その④
資料保存室を出て、ティアレシアは何食わぬ顔で〈
幸い、女王はまだ戻ってきていなかった。
「あら、どうしたの? その髪は」
エイザック侯爵との謁見を終え、戻ってくるなり女王はティアレシアを睨みつけた。
ルディによるヘアアレンジは完璧だったのだろう。
「短くなった箇所が頬にかかって邪魔でしたので、編み込みました」
「邪魔なら、全部切ってしまいなさいよ。不気味な銀色の髪のせいで、わたくしがセドリックに注意されたわ。その髪、呪われているのではなくて?」
シュリーロッドは、蔑むように笑った。
「そうかもしれません。けれど、せっかく女王陛下が認めてくださった銀髪ですもの。美しく保つことは女王陛下への忠誠につながると感じております。それに、私は女王陛下の侍女です。今後も、身なりやふるまいには人一倍気をつけ、女王陛下の評判を落とさぬよう努めてまいりますわ」
女王はティアレシアを利用するために侍女にしたのだろうが、表向きは正式な侍女には変わりない。
それに、生誕祭での発言のせいで多くの貴族が興味を持ち、動向を見守っているだろう。
女王に気に入られてもすぐにボロボロにされる、ということを貴族たちに示し、ただでさえ低い女王の評判をこれ以上落としてもいいのか。
自分は女王の評判を守ったのだ、と暗に示し、ティアレシアは微笑む。
正しくティアレシアの言いたいことを理解してくれた女王は、歪んだ笑みを浮かべた。
「さすが、バートロム公爵の娘ね……」
「私も父と同じく、女王陛下のお役に立ちたいと思っておりますわ」
「ふふふ。そうだ、わたくしの侍女だというなら、紅茶くらい淹れられるわよね?」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
本来であれば、ティアレシアは使用人の仕事などすることもない高貴な身分だ。
それなのに、あっさり了承したことに、女王だけでなく控えていた侍女たち皆が驚いた顔をしていた。
ティアレシアは女王の私室を出て、お湯や茶葉、ティーセットなどを準備するため調理場へ向かう。
さすが女王の宮殿とあって、ティーセットの種類は百を超えていた。
ティーセットは、部屋の雰囲気や人物を見て、流行を取り入れて選ぶ必要がある。また、より紅茶を美味しく飲むために、カップの形は茶葉の種類によって変えなければならない。
だからこそ、これだけ取り揃えているのだ。茶葉も、希少価値の高いものから最新の茶葉、他国からの輸入品、定番のものまですべてが揃っていた。
ティアレシアは、迷わずティーセットと茶葉を選ぶ。
(好みが変わっていなければいいけれど……)
お湯を用意し、選んだティーセットと茶葉、お茶菓子などをカートに載せ、ティアレシアは女王の私室へと戻る。
「お待たせいたしました」
にっこりと微笑み、ティアレシアは紅茶を淹れ始める。
まず、ポットとティーカップはお湯で温めておく。その間に、ティアレシアはお菓子をテーブルに並べた。苺が乗ったチョコレートタルト、バターの風味豊かな焼き立てのスコーン、爽やかな香りのレモンケーキ。菓子職人から聞いたお菓子の説明を、ティアレシアはよどみなく伝える。
そうして、ポットにティースプーン二杯分の茶葉を入れ、お湯を注ぐ。
選んだ茶葉は、アッサムだ。お湯を注いだことで茶葉が踊り、芳醇な香りが漂う。通常よりも少し長めに蒸らし、薔薇の模様が美しい白地のカップに紅茶を注ぐ。女王の私室は赤い色が多いし、女王の本日のドレスは赤色なので、模様に赤が入っているカップを選んだ。そして、カップの白にきれいな紅い色が映え、見た目も華やかに優しく香る。
視界を邪魔しない、流れるような給仕の動きに、侍女たちは思わず見とれていた。女王も、口を挟まずにじっと見ている。
「女王陛下は、ミルクティーがお好きとお聞きしましたので、本日の茶葉はアッサムをご用意しました。こちらにミルクと砂糖をご用意しておりますので、お好みに合わせてお召し上がりください」
アッサムは、ミルクティーに合う茶葉だ。昔からシュリーロッドはミルクティーが好きで、茶会があればいつもアッサムのミルクティーをリクエストしていた。
あえて、ティアレシアが砂糖とミルクを女王自身に入れるよう言ったのにも、理由がある。
「あなたが紅茶を淹れられるとは思わなかったわ。それに、ちゃんとわたくしの好きなミルクティーを選ぶなんて。けれど、どうして砂糖とミルクをわたくしに入れさせるの? わたくしの好みに合わせて、あなたが入れてくれればいいじゃない」
「紅い紅茶に、白いミルクが混ざり合って、少しずつ色を変える様も、楽しんでいただけるかと思いまして」
「……えぇ、それがわたくしがミルクティーを好きなところよ。口だけではなく、ちゃんと侍女の仕事もできるのね。いただくわ」
ティアレシアの淹れた紅茶など飲まない。そう言うかと思っていたが、シュリーロッドは楽しげに微笑んで、砂糖とミルクを注ぎ、ティースプーンでゆっくりかきまぜた。注がれたミルクが沈み、スプーンの動きに合わせて紅い波が揺れる。そうして、少しずつ紅は柔らかな白と混ざり合い、優しい色合いに変わった。シュリーロッドはカップに口をつけ、満足そうに微笑む。
「こんなに美味しく紅茶を淹れられるのなら、あなたに三日後の茶会の給仕を任せてもいいかしら?」
疑問の形をとっていたが、それは決定事項だった。
有無を言わさぬ女王の笑顔に、ティアレシアは頷き、丁寧な所作で頭を下げた。
(うまく乗せられてしまったかもしれないわね)
もしティアレシアが任された茶会で何かトラブルが起きれば、公の場で堂々と責めることができる。給仕ができないふりをしていた方が、嫌がらせは可愛いものだったかもしれない。
しかし、シュリーロッドに馬鹿にされるのは我慢ならなかったのだ。
「よかったわ。実は、わたくしの侍女たちはみんな忙しくて、茶会の準備ができなかったのよ。あなた一人で準備してもらうことになるけれど、うまくやって頂戴ね」
スコーンに真っ赤な苺ジャムを塗りながら、女王がにこりと笑う。女王主催の茶会で侍女や使用人の手が空いていないなど、普通ならあり得ない。明らかな嫌がらせだ。
準備の段階で、たった一人。茶会の会場や招待客の数にもよるが、現実的に考えて一人で給仕をするのは無理だ――普通なら。
「かしこまりました。でしたら、準備や当日の給仕に関しては、私に一任していただいてもよろしいでしょうか?」
「えぇ、もちろんよ」
「では、正式な命令書をお願いいたします。命令書をいただくことで、茶会の責任者は私であると分かるでしょう」
「ふふ、いいわよ。わたくしの大切な友人を招くのだもの。華やかで、素晴らしい茶会になるよう頑張って頂戴ね。絶対に、失敗なんてあっては駄目よ?」
女王は頷いた。どんなに頑張っても失敗すると確信しているのだろう。失敗すれば、命令書によって責任者はティアレシアだと証拠づけられる。だが、ティアレシアとしては女王の言質をとることで、動きやすくなるはずだ。
「はい。お任せください」
その後、キャメロットに招待客のリストをもらった。
女王主催の茶会については、宰相への報告と相談が義務付けられているということで、ティアレシアは宰相の部屋へと向かう。
しかし、その足取りは重かった。誰も案内してくれなかったからではない。
(……あなたは、どうなのかしら)
女王の宰相、チャド・ブルシット。
先々代国王エレデルトの時代に宰相の座に就き、短い間だったがクリスティアンの宰相でもあった男。
十六年前にあんな事件が起きたにもかかわらず、チャドは素知らぬ顔でその座に座り続けている。
たどり着いた扉の前で、ティアレシアは目を閉じ、息を吐く。
そして、ノックしようと手を上げた時、扉が内側に開いた。
「おや? これは珍しいお客様ですね」
聞き覚えのある声に導かれるように見上げると、銀縁眼鏡をかけた宰相と目が合った。
ティアレシアは、慌てて自己紹介する。
「はじめまして。本日より、女王陛下の侍女となりました、ティアレシア・バートロムでございます。宰相様に、女王陛下主催のお茶会について、ご報告に参りました」
「それはご苦労様です。バートロム公爵家のご令嬢が侍女になったという報告は受けていましたが……ふふ、そうですか、あなたが……」
さあどうぞ、とチャドはティアレシアを執務室に迎え入れる。
壁紙や絨毯、ソファなどの調度品は紫黒色で統一されており、重厚な雰囲気を醸し出す。
手前にはテーブルとソファが置かれており、応接スペースになっていた。その奥には、書類が山と積まれた執務机が見える。ソファに座るように促され、ティアレシアはチャドと向かい合って座った。
(本当に、チャドだわ……)
同姓同名の、別人だったらよかったのに。
チャドを慕っていたクリスティアンの願いは、あっさり打ち砕かれた。
色素の薄い茶色の髪を後ろで結び、質の良さそうな黒灰色のベストとズボンを着たその姿は、記憶の中の姿とほとんど変わらない。
「それで、何の用でしたか」
老いを感じさせない宰相は、硬い表情のティアレシアを見て薄く笑った。
「三日後、女王陛下がお茶会を開きたいとのことです。招待客リストはこちらです」
リストを手渡すと、チャドが溜息をついた。
「また女王陛下の急な思いつきですか。招待状の発送と、茶会に必要な茶葉と菓子の材料確保、それから備品の確認……茶会開催までにやることは山ほどありますが、茶会の責任者はあなたですか?」
「えぇ、準備はすべて私一人で行うよう言われています」
「早速、こき使われているようですね。この茶会が失敗すれば、バートロム公爵家を陥れる口実になりますからね」
女王も口にしなかった裏の意図を、チャドはさらりと言葉にした。
「何を驚いているんです? あなたも気づいているのでしょう?」
「宰相様は、茶会を失敗させるおつもりですか?」
女王の宰相は、女王の意図を汲んで動くものだ。
警戒心を強くしてティアレシアは問う。
「そんなことはしませんよ。むしろ、あなたに協力してあげてもいい」
「それは、何故ですか?」
「その方が面白いからですよ」
眼鏡をくいっと押し上げて、チャドはにっこりと笑う。
「それに、私は女王陛下から、公式行事や茶会への参加を禁じられておりましてね。まぁ小言ばかりの私がうっとうしいのかもしれませんがね。宰相である私を軽んじている女王陛下には少し反省していただきたいのですよ」
チャドは、エレデルトの時代から宰相をしている男だ。
その経験や知識は女王を助けるものだろう。
そんな彼を遠ざける理由などないはずだ。
しかし、たしかに茶会の招待客リストにチャドの名はない。
そういえば、女王生誕祭にもチャドは出席していなかった。
(もしかして、お父様やクリスティアンに仕えていた宰相だから、女王に信用されていないの?)
しかしそれならば、宰相という地位からチャドを外せばよかったはずだ。
そうしなかったのには、何か理由があるはずだ。
そして、チャド自身が宰相を続けていることにも。
「宰相様は、女王陛下に忠誠を誓っているのですよね?」
「えぇ、もちろん」
ティアレシアの問いに、チャドは迷いなく頷いた。
「それならば、宰相様の愚痴は、聞かなかったことにいたしますわ」
「おや、私の協力があれば、人員を動かすことも可能ですよ?」
「協力の申し出はありがたいですが、お断りいたします。私は、一人で大丈夫ですわ」
ティアレシアはそう言って立ち上がる。
「そうですか。では、おひとりで(、、、、、)頑張ってくださいね」
その言葉を背に受け、ティアレシアは宰相の執務室を出た。
(チャドは何がしたかったの……?)
扉を閉める瞬間に見えたチャドの目は、得体の知れない闇を映していた。
仕事が終わって王城を出ると、城門前に公爵家の馬車とルディが待っていた。
何故か彼の周りには若い女性たち。
装いを見るに、王城に仕えている侍女や使用人だろう。
ルディの色気にあてられたのか、もれなく全員頬が赤い。
女性たちはうっとりと漆黒の悪魔を見つめながら、楽しそうに話している。
この悪魔、外面だけはいいのだ。
呆れて見つめていると、その漆黒の瞳がティアレシアを捉え、次の瞬間には、ルディが目の前にいた。
「お疲れ様です、お嬢様」
「あなたは、随分楽しそうだったじゃない」
こっちは問題山積みだというのに。
苛立ちを込めて微笑むと、ルディが怪訝そうな顔をした。
「……妙な気配がする」
何かを呟いたかと思えば、急にティアレシアの肩や背中に真顔で触れてきた。
「な、何なのっ?」
「気分はどうだ?」
「何ともないわ」
「そうか……なら、気のせいか」
一体ルディが何を気にしているのか、ティアレシアにはさっぱり分からなかった。
しかし、ルディはそれ以上話す気はないようで、ティアレシアを馬車にエスコートする。
「そういえば、女王陛下のお茶会を任されたそうだな。しかも、一人で準備をしろという無茶な話だそうで。随分と、信用されたようで何よりだ」
バートロム公爵家へと向かう帰りの馬車で、向かいに座ったルディはにやりと笑う。
「話が早いわね。私一人で準備をするのには限界があるわ。だから、あなたにも手伝ってほしいの」
情報源は、先ほどの侍女たちだろう。
女王の命令を、ルディの協力なしにこなせる自信はなかった。
元より、できないことが前提の無茶な命令なのだ。
しかし、ここで失敗すれば、バートロム公爵家を陥れる口実を作るだけでなく、十六年前の真実を知る機会をも失うことになる。
それだけは、絶対に避けなければならない。
「そのために魔力が必要なら、ちゃんと与えるわ」
ティアレシアは両手を伸ばし、ルディの顔をぐいっと引き寄せる。
目を閉じて、その勢いのままに顔を近づけた。
ごつん、とぶつかったのは唇ではない。
「お嬢様、これは嫌がらせか?」
「ち、違うわっ!」
ルディの笑顔が怖い。ティアレシアは全力で否定する。
結果的に、ルディの顎にティアレシアが頭突きをしたかたちになってしまった。
慣れないことに緊張して、身長差があることを忘れていた。
「はぁ……もっと可愛くお願いできないのか」
「……可愛さなんて、私に求めないで」
むっとして、ティアレシアはまた可愛げもなく言い返す。
「せっかく顔は可愛いのに……やはりまだまだ子どもだな」
「子どもじゃなっ……んん」
否定の言葉は、ルディの唇に呑み込まれた。
ふい打ちのキスに思わず抵抗するが、顎を掴まれて逃げられない。
これは、復讐のために必要なことなのだ。
ティアレシアは覚悟を決めてぎゅっと目を瞑る。
じんわりと、右肩の刻印が熱を持つ。
しかし、熱いのは刻印だけではなかった。
自分のものではない熱い吐息を吹き込まれて、全身がかあっと熱くなる。
「……お嬢様、これが大人のキスですよ」
ちろり、と仕上げにティアレシアの唇を舐めて、ルディが笑った。
どくんどくん、と耳元で心臓の音がうるさい。
意地悪く笑うルディの顔が直視できなかった。
「さて、魔力も補充できたし、茶会の作戦でも立てるか?」
悪魔が楽しそうにティアレシアの顔を覗き込んでいる。
ティアレシアは怒る気力もなく、ふいっと顔を背けた。
「……ルディの馬鹿。これで失敗したら、絶対に許さないんだから」
ボソッとこぼした心の声は、しっかりとルディの耳に届いていた。
「俺を誰だと思ってるんだ? お前に恥はかかせないさ」
そう言ったルディの声があまりにも優しくて、ティアレシアはますます彼の方を向くことができなかった。
(悪魔って、怖い……)
顔の造形は天使と見まがうほどに美しく、その声は甘く優しく耳に届き、妖しい色香は心を惑わせる。
悪魔だと分かっていても、ドキドキしてしまうのだ。
そうして、馬車が屋敷に着いた頃には、ティアレシアは初めての侍女仕事以上にどっと疲れていた。
公爵令嬢ティアレシアの復讐 ~悪魔の力、お借りします~ 奏 舞音/ビーズログ文庫 @bslog
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