第19話 追ってきた非日常

 16時半を回った辺りで、俺たちは目的の研修棟に到着していた。


 相変わらず、背後からの監視の視線がウザったいことこの上ない。


 受付に用向きを伝えると、すぐに会議室へと通された。


 扉を開けると、見覚えのある顔が・・・というか、この短期間では忘れようもない顔がこちらを向き、次の瞬間には笑顔になった。


「おお、シルフィじゃないか」


「ハーイ!ミズナ、ケイト、久しぶりね」


「一週間ちょっとしか経ってないがな」


 水菜が、彼女がここにいる意味を考えることすらせず、気楽に話しかけていた。おいおい・・・


「ケイトも、元気そうね。不愛想なのが変わっていないのは残念だけど」


 流暢というには、まだ少し足りない日本語で、皮肉のジャブを入れてくるシルフィ。


「ご挨拶だな。返礼に皮肉の一つもくれてやりたいところだが、その前に幾つか質問がある。」


 そう前置きをしておいてから、まず訊ねるべきは何かを考える。少し逡巡し、本命の質問の前に状況を整理するための問いを投げる。


「シルフィって、王女様だよな?」


 そう、彼女の本来の立場は、東欧にある某国の王女である。大きな国ではないものの、王族には違いない。


 だからこそ、俺たちもに納得したわけだが。


「正確には、第4王女よ。でも、それももう過去の話だわ」


「まさか・・・?」


「察しがいいわね・・・っていうのかしら。王位継承権とか、面倒なもの全てを捨てて、ただの女の子になったわ。つい昨日のことよ」


 どこか清々しい顔で、何気なく衝撃発言を放り投げてくる、元王女。


 頭に幻痛を感じながら理由を問うと、キョトンとした顔でこう回答が来た。


「あら、貴方が言ったんじゃなかったかしら?夢にまで見た欲しかったものを、次は現実で叶えなさいって」


「・・・」


 軽い気持ちでそんな餞別の言葉を送った、あの時の自分を殴りたくなった。


「元々、あんな窮屈で自由のかけらもない生活には飽き飽きしていたのよ。しかも、第四王女なんて末娘には、政略結婚なんかでいいように利用されるのがせいぜいだし」


「そんな未来を迎えるのは、御免被るってわけか。いいんじゃねえか?自分が決めたことなら」


「散々反対はされたけどね」


「だろうな」


 和気藹々と、一国の大ニュースを肴に盛り上がる二人。強まる幻痛にこめかみのあたりを押さえながら、本命に至る質問を放る。


「それはいいとして、に来たのはどういう理由だ?観光だの、知人に会いたいといったお気楽極楽な理由では、決して入れない場所なはずなんだが」


「そういやそうだな」


 この場所の特殊さをようやく思い出したようで、水菜も疑問符を浮かべる。帰ってきた返事は、予想通りの最悪なものだった。


「私も、アクトレスの素質が認められたから、二人の助けになろうと思って」


「帰れ」


 可能な限り冷たい声色になるよう意識して、突き放す。(念のため解説すると、アクトレスというのは女優=俺たちの業界用語ではアクターの資質を持つ女性という意味である)


「どうしてよ!私は二人に夢魔の手から救ってもらった身。その上、理想という夢に逃げ込むのではなく、現実の方を変えろとエールをもらって、ようやくここまで来れたのよ!それなのに・・・」


予想通り、感情のままに反論してきたシルフィに、殊更辛辣な言葉を選んで返す。


「以前も言ったはずだ。あれは依頼で動いただけのことだ、相応の見返りはもう貰っている。感謝してくれているのは嬉しいが、俺たちの役に立つためにアクトレスになるなんていうのは、有難迷惑だ」


「そんな言い方しなくてもじゃないの!」


 なおも感情論で反発してくるシルフィに、水菜が(こいつにしては珍しく)躊躇いながらも口を開いた。


「シルフィ、お前の気持ちをうれしく思うのは事実だ。依頼で助けただけとはいえ、あたしはお前を友達だと思っている」


「ミズナ・・・」


 シルフィが感動していた。王宮暮らしで、友達などというものには縁がなかったに違いない。あんな世界を夢見るくらいだ、友人という響きに憧れがあったのは、容易に察しが付く。


「だからこそ、あたしもアクトレスになるのには反対だ、シルフィ。前にも言ったが、これは命を張る危険な仕事だ。軽い気持ちで首を突っ込むのはよせ」


「ミズナ・・・」


 再度同じ言葉を繰り返すシルフィ。今回は、悲しさの成分の比率が多かった。


は、お前が考えているよりはるかに過酷な場所だ。理不尽や絶望、どうしようもない悲嘆や哀惜。そんな言葉では表現しきれないような、暗く淀んだ吹き溜まりのような場所だ。あたしは、こんな場所に、大事な友達を迎えたくはない。会いに来てくれたのは嬉しかった。それだけでもう充分だから、すぐにでも故郷に帰ったほうがいい」


 水菜が心を鬼にして諭すが、シルフィも退かなかった。


「私にはもう、帰る場所なんてないのよ!王位継承権を放棄して、勢いで王宮まで飛び出してきたのよ!?今更あそこへ帰れって、それでも水菜たちは言うの!?」


「それは・・・それでも・・・」


「言うとも。今すぐ土下座でもなんでもして帰れ。王宮に戻れないなら、一人の国民として故郷で暮らせ」


 情に流されやすい水菜を遮るように立ち位置をずらし、あえて命令形の強い口調を使う。


「そんな・・・!?」


「黙れ!」


「・・・っ!?」


 怯んだ隙に、言葉を畳みかける。


「お前は恵まれているんだ。俺たちみたいな、はみ出し者が羨ましく思うほどにな!俺がここに、こんなところにいるのは、他に選択肢がなかったからだ!お前にはまだいくつも選択肢が残っているじゃねえか。そんなものないと思っているのは、いや思い込んでいるのはてめぇ自身の甘えにすぎないんだよ。お前はこんな闇の中で、薄汚れて生きていく必然性なんざねえんだ!今すぐ光の方へ帰れ」


「・・・」


 感情むき出しに怒鳴った為か、あるいは言葉の意味を理解し受け止めた為か。ともかく、シルフィが黙り込む。そのまま何分ほど沈黙が続いたか。シルフィが閉ざされた口を開いた。


「ミズナは、どうして、ケイトの言う、。闇の中に、いるの?」


 言葉の意味を咀嚼するかのように、区切りながら問いを零す。水菜も、言葉を吟味しているらしく、目を瞑って思案する。そして、数秒の黙考の後に目を開けると、ゆっくりと力強く言う。


「とある男に借りを・・・いや、恩を返すため。そして、仲間が此処にいるからだ」


「それなら・・・!」


「だが!一番の理由は、それしか生きる道がなかったからだ」


「そんな・・・」


 シルフィが糸口を見つけたと反論しようとするのを、言葉を被せて黙らせる水菜。


 実を言えば、俺は水菜がここに来るときも、アクトレスになると決意した時も、強硬に反対している。


 こいつは、それしか生きる道がなかったと言っているが、その気になれば、他にも取れる選択肢はあった。


 だが、その選択肢はあまりに無慈悲で、冷酷で・・・何より水菜にとっては耐え難いものだとも分かっていた。


「シルフィ、蛍斗が言ったようにお前には未来がある。手遅れにならない内に・・・」


「いや、もう手遅れだな」


「!?」


 俺たちの背後から、いつ聞いても憎たらしさを呼び起こす声が放られた。振り返り、ありったけの敵意を込めて名を呼ぶ。


「杉野・・・!」


「そう怖い顔をするな。君が私に敵意を向けるのは当然だ。少なくとも、私はそう理解も納得もしているが、だからと言って毎回そんな顔をされたところで私には何もしてやれはしない」


「毎度思うんだが、それは俺に喧嘩を売っているのか」


「そう捉えられるのは私の不徳だ。しかし、君が色眼鏡で私を見ていることも自覚してもらいたいな。無理なのは百も承知だがね」


 理屈っぽい奴だ。俺も大概だが、こいつはそれ以上だ、といつもの感想を胸に抱く。


「それで手遅れっていうのは・・・?」


 俺よりマシとはいえ、奴に不信感を抱く水菜が、さっさと話を進めようとする。


「ああ。そこにいるお嬢さんのことだがね。つい先程、この島への定住が認められた」


「それは・・・」


「ああ、アクトレスとして認められたということだ」


「すぐに撤回しろ!まだ間に合うはずだろう!」


 水菜が食ってかかる。しかし、杉野は顔色一つ変えずに淡々と事実を告げる。


「もう、遅いな。彼女の両親である国王陛下たちからの了解も取り付けてあるそうだ」


「・・・クソッタレ!」


 感情のままに、水菜が壁に拳を叩き付ける。夢の中であれば、壁だけでなく建物自体が倒壊しただろう。


「・・・」


 そんな水菜の様子を見て、顔が強張っていくシルフィ。


「・・・それで、俺たちが呼ばれた要件は?」


 認可が下りた以上、もはやどんな手を尽くそうとも無駄なことだ。荒れる心を捻じ伏せ、この不愉快な場を終わらせるべく、要件を手早く済ませることにした。


「要件というほどのことではない。彼女が君たちに会いたいというので、呼んだだけだ」


 そこで杉野は言葉を切り、「強いて言うなら・・・」とわざとらしく付け加えてみせる。


「君の言う、。闇の中に足を踏み入れた、この可憐な少女の面倒を見てやったらどうかと思ってね。知り合いのよしみと言う奴だ」


「御免被るぜ。俺たちは、自分自身と仲間の面倒を見るので精一杯だ。これ以上余分な荷物を増やすつもりはねえよ」


 そう吐き捨てて、踵を返す。


 後ろから水菜が何事か喚いていた。情に厚いあいつの事、喚いている内容は分かり切っている。しかし、シルフィが自分の意志でここへ来たというのなら、その行動の責任は自分で持つのが筋だろう。それに俺の背は、これ以上の荷物を背負うには小さすぎる。今いる仲間を守るだけで精一杯だ。





 そんな誰に当てたのかもわからない弁解・・・いや、言い訳を胸の中で繰り返し、俺は夕焼けを睨み付けながら帰途についた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る