第36話 そして唐突に幕は上がる
昼食の席を終えた後、私は友達のところへ行ってくると告げて、仮の両親の下を離れていた。
引き止められるかとも思ったが、意外と快く送り出してくれた。
目指すのは、後部甲板。時間は間もなく15時。ちょうどいい頃合いね。
昨夜と同じルートを進んで、甲板へ。
扉を開いた先にあったのは、空と海の青。そして、木の色そのままの茶色い甲板に、赤い手すり。
・・・人影はなかった。どうやら、高羽さんはまだ来ていないらしい。
両親からの誕生日プレゼントらしい、やたらと豪華な腕時計を確認する。時間は15時きっかり。
「ま、すぐ来るわよね。潮風にでも当たって待ってましょ」
わずかに刺した不安の影を振り払うように、あえて思考を声にして出す。
どうせ待つなら、昨夜の高羽さんのように手すりに背を預けて待とうと、ふと思いつく。
後ろは海なので、背後からの奇襲は防げるし、不審者が近づいてきても死角はない。
そんなことを考えながら、手すりに向かって数歩歩みを進めたところで、違和感に気付いた。
昨夜、高羽さんがいたところの手すりだけ、赤みが妙に強い。
塗りムラかしら?昨日は夜だったし、高羽さんがもたれていたから気が付かなかったんだろうなどと思った。いや、そう思いたかった。
”しかし、往々にして現実とは、そんな願望を叶えてはくれないものなのだ。”
そんな誰かの台詞がよぎったのは、妙な赤が手すりの上に付着した液体の赤だったから。
・・・いえ、これも逃げね、認めましょう。その液体は間違いなく、血液だった。
「---っ!」
出そうになった悲鳴を、どうにか飲み込んで周囲をさっと見渡す。不審人物はいない。
後部甲板に面する各階の窓や、デッキにも人影はない。しかし、気は抜かない。
血は、手すりに付着しているのみで、甲板上に跡はなかった。つまり、刃物で刺された可能性もよりも、銃撃された可能性の方が高いと思う。刃物の場合は、きっと甲板にまで血が零れるはずだから。もしも、血の跡を拭き取ったというのなら、手すりに付着した方を放置するのはおかしい。
とすると、可能性として最も高いのは銃撃だと思う。誰も気づいた様子がないのは、サイレンサーを使っていたなどと考えれば説明は一応つく。
それに、血がまだ液体で残っているところからすると、事が起こってからそう時間は経っていない。
つまり、もしかしたら犯人(夢魔)は今もこの近くにいるかもしれない。
そこで思考を一旦止め、まずは甲板のドアの方へと走り寄る。
ここなら、上からは死角で射線は通らない。
念のためもう一度左右を見回してから、ようやく一息つく。
じわじわと焦燥や恐怖といった感情が湧きあがってくる。
胃液が喉まで上がってきたのを、どうにか堪えて、深呼吸を数回。
止めていた思考を再開する。まずすべきは、みんなへの情報共有でしょうね。
確証はないけれど、傷を負ったのが(死んだとは限らないし、思いたくもない)高羽さんの可能性は高い。血液の残っていたのが、昨日高羽さんが背を預けていたのと同じ手すりで、しかも既に15時を回っているのに、現れる気配が一向にないから。
ともかく、夢魔が動き出したのは間違いないでしょう。となれば、みんなにはその事を伝えなければならない。
少し考えた上で、ここで待つことに決める。
現場のすぐそばで説明もしやすいし、無事であれば他のアクター仲間たちもここへくるはず。
近くに犯人が潜んでいるリスクを考えても、ここで待つ方が良いと結論を出し、周囲に気を付けながらひたすらに待つ覚悟を決める。
幸い、そう長く待つことはなかった。十分ほど経過したところで、谷村さんがドアを開けて甲板へと出てくる。張りつめた心が弛緩していき、感情が溢れてくる。
「谷村さん!」
「あら、シルフィちゃんも来てたのね・・・ってどうしたの急に!?」
感情のままに谷村さんの胸元に飛び込み、堪えていた感情を言葉になっていない声で、涙と一緒に吐き出し続ける。
そのまま、どのくらいの時間泣きじゃくっていたのか。ようやく嗚咽も止まったところで、事態の説明を行う。
谷村さんの顔色も、話を聞くうちにみるみる青ざめていく。
手すりを確認してみますか?と訊いてみたが、谷村さんは首を振った。
私では、調べたところで有益な情報を見つけることはできないだろうし、冷静でいられる自信がないからということだった。
そのまま二人で少し話し合って結果、私はここで他のアクターのために待機し、谷村さんはカジノへと走って秋津さんに事態を知らせることを決めた。
谷村さんは、私がここに一人で残ることに反対していたが、私が強硬に残留を主張すると、しぶしぶ理解してくれた。カジノに未成年の私が通されるはずもないので、この役割分担になるのは必然だと。私たち二人でここに残っても、できることはないし、ここへ来るはずの他のアクターを放置するわけにもいかない。
谷村さんは、「気を付けてね、絶対死んじゃ駄目よ!」と言い残して、船内へと走り去っていった。
それから更に20分が経って、谷村さんが秋津さんを連れて戻ってきた。息を切らしているところからすると、二人とも急いで駆けつけてくれたらしい。特に、谷村さんは両膝に手を当てていて、短距離走を走り終えた人のようになっていた。
秋津さんに改めて状況を説明し、手すりを指さす。手すり自体と周囲を丹念に調べた後(私は念のため、背後の警戒をしていた)、考えることなく推理を述べた。
「血が手すりのみなのは、恐らくあいつがやられた瞬間、反射的に能力を使ったからだろう」
「高羽さんの能力?」
そういえば、先輩二人の能力は聞いていなかった。こちらの能力は、資料で知っているらしかったけど。
「マーカージャンプ。あらかじめ三か所までマーカーをつけておいて、そこへ瞬時に移動できる能力だ。恐らく、それを使って咄嗟に移動したんだろう」
そう説明する秋津さんの顔は明らかに焦っていた。
「あいつがこの船につけたマーカーは三か所。自室、この甲板、そして俺の部屋だ。あいつは、二つの部屋のどちらかにいる可能性が高い」
前日のうちに伝えてあったのか、秋津さんはそう断言した。生きている可能性が高いと分かり、少しだけ安堵する。
「まずは、二つの部屋を調べよう。俺の部屋は、自分で調べに行く。船員や各所の従業員以外は、無断で入れないからな。シルフィは、あいつの部屋を見に行ってくれ。番号はわかるな?」
「は、はい!113番ですよね!」
「そうだ。恐らく、負傷したまま動けずにいる可能性が高い。可能な限り応急手当てを頼む」
目線で私は?と問いかける谷村さんにも、指示を出していく。
「君は、ここに残ってほかのアクターたちに状況を説明。全員揃ったら、人の多い場所・・・4階にある室内展望スペースへ移動して待機しろ。万が一、犯人が来たら説得スキルを活用して逃げろ」
「わ、わかりました」
谷村さんの声が震えていた、でも対称的に目にはしっかりと力が入っている。
「よし、行動開始だ。急ぐぞ!」
号令に頷くと、私は船内へと駆け出した。
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