第38話 夢の中の現実より

 後部甲板で別れてから、3分程。


 私は113号室の前にいた。


 ドアノブを回してみるが、やはり鍵がかかっている。


 ノックしてみるけれど、返事はない。


 目立つので、ドアを壊すわけにはいかない。それ以前に、私の力ではたとえ体当たりしたってびくともしないでしょうね。


 では、船員にでも頼んで開けてもらいましょうか?


 ・・・無理ね。他人の部屋の鍵を開けさせる口実が思いつかない。それに私は未成年、向こうからすれば子供だ。言い分自体、悪戯と思われて聞いてもらえない可能性の方が高い。・・・谷村さんの能力でも使えば、どうにかなるかもしれないけれど。


 ・・・いや、待って、そうよ、能力!


 私は、閃いたそれを試してみる。


 つまり、『ドアの鍵を開けて”自由”に出入りしたい』と念じながら、ドアノブを回すという試み。


 小さく音がしてノブが回った。


 期待を込めて、ドアを軽く力を込めて押す。


 それは期待を裏切らず、一切の抵抗なく開いた。


 左右を確認し、誰にも見られていないのを確認して、素早く中へと入る。


 少し迷ったが、鍵は施錠しないでドアだけを閉める。





 間取りは一人用らしく、相応に狭かった。


 一組の机と、椅子。チェストが一つ、その上には、クロスが底に敷かれた花瓶と造花。


 カーテンの開かれた窓に、ユニットバスがあるはずの個室へつながる扉。


 そして・・・白い清潔感のあるシーツが敷かれていたはずの、ベッド。





 今や、赤く染まった面積の方が多い、変わり果てた姿のシーツに、上半身を預けるような形で女性・・・高羽さんが崩れ落ちていた。


 部屋に立ち込める鉄の匂いが今更感じられて、それに呼応したかのように、眩暈と耳鳴りが起こる。


 不意に、バランス感覚がなくなり、立っていられなくなって、両膝をついてしまう。


 顔を俯けて見たものは、不規則な赤い斑点模様を追加された、灰色のカーペット。


 再び襲ってきた吐き気を、ギュッと目を瞑って堪える。今は、カーペットに新たな模様を追加している場合じゃない。


 チェストを支え代わりにして、何とか立ち上がり、高羽さんの傍へ。


 まずは、頸動脈に指を当ててみる。・・・弱々しいけれど、鼓動が聞こえる。死んではいない・・・!


 服が汚れるのも構わず、彼女の体をベッドの上に、抱きしめるようにして引きずり上げる。


 傷口は、どうやら左の肺の辺り。口元には血の泡が見える。肺にまで傷が到達しているのではないかと、素人ながらに考える。


 そんなタイミングで、扉が勢いよく開かれる。


 振り向いて咄嗟に構えてしまうが、顔を見て上げていた腕を下ろす。


 秋津さんだった。


 私のことは無視して、同じように頸動脈に指を当て、かすかに安堵の息を吐くと、急にこちらを振り向いて叫んだ。


「船医を呼んでくれ!三階の医療区画だ!」


「!」


 一拍遅れて反応し、返事をするのも忘れて駆け出す。


 すれ違う人たちが、私の服の血に気付いてギョッとするのも無視して、ひたすらに目的地へと疾走する。


 階段を二段飛ばしで駆け上がり、踊り場でカップルにぶつかりかけるも、間一髪避ける。


 階段を二階分登り切り、レストランの脇を抜けて、目的地への直線に入る。


 途中、膝からバランスを崩して倒れそうになるのを、どうにか腕を動かしてバランスを立て直し、太ももに力を入れて堪える。





 あと50メートル。


 今更、息を切らしているのを自覚する。





 あと30メートル。


 階段をノンストップで登った上、先程転びかけたのもあって、太ももが悲鳴を上げる。





 あと10メートル。


 直前で、思い出したように急ブレーキをかける。足に鈍痛が走るのも気にせず、扉の前へ。





 0メートル。


 両開きの扉、その両方を両手で開く。


 白衣を着た壮年の男性医師が、こちらを見て固まっている。


「たぁ・・・っ!」


 息が詰まって、言葉が出ない。


 もう一度、深呼吸してただ一言を伝える。


「助けてくださいっ!!」








 その後、血まみれの私の服を見て、ただごとではないと察した医師が、奥からベテランらしい年配の人を呼び、すぐさま壁にかかった受話器で、どこかを呼び出す。


 年配の医師が、勘違いして私の介抱をしようとするのを、身振りと言葉で制して、状況を説明する。


 服の血という物的証拠もあってか、イタズラとは微塵も思わずに事情を聴いてくれた医師が、壮年の医師の方へ、何事か指示を出す。壮年の医師は頷いて、通話先に何か訴えている。


 話が終わったのか受話器を置くと、壮年の医師が、外の廊下へと飛び出していく。続いて、革製のカバンを持った年配の医師が、小走りで後を追っていく。


 置いていかれた格好になった私も、我に返って二人の後を追った。





 113号室へと戻った私が見たのは、傷口を布で抑えながら何かを説明している様子の秋津さんと、それを聞きながら、脈を取る壮年医師。そして、真っ二つに開けたカバンから、ガーゼや包帯を取り出す年配医師。


 室内に目を向けると、チェスト上の花瓶が倒れていて、敷かれていたクロスがなくなっていた。どうやら、傷口を押さえる布として使用したみたい。


 医師たちが救命作業をしていると、背後の部屋のドアが開いた。


 中へ入ってきたのは、船員らしきセイラー服(女子学生の制服という意味ではない。念の為)の男性二人。


 手には折り畳み式の担架。医師たちと協力して高羽さんを担架へと移すと、二人は外へと彼女を運んで行った。医師二人もそれに続いて、あたふたと部屋を出ていく。


 反射的に、追いかけようとして外へ出ると、警官の格好をした二人に道を塞がれた。


「あなたが、最初に彼女を発見したのかな、お嬢さん?」


「ぁ・・・ぅ・・・?」


 パニック状態で言葉にならない声を発している私の後ろから、声が上がる。


「いいえ、最初に発見したのは自分です。その子は、私が医師を呼んでくるように頼んだだけで、無関係です」








 ・・・その後のことは、鮮明には覚えていない。


 警察の人に、事情聴取を受けたこと。


 ろくに言葉を継げない私の代わりに、秋津さんが虚実交えた事情説明を行ったこと。


 途中で仮の両親が駆けつけて、血まみれの服を着た私の姿を見るなり、涙を流したり抱きしめたりしてくれたこと。


 そのまま、二人に連れられて部屋へと戻り、服を脱がされてシャワーを浴びさせられたこと。


 そして、二人の促すままにパジャマを着て、ベッドへ入ったこと。





 そんな断片的な記憶はあるけれど、話の内容などはほとんど覚えていない。


 こんな”世界”は、”夢”だと思いたかった。


 嫌な”現実”から目を背けるように、私は眠りに落ちた。











 ・・・今にして思えば、だというのに。

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