十二話 アーヴェル・タワー

 一行は博物館を出ると、廃墟と化した町を進み、最後のスポットまで辿り着いていた。

 ティム達の眼前に現れたのは、天高くそびえる円筒形の塔である。


「これがこの村で一番高い場所……ツアー最後のとっておき、『アーヴェル・タワー』だロ!」

「アーヴェル・タワー……」

「全三十階建ての観光名所で、過去にはショップやカフェレストラン、ホテルなんかもあったけど、今は壊れて使えない。でもでも、今回の一押しは最上階にある展望台だロ。お客さんにはぜひそこからの景観を味わってみて欲しいんだロ!」


 昔日には一つのシンボルとして扱われ、多くの古い人達で賑わいを見せていただろうその外観もまた災厄にさらされて荒み朽ち果て、丁寧に塗装されていたはずの空を映したような綺麗な色は、大量の砂や泥に紛れてかすれたみたいに褪せてしまっている。

 とはいえダララロがあらかじめ修繕や清掃を行っていたのか、建物内部のホールは比較的整っており、そこからエレベーターで頂上まで向かう事に。

 そのエレベーターは全面ガラス張りのシースルーで、透明感のある壁から外の景色を楽しむ事ができたのだが――。


「……な、なんか、いやに風通しの良いエレベーターアルね」


 こちらは修繕が間に合っていなかったのか、エレベーター内の左半分の壁がまるごと割れたままで、高所へ上昇するとともに強い風が吹き込んでくるのである。


「ふ、フウカ、カイン、落ちないようにぼくに掴まっててね……」

「うん……あれ、上の方の天井にまで穴が空いて、制御室が見えちゃってるよ……」

「クーン……」


 一応補強そのものはしてあるのか、やたら開放感がある以外にはごく安定しており、ティム達を乗せたエレベーターはべつだん何事もなく最上階へと到着した。


「ここがアーヴェル・タワー頂上の展望台だロ! ここからの眺めは最高だロ、存分に楽しむといいだロ!」


 ティム達の出て来たエレベーターを中心に、大きな広間が出迎える。

 本来であればぐるりと周囲一帯に観覧用の透明な足場や望遠鏡が配置され、観光客が安全に利用できるよう工夫が施されていたのだろうが――やはりというか、風通しの良さはここも例外ではない。


「すっごいね……壁がなんにもないし、天井もぼろぼろだ……」


 穴だらけの傘みたいな天井、溶けたように失われている壁、巨人の指にでも押さえられたように途中から激しく傾いている一部の床と、中々にデンジャラスな有様なのである。


「だ、大丈夫だロ。落下防止用に命綱を引いてあるだロ。ロボットが引っ張ったくらいじゃ切れない強度だロ!」


 言われてみれば、傾いている床の端から端まで細い鉄の杭が穿たれ、頑丈そうな長いロープがくくりつけられていた。

 一方でツアー客の面々はさすがにたくましく、すでにめいめいに散ってタワーから見える風景に没頭し、口々に感嘆の声を上げている。


「ぼく達も見に行こうか」

「うん!」


 ティム達も適当な場所に陣取り、展望台からの眺望に目を奪われた。


「うわあ……はるか先の、地平線の彼方まで見えるよ! 高いなぁ……っ!」

「あそこって、ティムの家がある集落だよね? ここからでも見えちゃうんだ……すっごぉ……!」

「ワン! ワンワンワン!」


 どちらを向いても果てまで伸びる、砂嵐舞う荒野と点在するガラクタの山。

 錆び付いた大地に抱かれるようにして佇む、ロボットの光が瞬く金属の集落達。

 ダララロがチョイスした意味が分かるだけの、雄大だけれどどこかもの悲しくもある、胸を打つに足る眺めであった。


「お父さんとお母さんと、来たかったなぁ……」


 ともすれば空気に溶けて消えてしまいそうなフウカの呟きに、ティムは一瞬胸が締め付けられて。


「あっ、あっちに望遠鏡があるよ、フウカ。もしかしたらワガハイとか見えちゃうかも」

「えっ、み、見たい見たい!」


 気分転換をしてもらおうと、せがむフウカを連れてティムは展望台奥に設置されている望遠鏡を調べる。

 レンズを覗き込んでみると多少汚れてはいたものの、まだまだ充分使えそうだ。


「わあーっ……! ずっとずっと、ずっとずっとずっと遠くまで見えるよ! わたし、空でも飛んでるみたーい……!」

「ワンワン!」

「空、かあ……ここからなら、見えるかな……お星様」


 フウカが望遠鏡から顔を引き、怪訝そうにティムを見上げる。


「ティムも、見たいものがあるの?」


 ティムは頷き、首を反らして空を仰ぐ。


「このタワーよりも、あの空よりも、もっともっと先に、あるんだ。――神様の星が、さ」

「神様の、星……?」

「そこは草も木も花もいっぱいあって、海っていう大きな水がある、緑と青に包まれた大きな星でさ。ぼく達人間は、元々はその星に住む神様によって、作り出されたんだ。神様はいつでも見守ってくれている……っていう、そんな伝承」

「そんな星があるんだ……」


 長老さんの受け売りだ――本当はもっと長い、信じられないような逸話が付属して、ティムの頭では覚えきれないくらいなのだ。


「でもさ、もしほんとにそんな、自然の恵みや澄んだ色でいっぱいの星があったら、素敵だよね。だからぼく、こうやってお星様を見ようとするのが日課で……」


 ティムは斜め上へ腕を伸ばし、指先を目の前にかざして、闇の帳の降り始めた空を見つめ――切なくかぶりを振って、苦笑した。


「でも全然ダメだ。ずっとスモッグで覆われてるから、これまで一度きりだってお星様が見られた事なんてない……こんなに憧れてるのに、ちょっと辛いね」


 冗談めかして肩をすくめるも、フウカは笑う事はせず、ティムと同じように淀みきった赤い空を見据えて、静かに言った。


「だったら、わたし……青空を取り戻したい」

「え……?」

「この星だって、きっと前は、負けないくらい緑と青がたくさんだったんでしょ?」


 なら、とフウカは手すりを握りしめ、言葉に力を込める。


「空を元に戻して、ティムに神様の星を見せてあげたい。シュシにだって、いっぱいのお花を見せてあげたい。ワガハイは分からないけど、でもきっと喜んでくれると思う。……今は無理かもだけど、わたし、頑張りたい。それが今まで良くしてくれたみんなへの、お礼になると思うから!」

「ワンワンッ!」

「ふふっ……カインとも泥遊びとかしたいもん。それで空が戻ったらまた、ここに来ようよ? 三人で、神様の星を見に行こう?」


 カインを一つ撫でたフウカは、曇り一つない眼差しで、ティムを射貫く。


「うん……うん!」


 ティムはフウカが向けてくれるまっすぐな目が例えようもなく嬉しくて、何度も頷いた。


「そうなってくれたら、ぼくもとても嬉しいな。お星様、絶対見ようね。約束だよ、フウカ」

「うん、約束!」


 暖かく笑い合い、二人で指切りをした矢先、ダララロが呼び掛けて来た。


「おーい、ティムとフウカとカイン! ちょっと手伝って欲しいだロ!」


 連れ立って行くと、ダララロはしゃがみ込み、何やら紙のようなものをいじっていた。


「あ……これもしかして、花火!?」

「ご名答だロ!」


 フウカがぱあっと目を輝かせる。


「ツアーの終わりにここで花火大会をするだロ。高い所でやる花火はきっと楽しいだロ!」

「花火かぁ……ぼく初めて見るよ。ほんとに楽しそうだね、カイン!」

「ワン!」


 ダララロの頼みは、袋詰めにされた各種花火をツアー客に渡せるよう取り分けてもらいたいというものだった。

 二つ返事で承知したティム達は、さっそく作業にかかったが――。


「ロ……このへん風が強いだロ。花火が飛ばないよう注意するだロ」

「大丈夫かな……下の階で準備しない?」

「別にそこまででもないだ……ロ?」


 びゅううっ、といきなり突風が吹き付けて来て、ダララロの手の中にあったいくつもの花火を、横薙ぎにかっさらっていった。


「ロ……ロ! まずいだロ、この日のために大切に保管してた希少な花火が……っ」


 よたよたと立ち上がったダララロがロープを乗り越えて腰を折りながら身を乗り出し、宙を飛ぶ花火をはっしと捕まえたが。


「ロ……ロ……!? ロ!?」


 エレベーター側へ戻ろうと歩き出すものの、足のローラースケートが傾いた床を氷上の如く滑り、バランスを取るのが精一杯だ。


「だっ、ダララロ! だんだん後ろに滑って来てるよ!」


 もうダララロは全力で勾配を駆けているのに、無情にも重力に囚われ、ティム達の視界から下へ消えていってしまう。

 ティムは無我夢中でロープを飛び越し、体勢を崩したダララロが本格的に滑落する直前に、その腕をがっしりと掴んで踏ん張る。

 ダララロの頭からシルクハットが、そして手元から離れた花火が風にあおられ、下方へはらはらと落下していく。


「うう……お、重い……!」


 二人分の体重をかけられつつ上の足場まで戻るのは至難の業で、むしろ自分の身体までが掻くような音を立てて引っ張られ始めてしまう。


「てぃ、ティム! 危ないだロ、このままじゃお前まで……!」

「で、でも、見捨てるなんてできないよ! 早く上がって……っ」


 後ろではフウカとカインの必死で呼び掛ける声がするのにどうにもならず、さらに一段がくんと段差を乗り越え、いよいよ垂直に切り立った崖が視野に入り――。


 瞬間、かろうじて身体を支えていたもう片方の手が何かに掴まれ、崖側とは反対方向に力強く引き戻された。


「え……っ?」


 一体、誰が。自分達に手を貸せば、その本人も一緒に落ちかねないというのに。

 反射的に振り返り、手を掴んでいる人物――否、人物達を認めて、ティムは声を上げた。


「お、お客さんっ!?」


「ヘイ、オフタリサーン! ワタシモハヤクハナビヤリタイネー! ハリーアップ!」

「まったく、引率役のくせに手間のかかる奴アル! ……もう少しだから頑張れアルヨ!」

「はらしょー!」


 なんとティムの手を握り、支えていたのはツアーに来ていた客のロボット達。

 それも互いが互いの身体にしがみつき、一本の湾曲した橋のようになりながら、力を合わせて引っ張っていたのである。


「みんな……!」


 ダララロは泣きそうな声を上げて、額から感じ入った表情の鳩を打ち出していた。


 その様子を見ていたフウカも、何事かを思いついたみたいに、拳を握りながら叫んだ。


「――わ、わたしも何か、やらなくちゃ……! カイン、力を貸して!」

「ワン!」


 フウカは展望台につながれていた命綱のロープを素早くほどくと、カインを伴いエレベーターまで取って返し、ボタンを連打。


「カインは上に!」


 カインが天井の穴から上の制御室へ滑り込むのを見送り、フウカは開いたドアからエレベーターへ踏み込み、再びボタンを押して下降させ始める。

 猛スピードで下る半壊したエレベーター内で、フウカは冷たい強風にあおられながらもロープを骨組み部分へ固く結びつけ、勢いよく振り仰いだ。


「止めて!」


 腹の底から声を飛ばすと同時、その総身が極彩色に光り輝き、彼女を乗せたエレベーターは彗星の如き軌道を描きながら降下していく。

 一方、フウカの叫びを耳にしたカインは操作パネルへ飛び乗り、短い足でかちかちとボタンを押しまくっていたが、エレベーターが止まる気配はない。

 だが発光するフウカとまるで連動するかのように、パネルのボタンがいくつか、虹色に近い光を纏い出していた。


「ワンッ!」


 はじめは驚きに数拍硬直したカインだったが、すぐさま我に返り、光り出した順番通りに押下すると、エレベーターはフウカを乗せたまま、がくんと中途で止まり。

 ――目前には、いまだ宙づりのような状態で耐え続けるダララロの姿があった。


「ダララロ!」


 結びつけた部分とは反対側のロープを回転させ、遠心力をつけてダララロの方へ投げる。


「これに掴まって!」


 呼び掛けを乗せて放たれたロープの先端に向けて、ダララロも必死に半身を寄せ。

 限界まで引き延ばされた腕の、その丸められた指の中に――ロープが握り込まれた。




 点火した花火の先から、火花めいた独特の音を立てて、煙を含んだ色とりどりの炎が咲き乱れる。


「わわ、わあーっ……綺麗……! ねえねえ、ティム! とっても明るいよ、ほらほら!」


 踊るように花火を振り回すフウカに、ティムも笑って答えつつ、自分の手にある線香花火に火をつける。


「先端が丸くなって……火の玉みたいになって、ぱちぱちしてる……古い人ってすごいなぁ、こういうのどうやって作ってるんだろ」

「ティムも一緒に遊ぼうよ! 花火をこう四本持って、ぐるぐる振ると楽しいよ!」

「あはは、でも煙が立ちこめてるからやりすぎないようにね……カインもあんまり走り回ると危ないから、ほどほどにお願い」

「ワン! ワンワン! ハッハッハッ……ッ!」


 そのカインは火の付いた複数のねずみ花火を獲物よろしく追いかけ回し、ティムの忠告も耳に入っていない風だ。

 視界を確保するために設置された投光器に照らされる展望台で、花火を楽しむツアー客達。様々な工夫の凝らされた変幻自在の玩具に、一向に興奮がやまないようだった。


「みんな、そのまま遊びながら聞いて欲しいだロ」


 その時中央にダララロが立ち、神妙な口調で語り始める。


「今日はツアーに参加してくれて感謝するだロ。俺にできる限りでニホン村のいいところを紹介したつもりだけども、楽しんでもらえたロ?」

「うん!」

「こんなにツアーが楽しかったなんて、ぼく達初めて知ったよ」

「……でも俺は、ずっと怒ってばっかりで、乱暴な対応しかできなかっただロ。さっきだって、みんなに助けてもらわなきゃ、命も失う所だったし……こんな俺に、次もツアーを開催する資格があるのかどうか、分からないだロ……」


 果たして、自分にはそれが許されるだけの力が足りているのかどうか。

 自信なさげにかぶりを振るダララロに、ツアー客達は――。


「まぁ確かに、スポットの良さを伝える割には、あれをするなこれをやめろと口うるさかったアルな。そこは減点対象だったヨ」

「デモデモッ、ソレイジョウニミスター・ダララロハ、エクセレンツ! ダッタネー!」

「だららーろ。すぱしーば」


 悄然としていたダララロが顔を上げれば、客の人々は安心させるみたいに頷きかけたり、ぐっとガッツポーズしていたり、ぱちぱち拍手をしていたり、率直に賛辞を呈している。

 その様子をひとしきり眺めたフウカが、優しい笑みを浮かべながらダララロを見つめて。


「みんなもう、とっくにダララロの事を認めているんだよ。――ダララロの方はどう?」

「お、俺……?」

「ダララロは、このツアーが楽しかった?」

「お、俺……俺、俺っ――」


 ダララロは両手を握りしめて。


「……とっても、とおぉぉっても、楽しかっただロ!」


 頭から煙を噴出させながら、満身込めて叫ぶ。


「みんなと色んな所に行けて、話せて、遊べて、助け合って……すっごく嬉しかっただロ! それだけは、それだけは間違いないだロ!」

「だったら、このツアーは大成功だよ。わたし達みんな、ダララロの案内してくれる次の、その次のツアーも、楽しみにできるんだから! ね?」


 フウカが振り返れば、客の人々は口々に肯定し、ダララロを元気づけている。

 ダララロは直立不動で立ち尽くし、そんな面々を見回して……ぐすっとすすり上げて。


「あ……あ、ありがとう……ありがとう! だロ……!」

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