第二章 七話 おなかすいた

 翌日。ティムは家の中に響くカインの吠え声と、フウカの軽やかな笑い声に誘われるようにして起床した。


「フウカ……? カイン……?」


 片腕を突きながら上体を起こすと、ベッド脇の床に置いてある毛布の類が目に入る。

 これは昨日の工場の休憩室で調達した枕やシーツ、服などを集めて急ごしらえに作ったフウカ用の簡易寝床だった。

 ――昨夜、長老さんとの相談の結果、フウカはこのままティムの家に住む運びになった。

 時間をかければフウカの家を準備する事も可能だが、何より本人の強い希望もあっての事だし、ティム達にも特に反対する理由はない。

 とはいえなるべく早い内にちゃんとした寝具を用意してあげたい、とティムは思いながらベッドから降り、はて、そのフウカはどこへ行ったのだろうと部屋を見回すと。


「あれ……なんか、違う……」


 妙に床や天井、壁や家具が綺麗になっているというか、ぴかぴかつやつやしている。

 それは寝室から出たリビングも同じで、ティムの横着で埃や汚れが溜まりっ放しだった室内は、目を疑う程の清潔さを取り戻していた。


「これってもしかして、フウカが……?」

「あははは! ダメだよカイン、いたずらしちゃ~!」

「ワンッ、ワンッ!」


 訝しく感じた矢先、フウカとカインの騒ぎ声が聞こえて来る。

 玄関口から外へ出てみると、そこではデッキブラシを握ったフウカが、雑巾をくわえてバケツの水で遊ぶカインをたしなめようと、抱きついて捕まえている所だった。


「あっ、おはようティム!」

「うん、おはよう……って、何してるの……?」

「何って、お掃除だよ?」


 誇らしげにデッキブラシを握り、胸を張るフウカ。掃除の範囲は家の外にまで及び、今は鉄板の道についた泥や汚れまで落として回っているようだった。


「カインもね、雑巾をかけて手伝ってくれるから、すっごく早く進んでるんだ!」

「そうなんだ……でもフウカ、どうして急に、そんなに張り切ってるの?」

「そりゃあ、雑菌とかこわいし、ちょっと臭かったし……それに」


 それに、とティムが相づちを打つと、フウカはデッキブラシを抱えるようにして、斜め下へ視線を流しながら俯いた。


「……わたし、ほんとはすっごく怖かったの。知ってる人は誰もいないし、ずっと、もう一生一人きりなんだって思ってて……」

「フウカ……」


 今までのフウカは、知らない場所でも活気良く振る舞っていたけれど、やはり空元気だったのだ。

 思い返せば所作の節々に、そういった陰鬱さを覗かせる事は度々あった。


「……でも、ティムやワガハイがいてくれた。カインだっていてくれる。だからね、その恩返しを、少しでもしたかったから……」


 ティムはフウカを見つめ――一拍置いてから、バケツの横に転がっているモップを取り上げて。


「……よし、ここからはぼくも一緒にやるよ!」

「えっ、いいの?」

「いいも何も、ここはぼくの家だからさ。フウカも住む事になったんだし、汚いのは恥ずかしいからね」

「ワン! ワン!」


 カインもやる気を見せつけるみたいに、雑巾をくわえて床をごしごし拭っている。

 ティムとフウカは目を見交わしてはつらつと笑い、これは負けていられないと、それぞれ作業にとりかかったのだった。

 一時間かけて、家の周りは見違えるように綺麗になった。錆だらけの家の壁以外はゴミや塵一つなく、付着していた汚れもほとんど落ちている。


「ふーっ……終わったね、フウカ! 壁とか屋根の方は道具が揃ったらとりかかるとして……なんだか自分の家じゃないみたいだよ」

「えへへ……わたしもなんだか嬉しいな。ねぇ、ティムもキレイキレイしてあげようかー」「や、やめとくよ……っ」

「遠慮しなくていいのに~」


 いまだなお果てしない清潔を求め、笑顔を浮かべて両手をわきわきさせるフウカ。

 ちなみにカインもいつの間に洗ってもらっていたのか、土汚れでくすんでいたボディは見るからに光り輝く金色へと様変わりしている。


「やれやれ、お前達。朝早くから騒がしいな」

「あっ、ワガハイ、来てたんだ」


 雑巾片手にじりじり距離を縮めてくるフウカから逃げ回っていると、そんなティム達を道の先から憮然とした風に眺めているワガハイを見つける。


「昨晩の出来事について話がある」

「昨晩? って……フウカが村長さんに認められた事?」


 聞き返すと、ワガハイは呆れたようにうなるような声を漏らす。


「その様子からするとやはりというか、三人揃って爆睡していたようだな。――昨日、我々が別れた後の深夜……地震が起きたらしい」

「地震? へえ~全然気づかなかった」

「この脳天気者め。発生地点はフウカの宇宙船のある荒野だ。規模自体は小さなものだが……大きな地割れができてな」

「見て来たみたいに言うんだね」

「見て来たんだ、ここに寄る前にな」


 ワガハイは苦いものを含むように辺りへ視線を突き刺す。


「宇宙船は船体の半分程が穴へ沈み込み、窓も入り口も地層へめり込んでしまった。……これでは船内を調べる事は危険過ぎてできん」

「そ、そうなんだ……」

「せっかくの学術的な財宝の山――ごほん! 貴重な手がかりだというのに……」

「残念だよ……ぼくも船の中、見てみたかったのに」

「フウカの両親の足跡については他を当たるしかあるまい。なので今日はガラクタ山で発掘作業だ――ひょっとしたら宇宙船から飛散したパーツが、埋まっているかも知れん」

「ワンッ!」

「あはは、カインも乗り気だね。フウカ、そういう事だからまた今度に……あ、あれっ、どうしたの?」


 いつの間にか静かになっていたフウカはその場に座り込み、お腹を抱えている。

 ぐうぅ~、と小さな身体には似つかわしくない大きな音が、周囲に鳴り響いた。


「い、今のって……」

「おなか、すいた……」


 ティムの言葉に被せるみたいにして、フウカが呟く。声音には今し方までのはつらつとした元気さは微塵も感じられず、砂色の頭は壊れかけのメトロノームみたいに揺れていた。


「フウカ……エネルギー切れなの?」

「古い人というものは我々と違ってごく短いスパンで空腹になる。そしてフウカは宇宙船で目覚めてからこちら、何も口にしていない。今までも相当辛かったろうし、こうなるのは至極当然というものだ」

「うーん……身体もちっちゃいし、考えてみたら当たり前だよね。フウカ、どうして? どうして今まで言わなかったのさ……!?」


 詰問すると、フウカは首を弱々しくもたげ、力なく笑い返してくる。


「色々あって……やる事とか考えてたら……忘れちゃってて」

「フウカ……」

「その気持ちも分からんでもない。我が輩とて寝食を忘れ、研究に没頭する事はままあるからな」

「でも困ったなぁ、ぼくんち、古い人の食べられそうなもの、なんにもないよ……」

「各住宅には電気や水道は来ているが、冷蔵庫など食品保存のための機械は誰も必要としていないからな……」


 ティムとワガハイが話している間にも、フウカはみるみる力を失い、やがてぐんにゃりとうつぶせに倒れ込んでしまった。


「おなかすいたよう……」

「ワ、ワンワン! ワンワンワン!」

「ふ、フウカ大丈夫? ね、ねえワガハイ、これってとっても危ないんじゃないの?」

「うむ。古い人というものは栄養が不足すると衰弱し、やがて死に至る……これは即時命に関わる、かなり深刻な問題だぞ」

「へぇ~。それって修理できないの?」

「できん。我々にとっては重要なフレームやコア自体が不可逆的機能不全に陥るようなものだ。一度生命活動が停止したら自力では滅多に再稼働せん」

「ほええ……肉の身体って大変なんだねえ……って、それどころじゃないや! えっとどうしよう! ――そうだ!」


 何か思いついたみたいに、ぽんとティムが手のひらを拳で叩く。


「港へ行って分けてもらおう!」

「港、って……?」

「ニホン村の中心部にある、宇宙港の事だ。なるほど、おっつけ配給の時間だし、古い人用の食料も貯蔵してあるはずだな……」

「そ、そういうわけだからフウカ! もうちょっとだけ頑張れる? し、死んじゃダメだからね! なんとか耐えて、踏ん張って! 頑張って! ほらほら!」

「ワンワン! ワォーン!」

「うぅ……うん、がんばる」


 耳元でエールを送られたフウカは、蚊の鳴くような声でそれだけ漏らし、ティムの手を借り、カインに足下を支えてもらい、頼りなくも立ち上がったのだった。




 宇宙港まで最短で辿り着くには、途中にあるシラ浜と呼ばれるスポットを経由する。

 シラ浜とはその名の通り、白い砂浜を意味する。石膏のように滑らかできめ細かい砂地が、緩くカーブしながらどこまでも続いているのだ。


「ひろーい! しろーい! すっごぉ~!」


 フウカはキラキラと輝く雲海めいたシラ浜を眺め渡すと、空腹も忘れたみたいに好奇心と驚きに満ちた大声を上げ、一足先に浜辺へと駆け込んでいた。


「あははは! 足下がすっごくさくさくして柔らかいよ! 楽しいな~!」

「ワンワンワン!」


 フウカはワンピースをなびかせてくるくる回りながら、手ですくい上げた砂をまいてカインと遊んでいる。


「このシラ浜の成り立ちは、過去に大量の石灰が降り注いだために生じたと言われているが、実のところは謎に包まれている……あれも含めてな」


 ワガハイがその隣を通り過ぎ、シラ浜から海側へ目をやりながら呟いた。

 そちらに広がっていたのは、錆び付いた赤色の海。

 水面は濁り、鉄の臭気が運ばれ、魚一匹の姿すらないのだ。


「赤い、海……」

「下の方を見てみろ」


 ワガハイに言われ、フウカが前に出て、水底の方へ目を落とし――弾かれたように後ずさる。


「き……機械がいっぱい、沈んでる……。こ、これも災厄のせい、なの……?」

「我々と同じロボット、乗り物、あるいは建物の残骸……そういった鉄を含む金属が海底で腐食し、そうして浮き上がった錆や空気中の有害物質が魚や海草を絶滅させ、何十年と放置されてこの有様だ。以前はアーヴェル最大規模を誇る、美しい景観の海だったらしいというのに……流れゆく時間とは虚しいものだな」


 ゴミ一つ見当たらない白い砂浜とは真反対の、生命一つない汚染されきった赤い海。打ち寄せる波には力がなく、時そのものが止まったかの如く、侘びしく静まりかえっている。

 その赤い海を隔てた水平線の先には、黒い小山のような島が浮いているのが見えた。

 長く平べったい島の上で、ざんばらに弧を描く人工物らしき奇怪な影。死者の骨張った腕が差し伸ばされるようにしてそびえている、墓標を連想する佇まいである。


「あの島は、なに……?」

「……あれは『中島』。この星の中心じゃよ」


 フウカの呆けたような問いに答えたのは、ワガハイではなく――。


「……何もかもが蒸発したこの星に唯一残った海。そこを越え、あの島に辿り着けた者は、一人を除いてまだ誰もおらぬ」

「あ……長老さん!」


 どこからともなく杖を突いて歩いて来た、長老さんだった。


「1日ぶりじゃのう、フウカ。ティムとワガハイもな」

「長老さん、改めて、昨日はありがとね。わたしのこと、村に受け入れてくれて」

「なに、礼には及ばんわい。……ところで」


 長老さんは浜辺の奥を、短い指でそっと指差す。


「シラ浜の向こうは、人の立ち入りを禁じていてのう。立ち入り禁止エリアの前には立て札があるから、すぐに分かるはずじゃ」

「立ち入り禁止……?」

「危ないから、村の者に近づいて欲しくはないのじゃ。それからこのあたりはよく雨が降る。近頃は天候も不安定で、古い人にとっては身体に障るから、気をつけるのじゃぞ」

「分かった……気をつけるね」

「それで今日は四人とも揃って、ここで何をしているんじゃ?」


 実は、とティムがいきさつを説明すると、長老さんはなるほどと得心したようで。


「それは良い選択じゃな。ワガハイの読みもおおむね正しい。宇宙港なら、きっとフウカの食べ物も見つかる事じゃろうて」

「ふむ……長老、おおむね、とは、何やら含みを持たせた言い方ですな」


 怪訝そうなワガハイの問いかけに、長老さんは深い知性の光を瞳にたたえ、髭を撫でつけながら答える。


「宇宙港は白鉄騎士団の管理区域じゃ。まだ昨日のゴタゴタが尾を引いておるやもしれん。その上リーダーのアイアンホワイトは少々、融通の利かぬ所があるでの……」

「まさか、断られるかも知れぬと……?」

「えーっ! そ、それは困るよ! そんな事になったらフウカが……!」

「いやまあ、普通に許可が出るかもしれんし、はたまた出ないかもしれん。下手をすると門前払いもありえる」


 そんな、とティムは弱りながらもフウカを見ると、少女は血の巡りの悪くなった青い唇を噛み締め、こらえるようにしていて。


「わたし……平気だもん。食べなくったって……だからティムもワガハイも、困る事なんかないから……ね?」

「フウカ……」


 フウカは、ティム達の前では強がっていながらも、その心中は空腹の苦しみや、他者から拒絶される事への恐怖でいっぱいのはずだ。

 でも、こちらを見上げるフウカの双眸からは、そんな困難をも克服して前へ進みたいという気持ちもまた、強い振れ幅で揺れているように、ティムには見て取れて。


(ぼく達と逆だ……古い人は嘘をつく。だけど、目を見れば本当かどうかが分かる……!)


「フウカ……無理しなくていいんだよ。ぼくがきっと、なんとかして見せる。君はもう村の一員なんだ、誰にも違うなんて言わせない……!」

「ワンワンッ!」


 カインも同じ気持ちだと、殊更に声を張った。


「……ま、まぁ、乗りかかった船だ。我が輩とてフウカを目の仇にしかねんような連中に、でかい顔をさせたくはないからな」

「おぬしら……」


 少し感心したみたいに目を開閉させる長老さん。


「……引き下がるつもりはなさそうじゃな。じゃがもしにっちもさっちもいかんくなったら、遠慮なくワシを頼るんじゃぞ。力を合わせれば、仕事はすぐに片付くからのう」

「長老さん……うん!」

「うー、おなかすいた……」

「あわわっ、フウカ、ごめん! ほら、港まではもうすぐだから行こう!」


 慌ただしく駆けていく四人の背中を見送り、長老さんは愉快げに、けれどどこか暖かな笑声をこぼすのだった。

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