるかのような忘我状態へ陥ってしまう――。

 すると、海中の泡のようにあてどなく回遊するだけだった光は、不意にその動きを止めたかと思うと、先頭に立つキキの側まで接近してきた。


「え……?」


 気づくとキキは、その光の中に取り込まれていた。

 否――光を取り込んでいた、という表現が厳密には正しい。

 身体を中心に渾然とした色が放射状に瞬き、目の前に持ち上げた両の手のひらにさえ、内側を無数の星々が駆け巡っているようで。


「キキ……!」


 後ろからヤーヴァの叫びがしたかと思うと、衝撃が全身を襲い、キキは後方へ弾かれた。同時に体内に入り込んでいた極彩色の光も、分離するかのように前方へ離れていってしまう。


「大丈夫かい、キキ……怪我はない?」

「あ……あなた?」


 肩で息をするヤーヴァが傍らにいる。どうやらキキが光と接触した直後、強引にもぎ離されたらしい。

 キキはいまだ焦点の合わない目で、自身の無事を伝えるべく何度も頷きを返した。


「これほどのエネルギー、肉眼で捉え続けるのは危ない! みんな、一度外に出るんだ!」


 ヤーヴァの一声で他の職員も正気づき、這々の体で逃げ戻ると、同伴していた研究チームとはパワーコアについて他言しない事を約束し合い、現地で解散。

 ミーティングルームのテーブルに突っ伏して、無言で休息を取る。

 今この部屋にいるのは自分と夫のみだ。


「――キキ、君はパワーコアと接触したように見える。身体の方に異常はないかい……?」

「え、ええ……大丈夫よ。念のため精密検査も受けたけど、血圧、脈拍ともに正常。どこにも変な所はないし……せいぜいメンタル面に動揺が残っている程度ね」

「そうか……良かった」

「……未知とか、謎とかいう言葉には、昔から惹かれて焦がれて、それを暴きたい欲求といつも戦ってた」


 互いの呼吸音のみが聞こえる静かな部屋で、ぽつり、ぽつりとキキは話し始める。


「だから今回も、心のどこかではわくわくしてたのよ、きっと面白い事が起こるって。でも……」


 まさかこの星の地下にあんなものが眠っていたとは、予想外に過ぎる。到底、自分達にどうこうできる代物じゃない――キキは額をテーブルにつけ、言外に夫へそう伝えた。


「ぼくも正直、同じ気持ちだよ。地上で安全に計測だけしていた時は、このエネルギーはきっと人類の発展につながるものに違いない、そういう期待はあった」


 だけど、とヤーヴァは決然とした声音で告げる。


「あれは、ダメだ。とても扱いきれる気がしない」

「そうね……少なくとも今の人間の科学力ではパラダイムシフトを起こすどころか、暴走させるのがオチよ……」


 それだけじゃないんだ、とヤーヴァはかぶりを振り、キキを見つめる。


「パワーコアは、ただのエネルギーの塊じゃない。ぼくはあれを見た一瞬、本能に訴えるみたいな、えも知れない、ぞっとするおぞましさを感じたんだ。なのに同じくらい、魅了されてしまった……」

「何が言いたいの……?」

「自分でも……分からない。直感とか予感とか、非科学的な風にしか言えないけど……でも、あれは掘り起こしちゃいけないものだったんだ」


 それは、とキキが視線を鋭くする。


「……パワーコアを発見した事を、政府に黙っているというの?」

「そうじゃない。誰の目にも手にも触れさせず、ひっそりと管理する……その方法が見つかるまで、あれは封印しておいた方がいいと思う。少なくとも、何らかの対抗策が見つかるまでは」


 ヤーヴァは随分と、パワーコアへの警戒心が強いようだ。むしろその剣呑な物言いは、パワーコアそのものに何らかの人格でもあるような口ぶりである。


「……そうね。あれはそれ程の資源……いえ、力そのものなのだもの」


 自分達だけならいい。けれど、今はフウカがいる。

 万が一の有事が起き、フウカにまで累が及べば、それこそ死んでも死にきれないだろう。


「パワーコアの扱いに関しては、とりわけ慎重に慎重を期したい。政府と折衝して、本格的なサルベージは対処法が発見されるまで待ってもらうんだ」

「となると――これからは政府からの、エデンへの移送要請をどう躱すか、そのあたりの方策をひねり出さないとね。エデンの研究者達はパワーコアをいじり回したくて手ぐすね引いているはず……だけどあれの危険性を肌で感じているのは、私達だけだもの」

「ぼくの意見を……何の保証もない提案を、選んでくれるのかい?」

「もちろんよ。私、直感とか予感とか、非科学的なものは大好きだもの」


 キキは笑った。


「それに何より、愛する人の意見を最優先に考えるのは、何もおかしな事じゃないわ」

「あはは……君は変わらないね。いつだって奔放なのに、誰より優秀なんだから」


 いまだ脳裏へ鮮烈に焼き付く、神々しくすらあるパワーコアのビジョン。

 あんなものをわずかな設備と研究者の数で、少なくとも『無害』になるまで時間をかけて付き合っていくなど、どだい正気の沙汰ではない。

 いっそエデンへ受け渡して楽になりたい。そんな思いもあれど――キキはパワーコアよりもエデンよりも、夫を信じた。

 彼の心のうちから滲む、確かなその言葉を。そしてフウカを守らんとする、その決意を。

 ――しかしその日をきっかけに、崩壊への先触れはすでに始まっていた。



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