第35話 束の間の…
「星が綺麗ね。作り物の世界とはいえ、遮るもののない大海原の上で、こうして夜空を眺めながら潮風に当たるのも悪くないと思わない?」
「ええ。夢魔の存在さえなければ、浸っていたかもしれません」
「ふふ、そうね」
高羽さんは、私の本音にくすくすと笑う。
「じゃあ、とりあえずそちらの報告から聞かせてもらおうかしら」
求めに応じて、私の役についての情報を提供する。まだ来ていないという話だったので、谷村さんのことも報告しておく。そして、俊平君は案の定お説教をもらっていた。
「アクターとしての心得どうこう以前に、思慮が足りていませんよ。もう少し短慮な行動は慎まないと、それをきっかけに命を落とします。ここは、そういう世界です」
「はい、すみません」
さすがの俊平君もしゅんとしていた。
「では、こちらの状況説明を。私の役は、どうやら一人で船旅を楽しむ令嬢という立ち位置。秋津君は、四階にあるカジノのスタッフです。私たちと違って、自由に動ける時間は少ないでしょう。代わりに、多くの客と接触できるので、一日に一度くらいは情報を聞きに行くのも悪くないんじゃないかしら」
カジノのスタッフということは、ディーラーでもやっているのかしら。こまめに情報交換に訪れたいところではあるけれど、私のロールだとそれは難しそうね。ただでさえ、未成年でもあることだし。
「主役の少女については、まだ発見できていないわ。人の集まる場所へ行くときには、探しておいてちょうだい。できれば、友好関係を築いておいてくれると助かるわ。貴方達とは近い年齢みたいだし」
「わかりました、心に留めておきます」
「俺も、頑張りまっす!」
「当面、情報交換はここで行いましょう。15時から18時の間は、私はここにいるようにするから。生存の確認も兼ねて、一日一度は必ず報告に来てくれるかしら?」
「わかりました」
「了解っす!」
そのまま、今夜は部屋に戻って休むことにした。
翌朝。昨夜と同じレストランにて朝食をとった後、両親に連れられて屋上にあるというプールに連れていかれた。
個人的には、海を見ながらプールというのは違和感を感じてしまう。それに、どうせなら未体験の海水浴の方がいいなぁなどと考えてしまって、どうにも純粋に楽しめそうにはなかった。まあ、船からこの大海原へ飛び込むわけにもいかないし、考えても仕方ないのはわかっているのだけれど。
ちなみに仮の両親は、せっかくプールへ来たというのに、椅子に寝転がって飲み物を口にするばかり。二人ともサングラスをかけているが、あまり似合っていない。どうせなら、泳ぐなり、水に浸かるなりすればいいと思うのだけれど。それとも、大人になればああいう楽しみ方もできるようになるのかしらね。
いい加減泳ぎ疲れたので、借りてきたフロートに上半身を預けてぼんやりしていると、不意に声をかけられた。
完全に気を抜いていたので、驚いてフロートから手を滑らせてしまう。
水面から顔を出し、頭を振って水気を飛ばす。そうして、ようやく後ろを向くと、そこにいたのは雫ちゃんだった。
「驚かせた?」
「いえ、私が気を抜きすぎていただけ。どこに夢魔がいるかもわからないのだし、シャキッとしなきゃね」
そう言って、頬を叩いてみせる。雫ちゃんは、困ったような笑いを浮かべていた。
「それで、雫ちゃんの役は?」
「たぶん、シルフィちゃんと一緒。母親と二人で旅行中みたい」
まあ年齢的にも、私たちに合う役といえばそれくらいしかないかもしれない。舞台が豪華客船なわけだし。
「それで、お母さん役の人は?」
「どうも、あまり体が強くないみたいで、部屋に籠りきり。食事も、ルームサービスで簡単なものばかりだし」
「そう。逆に好都合かもしれないわね」
「シルフィちゃんの両親は・・・あの人たち?」
「ええ、そうよ」
両親が、こちらを温かい笑みで見ている。船の上で、同年代の友達でもできたのかな?といった表情だ。雫ちゃんも、視線に気づいて察したみたい。
「せっかくだし、一緒に泳がない?友達としての印象を強くしておけば、会いに行ったり、話したりしていても疑念を持たれないだろうし。部屋番号や情報の交換もしておきたいしね」
「うん、いいよ」
昼食の時間まで、私たち二人はそのままプールで遊び続けた。
「友達ができたようでよかったじゃないか」
昼食の席で、さっそく父親役にそう声をかけられた。
「ええ。同年代の子がいるなんてラッキーだったわ。部屋にも遊びにおいでって」
今後の布石として、そんな言葉を添えておく。友達の部屋へ遊びに行ってくるとでも言えば、一人でも外出もしやすくなるに違いない。
「良かったわ。あなたは昔から私たちにべったりで、あまり友達とか作らなかったでしょう?実を言うと、ママもパパも心配してたのよ」
そんな設定だったらしい。違和感は感じていないようで何よりだわ。
「そういえば、昨夜のディナーでも知らない女性と話していたね」
「シルフィ、この船に乗ってから、少し人見知りが解消されたんじゃないの?」
しまった、どう誤魔化そうかしら。
「普段と違う環境だから、知らず知らずのうちに、心が開放的になっているのかもしれないね」
「だとしたら、今回の船旅は思わぬ大成功だったということね」
勝手に本人同士で納得していた。必死に思考を回転させていたのが馬鹿馬鹿しくなるじゃない。もちろん、助かりはするのだけれど。それとも、舞台のために作られた存在は、著しく素体との行動に差異が出ない限りは、自分たちで合理化してしまうように設定されているのかしら?講義でそういう話を聞いた覚えはないけれど。
「けれど、むやみに知らない人に話しかけたり、ついて行ってはいけないよ?怖い人も中に入るんだからね?」
「もう、パパったら心配性よ!私ももう子供じゃないのよ?」
「ははは、私たちからすれば、今でも十分子供だよ」
被害妄想だとはわかっているのだけど、現実での自分の振る舞いが子供っぽいと言われているようで、少し心が痛い。本当の父や母とは、こういった当たり前のコミニュケーションを取る機会も少なかったから、余計にそう感じるのかもしれない。
父母は、執務や外遊に会談などで忙しく、王宮で話す相手といえば、もっぱら侍従や家庭教師ばかりだったし。
そう考えると、こうして普通の家族の子供役をするというのも、新鮮で悪くないかもしれない。豪華客船に乗れるような家族が、世間一般から見て普通なのかという疑問はさておき。
今のところは、そんな事を呑気に思考するくらいにはゆとりがあった。
もちろん、そんな平穏は長くは続かなかった。
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