第27話 そこから30日前の話~はじめての けんしゅう~

 午前9時40分。


 研修開始の20分前に私は、研究区の研修棟を訪れていた。


 受付らしき人に部屋の場所を訊ね、研修室4と記された部屋の前へと辿りつく。


 深呼吸一つ、扉を開く。中には、既に二人の男女がいた。


「おはようございます」


「おっす」


「お、おはよう、ございます」


 部屋へと一歩入り、深くお辞儀をしながら朝の挨拶をする。応えて、ぞんざいな挨拶と、戸惑ったような挨拶が返ってくる。ちょっと、丁寧すぎたかしら。


 用意されている席は5つ。そのうち、自分の名札の置いてある席に荷物を下ろす。


 小さい机だ。教科書を二つも置けば、もうスペースが残らない。日本の学生は皆こういった机で授業を受けるのだろうか。


 そんなことを考えていると、男子の方がこちらに声をかけてきた。


「君もアクター候補?オレは松林まつばやし 俊平しゅんぺい。あんたは?」


「シルフィ=フロワースです。よろしく」


「やっぱ、外国人かぁ。金髪だからそうかと思ったけどな。日本語、かなり流暢だな。実は日本に移住してたとか?よかったら仲よくしようぜ」


 次から次へと言葉の雨が降り注いでくる、という今もずっと話し続けている。どうやら彼は、考えたことをそのまま口に出していくタイプらしい。裏表がないともいえるが、これだけマシンガントークをされると返答に困る。ともあれ、せっかくの友達候補なのでお近づきにはなりたいのだけれど。


 さすがに、そんな松林さんの様子を見兼ねたのか、もう一人の女子が口を開いた。


「しゅ、俊平君?一方的に話し続けているから、困ってるんじゃないかな?」


「ん、ああ、そうか。すまんなシルフィ」


 いきなり呼び捨てだった。まあ、ケイトやミズナで今更だし、悪い気はしないのだけど。


 もう一人の女子の方へ目で感謝を伝えると、彼女は幾分表情を柔らかくして自己紹介をしてくれた。


笹川ささがわ しずく、です。よろしくね、シルフィさん」


「こちらこそ」


 私がそう返すと同時、扉が開いて男性が入ってくる。同年代らしき二人とは違い、私よりも年上に見える。背が高く、体格も良かった。彼にとっては、この机は多少窮屈だろう。


 ただ、表情はケイト以上に不愛想で挨拶などは一切せず、自分の席に座ってそのままスマートフォンを弄っている。話しかけてくるなと言うオーラを全身から出しており、私も声をかけるのが躊躇われた。


 松林さんが、どう声をかけようかと様子を窺っている間に、最後の研修生が入ってくる。


 すごく柔らかな印象の女性だった。こちらも私より年上、白一色のワンピースが、良家のお嬢様と言った雰囲気を漂わせている。


谷村たにむら 由美ゆみと申します。どうぞ、お見知りおきを」


 入口で立ち止まると、軽く腰を折ってそう挨拶した。美しいお辞儀だったが、カーテシーの方が様になりそうだった。


 それにつられる様に、いやむしろその挙措が放つ雰囲気に飲まれて、一人を除いて全員が自己紹介を返す。


 それぞれに柔らかな笑顔を湛えた会釈を返すと、スマートフォンから顔を上げない一人を一瞥し、自身の席へと着いた。


 そのまま待つことしばし、白衣の女性が入ってきて、部屋正面の壁にはめ込まれたホワイトボードの前へと立つ。


「揃っているようだな。私は、本日の研修を担当する真田だ。まあ、よろしく」


 これまた一人を除いて、会釈を返す。


「研修終了予定は、19時。途中、13時から15時に昼休憩、また講義の節目に小休憩を挟む。これは、座学研修時の共通スケジュールだ。実技の場合は、別のタイムスケジュールになる。」


 淡々と表情を変えずに必要事項を並べ立てていく。とりあえず、持参したノートにメモを取っていく。


「では、講義を始める。教科書などはないので、ホワイトボードと口頭で話す内容にのみ集中しろ。質問は随時、挙手して行え」


 そう言って、午前の講義が始まった。








「疲れた・・・」


 時計の針は13時。昼休憩の時間だ。情報伝達のようにただただ話し続け、分かりにくい部分についてのみホワイトボードで図解などをするという方式は、なかなか苦痛だった。専属の教師にマンツーマンで教わっていたのとは大違いだ。


 午前の授業のメモのうち、要点をまとめてみる。





 ・アクター、アクトレス(以下アクターと省略)は、他人の夢に入り、夢の中に干渉することができる


 ・夢の中に入ったアクターは、本来登場する人・物・の一人に成り代わる。(成り代わる前の対象については、しばしば素体や元体げんたいなどと呼称される)


 ・素体が本来担っていた役目、行動原理、能力などは一切引き継がれない。容姿は、成り代わった段階でアクターの姿に変更され、アクター以外の存在には違和感を与えない。


 ・夢魔も登場する生・命・体・に成り代わることができる。こちらの場合は、素体本来の役目や保有能力などを全て把握できていると思われる。


 ・また、事前に物語の全てを知ったうえで、ある程度の範囲でそれ自体に干渉できる


 ・夢魔に憑りつかれ、その夢の世界を作り出した人間は、主役と呼称される。


 ・主役は夢の世界を現実と認識する。現実世界での記憶は必要なものを除いて消失し、その世界で必要な知識を得る。(世界観や、自身の行動原理など)。これは、アクターの素質がある場合は例外を生じる。


 ・アクター、夢魔、主役は、夢の中では自身の意思のみで行動することが可能。(ただし、主役については、上述の通り行動原理などが変化している場合もある)


 ・上記以外の存在、つまり夢の世界で生成された知的存在は、最初からある程度行動規範が設定されている。アクターなどから干渉されない限りは、プログラミングされた人形のような存在といえる。


 ・夢魔は、主役の感情を魔力に変換して蓄える。・・・特に、挫折や成功、絶望や感激と言った強い感情は絶好の餌らしい。


 ・ただし、成功や感激といった正の強い感情は、本人が夢の世界で求めるもの、ひいては夢の終わりに近づくのと同義である場合が多い為、夢の世界を繰り返して魔力を蓄えたい夢魔にとっては都合の悪いことが多い


 ・故に、夢魔は強い負の感情の収集を行動原理とすることが多い。必然、主役の望んだ結末を書き換えたり、求める結果が生じないように物語を破綻させようと行動しやすい。


 ・魔力を一定以上蓄えると、その一部を切り離して新しい夢魔を作る。この際、親から記憶がすべて引き継がれるらしい


 ・主役が、自身がその世界で望む結果が得られないと確信した場合、あるいは自身が死亡(脳死を含む)した場合に世界のリセットが行われる。


 ・リセット時、アクターと夢魔は記憶を引き継ぐ(体の傷や消費した魔力などはリセットされる)。


 ・主役を含む、その他の世界の要素については全てリセットされる。アクターとしての素質が主役にある場合は、ある程度記憶を引き継ぐ場合がある。





 たった三時間でこれだけ覚えなければならないことができた。しかも、これで要点のみ。細かい部分を含めれば、覚えきる自信がなかった。


 ノートを睨みながら無意識に額に手を当てていると、背後から肩を突つかれた。


 振り返ると、谷村さんがいた。その後ろには、松林さんと笹川さんの姿もある。


「ね。せっかくだから、4人で中心街へ出てランチでもしない?」


「喜んで!」


 私はすぐさま肯定の返事を返し、ノートを閉じて外出準備を始めた。

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