十四話 孤独の痛みが苛んで

 それから、一ヶ月ほどが経過した。

 フウカの両親の捜索は続けられていたが、芳しい成果は一つも上がっていない。

 今日もティム達三人はシュシガーデンへ赴き、栽培されている植物の具合を見に来ている。


「ティム、フウカ、カイン、三人とも、良く来た。……今日は、すごい」

「すごい、って何がだい?」

「あ……ま、まさか……!」


 何事かを察したらしいフウカに、シュシは多くを語らず横へどくと、奥には――。


「わあ……花! お花だっ!」


 種から芽、そして芽からつぼみへと少しずつ生長した植物達は今、ドーム中を埋め尽くす勢いで、目の覚めるような暖かく鮮やかな色を、咲きほころばせていたのである。


「やった……やったぁ! ついに咲いたんだね、シュシ!」


 ラベンダーやチューリップ、朝顔やひまわり、アネモネやスイセンと、それぞれの季節に咲く種類毎に花壇に分けて育てられていた、バリエーション豊富なまさに花畑。


「ワン! ワンワン! ワオーン!」

「うん。俺、頑張った。……フウカ、喜んでくれるか?」


 フウカは言葉にならない声を上げながらすでに突進しており、小躍りするように駆け回る事でシュシへ応えていた。


「すごいすごい! お花さんみんな可愛いし、いい香りがするよ! えへへ……幸せぇ」


 花の絨毯の上で仰向けに寝転び、昇天したみたいに緩んだ笑顔を浮かべる有様だ。


「フウカ、本当に嬉しかったんだね……シュシ、ありがとう」

「俺だけ、じゃない。種を持って来たフウカとカイン、時々仕事を手伝ってくれたティムやワガハイ……みんなのおかげで、ここまでやれた。ついでに喋るのも、ちょっとうまくなった」

「あ……そういえばシュシ、前と比べて言葉が流暢になってきてるよね」


 これもフウカとのふれあいで新たな刺激を受けた結果だろうか。自分達の行動が人のために良い方へ通じていると分かって、ティムも一層晴れやかな気分になって来た。


「俺……最初は、自分が何のために、この仕事をしているのか、分からなかった。ただ、自分にできる事を続けていたら、いつの間にか、花の良さが分かるようになって来た」


 花壇の側でカインと戯れるフウカを眺めながら、シュシが独白する。


「感触も匂いも、俺には分からないけれど、花は色んな表情を見せてくれる。花が困ったり、弱ったら勉強して、うまく育つよう手を加えて、神様にお願いして……そうしたら、咲いてくれた。俺……頑張って良かった」

「そっか……うん、ぼくもそう思うよ」

「ティムにも、いつか自分に合った仕事が、見つかるといいな」

「あはは……そうだね……そんな事があれば」


 ふと、気がつくとフウカは動きを止め、ぼんやりと虚空へ視線をさまよわせている。

 近くでカインが呼び掛けても、まったく意識に入っていない風情だ。


「あれ……フウカ? どうかしたの?」


 ティムが歩み寄ると、そこでフウカははっと我に返ったらしく、振り向いて笑う。


「う、ううん。なんでもないよ……ちょっと疲れちゃっただけ」


 その笑い方はどことなくぎこちないのが、気に掛かる。

 ティム達は一旦シュシに別れを告げて、家へ戻る事になった――。




 家に戻ってきていくばくかしても、フウカが元気を取り戻す兆しは見られない。

 ただ椅子へもたれるように座り込み、自分がクレヨンで壁に描いた色とりどりの花の絵と、排水溝に詰まったヘドロのような雲が空を横切る様を窓から交互に見ているだけで、全体的に反応が鈍い。


「どうしちゃったんだろ……やっぱり具合が悪いのかな、フウカ」

「クゥーン……?」

「うーん……こんな時にワガハイがいてくれれば、何か分かるのかも知れないけど……」


 かといって放置している事もできず、ティムは一つ心持ちを落ち着け、話しかけた。


「あの……フウカ、何かあったの? 大丈夫?」


 沈黙。もしかして声が届いていないのかと、ティムは声量を大きくし――。


「フウ――」

「……会いたい」


 かぶせるようにフウカが蚊の鳴くような小声を発したので、若干前のめりになった間抜けな姿勢で動きを止める。


「会いたい、って……誰に?」

「……お父さんとお母さん。わたし、会いたい……」


 憮然とするようでいて、何かを訴えるようでいて、それでいて決意の込められたようでもあるその言葉に、ティムは数秒、黙りこくらざるを得なかった。


「……あ、明日も捜そうよ? きっとすぐ見つかるから――」

「……本当?」

「ほ、ほんとう――」

「本当に、本当?」


 振り返ったフウカの、何とも形容しがたい光を塗り込めたような視線に射すくめられて、ティムは身じろぎすらできなくなった。


「ティム、いつもいつもそう言うけど……今まで何一つ、手がかりは見つからなかったよね? 明日、何か分かるって保証はあるの? 約束、できる?」


 ティムは言葉に詰まり、話題を切ろうと逆に問い返す。


「フウカこそ、いきなりどうしちゃったのさ……昨日まではそんな感じじゃなかったのに。シュシのガーデンから帰って……ううん、その途中から、具合が悪くなったみたいに……」

「身体は、どこも悪くないよ。でも……なんか、疲れちゃった」


 フウカは俯き、重い陰のある目つきでテーブルを睨む。


「わたしね……ずっと感謝してるんだ。ティムにもカインにも、みんなにも。今日だって花が咲いたのが嬉しくて、楽しくて、いい気分だったのに……なのに……!」


 ぎゅっと口の端を噛み締めながら、フウカが訴えかけるようにティムを見上げる。


「一つ良い事がある度にね、わたし、思っちゃうんだ。……『ここにお父さんとお母さんがいてくれたらいいのに』、って……」

「あ……」

「それなら、もっと楽しくて、もっと幸せなのに……なのになんで、わたし一人なんだろう。――ううん、一人じゃないけど、みんなが優しくしてくれる度に、一人だって事を、思い知らされちゃうっていうか……うまく言えないけど……っ!」


 それまで押し込めて来たものを吹き出させるように、感情もあらわに言葉を吐き出す。


「で、でもさフウカ……ぼく達はここ何日もかけて、村中を歩き回ったよね?」


 ティムはうろたえ、とにかく元気になって欲しくて、思いつくままにまくしたてた。


「工場地帯も、ダララロツアーでも、その後もっと……もうかなり捜したはずだし……そろそろ何か見つかると思うんだよ、多分……!」

「無責任な事言わないで!」


 フウカが両手で顔を覆い、頭を振りながら叫んだ。


「それだってニホン村だけでしょ? それじゃ全然捜せてないよ! 物知りなワガハイも、長老さんだって知らなかったんだよ!? そんな都合良く見つかるわけない……っ」

「フウカ……」

「ティムには、分からないんだよ。わたしの気持ちなんて……分かる訳ない。だって……」


 フウカは何事かを続けかけ、そこでぐっと口を引き結んで息を吸い込むと、音を立てて椅子から降り、頼りない足取りで寝室へ向かって行く。


「フウカ……? ど、どうしたの?」

「夜遅いし、寝る……」


 振り向きもせず背中越しに返された声は、これまでティムが聞いた事もない程に感情がなく、それこそ機械みたいで。

 整えられた自分の寝台へ横になり、すぐに寝息を立て始めるフウカを起こす事もできず。


「……ねえカイン……ぼくに何ができるんだろう」

「クウーン……」

「どうすればフウカの、この苦しみを、取り除いてあげられるの……?」


 ティムはその夜、答えの出ない問いをカインと共に、延々と頭を悩ませ続けたのだった。




 ティムもカインも寝付いた、深夜。

 照明の落ちた寝室の中で、フウカはだしぬけにまぶたを押し開けた。


「……お父さん。お母さん……」


 頬を一筋の涙が伝い落ち――それが枕元へ垂れる前に、フウカは身を起こす。


「前に、長老さんが言ってた……シラ浜の先には、立ち入り禁止エリアがあるって」


 そのエリアがどんな場所なのかまでは分からない。

 せいぜい、危険な何かがあると噂されている程度だ。


「他のとこは、全部見た……。でもニホン村で探していないのは、後はそこだけ……」


 ――だとするなら、何を迷う事があろうか。


 フウカは何かに突き動かされるみたいにベッドを降りて、身支度を始める。

 いつも使っているワンピースは何度か洗濯機で洗っているものの、もうだいぶよれたりほつれたり、傷が目立つ。


「行かなきゃ……今すぐ。だって、会いたいんだもん」


 夜気に紛れる、少しだけ言い訳めいた、己の言葉。

 出がけにフウカはまだ眠ったままのティムと、この間新しく作ってあげた犬小屋で睡眠中のカインを順番に見やり。


「ごめんね……」


 家を出る。夜明け前の空は重苦しい黒雲が支配し、空気は肌を刺すように冷たかった。


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