その②
「女王陛下、この度は誠におめでとうございます。お初にお目にかかります、バートロム公爵家のティアレシアでございます」
クリスティアンの頃から染み付いている美しい所作で、ティアレシアは一礼した。
「ありがとう。叔父様の娘も、大きくなったのねぇ」
女王はティアレシアを見た後、ジェームスを見て笑った。
「えぇ、娘はもうじき十六になります」
ティアレシアの誕生日は、クリスティアンが処刑された四月四日だ。しかし、世間の目を気にして、表向きは四月五日だとしている。もう、クリスティアンが死んで十六年が経ってしまった。シュリーロッドは十六という数字を聞いても、まったく表情を変えずに笑って頷いた。
「それにしても、銀色なんて珍しい髪色ね。染めた訳ではないのでしょう?」
シュリーロッドはティアレシアの年齢よりも、髪色に興味を持ったようだった。
「はい。生まれた時からこの色でございます」
ティアレシアは顔を上げずに答える。
真っ直ぐシュリーロッドの顔を見て、笑える自信がなかった。
「売れるかしら?」
ふっと笑った女王の一言に、父の顔が強張った。
「ねぇ、セドリック。美しい銀色の髪よ、いい商売になると思わない?」
女王は猫なで声で、隣に座る夫――セドリックに尋ねた。きれいな顔立ちをした、誠実そうな夫は苦笑した。ティアレシアはちらりとセドリックを見て、その変わらない雰囲気を憎らしく思う。
「シュリー、人間を売り物にしてはいけないよ」
女王の思いつきを諌めるセドリックに、ジェームスはほっと安堵の表情を見せた。
しかし。
「どうして? 今日はわたくしのための集まりでしょう? 叔父様からの贈り物は、この銀色の髪の娘でいいわ」
「女王陛下、それは……」
女王の言葉に逆らってはいけない。しかし、自分の娘を奪われるとあってはジェームスも黙っていられない。
「叔父様、ジェロンブルクの税率を引き上げてもいいの? 今まで叔父様の働きに免じて少ない税金で許してあげていたけれど、わたくしに逆らうというのなら、大切な領地がどうなっても知らないわよ」
人の好い領民たちのことを引き合いに出され、ジェームスは言葉に詰まった。
「おやおや、またシュリーの我が儘が始まってしまったようだね。バートロム公爵、シュリーは飽きっぽい。ほんの少し貴殿の娘を預けると思ってくれればいい。すまないね、私は妻に弱いんだ」
セドリックが女王を止めてくれるかと期待していたジェームスだが、彼はあっさりと同意してしまう。
クリスティアンの初恋の人であり、婚約者だった人。
十六年前、彼はクリスティアンではなく、シュリーロッドを選んだ。
(……許せない)
ティアレシアの心は、完全にクリスティアンの憎悪に呑み込まれていた。しかし、ぐっと右手で左手首を握り込み、耐える。
「憎いんだろう? 今すぐ殺すか? その胡散臭い男と一緒に」
遠慮のない悪魔の声が耳元で聞こえた。
女王への謁見に従者がついてこられるはずもなく、ルディは大広間で待機しているはずなのに。
正直、殺してやりたい。でも、今はその時ではない。
ティアレシアは、この状況をどうしたものかと思案する。
うまくすれば、シュリーロッドに近づける。ルディがいる限り、命の危険はないだろう。
この命、魂はルディのものなのだから。
彼以外のものからは、守ってくれるはずだ。
だとすれば、ティアレシアが復讐の一歩として選ぶことはひとつしかない。
「女王陛下のお役に立てるのでしたら、私をどうぞよろしくお願いいたしますわ」
ティアレシアは完璧な笑みを浮かべ、ドレスの裾をつまんできれいに頭を下げた。
「家柄にも血筋にも問題ないのだし、わたくしの侍女として王城に迎え入れてあげるわ」
女王の言葉を受けて、ティアレシアは一礼する。そして、顔色を失った父ジェームスの腕を引き、ティアレシアは女王の御前から下がった。
それから、気分が優れない、と言い出した父とともに、ティアレシアは生誕祭が始まって早々帰ることとなった。
「一体何を考えているんだ!」
王城グリンベルからバートロム公爵家の王都別邸に帰り着き、娘と二人きりになったジェームスが発した第一声がこれだった。
「ティアレシア、お前も女王陛下がどんなお人か知らない訳ではないだろう。女王陛下のところへ行って、辛い目に遭うのはお前だ。考え直しなさい」
娘を説教、もとい説得するためにジェームスは必死だった。遠まわしに、ジェームスは女王が恐ろしい人間だとティアレシアに訴える。それは懇願に近かった。一夜で老け込んでしまった父の顔を見て、ティアレシアの胸は痛むが、ここでやめる訳にはいかない。
「だからこそよ、お父様。もし私があの時断っていたらジェロンブルクのみんなはどうなるの? バートロム公爵家だって、いくら王族とはいえ〈悪魔の女王〉相手ですもの、潰されないとは言いきれないでしょう?」
「……しかしっ!」
「お父様も、本当は分かっているのでしょう? 女王陛下のお目に留まった時点で私に拒否権なんてなかったの」
娘の言葉に、ジェームスが苦い顔をする。
ジェームスとて女王に逆らえないことは、十分に分かっているのだ。
「おやすみなさい、お父様」
渋面の父に優しく微笑みかけ、ティアレシアは自分の部屋に戻った。
クリスティアンだった時は、赤やピンク、黄色など明るい色が好きだった。
しかし、投獄されて血痕を目にし、断末魔の悲鳴を耳にする度に、赤い色を見ると吐き気がするようになった。だから、ティアレシアとして好きな色は? と聞かれれば赤くないものと答えていた。
「見事に、青一色だな」
ルディが別邸のティアレシアの部屋を見て、一言。
たしかに、赤色の反対で連想する色は青かもしれないが、極端すぎやしないか……というぐらいこの部屋は真っ青だった。
ジェームスは、ティアレシアを溺愛している。王都の屋敷に滞在することが決まった時に好きな色を聞かれ、不思議には思っていたのだ。
(お父様、ここまでしなくてもよかったと思うわ……)
壁紙は薄い青、絨毯は藍色、ソファは柔らかな青、調度品にはアクアマリンやターコイズのような宝石が使われている。極めつけは、人魚姫が眠っていそうなひらひらと薄い布が天井から垂れ下がっている海色のベッド。
呆れるティアレシアの隣では、ルディが声を出さずに笑っていた。悪魔をここまで笑わせることができているのだから、父の想いはありがたく受け取るべきだろう、と無理やり受け入れる。
「それで、十六年ぶりに会った感想は?」
ひとしきり部屋の様々な青色を笑い飛ばしたルディは、寝る前の日課となっている花蜜入りの紅茶を用意しながら言った。
いつもは花蜜の甘い香りによって心穏やかに眠れるのだが、シュリーロッドに再会した今日はそうもいかない。自身の内にある怒りや憎しみを少しでも抑えるため、ティアレシアは紅茶を一口飲んでからルディの問いに答えた。
「あの女王は、すべてが自分の思い通りだと本気で思っていたわ……そんなこと、絶対に許さない」
十六年ぶりに会ったシュリーロッドは本当に昔のままで、いや、昔以上に自分勝手で傲慢だった。
「さっさと殺せばいいだろう? 何のために
従者ではなく、悪魔の顔になってルディが言う。
「ただ殺すだけで終わらせたりしないわ。
十六年前、クリスティアンは父の死を悼む暇もなく、女王となった。
そして、人を疑うことを知らない愚かな女王は、自身を支えてくれると信じていた婚約者、側近たちに裏切られた。
どのような陰謀がクリスティアンに張り巡らされ、彼らは何故クリスティアンを裏切ったのか。
監獄でもずっと考えていたが、答えは出なかった。
だから、ティアレシアとしてその真実を知りたい。
それなのに、ルディは何かあると、すぐに殺せと言う。
悪魔とはそういうものなのだろうか。
「俺は十六年、お前を見てきた……復讐心は強くても、心根はクリスティアンのまま――お前は、優しすぎる」
漆黒の双眸に見つめられると、闇に引きずり込まれるような錯覚を覚える。
しかし、これだけは譲れない。
「私には復讐ができない、と言いたいの?」
復讐のためだけに、クリスティアンは悪魔であるルディに魂を捧げたのだ。
復讐ができなければ、この魂に意味はない。
ティアレシアは怒りの感情のままにルディを睨みつける。
「そう怒るなよ。お前の魂が復讐に燃えていることは知っている。その魂に俺は惹かれたんだからな」
「では、どうして?」
「復讐はしたくても、お前には大切なものがあるだろう?」
ルディの問いに、言葉に詰まる。
大切なものなどない、そう即答できればよかった。
すべてに裏切られ、復讐のためだけにクリスティアンの魂は生まれ変わった。
誰かを信じて裏切られるような馬鹿な真似は、ティアレシアとしての人生ではあってはならない。
だから、誰のことも信じず、誰のことも愛さず、誰にも心を開かず――そうやって、大切なものを作らないように生きていくつもりだった。
それなのに、バートロム公爵家の人間は優しく、愛情に溢れていた。
母ベルローゼは、悪魔であるルディの影響を受けてか、ティアレシアを生んですぐ亡くなった。ティアレシアが産まれたせいで愛する妻を失ったのに、父ジェームスは娘を溺愛し、公爵家の使用人たちも珍しい銀髪の娘を偏見なく受け入れてくれた。
彼らから惜しみなく注がれた愛情は、ティアレシアの心を迷わせる。
自分がティアレシアとして復讐を果たしてしまえば、バートロム公爵家の人間はどうなるのか。
優しい彼らを巻き込んでもいいのか、と。
ティアレシアは、ルディの言葉にうまく返すことができない。
「……復讐心はあっても、実行する覚悟が足りないんだ。迷わず復讐をとれないなら、お前の魂は今ここで俺がいただく」
強い口調で言い放つと、ルディは一瞬でティアレシアの目の前に立った。そして、その人間離れした美しい顔を不敵に歪ませ、ティアレシアを漆黒の双眸で捉えた。
(ルディ、本気で……っ⁉)
ルディに両肩を掴まれ、ソファに押し倒される。
鋭い爪が、肩に食い込んで痛い。
抵抗しようと腕や足に力を込めても、びくともしなかった。
そして、ルディの吐息を間近で感じ、ティアレシアの心臓は早鐘を打つ。
ここで魂を喰われては終わりだ。ルディを納得させられる答えを……ティアレシアが必死で考えようとしているうちに、ルディはティアレシアの唇を奪っていた。
固く口をふさいでいても、簡単に口内にルディの熱い舌が侵入してくる。そのキスに反応するように、契約の刻印が刻まれた右肩も、燃えるように熱い。
「んんっ……」
精気を、魂を貪るような強引な口づけに、ティアレシアの身体の力はいっきに抜けていく。
そして、その脳裏にはある光景が浮かんでいた。
――春の陽光を遮るように振り上げられた大きな斧、目の前で微笑むシュリーロッド、そして……視界にはバイロンの首がちらついていた。
側近だったバイロンは、国王暗殺の実行犯に仕立て上げられた。
そして、クリスティアンに絶望と恐怖を味わわせるために、彼の首は刎ねられた――クリスティアンの目の前で。
『私は、クリスティアン様にお仕えできて幸せでした』
死の直前、彼は笑顔でこう言ったのだ。
その言葉を聞いた瞬間、クリスティアンは言い表せないほどの強い胸の痛みを感じた。
そして、彼を巻き込んでしまった罪悪感と、シュリーロッドへの憎悪と、自分自身への憤りで、頭がおかしくなりそうだった。
しかし、バイロンの誇る女王のままで、クリスティアンは死ななければならない。
そう思うと、涙など出なかった。それに、シュリーロッドの前でみっともなく泣き喚いて命乞いをするなど、クリスティアンの女王としての矜持が許さなかった。
その瞬間の憎悪と恐怖と悲しみがいっきに蘇ってきて、ティアレシアは我を忘れそうになる。
――殺される、また姉に殺される……嫌よ、今度は私が、私が奪うの……絶対に、地獄へ堕としてやる……っ!
ティアレシアの中で、復讐の炎がさらに大きく燃え上がる。
(私はまだ、復讐を遂げていないっ!)
そして、奪われようとした生を取り戻すように、ティアレシアは思い切りルディの舌に噛みついた。
がりっ、という感触の後、ルディの顔が離れる。
「……っつ、お嬢様は、随分と乱暴なキスがお好きなようだ」
そう言って、ルディが口元の血を拭い、楽しそうに笑う。
「やはり、お前は面白い。大切なものを捨てる覚悟もない甘ちゃんだが、もう少しお前に付き合ってやろう」
先ほどの声音が嘘のように、ルディは甘く優しくティアレシアの耳元で囁いた。
「ルディなんて、大嫌い……っ!」
ティアレシアは力なく叫び、目の前の悪魔を睨みつける。
処刑の瞬間の生々しい光景が、目に焼き付いて離れない。
ティアレシアの身体は、小刻みに震えていた。
「……大嫌いでかまわない。だが、俺を求めたのは、お前だ」
漆黒の双眸に見つめられ、身動きがとれなくなる。
この男は悪魔なのだ。
そして、復讐のために悪魔に魂を売ったのは自分だ。
いとも簡単に、ルディはティアレシアの魂を奪える。けっして、躊躇うことなく。
当然だ。悪魔には、人間のような情などないのだから。
今までずっと、従者として側にいて、守ってくれていたとしても。
そのことを、ティアレシアは身をもって実感した。
「……あぁ、早くお前の魂すべてを俺のものにしたい」
まるで愛する人に告げるように、うっとりと悪魔は残酷な台詞を吐く。
(言われなくても、復讐を遂げればこの魂はあなたのものよ……!)
ルディは、クリスティアンを転生させたことで、悪魔としての魔力をほとんど失った。人間の魂に干渉することは禁忌であり、それだけの代償を伴うのだという。
そのため、ルディは悪魔ではあるが、今は人間と同じような生活を余儀なくされている。とは言え、魔力をまったく使えない訳ではない。
十六年前、突然現れたはずのルディはバートロム公爵家に昔から仕えていたことになっているし、誰もティアレシアに侍女がついていないことを不審に思わない。
それは、悪魔の力で皆の記憶を書き換えたからだ。
そして、契約者であるティアレシアの居場所は、契約の刻印のおかげでどこにいてもルディに分かってしまう。
「おやすみ、人魚姫」
芝居がかった口調で、ルディが笑う。
いつの間にか、海色のベッドに運ばれていたらしい。
悪魔のくせに、ティアレシアの額を撫でる手つきは優しかった。
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