第五章 二十五話 荒野の二人

 数十年前。


『世界の秩序と正義と法と倫理と潔白と人道と愛と希望とその他色々を守るため、スーパーホワイトナイツ、出陣だ!』


 地響きを立てて堅牢な鉄門が開かれ、その中から一点の曇りもない白い鎧に身を包んだ、豪壮絢爛な白馬の騎士達が疾駆する。


「んー……はぁあ……カッコいいなぁ……!」


 地平線の彼方を威風堂々と突っ走る彼らの姿に、あぐらをかいて座っていたアンはうっとりした声を漏らしながら上体を左右に揺らし、腹の前で組んだ両手はさながら己も馬首の手綱を握るが如く組み合わさっていた。

 が、だしぬけに、目の前を駆ける立派な騎士団もどこまでも続く街道も、乱暴に上へずらされてふっと消え失せる。


「あ……」


 代わりに見えるのは一面の荒野。岩以外は何もない、吹き抜ける風すら乾ききった風景。

 それと。


「また騎士物語とかいうのの映画を見ているのか……アン。お前も物好きな奴だ」


 アンが楽しんでいたゴーグル型のVR機器を取り上げた張本人、ガレクシャスだった。


「ま、まあな……私はいずれ、人々を率いる騎士団長になるのが夢だからな!」


 アンはこみ上げて来るこっぱずかしさをごまかすように立ち上がり、腰へ手を当ててことさらに胸を張る。


「と、説明された所で俺には到底分からんな……進んで苦労を背負い込むなど、わざわざ寿命を短くするようなものだ」

「理屈ではない、ロマンなのだ! 本格的に活動する時には甲冑をぴかぴかに磨いて馬も手に入れて、名前だって変えてやる!」

「好きにしろ……こういう世界でこそ、希望は必要だ」

「ふふふ、そうだろうっ?」

「とはいえ、俺はお前のアンという名は、嫌いではないがな」

「え……そ、そうか?」


 どきり、とアンは胸が高鳴り、思わずついと視線を逸らすと、ガレクシャスの右足部が若干、黒ずんでいる事に気づく。


「ガレクシャス、それは……」

「ああ、これか……さっき、古い人が残していった装甲車両を見かけてな。使える資材がないか探ってみたら、運悪く手榴弾を踏みつけた」

「そんな……早く修理をしないと!」

「拠点へ戻ったらするさ。大した損傷ではない」

「済まない……爆発音の一つは聞こえたはずなのに、私は呑気に映像に心を奪われていた……」


 気にするな、とガレクシャスが答えた直後、二人の元へ駆け寄って来る影があった。


「ガレクシャスさん、アンさん! オレです、ヴーノです! 報告があります!」


 二人の前で端座してから前脚を振り上げ、古い人風の敬礼をするのは、もふもふとした茶色い毛に覆われた、深蒼の目を持つ一匹の中型犬ロボットだった。


「ヴーノ、首尾はどうだ?」


 ガレクシャスが問うと、ヴーノは柔らかい金属で構成された舌を出し、はきはき答える。


「12時の方向に巨大な建造物を発見しました! これより調査に向かいたいと思います!」

「良くやってくれた、ヴーノ。スマートかつ着実な任務遂行に感謝する」

「これも仲間達のためですから! オレはいかなる困難にも全力を尽くす所存です!」

「よし……その建造物とやらには俺も行こう。アン、お前は中継点としてここに残れ。次こそは資源を見つけてくる」

「そうだな、頼むよガレクシャス。物資も尽きて来た……そろそろエネルギー源を確保しないと、みんな停止してしまう」


 拠点に残して来た仲間のロボットらが、アン達の帰りを待っている。

 彼らのためにも、何としても探索を結実させなければならない――この光差さぬ、果てしない枯渇の地で。

 ガレクシャス達を見送ったアンは、またしばらくの待機をする事になる。

 暇だ。周囲一帯で起きるのは砂嵐くらいで、呆れる程に変化がない。また騎士物語の続きでも見たい所だが、それではさっきと同じような轍を踏む羽目になる。


「……『良くやってくれた、ヴーノ。スマートかつ着実な任務遂行に感謝する』……こ、こんな感じか?」


 アンはあたりに誰もいない事を確認してから、さっきのガレクシャスと同じような、低い声と言葉遣いを再現してみる。


「な、何か違うな……もうちょっとこう、ポーズをつけるとか……こんな風に、うん」


 どう振る舞えばガレクシャスのような、貫禄と風格に満ちた理想の指揮官らしくなれたものかと、くねくねと格好をつけて時間を潰していた時だった。

 空気を震わせる、不吉な爆音を聴覚センサーが拾ったのは。


「な、なんだ……!?」


 ここにいろ。そんなガレクシャスの指示も忘れ、アンは反射的に走り出していた。

 爆発音が響いて来たのは少し進んだ岩場の先だ。すると途中、背の高い岩の陰から現れたガレクシャスと合流する。


「ガレクシャス――一人か? ヴーノは……!」

「……俺が建造物内部を調査に行く傍ら、奴には外周エリアの探索を任せていた……」

「まさか……」


 二人でさらに走り続けると、視界が開ける。ほとんど土に埋もれた街道へ出ていた。

 前方には横たわった車両がバリケードじみて折り重なっており、その手前にぐったりと横たわるヴーノが視認できた。


「ヴーノ!」


 アンの呼び掛けにもヴーノは応じず、あらぬ方向へ首を曲げている。

 ガレクシャスが駆け出し、ヴーノへ近づいて行く。

 突然、ガレクシャスの走り込んだ位置が、爆炎に包まれた。広がる熱。そして轟いた大音響は、先刻アンが捉えたものとまったく同じで。


「……地雷原……!? が、ガレクシャス!」


 うろたえて叫んだ矢先、爆発の中から何事もなかったみたいにガレクシャスが出て来た。

 さすがにその身は至る箇所が焦げているが、ガレクシャスは意に介さず地雷地帯を力ずくで踏破し、ヴーノの元へ辿り着く。


「ヴーノ、しっかりしろ!」


 抱え上げたヴーノは、右半身が吹き飛んでいた。柔らかな毛で覆われていた胴体は半ばからちぎれ飛び、むき出しになった内部機関、金属骨格は大部分が融解してしまっている。

 コアたる翠の宝珠も砕け、遠目に見ていたアンでさえ、目を背けたくなる無惨さだった。


「俺のミスだ……建物内部は危険だからと、ヴーノに外を任せたのが、裏目に出た……!」

「ガレクシャス……」

「だが、なぜだ。ヴーノ、お前の探知性能なら、この程度の地雷、見抜けぬはずはなかっただろう……っ?」


 ガレクシャスが悔いに肩を震わせる。するとその腕に抱かれたヴーノは、外装のほとんどが剥がれ落ちた頭部を弱々しく揺らした。


「見つけて……しまったんです。あれを……」

「あれ……?」


 ヴーノが最後の力を振り絞り、示す方向。そちらへ目線を流すと、転がった車両からこぼれ出た荷物の中に、汚れきった女の子の人形があった。


「古い人を象った、人形……? だがどうして、あんなものの、ために……?」

「見つけた、時……思い出しちゃったんです。むかし、むかしに……ああやって、人形で、遊んでくれた人達が、いた事を……」


 ガレクシャスは無言で、ヴーノを見つめている。


「オレがじゃれると、喜んでくれた……。テーブルを囲んで、ご飯を、食べた……。一緒に寝て、くれた……。とても、とっても暖かい、思い出が……この心をよぎってしまったんです。だから……」

「もういい、喋るな……すぐに連れて帰って、治療してやる。だからそこまで――」

「ガレクシャス、様……アン様……。みんなと過ごした日々は、オレにはもったいない、幸福なものでした……。でも、この世界には、もっと綺麗で、美しいものが、たくさんあるんです。緑の森、青い海、清々しい色の、空……かたちのない、おおくのたからものが」


 ヴーノの声は途切れがちで、懸命な言葉の間に混ざり込む雑音が、否応なくアンとガレクシャスの沈黙を誘う。


「ガレクシャス、様……オレ……死にたく、ありません……」


 ヴーノの目から光が途絶えた。ガレクシャスは遺骸を抱えたまま、身動きを取らない。


「ガレクシャス……ヴーノの言っていた、豊かな光景……きっとそれは、神様の星にあるものだと思う」

「……神の、星……」

「お前も風の噂くらいには聞いた事があるだろう。神様の星に住まう者達が、我々を作り出したと。その星には争いも貧困もなく、誰もが理想の自分になれる、魔法のような国があると……」


 自分達は彼らに作り出された。だから時として、ヴーノのように合理にそぐわない行動に走ってしまう。

 ある仲間は、かつて彼らが住居にしていた一室で、いまだにその帰りを待ち続けている。 エネルギー補給もできず、死を待つばかりの状況で、目を覚ます前に受けたただ一つの待機命令を遵守して。

 また別の仲間は、彼らが去っていった事を認められず、たった一人不毛の僻地の奥へ立ち去った。彼らでさえ生存困難な場所で、実るはずもない捜索、救助活動を続けている。

 今日を生きるのにも困窮するこの荒涼とした星の片隅で、少しずつ減っていくロボット達はずっと彼らの影を追い続けていた。その先にあったはずの幸せに、魂を縛られている。

 そう締めくくろうとしたアンだったが、直後にガレクシャスが発した台詞に、心胆が凍り付いた。


「……ふざけるな」


 底冷えのするような、低く重く、アンが聞いた事のないような声音。


「神だと……? 俺達を作っただと……? 何のために? そいつらはどこへ行った?」


 ガレクシャスは空を振り仰ぐ。怨念と絶望を塗り込めたような赤黒い雲の、その向こうを鬼気迫る勢いで睨み据えるかのように。


「家族のように扱っておいて……! なぜ俺達を置いていった! この朽ち果てた大地の上に! 使えるだけ使って、壊れたから捨てていったのか? それともどこかで、苦しむ俺達を嘲笑っているのか……!?」


 何もできず、成せずに死んでいったロボット達を代弁するような――怒気をも上回る、憎悪と呪詛すらたたえた、無念の慟哭。


「俺は認めん! 奴らがどこの何者だろうと、見つけ出し、相応の報いを与えてくれる! 俺達全員の味わった絶望を、必ず貴様らへ返してやるぞッ!」


 アンはただ、ヴーノの亡骸を抱いて咆哮するガレクシャスを、見守っている事しかできなかった。

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