十九話 きみをまもる

 所変わって機関室。

 不意に点灯された照明ランプが、機器に囲まれた部屋を照らす中、四つ足戦車は敵の捜索を続けていた。

 その時、四つ足戦車が進行している通路の奥に、角際からへっぴり腰のティムがそろそろした足取りで現れる。


「や、やあ……! き、君の相手は、こっちだぞ――ってまぶしっ……!」


 間髪入れず限界までライトアップした四つ足戦車が、銃身を回転させながらダッシュし、猛然とティムへ迫っていく。

 ティムはあわあわした調子で身を翻し、一目散に通路を駆け出した。


『ティム、もう少しだよ! その先のブロックにある隔壁を下ろして!』


 ティムが持っているトランシーバーから、フウカの声が響いて来る。

 フウカは通信室から四つ足戦車の位置を把握し、それをティムに届ける事で、的確な作戦指示を送っているのだった。


「りょ、了解!」


 追う者と追われる者、双方が放つやかましい足音が狭い通路を乱反響しながらも、ティムは隣のフロアへの連結通路へ飛び込み、壁横に設置されているボタンを振り返りざまに押す。

 と、ティムの入って来た通路側に分厚い壁が降りて来て、四つ足戦車の視界を遮断する。


「で、できたよ! ぼくにもできた!」

『うん、その調子だよティム! ――ワガハイ、Bブロックまで誘導お願い!』

「いいだろう……おい、こっちだ!」


 今度は封鎖された通路の横合いから、トランシーバーを持ったワガハイが踏み出し、四つ足戦車を挑発しつつ、引き連れるように逃走を開始する。


「本当にあの隔壁、奴に破られないんだろうな……っ?」

『そ、それは分からないけど、でも今の所はうまくいってるよ!』


 エンシェント・イヴ号下層部には、万一の事故などにより浸水や火事が上層まで届くのを防ぐため、各所に水密隔壁が存在している。

 手動操作で下ろす事ができ、爆発にも耐えられる頑丈な作りとなっているのだ。

 迷路のような機関室で敵を誘い込み、隔壁を駆使して進行ルートを制限し、貨物室に閉じ込めるのが、この作戦の最終目標だった。


「ちっ……運動は苦手だがそうも言ってられんな……!」


 どたどたとがに股で走るワガハイ。後方からは猛烈に四つ足戦車が追い上げ、しかもやたらめたらにぶっ放されるガトリング砲が、徐々にその精度を上げてきている。

 ワガハイは銃撃や悪路のため度々よろめき、追いつかれるのは時間の問題と言えたが――。


「ワンワン! ワンワンワンワンワンワンッ!」


 突如として響き渡るカインの吠え声に、四つ足戦車は寸時、急停止しながらあたりを見回した。

 カインが通路の天井にある通気口から逆さになって顔を出し、四つ足戦車を威嚇する。


「ワンワンッ!」


 ならばとそちらに銃口を向ければ、カインはさっと頭を隠し、今度は後ろの隙間から現れ、四つ足戦車に狙いをつけさせない。

 トランシーバーを持たないカインはフットワークを活かし、狭い場所を縫いながら移動する事によって、四つ足戦車を攪乱してティム達の援護に徹していたのである。


「ワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワン!」

「いいぞカイン……! よし、こっちは閉じたぞ!」


 その間にワガハイは充分に距離を取り、無事隔壁を下ろして完了を伝えた。

 ティム達はチームプレーを駆使し、やがてうまく四つ足戦車を、暗闇に閉ざされた貨物室へと引き込む事に成功したのだった。


 四つ足戦車の前後で、二つある入り口の隔壁が両方とも閉まり、真っ暗な闇が満ちる。

 貨物室にはいくつかのコンテナがあるだけで、先刻までの慌ただしい追いかけっこが嘘のように、ごく静謐とした空間だ。

 四つ足戦車はどちらかの隔壁を破壊するべく、銃身を巡らせて――。

 ――積み上がったコンテナの一つで気配を殺し、隙を窺っていた最後の一人が、間隙を逃さず飛び出した。

 黒に染まる闇を舞う、小さな一頭身の影。

 逆手に握った杖の柄はわずかに引かれ、その空隙から鋭利な白刃が閃いて。

 完全なる死角から繰り出される、宙を斜めに奔る剣光。

 空気を切り裂くひそやかな音が遅れて響き、天井を十字に斬り裂いた。

 綺麗に切り開かれた天井が、一寸遅れて膨張するかのように大きくたわむ。

 真上の階に積み込まれていた重量のある機材やコンテナが、激しく傾く十字の中心部をめがけて寄り集まり、激流のように一斉滑落を始めたのである。

 その真下に立っていた四つ足戦車は、大音響とともに降り注ぐ質量に上体部を捉えられ、押し潰されるように床へと押しつけられた。

 衝突の際に発生した損傷部からはショートした電流が走り抜け、思うように動けない。 なおも立ち上がろうともがくが、重心が傾くばかりで安定せず、のしかかる残骸を払いのける事はかなわない。こうなっては長大な銃身も己を縛り付ける重しに過ぎないのだ。

 半ば横倒しの体勢で軋みを上げ、佇立しようとしては転びかける四つ足戦車は、すでに戦闘能力を失っている風に見えた。

 そこでティム達は隔壁を開放し、倉庫内へ踏み込み、四つ足戦車をこわごわと眺める。


「こ……これでもう暴れられないよね?」

「ウゥー……!」

「そのはずだ……まさかここまでうまくいくとは思わなかったが」


 さすが長老、とワガハイが最大の功労者を見やるが、刀を杖へ収めた本人は、無言のまま四つ足戦車を見据えている。


「え、えーと……この後どうしよう?」

「そりゃあ――こいつが動けん内に、船を脱出するほかあるまい」


 確かに、とティムは頷く。元々この船を荒らしていたのは、ティム達の都合に他ならない。四つ足戦車は職務を全うしようとしていただけで、それならばこれからもそっとしておいた方が、お互いのためだろう。


「フウカもそれでいいよね? ……フウカ?」


 ティムがトランシーバーへ話しかけるが、電源が切れているのか、応答が戻って来ない。


「ワン?」

「いや、変だなあ……フウカと通信できないんだけど」


 弱ってカインを見返した、直後――。

 倒れている四つ足戦車が、あの独特な起動音を伴い、おもむろに銃身を回転させ始めたのだ。


「え――ちょ、ちょっと!? まだ撃つ気なの!?」

「な、なにがなんでも侵入者を排除する気なのか……!? まずい、離れろ!」


 この体勢で掃射しようものなら、衝撃を受け流せず自身も無傷では済まないだろうし、銃身は痙攣じみた振動を繰り返して照準はほとんど定まっていない。どこに弾丸が跳ねてどんな被害が出るか分からないのだ。


「まともな状況判断が働かず、命令だけが先走っておる……歯止めをかけるには、これしかないかのう……」


 諦観したように呟き、半歩進み出る長老さん。

 杖へ手をかけ、流れるように居合いの構えを取る。


「そ、そんな……長老さん、この子を停止させるつもりなの!?」

「くっ……やむをえん、我々の命には代えられない……!」

「クゥーン……!」


 ティムはわなわなと震え出す。長老さんやワガハイのようには割り切れなかった。


 なぜなら、見てしまったからだ。


 理性を失ってなお抗う四つ足戦車の銃身や胴体部分にある、数え切れない程の補修の形跡。

 釘や板などありあわせのものしか使われておらず、整備の覚えもない素人の手ばかりでお粗末さが窺えるけれど、その作業をした人達の強い思いが込められた、丁寧で真摯な跡。

 それだけではない。装甲にぴったりと張られた、可愛らしいバッテンの絆創膏。その近くに描かれた、子供のものと思われる絵や、応援の言葉が連ねられた寄せ書きの数々。

 古い人達を守り、守られて、彼は戦い続けたのだ。

 守るべきものがなくなっても、一人きりになっても、身体が動き限り、ずっと。

 怪我をしたのでもないのに、ずきり、と胸の底で何かがうずく。

 例え自分の命が危機にさらされているとしても――ふと脳裏をよぎってしまうのだ。


 ――わたしにとってのティムは、今ここにいるこの瞬間のティムだけなの。だから……そんな事言わないで? 自分の命を、大事にしてあげて……?


(ぼくの命は大事だ……フウカやワガハイ、カインに、長老さんだってみんな大事だ! だったら、だったらこの子の命だって……っ)


「……誰よりも人のために働いたおぬしが、こんな最期とはのう。……看取るのがワシのような死に損ないで、すまぬ……」


 長老さんが踏み込もうとする。とっさにその背へティムが呼び掛けようとした、刹那。


「待って!」


 ティムの隣を小さな影が駆け抜けて、長老さんと四つ足戦車の間に立った。


「ふ、フウカ……!?」


 なんとそこにいたのは、通信室にいたはずのフウカ。

 さっきトランシーバーが通じていなかったのは、フウカが大急ぎで向かっている最中だったからなのだ。

 四つ足戦車の命を、ティム達が諦めようとしている事まで、きっと悟った上で――。


「フウカ、すぐに逃げるんだ! ここは危ない!」

「ワンッワンッ!」


 カインと合わせて、銃の駆動音にかき消されないよう叫ぶ。でもフウカは今しも銃弾の吐き出されそうな、回転を続ける銃身を目の前にして、たじろぎすらしない。


「みんな……お願い、ちょっとだけ待って」

「ダメに決まってるだろうが! おいティム、こいつを安全なところまで……」

「お願い」


 振り返ったフウカの眼に射貫かれて、ワガハイは気圧されたみたいに口をつぐむ。

 すごんでいるわけではない。命令口調でもない。なのにフウカのその一言に込められた、決然とした何かを感じ取り、飛び出しかけたティムの足まで、凍り付いてしまったのだ。

 長老さんは構えを取った状態で、フウカと目線を交わし合い――小さく頷いた。


「……やってみるがええ」

「ありがとね……」


 フウカはさらに、四つ足戦車へ近づいた。

 その足取りはひどく危うい。なのに双眸はどこまでも揺らぐ事なく前を見据えていて。


「もういいんだよ。戦わなくてもいいの」


 抑えた声音で語りかける。その言葉は銃身の回転音にも遮られず、はっきり捉えられた。

 四つ足戦車は照準をフウカへかざした。回転する銃身から発生した風が、少女の体躯を揺さぶろうとする。


「守ってくれて、ありがとう」


 それでも、フウカは、笑いかけた。

 傷だらけの、泥だらけの顔で、精一杯の微笑みを向けて。


「わたしたちは、あなたが、大好きだよ」


 絶叫にも似た回転音が、一層凄絶さを増して――。


「ふ、フウカ……も、もう――!」


 何も撃ち放たれる事はなく、そのまま動作を停止させた。


「あ、あれ……っ?」

「止まった……だと……? なぜ……?」

「ワフゥ?」


 愕然として訝るティム達をよそに、長老さんはふほーっと緊張感のない声を漏らし、刃を収めながら軽く伸びまでする。


「ちょ、長老さん……!? え、そんな気を抜いちゃっていいの!?」

「構わんわい。どうやらけりはついたようじゃしのう」

「む、むむ……確かに奴からは殺気のような気配が霧消してはいるが、長老……本当に問題ないのか?」

「まぁまぁのう。しっかし、これも古い人の力ってやつか……歳のせいか、色々感傷に浸っちまうのじゃ」


 ティムには、四つ足戦車が暴走を止めた理由は、見当もつかなかった。

 ただただ、フウカが無事で良かった――そんな安堵感が胸に満ち、歩き出してフウカの傍らに並ぶ。


「えへへ……そうなんだ。そんな事あったんだね。とっても楽しそう……」


 フウカはちょこんと膝を屈めて座り、とっくに打ち解けたみたいに、四つ足戦車の体験した昔話に相づちを打っている。


「ウゥー……!」

「あはは、カイン。もしかしてヤキモチ? そうだよね、フウカがこうやって誰とでもすぐ仲良くなれちゃうのは、ぼくも凄いと思うよ」

「――あ、ティム、カイン! ワガハイに長老さんも……ごめんね、さっきはわたしのわがままで困らせちゃって」

「ふん、我が輩は別に迷惑など受けてないぞ。むしろ古い人の手並みを知れて、得をした気分だとも」

「ワシもこれで良かったと思っとる……そやつも最後に古い人と話せて、満足じゃろうて」


「……最後?」


 きょとんとフウカが目を瞬かせた直後――四つ足戦車は虚脱したみたいにゆっくりと地面へ身体を沈み込ませ、内燃機関から聞こえていた鈍い駆動音も、小さくなっていく。


「え――……!? 嘘、なに、これ……ね、ねえ、どうしたの……っ!?」


 様子のおかしい四つ足戦車へ、フウカが青ざめてしがみつくが、触れた機体から熱は引き、冷たくなる一方だ。単なる鉄の塊のように。


「どどどどうなってんの!? あ、もしかして本当は長老さん、さっきうっかり斬っちゃってたんじゃ……!」

「違うわい。これは……寿命じゃよ」

「じゅ……みょう?」


 長老さんに代わって、ワガハイが厳かな口調で言葉を挟む。


「我が輩にも、ティムにも、誰しもに、稼働限界は存在する……こんな場所で暴れ続け、メンテナンスもろくに受けられなかったのなら、限界がより早い段階で近づいても、おかしくはない……」

「そんな……な、直せないの……!?」

「無理だ。だから寿命という……迎えれば、どんな修理も意味をなさん」


 フウカは小刻みに震えながら四つ足戦車を見下ろす。目の端には透明なしずくが滲み、事実が受け入れられないかのように、いやいやとかぶりを振って。


「や、やだよ……こんな……せっかく……せっかく仲良くなれたのにっ」


 四つ足戦車にはもう暴走の意思はなかった。自由にしても、ティム達に銃口を向ける事はなかっただろう。

 だから、もしかしたら村にも連れて行けたかも知れない。

 そこで改めて、みんなとも友達になれたかも知れない。

 だから、これは誰も悪くない。ただ、遅すぎた――それだけの話だった。


「ねえ、しっかりして! し、死んじゃやだよ……お願いだから……っ」


 四つ足戦車にすがりつき、危篤の患者へ対するかのように声をかけ続け、励まし続けるフウカ。

 だけれど、ある時気づいてしまった。


 ――ほんの数秒前から、四つ足戦車が、完全に稼働を停止している事に。


「ぅ……あぁ……うぅっ……」


 一つの命の終わり。もう何をどうする事もできないと知ったフウカは、喉元で声を殺してすすり泣き、涙の筋をこぼし続ける。


「大声で泣いても、いいのだぞ。悲しい時、古い人はそうするらしいじゃないか。我が輩は別に、うるさいとは思わん」


 ワガハイがいたたまれなさそうに視線を逸らして言っても、フウカは反応せずに泣き続けていた。

 声を出さない、というより、出せないといった風で――そこには何もできなかった己への無力感や後悔が、空を通して伝わっていくかのようだった。


「ごめんね……わたしの……全部わたしのせいで」


 フウカが、消え入りそうな声で呟いた。


「わたしが……っ、わたしが船になんか来たから、こんな事に……!」

「フウカ……」


 膝の上に置いた手を痛ましいほどに握り締め、喉を引きつらせながら繰り返し自分を責め続けるフウカ。


「フウカ……死んだロボットがどこに行くのか、考えてみた事はあるかの」


 長老さんがかけた言葉に、フウカが赤く充血した目で肩越しに振り返る。


「死んだ……ロボットの……行く場所?」

「役目を終えたロボットがなくなっても、悲しむ事はありゃせん。ワシらはワシらをもっとも大切にしてくれた者達の心に、いつまでも残るのじゃからの。そうして、何の気なしに思い出をよぎらせてくれる……そう、星を見上げた時にでも、のう」

「お星さま……」

「そんな瞬間が、一番幸せなのじゃよ……」

「でも、わたしっ……わたしがもっと、頭が良くて、この子を直せていたら……まだ、この子の名前も知らないのに……!」

「お前さんは今でも充分すぎるくらい利口で利発じゃ。そう思ってくれる事が何よりの証拠じゃよ……焦る事はない」

「でも……っ」

「あのさ……フウカ」


 自分を責めるフウカの、ほつれきった髪へ、ティムは手のひらをそっと置いた。


「ぼく達って、君ほど命や、死ぬ事について深く考えた事もなかったと思うんだ」

「……ティム……」

「だって、取り替えが利くんだ。身体も、記憶も、その気になれば、自分だって作り出せる。――君が教えてくれなければ、ぼくはそれが、どんなに便利で、どんなに誰かを悲しませる事になるのか、ずっと気がつかなかった」

「……うん」

「でもさ、それでも何が言いたいかっていうと……その子は幸せだったんじゃないかな。補充の利く、いくらでもいるような自分を認めて、悲しんでくれるような人に出会えて」


 フウカはいつしかぐずるようにしゃくり上げながら、こちらへ半身を預けていた。


「ぼく達は涙も流せないけれど……だからこそ、誰かに泣いてもらえるのって、一番嬉しい事だと思うんだ。古い人も、人間も関係ない。そういう気持ちは、きっとかけがえのないものだと思う」

「わたしも……っ、ぐすっ、そう思う……」

「だからフウカ……ぼくは決めたよ……」


 四つ足戦車を共に見つめながら、ティムはフウカをそっと抱きしめ、決意の籠もった口調で言の葉を紡ぐ。


「……ぼくが、君を守る」


 フウカは、泣き続けている。


「君だけじゃない……お父さんとお母さんも、きっとぼくが守ってみせる。もう二度と、君を泣かせたりしないから……ぼくがそうしたい、これを仕事にしたいんだ」

「……ティム……」

「仕事っていうのは、生き方なんだ。何を選び決断するか――その道を決めるための。……だからね、約束する」


 ティムは泣きじゃくるフウカの、その小さな頭を撫でながら頷いた。


「――この先に何があっても、ぼくは、君を守るよ」

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