第18話 日常への回帰
「戻ったぜ」
一声かけて、靴を揃えて靴箱へと押し込む。同時に、三階からドアの開く音が聞こえる。
「おかえりなさいませ、けほっ」
さして待つこともなく、正面の吹き抜け階段から、咳をしつつメイド姿の女性が下りてくる。彼女の名は無名。そう呼ぶように上から言われているってだけで、本名は不明。彼女は、俺の従者兼監視役である。ちなみに、装いがメイド服なのは断じて俺の意向ではなく、この寮に共に住む仲間の趣味だ。彼女は踊り場まで来ると、そこで深く一礼する。伏せた顔には少し赤みがあった。
「まだ体調は戻らないらしいな。構わないからゆっくり寝てろ」
「そうさせてもらいます。何か変わったことなどは?」
「ないない。強いて言うなら、お前がいなかったから、外では監視の目が鬱陶しかったくらいかな」
「失礼、ごほっ、致しました」
今日は、彼女の体調がよろしくなかったので、上に連絡を取って代わりの監視役を派遣してもらっていた。
監視される側が監視員の交代を依頼をするというのも、いささか以上におかしな話ではあるが。
「いいから寝てろ。うつされても困る」
「はい・・・」
しおしおと階段を元来た方へと上がっていく。
それを見届けて、俺は正面の階段ではなく右手へと進む。突き当りのドアの向こうからは、いつも通りのにぎやかな声と、メロディーが響いている。
ドアを開けると、日常が広がっていた。
「あら、遅かったわね」
最初に声をかけてきたのは、正面突き当りのキッチン内にいた朱色のロングヘアが見事な、長身スレンダー美女。名前は、
「ちょうど紅茶を入れたのだけど」
俺が見ていたのに気づいたらしく、トレーを持った手を少し上げ、視線で問いかけてくる。
「いや、察しの通り遠慮しておく」
「そうよね」
俺が紅茶が苦手なことを知っているため、特に含むところもなく、傍らのダイニングテーブルではなく、その奥のリビングにあるローテーブルへとカップを並べる。
「相変わらず子供舌だな。コーヒーもダメなんだろ?」
「ほっとけ」
そのローテーブルの脇で胡坐をかいて座っている、若葉色のショートカットの男にからかわれる。
こいつは
「あんただって、食べられない野菜ならいくつかあるじゃない。なんなら、今夜の夕飯にはピーマンでも使いましょうか?」
そいつに、テーブルをはさんで茶々を入れるのは
「うえ、それは勘弁だ」
「それは俺も被害があるから、是非やめてくれ」
春輝の巻き添えを避けるべく、俺も反対を表明しておく。と、TVゲームが一段落ついたらしく、プレイしていた二人が画面からこちらへと視線を向ける。(ドアから廊下に漏れていたメロディーは、このゲームの音楽だ)
「お前の偏食は、ガキの頃から治る気配ねえなあ」
一人は、水菜。今日は短いポニーテール姿だ。ちなみに、彼女の髪は茶髪である。
「ちゃんとバランスよく栄養は取ったほうがいいですよ?ただでさえ、私たちは健康面に不安のある生活をしてるんですから」
もう一人は、
年齢は、俺の一つ下。少し癖っ気のあるセミロングを雑にゴムで纏めている。本人曰く、ゲームや食事などの邪魔になるときはこうらしい。
髪色は水菜より薄めの茶色。確か、マイゼーナ色とか自称していたはずだ。
こうして二人並んでいる姿を見ると、仲の良い姉妹にも見える。ただ、活力溢れる運動部系のオーラの水菜に対して、蜜柑はインドアな雰囲気なので(実際インドア趣味だが)、受ける印象は正反対と言っていい。
「他の三人はどうした?」
姿の見えない、残りの三人について舞に聞いてみる。
「レックス君とヒメちゃんなら晩御飯の買い出し。百夜君は、自室で新作のギャルゲーをやってるわよ」
言い終えると同時に、舞が意図して苦笑を浮かべる。俺も、肩をすくめ、お手上げのポーズを作って応える。
「やれやれ、既にこの生活自体がギャルゲーチックだと思うんだがね」
「そうね。最初は私も男性と一緒の寮なんてって、抵抗あったわ」
この寮には、ここまでに名前の出た女性6名と野郎4名が住んでいる。そして、蜜柑とお目付け役の無名を除いた8人がアクターだったりする。
三階建てになっており、一階は玄関の他、皆が詰まってくつろぐこのリビングと、仕切りなく繋がっているダイニングとキッチン。
二階と三階はそれぞれ野郎と女性の自室がある。小さなワンルームが、各階に8部屋ずつ。トイレと洗濯機、物干のあるベランダがそれぞれの階にある。(ちなみに、野郎は3階に上がるのは禁止である。理由は言うまでもないだろう)
「ケイ君が、色々と気を遣って規則を作ってくれたおかげね。仕事の方でもその気遣いを発揮してくれれば、私の負担も減るのだけど---」
「生憎と、肩の凝るような作業も、退屈なだけの手続きや会議も性に合わないんでね」
「まったく、もう」
「許せ、参謀殿」
いつもの愚痴を、殊更に気取った台詞で撃退する。これもいつも通り、舞は溜息を一つ吐くと、仕方ないわねと言った苦笑で追撃はしなかった。いつもすまんな、と心の中では素直に謝っておく。
会話が終わるのを見計らったのか、蜜柑が「そういえば」と話を切りだしてきた。
「パソコンに蛍斗君当てのメールが来てましたよ?」
「俺当て?」
「至急って書いてたぜ」
水菜の補足を聞いて、首をひねる。はて、特に急を要する案件はなかったはずだが。
テレビと反対側に設置された、業務連絡用のパソコンの前に座る。スリープを解除すると、件名に至急と記したメールが来ていた。受信はついさっきのようだ。
パスワードを打ち込み、中身を開く。
「・・・?」
「何が書いてあったんですか?」
最後まで読み終えたタイミングで、千夏が好奇心から問いを投げてくる。
「どうも、俺に客が来るらしい。水菜もできれば同席してほしいそうだ」
「蛍斗だけならともかく、あたしもか?」
水菜が俺が抱いたのと同じ疑問を呈す。
「ああ、そう書いてある。なんなら、機密性はなさそうだし、自分の目で確かめてみろ」
「いや、いい。お前の発言を信じてないわけじゃねーから。・・・しっかし、わかんねえなあ。実務をしてる舞ならまだしも、あたしっていうのはなぁ・・・」
「場所は研修棟の第一会議室。時間は19時までに到着されたし・・・だとさ。まあ、さっさと行って済ませるほうがいいだろう」
「そうだな。晩飯には間に合わせたいしな」
現在時刻は16時を回ったところ。どのくらい時間を食われるかわからないなら、早めに行く方が無難だろう。
「よし、水菜はすぐ支度をしてくれ。10分後には出たい」
「うい、ちょいと待っててくれ」
そう言い残すと、水菜はドアの向こうへと消えていった。階段を二弾飛ばしで駆け上がる音がわずかに聞こえる。
「しっかし、さっきまで報告に行ってたんだし、もう少し連絡が早ければ二度手間にならずに済んだんだがな」
業務用のスマートフォンにも、同じ文面が来ていたのを確認して嘆息する。
「ついてねえな、ご愁傷さま」
「こんにゃろい」
「いてっ!」
他人事と笑う春輝に、デコピンを一つくれてやって、舞の持ってきてくれた緑茶のペットボトルで喉を潤す。
「あんがとよ」
「どういたしまして」
舞に礼を言い、ボトルを返して俺は自室へと向かった。
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