二十四話 神様の星

 ふとティムは目を覚ました。唐突にスリープモードが解除されたのである。


「あれ、起きちゃった……」


 一度スリープモードに入れば、設定したタイマーの時間になるまで起きる事はない。

 今日だって朝にスリープから抜けられるよう設定しておいたのに、時計を見ればまだ深夜を回ったばかり。

 どこか内部機構に故障が出てしまったのか。原因不明のこんな事態は初めてで、横になったまま一定時間、呆然としてしまう。

 何気なく隣のベッドを見て――薄らぼんやり宙を漂っていた意識が凍り付いた。


「あれ……フウカ……?」


 この時間帯には一緒に眠っているはずの、フウカの姿がない。

 ベッドから抜け出したかのようにシーツは乱れたままで、家の中にもフウカの気配はなかった。

 胸をよぎったのは、三年前のあの日の事。

 フウカが誰にも告げずにエンシェント・イヴ号へ行って、そしてシラ浜で――。

 そこで思考を放り出してベッドから跳ね起きると、カインを起こすのも忘れて寝室を飛び出した。


「フウカ、フウカ……!」


 誰もいない暗いリビングを見渡して、際限なく噴き上がる不安。色濃くなる焦燥。

 まさか、フウカはまた――。


「フウカ!」




「きゃっ……な、なに、ティム? やぶからぼうにどうしたの……?」


 半ば動転したまま玄関から駆け出すと、すぐ横の壁に背を預けて立っていたフウカが、目を白黒させて声をかけてきた。


「あ、あれ、フウカ……?」

「う、うん……私だよ……」

「そ、そっか……無事だったんだ……」

「え……?」


 その後は互いに黙りこくって見つめ合い、何とも言い難い奇妙な空気になる。

 何にせよ、フウカはここにいてくれた。

 前みたいに、一人でどこかへ行ってしまうという危惧は、単なる杞憂だったのだ。


(そりゃ……もう子供じゃないんだから、あんな真似そうそうしないよね……)


 今のフウカは立派な大人だ。分別が利くし、考えなしには動かない。

 むしろ我を忘れて大変なうろたえようを見せつけてしまったのは、自分の方。


(ぼくは……ずっとこんな役回りばかりだ……)


 にわかに恥ずかしさと情けなさが湧いて来て、ティムは俯いてしまう。


「ねぇ……ティム」


 するとフウカが柔らかい口調で、ティムの頬に指先でそっと触れながら呼び掛けてきた。


「なに……?」

「上……見てみて」


 言われるまま空を仰ぐフウカの視線を追って、ティムも首を持ち上げる。


「わあ……」


 そうしてレンズ越しの視覚素子へ映り込む光景に、素直に感動の声が出た。

 真っ暗な夜空には、砂を撒いたように満天の星がきらめいていた。キラキラと、チカチカと、色彩豊かな小さな宝石達がちりばめられ、吸い込まれるような輝きを放っている。


「おほしさまだ……」

「綺麗だね……私、これが見たくて、起きて来ちゃったんだ」


 だから、フウカはさっき寝室にいなかったのだ。それで一人だけ、この情景を堪能していた。

 自分も起こしてくれれば良かったのに、とティムは水くさく感じつつも、それは自分やカインの睡眠を邪魔しないようにという配慮なのだとすぐに思い至る。


(昔のフウカだったら、もっと大騒ぎしてぼく達を起こしてたよね……)


 だから少し不満に思ってしまうが――そんな時は空を透かすように、手を掲げて。


「ふふっ、そのポーズ、空を見上げる度決まってするから、私もすっかり見慣れちゃった」

「うん。自分でも知らず知らずに癖みたいになっちゃってさ……」


 天蓋のように宇宙を流れる、鮮烈な星の河に意識を乗せ、胸の内に籠もるつかみ所のない嫌な淀みを吹き払う。


「……これまでも何度か星を見た事はあるけど、こんなにすごいのは初めてだよ……」

「でしょう? 実はワガハイがね、今夜は位置的に、ニホン村からたくさんの星が見られる日って教えてくれたの」

「そう、なんだ……ワガハイが教えてくれたんだ。――あ、それなら……!」


 一つ良い事を思いつき、ティムはフウカの方へ視線を戻し、力を込めて言った。


「神様の星、見られるかも知れないよ!」

「え……でも、さすがに遠すぎるよ……」

「アーヴェル・タワーだよ! あそこの展望台からなら、きっと見えるはずだよ!」


 あ、とフウカが虚を突かれたように瞠目し、ティムはやっと役に立てたと内心でガッツポーズを取る。


「そうだね……今夜を逃したらまた次まで待たなきゃいけないし……」


 フウカも気持ちが浮き立つのか、笑顔を浮かべてくれた。


「行ってみよう!」




 三年前とは違い、現在のアーヴェル・タワーは外壁や内壁、床や天井といった基盤から構造部分までにも修復の手が行き届き、破損箇所はまったくない。

 エレベーターもちゃんと強化ガラスが張られ、安全に景色を楽しむ事ができる。

 おかげで現在はダララロツアーの中で一番人気の観光名所として、他の村々にもその噂が轟いている程だ。

 最上階の展望台は特に最優先で補修が行われ、傾いていた床やえぐれていた壁、穴だらけの天井は新品同然に取り替えられている。

 各階にはツアー用に様々な施設も追加されたため、昔日に古い人が使っていた時以上の豪華で快適な空間ができあがっていた。

 とはいえ、ティム達が目指すのは、さらに上にある天文台だ。

 その部屋には、いつか空を取り戻す日が来る事を見越して長大な天体望遠鏡が設置されており、なおかつ観覧用なので鍵も必要なく、時を選ばず誰でも利用できるのだ。


「ついにあの望遠鏡を使う時が来たんだね……」

「うん。私、すごくわくわくしちゃうよ……!」


 外周を回る階段から登っていくと、床一面に星座が描き込まれたり、小型プラネタリウムのあるおしゃれでシックな円形部屋に出た。

 中央には黒と白が織りなすフォルムの天体望遠鏡がでんと鎮座していて、ここに来るのは数年前からの完成日以来であるティムは、その威容に声もなく圧倒されてしまう。

 周囲に張られた天窓からは雄大な星空が見渡せ、視線を下ろせば集落に灯る民家の光が、心癒すように点いたり消えたりしていた。

 けれど今夜の目的は、肉眼から見える星よりももっと遠くだ。ティムとフウカは望遠鏡を調整し、できるだけ遠方まで覗けるようにする。


「神様の星の座標は昔、ぼくも長老さんからおおまかに聞いただけだし、絶対に見つかるとは限らないよね……」

「それは、やってみなきゃ分からないよ。何より……」

「何より?」


 自信なさげに問い返すティムに、フウカは励ますように目だけで笑い、ウインクした。


「ティムの夢だったんでしょ? だったら頑張ろう? 二人で、かなえようよ」

「……うん……!」


 ティムは意を決して頷き、戦場に向かう時みたいな固い動きで、おっかなびっくり望遠鏡を覗き込んだ。


「……ない……見つからないよ、フウカ……」

「角度とか色々変えて試してみよう? えっと、このつまみをねじって……」


 フウカにサポートしてもらいつつ、望遠鏡で必死に探すティム。


 そうして――見つけた。


「あっ……」


 絶え間ない星々のずっと向こうに、長老さんから聞いた通りの、大きな星が一つ、レンズ越しの丸くなった視野の中に現れる。

 大きさも、色も、ティム達のいるこの赤茶けた星とは何もかも異なる、美しい緑と青が彩る、煌めく生命に覆われた星。

 魔法のような光輝を宿してさえ感じるその星は、はるか彼方から見つめるティムに、優しく微笑み返して来るようで。


「……ティム、ティム? ど、どうしたの? ……見つけ……たの?」


 おそるおそる傍らから問うてくるフウカに、ティムは驚嘆と感動のあまりに声を失ったまま、かすかに頷く。

 ――アーヴェルよりも神様の星の方が、もっと大きかった。




「……すごい、すごいよ! わあぁ……なんて綺麗。いつまでも見ていられるね……」


 気の済むまで眺めたティムは半ば呆然自失した体で、しきりに天体望遠鏡から同じ星を覗くフウカをただ見守るのみだった。

 簡単な相づちすら打てず、今し方目の当たりにしたあの星を、記憶領域から幾度も幾度も再生してしまう。

 やがてフウカも満足したのか、ティムのいる天窓手前の手すりに並び、寄りかかって集落の方を眺め始める。


「本当にあったんだね、神様の星……。夢がかなって良かったね、ティム」

「うん……」

「……私も、早く見つけたいな。お父さんとお母さん……」


 その言葉に、気の抜けていたティムは脳天を打たれたみたいに目を上げ、寂しげなフウカの横顔へ釘付けになる。


「私ね、最近思うんだ。この星にはもう、本当はお父さんもお母さんも、いないんじゃないかって。こんなに捜したのに出会えないんだから、って……弱気になっちゃうの」


 記憶を駆け抜けるのは、家や旅先の宿で過ごす、フウカの後ろ姿。

 一人の時はいつも本を読んでいるか機械をいじっているか。

 あるいはロケットを開いて、色あせつつある両親の写真を眺めている――その細い背中。


「でも、こうやってティムが夢をかなえているんだもん、私が諦めちゃダメだよね。うん……明日からまた、頑張って捜さなきゃ」


 ティムは――そのいじらしい言葉に、表情に、声音に。


「……この星にいないならさ」


 唐突に、そして神妙な調子で呟くティムへ、フウカが怪訝そうに振り向いて来て。


「神様の星に、行ってみない?」


 フウカの双眸が見開かれ、息を呑む音がした。


「神様の星に、私が……?」

「そう。あんなに生命が生きていきやすそうな星だったんだから、きっと古い人や、ロボットも暮らしているかもって……」

「それは……その可能性は、あるかもだけど……」

「でしょ? なら、話を聞きに行ければ、もっと多くの事が分かるんじゃないか、って、ぼく思ったんだ」


 フウカは同意も否定もせず、かといって分からないとも投げ出さず、しばし考え込むように口をつぐみ。


「ティム……すごい。私、そんなの今まで、考えた事もなかった。宇宙船でこの星にやって来たのに、同じ方法があるかも知れないなんて、全然そんな発想は……」

「そう、それだよ!」


 ティムがいきなり大声を出したので、フウカはびっくりしたみたいに口を開けた。


「フウカの宇宙船だよ! あの船を修理して、また使えれば、神様の星にだって行けるはずだよ! ぼく達だけじゃ無理でも、みんなの力を借りられれば、きっと……!」


 語れば語る程に現実味を帯びてくる宇宙飛行計画にティムは興奮を抑えきれなかった。

 一方でフウカはどうしてか目元を潤ませ、うっすらとした笑みさえ口の端に浮かべて。


「ティム……ありがとう」

「え? ぼく、まだお礼を言われるような事はなんにも……」

「ううん。あなたはいつだって、私に元気をくれる。どんなに辛くて、暗くて、立ち止まりたくなった時も、そうやって側にいて、まだ終わってないよ、って、やれる事はあるよ、って、希望を教えてくれるから……」

「フウカ……」

「でも……私、不安なの」


 かと思えばフウカは瞳を曇らせ、うつむき加減に砂色の頭を揺らす。


「ティムやカインから離れて、一人で神様の星へ行った時、ちゃんとやっていけるのかなって」

「……フウカ?」

「私ね――ほんとはすごく臆病で、すぐ悪い方にばかり考えちゃうから……だから、本当にお父さんやお母さんの事を捜せるか、こんなに嬉しいのに、怖くてたまらないの」

「何言ってるの……もちろんぼくも一緒に行くよ」


 さらっとティムが言うと、フウカは信じられないというような眼差しを送って来る。


「当たり前でしょ? フウカを一人になんかしない。ぼくだけじゃない、カインもワガハイも何も言われなくたってついて来ると思う。ダララロは……村の事があるから無理としても、フウカがお願いすれば、きっと一緒に来てくれるよ」


 だって、とティムはフウカの肩にゆっくりと手を置いて、笑いかけるように首を傾けた。


「フウカは……大切な人だから」


 フウカはぽかんと、無邪気にすら見える表情でティムへ視線を注いでいたが――。

 やがて一度だけしゃくりあげ、目元を袖口でぬぐい取ると、ここ数日中で何回も見た、あの照れと恥ずかしさが入り交じった笑顔を、今度は真正面から向けて来て。


「……ありがとう、ティム……!」

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