五話 工場地帯と巨大ドリル
一方フウカも、必死に工場から工場を移動しつつ、子犬を追いかけていた。
最初はすぐに追いついてティム達の元へ戻るつもりだったのだが、物陰から物陰へ、段差から段差へ小回りを活かして跳び回る子犬に翻弄され、見失わないようにするのがやっとなのである。
おまけに、経由する工場は内部を埋め尽くす機材類と、室内を貫く長いベルトコンベアばかりで、鉄仕掛けの迷路のような有様だ。
「ここで……何を作ってるんだろう?」
コンベアの上にはフックのようなロボットアームが間隔を開けて連なり、その先端には部品やパーツ、金属骨格が吊り下げられている。
生産ラインを見る限り、何かの機械――ロボットを工作しているかのように見て取れる。
ティムやワガハイ達は、こうした工場のどこかで製造されたのだろうか。
「うう……ま、待ってよ。わたしはちょっと、種の事が聞きたいだけで……」
フウカは管理人室というプレートの貼られた、車両が横付けされている少し小さな建物へ息を切らして入る。
コンテナがわんさと積まれ、シートも視界を邪魔し、どこも似たり寄ったりで迷いやすい地形で、奥の様子がまったく見えない。
それでもフウカは子犬の駆ける硬質な足音、駆動音、声などを頼りに追いかけ続け。
「……これ、なに……?」
ふと辿り着いたのは、大きなモニターのある白いドアの前だ。
そのドアは他の色あせて錆びたものと比べ、素材そのものが高級なのか幾分か綺麗で、上部には細長い長方形のランプが備え付けられ、横合いには端末装置もある。
「あの子、この中に入っていったのかな……でも、ドアノブないし……」
するとフウカは、ドアの隣に設置されている、何か透明な板のようなものを発見した。
「なにこれ……あ、映画で見た事あるかも。確か、指紋認証とか……」
おぼろげな記憶を頼りに二の腕を差しのばし、その板にぺたんと掌を張り付けた、途端。
ぴーっ、という起動音とともに、ドアの中から機械音声が流れて来た。
『セキュリティランクAクラス、フウカ・リューピン様ですね。お入り下さい』
「へ……? えっ?」
目を白黒させるフウカの前で、消灯していたランプが緑色に点灯し、ドアが上側にスライドして開き始める。
「わ、わっ……! ど、どうしよう、開いちゃってる……!?」
ほんの思いつきで行動しただけなのに、よもや本当に解錠できるとは思わず、呆然と立ち尽くすフウカ。
――けれどドアが開ききるのを待たず、すぐ近くで感じた気配に、フウカはとっさに振り向いた。
「あっ……!」
ドア隣にある端末の上にあの子犬が乗っており、身を伏せてフウカを見据えている。
「ウー……ワンワンッ!」
子犬はフウカと視線が合うや否や身を翻し、端末のボタンやレバーを足場に蹴速をつけ、割れた窓から飛び出して行ってしまった。
「ま、またなの……? ティムやワガハイともどんどん離れちゃってる気がするし……でもあの子、一人だし、こんなところで放っておくのは危ないし……うー!」
フウカは一時逡巡したものの意を決し、汗で濡れて目元にかかる髪をかき上げてから、ふらつく足取りで追いかけるのだった。
――その際、子犬が蹴っていった操作盤が起動し、モニターにあの巨大なドリルが映し出され、様々なウィンドウがめまぐるしく動き始めた事には、気がつかなかった。
アスレチックめいて複雑に絡み合った配管の森を抜けると、大穴のすぐ近くに出た。
円周に沿って亀裂の入った足場は中途からちょん切れて、淵から下の暗黒はフウカを呑み込もうとでもいうように大口を開け、巨大なドリルが下から牙を覗かせている。
その恐ろしさに身をすくめながらも、フウカは淵の前に置かれているショベルカーの上に、あの子犬ロボットが立ち、きょろきょろあたりを見回しているのを発見した。
(あんな高い所にいて、怖くないのかな……)
フウカはそっとタンクに手をかけ、配管を跨ぎ越して広い外へ出たが。
瞬間、ぴくっと耳を振動させた子犬が振り返り、真正面から目が合った。
「ウーッ……グルルルルルル……!」
子犬はうなり声を上げると、鎌首をもたげているショベルの先端まで下がってしまう。
「あ、ま、待って! わたし、何もしないから。もう近づかないから……」
フウカは降参の意を示すように両手を上げて振りながら後ずさる。なのに子犬は威嚇を崩さず、一挙手一投足を見逃さないみたいに睨み据えていた。
「……あなたも、一人なの?」
その、全てを敵とでも言いたげな仕草に、フウカはそんな言葉をこぼしていた。
「わたしと……同じだね。村やここであなたと出会うのは、もしかして会いたい人がいるからかな。……わたしもなんだ」
フウカは視線を逸らして俯き、胸の前でぐっと手を握り込む。
「目が覚めてから……ずっと一人。でも、その前はそうじゃなかった。もっと、暖かくて、楽しくて、多くのひと達に囲まれて……そんな場所にいた気がするの。今、覚えていられるのは、その中でも一番大切な……大切な……っ」
フウカの声音がうわずり、白くなるほど強く丸めた指先が、小さく震える。
「会いたいよ……寂しいよ……! だから、痛いくらい、あなたの気持ちも分かるんだ……わたしと一緒、だって……」
――いつしか、子犬はうなるのをやめ、尻尾を落とし、静かにフウカの言葉に聞き入っている風だった。
「わたしね……わたしのせいだって、言われたんだ。わたしが空から落ちて来たから、みんなが迷惑してるって。わたし、何も覚えてないのに、何も知らないのに……っ」
けどね、とフウカは目を上げて、少し滲んだ視界の中に、子犬を捉える。
「ティムとワガハイが……側にいてくれたんだ。励ましてくれて、色々教えてくれて、ちょっとだけ、胸の中が暖かいんだ。だからね、だからわたしも……」
フウカが一歩、進み出る。
子犬は――うなる事も、逃げる事もせず、じっとフウカを見つめていた。
「泣いてるだけじゃなくて、困ってる誰かの――あなたの力に、なりたくて……!」
その時、聞き覚えのある呼びかけが、乾いた風に乗って二人の元へ届いてきた。
「フウカーっ! 今行くからねーっ!」
「ウー!? ウー……ワンワンッ!」
子犬がそちらへ身体ごと振り向けた途端。
その後ろ脚がずる、と汚れたショベルの上を滑り、体勢が斜めに崩れた。
「キャウン!」
もがくように四肢を踏ん張るものの一歩遅く、子犬の小さな身体がショベルカーを離れ、たちまち重力に捕まって真っ逆さまに、奈落へ落下を始め――。
「あ、だ、だめっ……!」
息を呑むフウカの前で、子犬の首にかかったポシェットの紐が、ショベルの先端に引っかかり、かろうじて落ちずに済んでいた。
だが子犬の四肢は完全に空を掻き、怯えたような鳴き声に重なって、伸びきったポシェットのゴムがぎちぎちと嫌な音を立て始めている。
フウカはためらわずに、ショベルカーへ突進した。
ローラーを蹴って機体上部まで駆け上がり、ブームまでよじ登ってその上を走り、たちまち先端部まで到達する。
「掴まって!」
身を乗り出しつつ、あがく子犬の方へ手を差し伸べた。フウカの身長からしてここまで伸ばすのが精一杯だ。後は子犬から近づいてもらう他ない。
「ワン! ワンワン!」
「うっ、痛っ……」
しかし子犬はパニックに陥っているのか、必死に動かす四肢はフウカの手を叩き、手首を乱雑に傷つけ、みるみる赤く染まっていく。
フウカはなおも歯を食いしばってこらえ、腕の可動域限界まで引き延ばし、指先を掻く。
そうして――その指先に、硬く冷たい子犬の金属の身体が、触れた。
「今っ……!」
フウカは子犬の脚を指で引き寄せるように捕まえ、支えに使っていたもう片方の腕に体重をかけ、懸命に子犬を持ち上げていく。
子犬は目を見開いてフウカを見つめ、もう抵抗はしていなかった。
「もう少し、もう少しっ――」
激しく呼吸を乱しながら、途中からは両腕を使って子犬を引っ張り――ついに、フウカは後ろに倒れ込むようにして、子犬をその腕の中へ抱き留めたのである。
「や、やった……! 良かった、良かったよぉ……!」
半泣きで子犬を抱きしめるフウカ。子犬は微動だにせずされるがままになりながら、その小さな尻尾を、ほんの少しだけ左右に振り動かしたのだった。
――直後だった。とてつもない揺れがフウカ達を……工場地帯全体を襲ったのは。
子犬を抱えたままショベル先端に掴まり、地震じみた振動を耐えるフウカ。
なのに無情にも、ショベルカーのどこかからばきんとどこかの金具が折れる音がして、それまで上を向いていたブームが、急速に下がっていく。
「えっ、う、うそ、なんで……!?」
それでも子犬を抱いたままなんとか先端部分に足を絡め、下半身の力だけでしがみつき。
そして見た。
真下にあるドリルが、暴力的な轟音を張り上げながら動き出し、大穴を掘削し始めるのを。
「ば、ばかな! 作動しているだとっ!」
首を上げると、大穴を回り込むようにして駆け寄って来るワガハイが遠目に見え、脇目もふらずフウカ達の方へ駆け寄って来る、ティムの姿もある。
「ティム――ッ!!」
力を振り絞るように叫んだフウカの身体が、ショベルの先端から離れた。
今度こそ掴まるものもなく、掘削を続けるドリルへ頭から転落していく――。
「フウカ……っ!」
その瞬間、ティムは深く腰を落として地を蹴り、閃光のようなスピードでショベルカーを跳び越え、一秒後にはフウカの目前まで辿り着いていた。
ティムとフウカの視線が至近で交差し――金属の手がフウカの腕を握って、遠心力をつけるような縦の軌道で上方へと投げ飛ばす。
「ワガハイ!」
「おのれ……ふんっ!」
ティムの叫びに応じるようにしてワガハイが前屈みになり、背中の蓋が開いてスペースが顔を出す。
すると弓なりの軌道を描いて飛んで来たフウカと子犬が、その中へまとめてシュートされた。
「てぃ……ティム!」
ワガハイが引きつった声を上げた。その視野には、どこにもティムの影も形もなくて。
フウカ達の無事を信じたティムは四肢から力を抜いて、ぼんやりと暗い空を見上げながら、大穴の底の底へ落ちていく――。
無我夢中でスペースから身を乗り出したフウカが目にしたものは、下方の闇に取り込まれ、今しもドリルに巻き込まれようとしているティムで。
「や、やだ……ティム、ティム――ッ!」
見開かれた双眸から大粒の涙を散らせ、声も枯れよとフウカが叫んだ、その瞬間。
フウカの全身が、ぽう、と突然にして淡い光に包まれた。
肌や目の内側から極彩色に輝く光の粒が舞い上がり、真空管の明かりめいて暖かな広がりを見せる少女の姿に、背負っていたワガハイが驚愕の声を上げる。
「お、おいっ、なんだそれは……!?」
だが、フウカはワガハイの問いに答えず、ティムの名を喉から迸らせながら、がむしゃらに届くはずのないか細い手を穴の底へと伸ばして。
「……え? あ、あれ……?」
奈落へ吸い込まれていたティムは、自身がいつの間にか落下をやめている事に、数拍遅れて気がついた。
眺めていた空はいつまでたっても暗転せず、背後で響くぞっとするようなドリルの回転音は、それ以上近づいて来る事もない。
「……フウカ……?」
現状を把握できず当惑しがちに目線をさまよわせた先。
穴の淵に、フウカがいるのを見つけた。
なんだかくしゃくしゃに顔を歪めていて、顎先から涙がしたたって――まっすぐ落ちて来たその一滴が、ティムの頬をぴちゃりと濡らした。
途端、ティムの身体がフウカと同じようにとこか儚い光輝に包まれ、今度はふよふよと、空を浮く雲のように上昇し始めたのである。
「え……っ? えぇっ?」
嘘みたいな現象にすっとんきょうな声を上げるばかりのティムは、みるみる地上まで浮き上がり。
音もなく光が消え失せると今度はまたしても重力に囚われ、ぽとりと落ちた。
ただし、落ちた先は――こちらも気づけば光の見えなくなっていた、フウカの前で。
「ふ、フウカ……? ぼく……一体……」
直後、タックルさながらの勢いでフウカに抱きつかれた衝撃で、頭が強烈に横へぶれる。
「ティム――っ!! わ、わたし、わたしもうっ、……うっ、うああ……あああああん!」
ドリルの音にも負けない声量でわんわんと泣くフウカに、ティムは困ったように頭を掻いて。
「フウカ……どうして泣いてるの?」
「だって、だって……!」
「何か、悲しい事でもあったの? あっ……も、もしかして、どこか怪我しちゃったとか」
「違う、違うの……!」
ティムに顔をこすりつけるようにしながら、フウカは目を上げて――透き通ったその瞳を向け、あるかなきかの微笑みを浮かべた。
「全然、悲しくないの……! ティムが無事で……とっても良かったから……!」
「……そっか……」
何が起こったのか、ティムには皆目見当もつかない。フウカだってそんな感じだ。
けれど、それでもいいのだ。こうやってフウカの喜ぶ姿が見られれば、ティムは自分でも何かの役立てたのだと思えて。
(ぼくも、とっても……嬉しいな)
フウカのように、表情でそれを伝える事はできないから。
おっかなびっくり伸ばした手のひらでフウカの頭を包み、そっと砂だらけの髪を撫でた。
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