九話 おいしい



「ここがワガハイの家なの? でも……なんにもないよ?」

「クゥーン?」


 やって来たのは村はずれにある荒野。

 見渡す限りに荒れ地が広がっているだけで、民家らしきものは影も形もない。せいぜい、前方の地面にうっすら砂の降り積もった鉄板が置いてあるだけだ。


「ふっふっふ……ところがどっこいなんだよね。見て驚くといいよ!」

「なんでお前が偉そうにしてるんだティム……ちょっと後ろに下がれ」


 ワガハイが一歩前に踏み出し、一見何もない砂の中に手を突っ込み、まさぐるようにすると――。

 どこからか電子音がピピピッと響き、なんと目の前の鉄板が、重厚な音を立てて上へ開放され始めたのだ!


「ふわあっ! 動いてる! これってまさか……!」


 めいっぱい開ききった鉄板の下には階段が存在し、地下へ降りられるようになっていた。


「ワガハイの家は地下にあるんだよね。最初見た時、ぼくもびっくりしたもん」

「我が輩が触っていたのは、土の中にカモフラージュした、操作端末だったわけだ」

「すごいよぉ! まるで秘密基地みたい!」

「凡人には到底できない発想、行動力。これこそが我が輩がワガハイたるゆえんなのだ」


 自慢げなワガハイを先頭に、地下への階段を下っていく一行。

 内部は電灯の明かりで光源は十分で、壁や柱はしっかりと補強され、空調もついて換気はばっちり。床は金網張りで階下の様子が吹き抜けみたいに見えていた。


「おわあ……本がいっぱいある~……」

「古い人に関する研究資料や、その成果が収められているのだ。各階ごとに分野の違う書物を置いている――数学や医術などの学術書から、政治、機械工学、児童書や童話、絵本までな。ついでに端末を置いて、そこに各地から収集したデータもインストールしている」

「全部で四階なんだっけ?」

「ああ。古い人の文化を再現した道具や、部屋もある――今から案内するキッチンもその一つだ」

「ほわあ……ワガハイってわたしが思ってるよりずっとすごい人だったんだ……」

「今頃気づいたか? とにかくそこらにある本やオブジェクトは貴重な資料だ、神聖なのだ。勝手に触るなよ――特にティム、カインっ」

「わわ分かってるよっ」

「ワワワンワンっ」

「でもわたし、このたくさんある本、読んでみたいなあ」

「……まあ、フウカはいいだろう。分からない所があったら特別に教えてやってもいい」

「えーっそれってなんか不公平っぽい~」


 奥にある階段を下りて、二階の突き当たりにあるドアを開けると、リビングに出た。

 それも全面フローリング張りの床、白い壁、テーブルにソファ、ベランダ、照明、テレビ、キッチンなど、今までとは一変した、どこにでもあるようなマンションの一室そのものといった作りなのである。


「向こうの通路には浴室やトイレ、あちらには和室や書斎――我が輩の興味のおもむくままに古い人の住居を復元中だ。この家も拡張しているし、もっと増やしたい所だな」


 しかしフウカは立ちすくみ、部屋内を見回していて。


「……似てる……」


 過去に戻ったみたいな感覚なのかも知れず、その瞳には、遠くの何かに心を奪われているような、色味の薄い、寂しげな光がたたえられていた。


「……まあ、興味があるなら他の部屋も見せてやらんでもない。だが今は料理だ、違うか?」

「……うん……っ!」


 ここまでに集めた食材を持って、キッチンに並ぶティム達。


「でも、何作ろうか? ぼく、料理の事全然分かんないや……」

「待て。我が輩がレシピを検索している。リストアップ完了まで一時間かかるが……」


 足下ではカインが手持ちぶさたに歩き回り、皆浮き足だって手をつけられずにいるようだ――が。


「わたし……お母さんに教えてもらったレシピがあるよ」

「ワンワン!?」

「ほ、ほんとなのフウカ!?」

「うん……スープだけだけど」

「スープか……なるほど、汁物なら消化にも良いし身体が温まる。妙案だぞフウカ!」

「えへへ……じゃあ、やってみるよ」


 さっそく鍋に水を張り、ガスコンロの火で温め始める。


「ぽーいっと!」


 その間にティムが缶詰を開けて野菜の具材を取り出し、沸騰した湯へ投げ込んでいた。


「あは、めっちゃお湯が跳ねてる! ねえフウカ、これからどうするの?」

「バカティム! そんな真似をしたらあたり一面びしょ濡れになるだろうが!」

「えっとね、次は…‥調味料入れて、味を調えるんだよ」

「ワンワンワンワンワンワンワンワン!」


 それを聞いてすかさず調味料を取り出したカインが、鍋の側まで近寄り、手当たり次第にぶち込んでいく。


「あ、ダメ、ダメだよ! ちゃんと量を調整しないと……」

「クゥーン……」

「むむ……スープだけでは栄養素が心許ないな。特にフウカは年齢的に食べ盛りのはずだ。もう一品くらい作るべきではないか?」

「それもそうだね……だけど、何を作れば……」

「現状の食材で作れそうな料理を参照した所、魚と野菜の煮物や肉の照り焼きなどがヒットしたぞ。どちらも難易度は低いとあるが……」

「おいしそう! うう……そう聞いたらどんどんおなかすいてきちゃった。作ってみようよ!」


 スープの具合を見る傍ら、砂糖、醤油、みりん等でタレを作り、サラダ油の引いたフライパンで缶詰の肉を焼く。煙が充満して来たので、ワガハイが換気扇を回した。


「電気といい水道といい、すごいよね。こんな地下まで来てるんだ」

「必要な設備を用意して、ここまで快適にするには骨格が折れたがな……さて、煮物の方は鍋に缶詰の中身を入れて、弱火で煮込むだけだ。――調節の方を頼むぞ、ティム」

「弱火ってどれくらいだろ……これくらい? えいっ」


 ボッ、ボオオォォォォォォォッッッ!!


「ワンワンワン!? キャイーン!?」

「わわわっティム! 火柱が天井を突き刺してる!」

「フライパンの方の火を強くしてどうする! 何もかも真逆だろうが!」

「うわあぁーん! そんなつもりじゃ……ごめーん!」


 ティムは戦力外通知が言い渡され、大人しく待つ係だ。

 残るフウカ、ワガハイ、カインの三人でいよいよ仕上げにかかる。


「味見してみろ、フウカ」

「うん……ぺろっ。――うん! いい感じだよ、ちょっと濃いめだけど……?」

「ふむ。初めてにしては中々上出来ではないか。後はこのレシピ本の写真を参考に、見栄えの良くなるよう盛りつけて……完成だ!」


 三人でそれぞれ皿を抱え、テーブルまで持って来て、落とさないよう注意して置く。

 食卓には何とも濃い香りを放つ、ほかほか熱々の料理三種が並べられた。


「やったぁ! とってもおいしそうだよこれ!」

「いいないいなあ。ぼくも食べたかったよ……」

「我が輩は完成品を眺めるだけで満足だがな。味覚や嗅覚や触覚がなくとも、目で楽しむ、という格言があるだろう」

「ほら、カインはこれ、ご飯だから食べてね」


 フウカはカインの前に膝をつき、皿に盛った金属部品を置いて見せる。


「ワンワンッ! ガツガツガツガツガツッ……!」


 カインの食料はネジやボルトといった小さな金属部品である。折れたり歪んだりして使えなくなったやつを食べてくれるので、ティム宅の掃除の際にも大活躍だったのだ。


「それじゃ、いただきまーす!」


 フウカは皿の横に置かれていたスプーンを手に取り、妙に粘りけの強いスープへと浸し、大きく開けた口へ運んで。

 その姿勢のまま雷に打たれたみたいに硬直した。


「ど、どう? 味は」


 顔を近づけて尋ねるティムを前に、フウカは固まったようにうつむき、動きを止めて。


「……フウカ、どうしたの?」


 ――はらはらと涙をこぼし、スープの水面を揺らす姿に、ティムは慌てふためく。


「ふ、フウカ!? どどどどうしたの!? まさかすっごくまずかったとか!?」

「違うの……あのね、スープね……お母さんの事、思い出しちゃって」

「お母さんの、事……」


 うん、とフウカは首にかけていたロケットを取り出し、指先で開ける。


「味、全然違うのに……会いたいな、って思ったら、か、勝手に、涙がね……ぐすっ」

「ワゥーン……」


 ティムはフウカの細い肩越しに、ロケットの中にある両親の写真を改めて見る。

 どこか、青い空の下。緑にあふれたドームのような広場で笑う、優しそうな二人の大人と――今より幼い、小さなフウカ。

 しんと静けさの落ちた室内で、ティムは。


「……見つけるよっ!」


「え……?」


 フウカと目線を合わせて、ぐっと拳を握りしめた。


「ぼくが、君のお父さんとお母さんを……きっと会わせると、約束する! だから、泣かないで? フウカが泣いてると、ぼくもなんだか……気持ちが、冷たくて……悲しいんだ」

「悲しい……ティムも……?」

「当たり前だよ! だってフウカはぼくの、友達だもん!」

「……だがなティム、合理に即して、そういう約束は軽々しくすべきじゃない……気持ちを裏切られた場合の事を考えたらな」


 でも、と思わず振り返りかけたティムの手を、そっと包むように、フウカの両手が重ねられた。


「フウカ……?」

「――ありがとね」


 目元の赤くなったフウカが、精一杯の微笑を浮かべてそう言った。


「ティムのおかげで……胸の中にあった冷たいものが、少しずつ柔らかくほぐれてる。明日からもわたし、がんばるから……」

「うん……!」

「……ま、まあ料理がしたくなったら、いつでも我が輩の家に来るがいい。暇な時なら手伝ってやるぞ」

「ワンワン! ワウーン!」

「えへへ……ワガハイ、カイン……わたし、今はもう、寂しくないよ」

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