第34話 二日月の浮かぶ、夜の大海原より
ゆっくりと目を開く。
目の前には、こちらを見つめる二人の男女。
「シルフィ、どうしたね?」
「さあ、食堂へ行きましょう。ママ、お腹空いちゃったわ」
「え、ええ。行きましょうお母様」
会話の内容から、二人を自分・・・いえ、素体の両親だと理解する。
連れられるままに部屋を出て、赤絨毯がやたらと存在を主張する廊下を進んでいく。
左には、客室と思われるドアが規則的に並んでいる。
きちんと、自分が出てきた部屋番号は覚えている。203号室ね。
右側に目を移すと、こちらも規則的に丸型の窓が並んでいて、波のほとんどない穏やかな夜の海を眺めることができた。
事前情報通り、客船にいるのを実感する。
「今夜のビュッフェも楽しみね。昨夜の牛フィレ肉のローストは美味しかったし」
「そうですね。私も気に入りました」
「・・・?どうしたの、シルフィちゃん。そんなに他人行儀で」
「!い、いえ、大丈夫よ、ママ」
「そう?ならいいのだけど」
「ははは、シルフィなりのジョークなんじゃないかな?既に出港して一日以上たっているのに、まだ浮ついているんだよ」
「もう、パパ。子供扱いはやめてよ」
どうにか、付け焼刃の演技で受け答えをこなしていく。
実習に含まれていた演技の講座のありがたみが、ようやくわかったわ。
突き当りの階段を上へ登る。フロア表示を見ると、先程の客室が二階らしい。
船内の略図によると、甲板から続くフロアが一階となっており、階段で五階の屋上まで繋がっているようね。
甲板より下、船底方面にも三フロアあるみたい。ただ、そちらは船員室やエンジンルームなどとなっていて、立ち入り厳禁みたい。
先輩方には後部甲板へ来るよう指示を受けていたけれど、今からすぐ向かおうとすれば、両親から不振の目を向けられるに違いない。仕方ないわね、ディナーの後に口実を作って抜け出すことにしましょう。
目的のレストランは三階にあった。
ビュッフェ形式なのは幸いだった。ある程度自由に動けるし、他のアクター仲間との接触も行いやすい。
席へ案内されるや否や、私はすぐに料理の並んでいるテーブルの方へと向かう。
周りを見渡してみると、見知った顔がスモークチーズを取り分けていた。
赤を基調としたカクテルドレスが、ストレートな黒髪とマッチしてとても似合っている。
以前の失敗を踏まえて、背後ではなく横から声をかける。
「谷村さん」
「シルフィちゃん。貴方もここへ来てたのね」
「ええ、素体の両親と一緒に」
目線だけで、自分の席と両親の位置を伝える。谷村さんも、ちゃんと伝わったという合図に深く頷いて見せる。
「谷村さんのロールは?」
「どうやら、恋人とハネムーンという設定らしいわ。気がついたときには、既に目の前に男がいて、愛を囁いてきたから」
今度は、谷村さんが目線を動かす。それを追って、谷村さんの席と、恋人役の男性の顔を確認する。
高そうなタキシードに身を包み、ブロンドの髪をオールバックにしている。王宮にいた頃の、貴族の息子さん達が重なって見えた。偏見を承知で例えるなら、白い歯を見せて笑いながら、胸の内では強かに計算をしているようなタイプね。
「シルフィちゃんの想像通りだと思うわよ?女性を、ステータスとしか考えていないタイプね」
私の表情から読み取ったのか、偏見ではなく正鵠だと保証してくれる谷口さん。
「案外、命よりも貞操の方が危険かもしれないわ」
と、茶目っ気を含んだウインクをして笑う。私も、苦笑いを返すくらいしかできない。
「まあ、いざとなれば能力を使ってでも退けることにするわ。それじゃね」
そう言って、谷村さんは恋人役の人の元へ戻っていった。さりげなく腰に手を回している様を見ると、さっきのが冗談とは思えなくなった。
死にさえしなければ、夢で負った傷などは現実に反映されることはないから、仮に襲われても現実の貞操は無事なはずではあるけど。まあ、こういうのは理屈ではないものね。
料理を適当に取りながら辺りを見渡すけれど、他にアクター仲間や先輩は確認できない。
とりあえず、甲板へ出る口実を考えようと方針を固め、私は仮の両親のいるテーブルへと戻ることにした。
さっきの女性は誰?何を話していたの?と質問をいくつかされたけれど、うまく誤魔化しておく。
そのまま、夕食の席は何事もなく終わった。
「パパ!ママ!少し甲板に出てきてもいいかしら?」
レストランを出るなり、私は仮の両親にそう訊ねてみた。案の定、否定的な答えが返ってくる。
「夜の甲板なんて危ないわよ?明日の昼にでも連れていってあげるから、その時にしなさいな」
「ママの言うとおりだ。万が一、海に落ちたら大変だ」
やっぱり、言葉で説得するのは難しそう。仕方ないので、能力を行使する。すなわち、”両親の束縛から自由になりたい”と。効果は覿面だった。
「まあ、せっかくの船旅だしね。今回だけは大目に見てあげようか、ママ?」
「そうねえ。早めに戻ってくると約束してくれるなら、行ってきてもいいわよ?」
「ありがとう、パパ!ママも!大好き!!」
とびっきりの作り笑顔をプレゼントして、廊下を小走りで駆けだす。社交界などで鍛えられた作り笑顔の仮面には、ちょっぴり自信があるのよね。演技指導でも、数少ない褒めてもらえた点だったし。
階段を下って、二人が視界から消えたところで走るのを止める。
気持ちを少し引き締めて、背後の気配やすれ違う人に気を配りながら、後部甲板へと続く廊下を進む。
情報通りなら、乗客の中の誰かが夢魔にして殺人鬼なわけだし、気を張っておくに越したことはないでしょう。
既に時刻としては午後九時になろうとしているけど、まだ人通りはちらほらある。
人の目がある中で犯行に及ぶとは思えないけれど、襲われないにしても、何か手がかりくらいは見つけられるかもしれない。
早めに戻ることを条件に出されているため、やや早歩きで目的地へと急ぐ。
船内図によると、見えてきた角を曲がれば、後部甲板に繋がるドアもしくはハッチがあるはず。
速まる足のままに、角を曲がろうとして
「うわっ!?」
「ご、ごめんなさい」
誰かの背にぶつかった。
「あれ、シルフィちゃん。偶然だね」
訂正、誰かではなく俊平君だった。どうやら、彼もちょうど向かうところらしい。
谷村さんのドレス姿と違って、割とラフな服装をしている。
「シルフィちゃんはどんな役を引き当てた?オレは、気がついたときは船室に一人きりだったから、今のところ自分がどんな役なのかわかんなくってさあ」
そう、サラッと言ってのけた挙句、おどける俊平君。それは、勝手に部屋を抜け出してきたってことだし、まずいんじゃないのかと思う。
とりあえず、ツッコミは棚上げにしておいて、自分の役目と客室のナンバーを教えておく。
「あ、そういや俺、自分の部屋のナンバー見てきてないや。どうすっかなぁ・・・まあいいや」
俊平君の短絡的な思考が、存分に発揮されていた。なんとかなるさと繰り返している背中には、不安しか感じない。考えるより先に体が動く様は、スポーツに打ち込む学生らしいと思う。”スポーツ魂”への加入は、きっと正解でしょうね。
その後、谷村さんとあったことについても話をしているうちに、私たちは甲板への扉の前に来ていた。ハッチ式ではなく、一般的なドアノブ式だった。最も、しっかりと扉は分厚く頑丈だった。もちろん、相応に重くもあったので、俊平君に開けてもらうことにした。
扉を開いた先には、二日月のうっすらとした輝きと、街では決してみることの敵わない、無数の星明り。
そして正面には、手すりに背を預けつつ、こちらに気付いてひらひらと手を振る高羽さんの姿があった。
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