その③


 ◇ ◇ ◇


 生誕祭の翌日、朝からティアレシアは王城に呼び出されていた。

「バートロム公爵家のティアレシア様ですね。どうぞこちらへ」

 王城からの文書を手渡すと、身分証を確認した城門の騎士はティアレシアを女王の私的空間である〈煙水晶スモーキークォーツの宮〉へと案内する。

(それにしても、最下級の使用人の服を公爵令嬢に着せるなんてね)

 正式な女王の侍女服は、臙脂色だ。しかし、王城から届けられたのは、黒を基調としたシンプルなデザインのもの。

 ティアレシアを正式な侍女として扱うつもりはない、という女王からの宣告だろう。

 本来ならば袖を通すこともない使用人服を着て、ティアレシアは微笑を浮かべて優雅に歩く。

 黒地の服に、ひとつに結んでいても腰まで届く長い銀髪はよく目立った。

 そのおかげで、すれ違う人々の視線が痛い。皆が、先日の女王生誕祭でのやり取りを知っているのだろう。同情の色を浮かべる者の方が多かった。

 そうして騎士の案内でたどり着いたのは、侍女部屋だった。

「はじめまして、侍女長のキャメロットです。バートロム公爵家のご令嬢ですね?」

 部屋に入るなり、ティアレシアの前にずいと現れて名乗ったのは、色素の薄い栗色の髪を丁寧にまとめ上げた侍女長キャメロット。見たところ四十代後半の彼女は、ピリピリと肌に痛い空気を発しながら、ティアレシアを品定めしている。その後ろからは、他の侍女たちからの好奇心溢れる視線が覗く。

 当然ながら全員臙脂色の侍女服で、黒い服を着たティアレシアだけが変に浮いている。

 ふいに、黒い使用人服を着たティアレシアを見て、お揃いですね、と笑ったルディを思い出す。

(だから自分も王城に行くって、どの口が言うのかしらね……)

 昨日、あんな強引なキスをしておいて。

 本気で心配している、なんてことはあり得ないだろう。

 だから、絶対についてくるな、と命じて屋敷を出てきた。

 今頃は、キャシーたちと同じように王都の屋敷で仕事をしているだろう。きっと。

「本日からお世話になります。ティアレシア・バートロムと申します。女王陛下の侍女としての仕事については分からないことが多いと思いますが、どうぞよろしくお願いいたしますわ」

 向けられる様々な視線に動じず、ティアレシアは完璧な笑みを浮かべて軽く礼をした。その流れるような美しい所作に、感嘆の溜息が聞こえる。

 キャメロットはごほんとわざとらしく咳をして、自分に意識を向けさせた。

「あなたは、バートロム公爵家のご令嬢。特例として、王城での住み込みではなく、朝から夕方までの通いの侍女として来ていただくことが決まりました。あなたの仕事は簡単です。女王陛下を楽しませること、ただそれだけです」

「分かりました。具体的には、何をすれば……?」

「それは、女王陛下次第です。女王陛下の侍女となるからには覚えておいてください。私たち侍女は、女王陛下のお望みのままにふるまえばいいのです」

 事務的に、キャメロットは淡々と言った。

 一般的な侍女の仕事は、女主人の身の回りの世話だ。貴族令嬢が礼儀作法を身に着けるために侍女として仕えることもある。ティアレシアの場合は後者に近い。

 しかし、やはりシュリーロッドの侍女となると、一筋縄ではいかないだろう。

 ティアレシアは改めて、覚悟を決めた。


「よく来てくれたわね。あなたと遊ぶのをとても楽しみにしていたのよ」

 女王シュリーロッドは、優雅に微笑んでティアレシアを自室に迎え入れた。

 蜜色の髪は結わずにそのまま背に流し、相変わらず派手な赤いドレスを身につけている。耳元できらめくピアスも、胸元を輝かせるネックレスも、すべて大粒のダイヤモンドだ。目に痛い赤とダイヤモンドの派手な輝きは、それだけで人を威圧する。きつい薔薇の香水もあいまって、ティアレシアは顔を背けたくなるが、必死で笑顔を取り繕う。

「ティアレシア・バートロムでございます。本日より女王陛下にお仕えできること、とても喜ばしく、光栄に思っております。どうぞよろしくお願いいたします」

「ふふふ、じゃあ早速だけれど、こちらに座って」

 ティアレシアは大人しく、言われた通り目の前の椅子に座った。

「本当にとてもきれいな銀髪ねぇ。これが自然の色だなんて、信じられないわ」

 後ろで結んでいた髪留めを外し、女王はティアレシアの銀色の髪に触れて微笑む。

 髪にシュリーロッドの指がするりと通り、ティアレシアの身体はかすかに震えた。

 そして、側に控えていた他の侍女たちに肩を押さえられたかと思うと、耳元でざくりと音がした。

「これは、試作品用にいただくわね」

 一瞬、何が起きたのか理解できなかった。

 しかし、目の前でハサミと銀髪の束を持つ女王を見て悟る。

 髪を一房切られたのだ。

 皆が美しいと言ってくれた銀色の髪は、理不尽に女王の手で乱された。

 弧を描く真っ赤な唇が、意思も問われず奪われたことが、処刑の瞬間と重なり、ティアレシアの心中は穏やかではいられない。

 しかし、次の瞬間には女王に顎を掴まれ、顔を覗き込まれた。

「あら、その目は何? わたくしに逆らうの?」

 咄嗟に感情を隠しきれなかったティアレシアを見て、女王は黒い笑みを浮かべた。

 ティアレシアはぎゅっと拳を握り、憎悪を抑え込む。

 今ここで、激情に任せて動くことはできない。

 元より、売り物にされると分かっていて来たのだ。

 それに、女王の本当の狙いは銀色の髪の娘ではない。

(ここで私が取り乱せば、その責はバートロム公爵家へと向かってしまう……)

 ティアレシアが女王の不興を買えば、公爵家を陥れる口実となる。

 先々代国王エレデルトの弟であるジェームスは、現在、王位継承権第一位。邪魔者をすべて排除してきたシュリーロッドでも、排除することができなかった存在――それが、ジェームスだ。ジェームスに付け入る隙がないのなら、娘であるティアレシアを利用して嵌めようとでも考えたのだろう。

「いいえ、女王陛下のお役に立てると思うと嬉しくて」

 ティアレシアはにっこりと、完璧な笑みを作ってみせた。

 今だけだ、女王がそうして笑っていられるのは。

 近いうちに、すべてを奪ってやる――そんな思いを込めて。

「わたくしも、新しい玩具が増えて嬉しいわ」

 女王が微笑むと、控えの侍女が箱を持ってきた。

 そして、箱の中にティアレシアの髪が入れられようとした時、軽いノックがして部屋の扉が開いた。

「入るよ、シュリー」

「まぁ、セドリック! どうしたの?」

 シュリーロッドは頬を赤らめ、夫を迎えるため立ち上がった。

 しかし、対するセドリックの目は女王ではなく、箱におさめられた銀色の髪とティアレシアを捉えた。

「……これは、どういうことだい? シュリー」

「パーティでも言っていたでしょう? 銀色の髪なんて珍しいもの、きっと高く売れるわ。そうすれば、お金がないなんてふざけたことを言う大臣も黙らせられるわよね?」

 女王の言葉に、ティアレシアは内心ひやりとする。

 国民や貴族からの税金や贈呈品で国庫は十分潤っているはずだ。それなのに、大臣が〈悪魔の女王〉に進言するほどに、金が足りていないのか。

 女王の散財は知っていたが、それほどまでとは思わなかった。

 よく見てみれば、室内の調度品も宝石を用いた高価なものばかりだ。

 きっと衣裳部屋には想像を超えるほど高価なドレスや装飾品、靴、化粧品などが置かれているのだろう。

「だからって、本当に売り物にしようとするなんて思わなかったよ。お金がないのは、君が物を買いすぎるからだろう? ドレスや装飾品は一度きりしか使わないんだから、もっと使い道を考えるべきだ。国民に重税を課すのではなく、ね」

 シュリーロッドの言い分に、セドリックは呆れて溜息をつく。

 意外だった。

 生誕祭でのセドリックは妻に甘い夫だったのに、今目の前にいるのは妻を諫める夫だ。

 そしてふと、女王夫妻が仮面夫婦である、という噂を思い出す。

(そうよね、セドリックは馬鹿ではないもの。重税はいずれ国民だけでなく、この国をも苦しめることになるとちゃんと分かっている)

 セドリックは賢く、優しい王子様だった。

 クリスティアンが、共に国を守ってくれると信じた人。

 信じていたからこそ、愛していたからこそ、セドリックへ向ける感情は憎しみや怒りだけではなく、複雑に絡み合う。

「わたくしは、この国のためにお金を使っているのよ。ねぇセドリック、そんな怖い顔をしないで。あなたのことを愛しているの」

「それなら、僕がシュリーを愛せるように、こんなことはもうしないと約束してくれるかい?」

 猫なで声で甘えるシュリーロッドに、セドリックは柔和な笑みを浮かべて言った。

 女王が仕方なく頷くと、セドリックはその胸に妻を抱き寄せた。

 しかし、そのエメラルドの双眸はシュリーロッドではなく、ティアレシアに向けられていた。

 妻を抱いたまま、セドリックは穏やかに笑う。ティアレシアを安心させるように。

 その笑みは、昔と何も変わっていなくて。どくどくと心臓がうるさい。

 この男は、誰にでも優しく笑えるのだ。

 紳士的で、素敵な笑顔は、クリスティアンだけのものではなかった。

 感情を抑えようと、思わず左手首をぎゅっと握る。

 かつて、この男にもらったエメラルドの腕輪をお守りとして肌身離さずつけていた、左手首を。

 感情を抑えようとして、無意識に出てしまうこの癖は、裏切られた痛みと失った愛を思い出させる。

「そうだ、シュリー。君のところに来た用事を忘れるところだったよ。エイザック侯爵がそろそろ到着されるみたいだよ」

 そう言って、セドリックは腕をほどく。

 シュリーロッドはまだセドリックの腕に手を添えていたが、エイザックの名を聞いて笑みを浮かべる。

「まあ。それはお出迎えしないといけないわね」

「可愛い孫娘に出迎えられることが、エイザック侯爵の楽しみみたいなものだからね」

 エイザック侯爵は、シュリーロッドの母方の祖父だ。エイザック侯爵は野心家で、シュリーロッドが幼い頃から女王になることを望み、期待をかけて溺愛していた。

 その代わり、クリスティアンのことは毛嫌いしていたので、良い印象はまったくない。

 シュリーロッドが女王となった今、権力も大きくなったエイザック侯爵は相変わらず孫娘を可愛がっているのだろう。

「ふふ、そうね。セドリックも一緒に来るわよね?」

「ごめん、僕は少し大臣に用事があってね。さあ、早く行ってあげて」

 そう言って、セドリックは妻の額に軽いキスを落とす。それだけで上機嫌になったシュリーロッドは、数人の侍女を連れて部屋を出た。ティアレシアも一緒についていこうとしたが、何故かセドリックに引き留められてしまった。

「あの……?」

「その髪、シュリーがごめんね。女の子にとって、髪はとても大切なものなのに」

 女王の夫であるセドリックが、ただの公爵令嬢に頭を下げた。本気で申し訳なさそうな顔をするセドリックから、ティアレシアは目を逸らす。

「いえ、大丈夫ですから。頭を上げてください」

「大丈夫じゃないよ。バートロム公爵が溺愛しているお姫様にこんなひどいことをしてしまったんだから……公爵は、この国にとって大切な人だし、僕もいつも世話になってる。だから、君のことは僕が守ろうと決めていたんだ。それなのに……」

 そう言って、セドリックはティアレシアの一部短くなってしまった髪に触れようと手を伸ばす。

 その瞬間、ティアレシアは反射的に一歩引いていた。

(本気で心配なんてしていないくせに、私に触らないで……っ!)

 クリスティアンに愛していると言った唇でシュリーロッドにキスをして、クリスティアンを支えてくれたその腕でシュリーロッドを抱いている。

 そんな軽薄な男を、初心で馬鹿な王女は素敵な王子様だと信じて愛していた。

 優しく幸せだった日々は黒く塗りつぶされ、甘かった恋心は復讐の炎を燃やす油になる。

「お気遣いいただき、ありがとうございます。でも、本当に私は大丈夫ですわ」

 拒絶の笑みを浮かべ、ティアレシアは逃げるようにかつての婚約者に背を向けた。


 廊下の角を曲がったところで振り返り、ティアレシアはセドリックの姿が見えないことに安堵する。

 ようやく、一人になれた。

 復讐のために、考えなければならないことは山ほどある。

 それなのに、先ほどの女王夫妻のやり取りを見て、また昨晩のことを思い出してしまった。

(そういえば、ファーストキス……だったのよね)

 唇に感じた熱い吐息と、身体を押さえつけるルディのたくましい腕、そして何よりもこの魂はルディの気分次第で消えてしまうのだという恐怖――。

 前世でも、現世でも、ティアレシアには夢物語のような甘くて優しいキスなど存在しないらしい。

 そう思うと、なんだか悲しくなる。

 もう二度と、恋などという人生に毒にしかならないようなものはしたくない。

 かつての婚約者に裏切られたことで、ティアレシアは恋というものに対して嫌悪感しかなかった。

「そうよ。ルディの力を借りなくても、私一人でなんとかしてみせるわ!」

 元より、これはクリスティアンの復讐なのだ。

 無理やり奪われたファーストキスの怒りを気合いに変え、ティアレシアは行動を開始する。

 シュリーロッドが侯爵と謁見している間、大人しく部屋で待っているつもりはなかった。

(きっとあそこには、十六年前の真実の欠片があるはず……)

 向かったのは、〈翡翠輝石ジェダイトの宮〉にある資料保存室。

〈翡翠輝石の宮〉には、王の執務室や謁見の間、大広間などがある。王城グリンベルの数ある宮殿の中で最も広い、公的な役割を持つ宮殿だ。役職を持つ貴族たちが出仕するのも、ここだ。

 そして、資料保存室にはブロッキア王国に関わる様々な文献や記録が保管されている。

 もちろん、誰でも入れる場所ではない。

 だから、資料保存室の前には二人の見張りがいた。

 そのことを、かつては王族で、当たり前のように通っていたティアレシアは忘れていた。

「おい、そこで何をしている?」

 考えがまとまらないうちに、背後から別の騎士に声をかけられた。

 見回りの騎士だろう。廊下のギャラリーに置かれた彫刻の後ろから、資料保存室を盗み見る侍女の姿は、明らかに怪しい。

 それも、下級使用人の服を着ているのだから尚更だ。

 騎士は、不審な目でティアレシアを睨むが、髪色に気づくと表情をさらに険しくした。

 女王生誕祭で悪目立ちしたティアレシアを知らない者は、この王城内にはいないだろう。

「いくらバートロム公爵家の令嬢で女王陛下の侍女とはいえ、陛下の許可なく、ここへ立ち入ることは禁じられている。そもそも、どうやってここまで入って来た? 返答次第では、罰を受けてもらうことになる」

 一般には知られていない秘密の抜け道を使ってき来た、とは言えない。

 迷子のふりをして逃げよう、と決めた時、ティアレシアを連行しようとした騎士の身体がぐらりと傾いた。

「……え、ちょっと、大丈夫ですか?」

 床に倒れた騎士の身体をゆするが、反応がない。

「おい、何してるんだ? せっかく俺が眠らせたのに」

 聞き慣れた声に振り向くと、漆黒の従者が呆れ顔でそこにいた。

「ルディっ? ど、どうしてここに?」

 ギャラリーに並ぶ彫刻より美しい立ち姿に、思わず目を奪われる。

 しかし、それも一瞬のこと。

「箱入り娘のお嬢様にちゃんと仕事ができるのか、心配になってな」

「別に、私は一人で大丈夫よ……!」

「へぇ?」

 ルディの視線が、倒れた騎士に注がれる。

「では今すぐこいつを目覚めさせて、お嬢様のお手並み拝見といこうか」

「それはだめっ!」

 騎士に触れようとしたルディの腕を、思い切り掴む。

「……私が悪かったわ。来てくれて、ありがとう」

 自分の考えが甘かった。非常に不本意だが、ルディに助けられたのは事実だ。

 ティアレシアは今にも消え入りそうな声で、礼を言う。

「…………」

 返事がないので顔を見上げると、ルディがそれはもう冷たい微笑を浮かべていた。

 目の奥が一切笑っていない。

 礼を言ったのに、何故怒っているのか分からない。

 絶対零度の笑みを浮かべたまま、ルディはティアレシアに手を伸ばす。

「え……?」

 その手が触れたのは、ティアレシアの頬にかかる不自然に短い髪だ。

「誰にやられた?」

 空気が凍り付きそうなぐらいの、低い声。

 ルディは、ティアレシア以上に怒っているように見えた。

「私は気にしていないから、大丈夫よ」

「……ったく、少しは気にしてくれ。俺が毎日どんな思いで手入れしてると……」

「首を落とされたあの時に比べたら、なんてことないもの」

 少し強がって微笑むと、不機嫌顔のルディに頭を撫でられた。

 子どもの頃からティアレシアを知る優しい手に、思わずすがってしまいそうになる。

 しかし、利用することはあっても、頼ることはできない。

 この手は、悪魔のものなのだから。

 ティアレシアは、ルディの手を振り払う。

「やめて。もう子どもじゃないんだから」

「俺からすればまだ子どもだがな……それで、お前はここで何がしたかったんだ?」

 ティアレシアの髪を指で梳きながら、ルディが聞く。

 拒絶しても流されそうな気がしたので、ティアレシアはそのまま答える。

「資料保存室に、十六年前の公開審議の記録があるかと思って。私もあの時は冷静じゃなかったから、どんなやり取りがあったかあまり覚えていないの……」

 覚えていることは、ただひとつ。

 あの公開審議で、クリスティアンの発言はないものとして扱われたことだけ。

「よし、これでいいだろう」

 そう言うと、ルディはティアレシアの髪から手を離した。

 ティアレシアは、自分の髪にそっと触れる。中途半端な長さになった左側の髪を器用に編み込んで、後ろでまとめてくれたようだ。

 編み込んでしまえば、短くなった髪も気にならない。

「では、真実を探しに行くか」

 ルディの言葉に頷くと、彼は見張りの騎士を眠らせてくれた。

 ルディのエスコートで、ティアレシアは資料保存室に入る。

 広い室内にはびっしりと本棚が並んでいた。

 資料保存室には書類だけではなく、当時の証拠品も保管されているため、奥の方には木箱が整然と積み上げられている。資料にはすべて番号が振られており、年代順に並べられていた。

「この部屋に人が寄り付かないよう力を使った。人目を気にせず、資料を探せばいい」

「ありがとう。それにしても、なんだかいつもより調子が良さそうね」

 ルディが力を使うところを、実を言うと初めて見たのだ。ティアレシアの純粋な疑問に、ルディはにやりと笑った。なんだか嫌な予感がする。

「あぁ……昨日、お前から魔力を補充させてもらったからな」

「……どういうこと?」

「昨晩の刺激的なキスを忘れたか?」

 忘れられるはずがない――あんな強引で、命がけのキス。

 無意識に、ルディの唇に目がいってしまう。キスなんて大したことではない、と澄ました顔で言い返したいのに、唇の感触はまだ残っていて、羞恥に頬が熱を持つ。

「あんなの、キスじゃないわ……っ!」

 やっとのことで発した声は、震えていた。

「そんな真っ赤な顔で言われても説得力がないな。それとも、ちゃんとしたキスをねだってるのか?」

 そう言って、ルディが距離を詰めてくる。

 後ずさると、背に資料棚が当たり、追い詰められた。

「そんな訳ないじゃないっ!」

 ティアレシアが身体を押しのけると、ルディはあっさりと引いた。

 からかっていただけらしい。

「その、昨日のあれで私から魔力を補充したっていうこと?」

「あぁ。お前の魂と俺の魔力は結びついてるからな。まぁ、加減を間違えばそのまま魂を奪いかねないがな」

 昨日のキスで魔力を補充したから、魔力が行使できたという訳か。

 しかし、補充ということは、魔力は使えば消えていくだろう。

「ちょっと待って……じゃあ今、どれくらい残ってるの?」

「…………さあ」

 分かりやすく視線を逸らされた。悪魔のくせに誤魔化し方が下手すぎる。

 そんなどうでもいいことを思いながら、ティアレシアは溜息をつく。

「もう、何に使ったのよ!」

「転移はかなりの魔力を消費するんだ」

「だったら、私の様子なんて見に来なくてもよかったのに……!」

 結果的にルディに助けられたが、せっかくの人外の力だ。

 魔力に限りがあるのなら尚更、使いどころは慎重に考えなければならない。

「転移で、魔力を消費しない方法もある」

「……本当に?」

「あぁ。俺を呼べ(、、)ばいい、心から」

 契約者の声は無視できないからな、とルディは笑う。

「だが、お嬢様がキスしてくれれば問題ないことだ。今からでも、俺に魔力を与えてくれていいんだぞ」

「分かったわ。それなら、ルディの助けが必要な時だけ呼ぶことにするわ」

 本音を言えば、あんな苦しいキス、二度とごめんだ。

 しかし、復讐のためにはルディの力は必要だろう。

 ルディに反論を許さぬ笑顔を向け、ティアレシアは資料棚に視線をすべらせる。

 話しながら、かなり奥まで歩いた。

 そろそろ、目当ての年代に近づいているはずだ。

「あった……!」

 十六年前――レミーア暦九九九年の公開審議の記録を手に取る。

 公開審議でのやり取りが、詳細に記載されていた。

 少しずつ、クリスティアンの記憶と重なっていく。

 理不尽なほどにクリスティアンに不利な証言や身に覚えのない証拠が出てきて、誰にも弁護されず、最終的には処刑が言い渡されたのだ。ページを閉じようとした時に視界に入った、公開審議の記録とは別に記載されていた走り書きの文字に、ティアレシアの目は釘付けになる。

(……どういうこと? 公開審議の後、ブラットリーとカルロが投獄されている。それに、フランツが行方不明?)

 シュリーロッドに関する本は、すべて女王の許可を得て発刊される。

 そのため、女王に都合のいいことや女王への賛美しか書かれていない。

 だから、クリスティアン処刑前後のブロッキア王国の情勢や貴族の動きについては、ティアレシアとして調べられるものには限りがあった。

 ようやく見つけた、ずっと捜していた名前。

 クリスティアンが慕っていた近衛騎士団長、ブラットリー・ヴェールド。

 病弱だった母を診てくれていた王宮医務官カルロ・ノース。

 そして、公開審議の日、クリスティアンの無罪を証言してくれるはずだった、近衛騎士であり友人のフランツ・ビレギッシュ。

 この三人はクリスティアンの側近であり、最も信頼していた者たちだ。

 裏切られたのだと思っていたが、このメモが事実ならば、二人は投獄され、一人は行方不明となっている。

 一体、彼らに何があったのか。

「何か見つけたか?」

 じっと資料に見入るティアレシアに、ルディが問いかける。

「この三人にも、私は裏切られたと思っていたの……でも、これが本当なら、彼らは女王の恩恵を受けていない」

 クリスティアンを裏切り、その恩恵を受けているのだとすれば、セドリックのように女王の側にいるはずだ。

 しかし、ティアレシアに転生して以来、彼らの噂は一切聞かなかった。

 生誕祭の夜も、姿が見えなかったため疑問には感じていたのだ。

 それが、ここに来て確信に変わりつつあった。

「クリスティアンは、すべてに裏切られた訳ではないのかもしれないわ」

 十六年前の真実を握る鍵を、見つけたかもしれない。

 ティアレシアは逸る気持ちを抑えるように、ぎゅっと資料を抱きしめた。

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