二十九話 秘密の島
「長老さん! 長老さん! ほんとにっ、ほんとに良かっただロ……! ロォォォォッ!」
「やめんか、子供じゃあるまいし。まったくいつまで経っても落ち着きのない奴じゃわい」
涙声でひしと抱きつき、しきりに無事を喜ぶダララロを鬱陶しげに押しのけながらも、長老さんはちょっとこそばゆそうだ。
「うーむ。話を聞く限り、フウカには礼を言わねばならんようじゃの」
「そんな……私、何もしてないよ。ほんと……何もできなかったし……」
長老さんが直ってくれたのは素直に嬉しいし、できるものならダララロと一緒に喜びを分かち合いたい。
でも、それを成したのはフウカ自身の実力ではない。それどころか、ここ数年謎のままである、正体不明の現象によって引き起こされたものだ。直前までただ嘆き悲しむばかりだったフウカは、何とも複雑な心境である事だろう。
ティムもまた、似たような気持ちだ。長老さんのコアは数分前までぱっくり割れていたのが信じられないみたいに完全に接着され、裂け目もない程完璧に癒着している。
外装そのものへのダメージは深刻だったので、その部分はフウカに修理してもらった後、長老さんは試しにその辺を動き回ったが、コアにこれといった異変はないようだった。
「これで何度目だ? フウカが奇天烈な電光掲示板のように光るのは」
「人をミラーボールみたいに言わないで、ワガハイ……」
「ワシもこの目で見て、しかも体験するのは初めてじゃが、何とも不思議なもんじゃ。この感じで、ぺかーっと光ってガレクシャスをとっちめてくれれば良いのにのう」
「もう、長老さんまで……って、そうだよ! ガレクシャスが大変なの!」
長老さんが言及してくれた事で、ティム達もまた今の切羽詰まった状況を思い出す。
全員でワガハイが設置したボックス型端末へ近づき、ワガハイが各地のカメラから、ニホン村の様子を映し出す。
「まずいな……まだ混乱は続いている。しかも白鉄騎士団まで参戦し、村中で本格的な戦闘が起こっているようだ」
「そんな……」
白鉄騎士団との全面戦争にまで及んでしまっている以上、もはや対話どころではない。
暴力以外での決着はあり得ない、という段階にまで事態は悪化しているのだ。
だが、暴虐はそこで終わらない。
映像の中には、ガレクシャスの姿もあった。
ガレクシャスは白鉄騎士団の一人を打ち倒すと、その内部からコアを取り出している。
「コアを奪っている……何のために……――ッ!」
次の瞬間、ガレクシャスはそのコアを口元へ持っていき、あめ玉か何かのように、あっさりと放り込んだのである。
一同は総身を駆け抜けるおぞましさに声を失った。
するとどうだろう。ガレクシャスの全身に幾何学的な模様が光り輝いて浮かび上がり――その足下で横たわっているロボットのボディがひとりでに動き出す。
ずるずると這う芋虫のように、あるいは蜜に吸い寄せられるかのように、ガレクシャスの膝辺りまで登っていくと。
――なんとそのままガレクシャスの足の内部へ潜り込み、まるごと吸収されてしまったのである。
「ふん……この程度の雑魚でも、足しにはなるか」
その直後、ガレクシャスの身体がさらに膨張するかのように厚みと重圧を増し、他の騎士団員達を見下ろさんばかりだ。
「なんという事を……ガレクシャスめ、一線を踏み越えおったか……!」
長老さんの呟きに、凍り付いていたティムの意識はなんとか動き出す。
「ど、ど、どうしてガレクシャスは、あんな事を……っ!」
「……奴は再起動する前、ガートルードと呼ばれておった」
「ガートルード……ですと? むむ、どこかで耳にしたような……」
「奴には兵器を……他のロボットを取り込み、己をより強化する機能が備わっておる」
シンプルながら恐ろしい能力に、一同は震撼した。
「きょ、強化されるって、どれくらい……?」
「そのロボットの武器や特性を利用できるようになる。単純な出力に、装甲の頑強さに、反応、敏捷性も増す。喰えば喰うほど無限に強くなるのじゃ」
「って事は、俺も長老さんも、ティムもワガハイも、食べられちゃうって事かロ!?」
「……これまでガレクシャスは、敵を倒すための無法を用いれど、同胞を喰らうという禁忌を犯す事はついぞなかった。奴の心境に、いかなる変化があったのか……」
「どのみち奴は、本気でニホン村を支配するつもりらしいな。この分で強くなり続けられようものなら、いよいよ白鉄騎士団すら手がつけられなくなるぞ……!」
苦々しくうなるワガハイへ、フウカが小さな呟きを漏らす。
「ニホン村を支配して……どうするつもりなんだろう?」
「それは……当然、己の力を誇示するために……」
「でも、さっき会った時、ガレクシャスは力を手に入れたいと言っていただロ! なら、本当の目的は支配者になる事じゃなくて……俺達を喰い尽くすつもりかロ!?」
それもニホン村だけではなく、アーヴェル中の全てのロボットを。
ガレクシャスは本気だ。ダララロの推測に、身震いするティム達。
「そう……なのかな……?」
なのにフウカだけは、どこか納得しきれない風に顎へ指先を当てていた。
「そうだ、ワガハイ……カインは? カインは見える……っ?」
「いや、各所のカメラを確認したが、見当たらんな……一体どこへ……」
「まさか、ガレクシャスに……」
最悪の想像がよぎり、フウカも青ざめている。
「カインについては、さしあたり無事を祈る他あるまい……それよりも皆、ろくな猶予もない事は了解しているかのう?」
全員頷く。このままガレクシャスの好きにさせていれば、待っているのは破滅にしか思えなかった。
「ガレクシャスを、止めよう」
ティムは言った。それがどれほど困難な道でも、結束して歩むしかない。
この三年間、道なき荒れ果てた荒野を、フウカとカインと突き進んで来たように。
「ワシとダララロは集落へ戻り、無事な連中をかき集めて作戦を練るとしよう。どっちみちガレクシャスと一戦交える事には変わらんからのう」
「怖いけど、長老さんと一緒なら平気だロ! ガレクシャスの奴に一泡吹かせてやるロ!」
「なら、ぼく達は……えっと、どうしよう、フウカ?」
ガレクシャスを阻止すると息巻いたものの、いざ行動するとなると何も考えが浮かばない。ティムは身体の奥が乾いていくような無力感を覚えつつ、フウカの意見を求める。
「私達はガレクシャスを追ってみようよ。見つからずに、こっそりと……この風末があれば、長老さん達とも連絡は楽に取れるから」
「ふむ。陽動、遊撃部隊というわけか……ならば我が輩も同行しよう――む」
「ど、どうしたのワガハイ。もももしかして、ガレクシャスが攻めて来たとか……?」
「違う、逆だ……奴は戦場を離れている」
端末を見るワガハイの思わぬ言葉に、ティムは相づちを打つのを忘れた。
「シラ浜にいるぞ……しかもそこに、モーターボートがある。そこに乗り込み、発進した……しかも一人でだ。一体、どこへ……」
「――『中島』じゃ」
唐突にその名称を呼んだ長老さんに、視線が集中する。
「本来の名を、テラフォーミングセンターという……やれやれ、ガレクシャスめ。そこまでかぎつけておったとはな……」
「……テラフォーミング、センター……」
フウカがどこか郷愁を呼び起こすような遠い眼差しで、その言葉を反芻していた。
「そ、そこに、何があるの……?」
「別に、大したものはない……あるとしたら、真実じゃ」
真実――長老さんは疲れたように俯き、ぼそぼそと喋り続ける。
「ただ、行くのは正直おすすめせん。単純に危険なのもあるし、おぬしらの望む真実が眠っておるとも限らんからのう……」
「しかし長老。事ここに及んでは、そうも言っていられませんぞ」
「そうじゃな……その通りじゃ。フウカ」
「は、はい」
いきなり呼ばれたフウカは、現実に引き戻されたみたいにまぶたを開閉させた。
「途中でワシの家へ寄って、玩具の塔の置いてあるタンスの、上から3番目の、二重底になった蓋の裏の、テープで貼りつけてある鍵の、二枚重ねになった下の方を取るがええ」
早口で教えられ、フウカの怪訝な表情はいや深くなるばかりだ。
「その後は……三年前のエンシェント・イヴ号、覚えておるかの? 最下層部に使えそうな船が一隻、残っておる。見つけた鍵を使って渡るとよいじゃろう」
さすがは長老さん。例え汚染された海に阻まれていたとしても、いざとなればテラフォーミングセンターへ行けるルートは、抜け目なく保持しておいたわけだ。
「……忠告じゃ。できれば、センターの中へは入るな。そして無理もするな。ティムとワガハイと、無事に戻って来い。約束じゃ」
「約束……うん、約束するね、長老さん」
長老さんと手を合わせ、気合を入れるように笑い合うフウカ。
「しかし相手はガレクシャス。我々のみとなると、いざ対峙した時に不安だらけだが」
「その点は大丈夫! この風末があれば、ガレクシャスの動きをハッキングできるから!」
びしっと風末を掲げるフウカに、同開発者でもあるワガハイは自信ありげに同意する。
「なるほど、奴の油断を突ければ、逆に制圧するチャンスでもあるわけか。これは機会を見逃せんな……気を抜くなよ、ティム。……おい、ティム?」
「……う、うん。頑張ろう、頑張ろう……」
ティムはためらった末に、自分でも空々しいような生返事を、やっとワガハイへ寄越したのだった。
テラフォーミングセンターという名称は、長老さん以外誰も知らなかった。資料や情報は残っておらず、フウカ達にとっても何が待ち受けているのか分からない、初めての場所の探索となる。
三年ぶりにやって来たエンシェント・イヴ号の地下倉庫には、一隻のクルーザーが収容されていた。
観覧用と思われるそのクルーザーは多少の汚れは見受けられるも、長老さんによるものかメンテナンスが行き届いており、そのまますぐに海へ向かって発進できた。
酸化途中の血液じみた赤い海の上を突き進むクルーザーの上には、フウカ、ティム、ワガハイの三名が搭乗している。
近づいて来る赤黒い雲。言わずもがな、あの島には空気清浄機が一つもない。さらに島のそこかしこから突き出ている老朽化した建造物の影もあいまり、フウカは三年前に戻って来たかのような錯覚を受けた。
「ねえ、ワガハイ……ティムの事だけど」
フウカは操縦席のワガハイへ声をかける。一拍置き、肩越しに片眼鏡が振り向けられた。
「ティムがどうかしたか」
「私、最近……避けられている気がするの」
「奇遇だな。我が輩もここの所、奴がどこか落ち着きをなくしているのには気づいていた」
現に、今もティムは二人から距離を取るみたいに、船の突端に佇み、あらぬ虚空を眺めている。
「どうしちゃったんだろう……何か悩み事でもあるのかな」
「こんな状況だ、ナイーブになるのも仕方ないと言えばそうだが」
「でも、それにしたって……」
出発間際にも話しかけたのだが、まるで心ここにあらずな態度なのだ。せめて何に思い悩んでいるか分かれば、解決する手伝いをしてあげたいのに。
するとワガハイは嘆息気味にかぶりを振った。
「ま、我が輩にはおおよそ、奴が何を考えているか察しはつくがな……」
「ほ、本当? それなら、私にも教えてくれない……?」
ワガハイは静止した水平線を見つめながら、独白のように語り出す。
「……古い人は何のために生きていたか。それは子孫を残すためだ。ゆえに交配相手のいない場所に隔離されでもしたら、その孤独に精神をやられる――これは本能的なものだから仕方ない」
長老さん流の、遠回りな話し方。けれどフウカは急かさず、神妙に耳を傾ける。
「同じように我々ロボットの存在意義もまた、誰かの役に立つためなのだ。もっと単刀直入に言えば、古い人の都合の良い存在として生み出された……そう認識している者はごくわずかだがな。だからこそ――自身がその最低限の用すら成せていないと突きつけられれば、受ける重圧は計り知れないだろう」
「それが、まさか……ティムの事だって言うの……?」
「勘違いしないでくれ、誰もがそうというわけじゃない。ただロボットである以上、どうしても大なり小なり、自分らしく生きたい、なのに他者の都合にも合わせねばならない――そんなジレンマを抱えるものなのだ」
そうならないよう長老は仕事を与え、自己矛盾や論理破綻を起こさないよう防いできた。
「不幸中の幸いにも、我々には生まれた時から、前もって得意な技能が与えられている。アイデンティティーそのものの保護は約束されていたのだ。だが……ティムは違う」
「違う……?」
「奴は広く安価に量産されている汎用住民型ロボットだ」
ワガハイは一呼吸分、沈黙を挟み。
「何の特徴も持たない、古い人達にとっての踏み台であり、賑やかしの背景として作り出された。それ以上でも以下でもない。何にもなれない事が、最初から決定づけられている……それがティムだ」
「で、でもっ、ティムは私やカインにとって、大切な仲間なの!」
フウカはむきになって反論する。
「私が落ち込んだりした時は、励ましたり、黙って側にいてくれた……危ない時だって、力を合わせて乗り越えて来たんだもの!」
「それは共感性はあるだろう、だからお前と速やかに打ち解けられた――何せ周りの者達をよいしょするだけの役割なのだからな。そしてそれは極論、ティムでなくても良かった。やろうと思えば誰でもできる行為に過ぎない」
フウカは二の句が継げなかった。
「だから奴には、自信など持てようはずもなく……コンプレックスは肥大化するばかり。もがけばもがく程に無力を見せつけられ、何もない袋小路へ迷い込んでいく」
「……ティム……」
「……奴が一人だった頃は、そんな悩みなどとは無縁だったのだがな」
ワガハイがぽつりと漏らした言葉に、フウカは雷に打たれたかのように硬直する。
「私のせい、なの……? 私がティムと、関わってしまったから……」
「それは……」
「けど……私、知らなかった……! ティムがそんな風に思っていたなんて、今まで一度だって……っ」
お互いにかけがえのない、強い絆で結ばれていると信じていた。
けれども同時に、ティムは一人、どうしようもない疎外感を抱えていたのだ。
生まれた瞬間に定められていた役柄ゆえに、誰にも相談できず、打ち明けられず。
フウカやカインにも――いや、だからこそ思いを隠したままで。
一緒に笑って、泣いて。過ごす時間が増えれば増えるほど、ティムの中では他者との能力格差が開く一方への絶望と、何も掴めぬ現実への虚無感だけが育っていって。
「私、知らない間に……そんなにもティムを、傷つけていたんだ……」
「違う……それは違うぞ、フウカ。知らない事は罪ではない。ティムもまた、それを知らせようとはしなかった。何も変わらないからだ。これはティムの問題……他人がどうこうした所で、奴の無力感を煽るだけだろう」
「だからって……だからって私には、このまま放っておくなんてできないよ……っ!」
フウカは胸に淀む迷いを、吹き飛ばすように声を張った。
「私は、ティムからいっぱい大切なものをもらった! ティムが困っていたら、力になりたい……!」
「気持ちは分からんでもないが、一時の情動に呑まれてはいないか? 冷静に考えてもみろ、例えばティムではなく他の特化型と過ごしていれば、もっと価値ある時間を過ごせるとは思えないか?」
ワガハイはどこまでも合理的だった。
「違う、そんな事ない。価値とかそういう話じゃないの。私にとってティムは――ティムだけなんだから! 今までそうしてくれたように、今度は私が守りたい!」
船が水面を割って、進み続けている。涼やかな音色が風に乗って奏でられる中、フウカは決意を込めてワガハイを見返していた。
「……お前は強いな、フウカ」
「そんな事ないよ……みんなでいてくれたから私はここまで来られてるんだから。この一件が解決したら、ティムと一度ゆっくり話してみたい」
「そうだな……それが良いだろう」
「ワガハイにも、お礼を言わなきゃね」
「なぜだ。我が輩は何もしとらんが」
フウカは唇をほころばせる。
「ワガハイが教えてくれなかったら、何が問題なのかも分からなかった。その上でワガハイは、ティムとどう向き合うかを聞いてくれた。おかげで私も、混乱するだけじゃなくて気持ちの整理がつけられたし……解決方法も少しだけ、見えて来た気がするの」
「……ふん。我が輩は別に、この程度で別れたくなるような間柄なら、いっそ一から清算してしまえと考えていただけだ」
どことなくこそばゆそうに、ワガハイはぷいとそっぽを向く。
――和やかな空気の漂う操舵室の外で、ドア越しに二人の会話に聞き耳を立てていたティムは、誰にも届かないような小さな呟きを空に溶かした。
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