二部
第四章 二十話 三年後
「おい……しっかりしろ……!」
頭にターバン、身体に丈夫な茶色い布を巻き付けた、エキゾチックな民族衣装を着たロボットが、うつぶせに倒れ伏す友人の手をしきりに引き、立ち上がらせようとしている。
「だ、ダメだ……完全に足が挟まれて、引き抜けそうもない……もういい、俺の事は放って、村へ戻ってくれ……」
「バカ言うな! もしさっきみたいに大きな揺れが起きて崩落に巻き込まれたら、もう助からないかも知れないんだぞ!」
弱気に漏らす友人を叱咤しながら力を込め続けるも、その努力が実る兆しはない。
それというのも、友人の両足を上から圧迫しているのは、巨木さながらに大きな鉄骨だからである。
錆び付き、折れているその鉄骨はしかし、相当の強度を維持したまま金属の歯で食らい付き、友人の足からは先ほどからミシミシと嫌な音が鳴り続けていた。
「お前だけでも先に戻って、手に入れた材料を渡して……それから助けを呼んできてくれ。それまで俺も、なんとかしのいでみる……」
「そんな事……お前をここに置いていくなんて、できるわけないだろう!」
二人がいるのは、ガラクタの森と呼ばれる森林地帯だった。
あたり一面にあるのは、乾いて朽ち果てた瓦礫。骨組みだけとなった家屋、放棄された施設の残骸、散乱する電子部品、打ち捨てられた資材の群れ。
風に乗って運ばれたか、誰かに捨てられたか、いつ頃からか一カ所に集まっていたガラクタ達は、やがて捨てられた物同士慰め合うように結びつき、絡み合い、蝕み合い――もはや元の原型が何だったのか判然としない、文字通り一つの樹木と形を成した。
鋼鉄の樹々はどこまでも根を広げ、そうして侵食するようにできたのが、ここなのだ。
「こんな恐ろしい場所に置いて行かれようものなら、お前もこの壊れた機械達の一部になってしまうぞ……だから踏ん張るんだ!」
空は青かった。そんな当たり前の実感を思い出せたのは、どれくらい前だっただろう。
今日は絶好の散歩日和。そんな風に思えるくらい、はっきり太陽が覗け、暖かなぬくもりを感じる。
とはいっても、まだ完全に青空を取り戻せたわけではない。いまだ赤黒い雲は染みのように残り、ぶつ切りに途切れた編み目めいた青と赤のコントラストを形作っている。
それでも澄み渡った空模様が清涼な空気を運んで来るようで――深呼吸しながら胸一杯に吸った少女は、足場代わりとしていた樹木の枝から、一段下の枝へと飛び降りる。
風を受けてなびく、腰付近まで伸びた砂色の髪。長袖のシャツにベージュ色のオーバーオール。機能性と頑丈さを重視した厚いブーツ。
そして背中にかけたバックパックへ手を回し、がさごそと探ってから、手頃な大きさの端末を取り出す。
その端末を起動させると、大きめの画面内にはカメラ機能のように、向けている方向の景色が透かしで映し出される。
少女が灰色の瞳を注いだまま、さらに端末のボタンを押すと、今度は画面に様々なウィンドウと文字列が出現し、めまぐるしく作動を始めた。
端末を握りながら、枝から落ちないようそろそろと平行に半回転する。
するとだしぬけに画面に反応が現れ、それを拡大すると『約3km』と表示された文字の下に、ちょうど二つ分の身じろぎするシルエットが、黄色い輪郭で浮かび上がった。
少女は、会心の笑みを浮かべる。
「……見つけた」
端末をバックパックへ戻すや否や姿勢を屈め、獲物を見つけた肉食獣のように、全身のバネを使って枝から跳躍した。
目前にある木の幹や葉や枝を模したガラクタへと素早く飛び移り、加速しながら森を突き進む。
凹凸が多く不安定な足場を軽やかに蹴り、障害物をくぐって躱し、水面を跳ねるように涼しげな風を受け、少女は止まる事なく駆け抜けた。
迷いのない動きに、まるでガラクタの方が両側へ避けていくかのよう。
すると熱帯雨林の如く変わり映えのしなかった景色が、これまた瞬時にして一変した。
ガラクタの木々が途切れ、視界が開ける。――少女の眼前には、大きく口を開けた断崖が、何もない漆黒の奈落を見せつけていたのである。
進行方向には足場やとっかかりは存在せず、伸ばした手や足は空を切り、少女自身も間を置かずして、急速に落下を始めた。
これでは崖を越える事はかなわず、無惨にも地の底へ叩きつけられる事だろう――。
「――カイン!」
しかし少女の表情はパニックや絶望に歪む事はなく、むしろ楽しそうにそう声を上げて。
背後の瓦礫の切れ間から、犬型のロボットが飛び出して来た。
重厚な合金をより合わせたような、がっしりとした四肢。少女の体格よりも一回り大きく、滑らかな黄金の胴体。野性味際立つ切れ長の双眸。
「ワウッ!」
犬型ロボットは眼下に切り立った崖を目にしながらも、逆にその谷底を喰らうかのように顎を開き、咆哮を上げながら少女の真下へと位置する。
「このまま跳び越えて!」
少女はごく自然にそのロボットの背中を両足で挟んで跨がり、風と重力に引き離される前に身を屈めてさっと分厚い背を掴むと、空いたもう片手で前を指差しながら叫ぶ。
犬型ロボットは少女を背負い、なおかつそのたった一度のジャンプのみで、断層から噴き上がる強風を切り裂き向こう側の地面へ降り立って見せたのである。
「近いよ、その奥!」
少女を乗せた犬型ロボットは、地上に散らばる壊れたコンクリートの柱、橋のようにかかった鉄骨、地面に開いた穴などの障害をアスレチックよろしく軽々と突破し、一際開けた場所へ辿り着く。
そこには脱出もままならない二人組のロボットがおり、いきなり躍り出て来た少女と犬型ロボットを、あっけにとられたみたいに硬直して見つめている。
「あなた達が、遭難者ね? 助けにきたよ」
「た、助け……本当か……っ?」
「なら頼む! こいつの足が挟まってるんだ! どけるために力を貸し――」
「カイン、頼める?」
「ワンワンッ!」
少女が降りると、犬型ロボットは何気ない足取りで踏み出し、その強面に二人のロボットがびくっとするのも構わず。
前脚の先端から湾曲した爪を飛び出させ、タクトの如く縦横に振るって見せたのである。
突然の事に声を出して驚く二人。しかし前脚が通り過ぎたその一拍後には、倒れているロボットの上に乗っていた鉄骨は、紙切れを破くみたいに四散してしまっていた。
「お、おい! 大丈夫か!?」
「ああ、むしろ……ほら、立てる! 残骸もなくなったし、足には傷もつけられてない! ……ってやべ、抑えつけられてた時に痛めちまったみたいだな……」
「大丈夫、こんなのすぐ直せるよ」
あっさり言った少女は工具を取り出すや、負傷している部位を解体、補修、組み立てなど何行程もの処置を影も残らぬ速さで施し。
「はいできた」
「なっ……し、信じられない! ヒビ一つもなく直ってる!」
友人に貸してもらっていた肩から離れたロボットは、何事もなかったようにその場で跳ねたり、空へ向かって連続蹴りを放ち、驚愕と喜びの両方を味わっているようだった。
「あ、ありがとな……おかげで助かった! ……あんた、名前は……?」
「私……?」
きょとんと自分の顔を指差した少女は、花開くように微笑んで。
「――私、フウカ。こっちはカイン。よろしくね!」
先ほどロボット救出の連絡が届き、ティムが村の人々と共に合流場所となっているガラクタの森入り口までやってくると、鬱蒼とした道の向こうから、折り良くも見慣れた少女と犬の友達の姿が見えてきていた。
「フウカー!」
腕を振りながら駆け寄っていけば、フウカも頬をほころばせてくれる。
「ティム! ここまで来てくれたのね!」
「そりゃそうだよ! 手分けして捜している間中も心配で心配で……でも無事で良かった! 怪我はない?」
「全然問題なしだよ、カインも間に合ってくれたから!」
褒められたカインは快活に吠えたかと思うと、しゅるしゅると身体のパーツを内部へ引っ込ませ、子犬姿へ戻って行った。
「あはは、カインもお疲れ様……大きい時はすぐお腹減っちゃうもんね、戻ったらご飯食べようね」
ティム達はスムーズに救助活動が終わった事と、お互いの再会を喜び、分かち合う。
普段は三人一緒に行動するので、たまにこうして別行動をする際は、また無事に会えた時の安堵もひとしおなのだ。
と、村人達の間から村長らしき一人のロボットが進み出た。額や上体、二の腕に施されたカラフルな民族模様やロックなデザインのレリーフが特徴だ。
「この度は本当に助かりました。ガラクタの森で仲間が遭難したと知った時は途方に暮れ、悲しみにうち沈みましたが、あなた方の助力のおかげで、村の者は誰も欠けずに明日を迎える事ができます」
「そんな、恐縮だよ。ぼく達、困った時はお互い様が信条だからさ」
「ですが、命の恩人である事に変わりはありませぬ。この上はなんとお礼をして良いやら」
「お礼なんていらないです。好きでやってる仕事ですから」
「おお……何らの報酬も望まないとは、なんたる無償の精神の素晴らしさでしょう。我々はただただ、感謝の言葉を申し上げる事しかできませぬ」
村長を筆頭に口々にお礼を述べる村人達に、ティムはくすぐったさから頭を掻き、話題を変える。
「と、ところで、さっきは緊急だからって聞き損ねたけど、あの二人が運ぼうとしていたのって、何の材料なの?」
「地下鉄道を復旧するための、材料でございます」
「地下鉄道?」
「地下にトンネルを掘って、連結した長い車を走らせて人を運ぶ施設だよ、ティム」
「そ、そうなんだ……知らなかったよ。ぼくの方が長く生きてるのに、フウカにはもうすっかり知識で負けちゃってるなあ」
すらすらと地下鉄道が何かを答えるフウカに、ティムは感心するやら恥ずかしいやら。
「しかし、ただいま多くの車両が破損、駅や線路も荒れ果てており、修理するためにはこれまたたくさんの部品や資材が必要になります。この二人にはその有用な材料集めにガラクタの森を探索してもらっていたのですが、何かと危険な場所ゆえ、いつかこうなるのではないかとの危惧をしておりました……」
「だから俺達、あんた達にはホントに感謝してるんだぜ! あんな奥地までわざわざ来てくれて、おかげで地下鉄の修理も早く進むんだからな!」
「ね……ねえねえ。その地下鉄って、ぼく達も乗れるのかな?」
「もちろんでございます。とはいえ現在、使える区画は限られておりますが……」
「どこまで行ける?」
「ニホン村のルートが、昨年から開通されております。途中で乗り換えは必要ですが……」
ニホン村、と聞いたフウカが目を見張った。
「わあ、懐かしいねティム! もうどれくらい帰ってないのかな……」
両手を握りながら空の果てを見るように眼を細め、柔らかな微笑みを乗せるフウカ。
「みんな元気にしてるかな……なんだか急に会いたくなって来たよ」
――三年前、ティムとフウカ、そしてカインの三人は、揃ってニホン村を飛び出した。
別にニホン村が嫌いになったわけでも、追い出されたわけでもない。
全てはフウカの両親を捜すためであり、その旅がてら各地の村を巡って悩み事や問題を解決する、ボランティア活動じみた仕事をしていたのである。
一応、定期的にニホン村には顔を出していたものの、このところはつい仕事に熱が入り、念頭にもなかった程だ。多分半年くらいは、一切ニホン村へ音沙汰を寄せていない。
「じゃあさ、一度帰ってみる? カインはどう思う?」
「ワフッ、ワフッ! ウゥゥゥゥゥワンワン!」
「カインもみんなが恋しいんだねぇ。――あ、そうだ! それならその、地下鉄っていうのに乗せてもらおうよ!」
「うん、私も賛成! 村長さん、いいですか?」
「それでは、大したお礼にはなりませんがぜひ乗っていって下され。駅までご案内させていただきましょう……もうすぐ次の電車が発車しますゆえ」
ティムは歩き出す村人達についていこうとするが、そこでふと後ろ髪を引かれるように振り返って。
「……ぼくもガラクタの森をもっと探索してみたかったなぁ……」
「ふふっ。ティムは変わらないね……それなら、また今度遊びに来よう?」
「うんっ!」
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