第14話 犠牲と不屈

「っせい!」


 黒竜の頭に踵落としをお見舞いし、地面へと叩き付ける。


 濛々と上がる砂埃の茶と白の中に、赤が混ざったのを見て、大きく後方へと跳び、距離をとる。


 ある民家の屋根に足を着いたときには、さっきまであたしのいた料理屋の煉瓦の屋根は、炎に包まれていた。


 可燃物があったわけでもないのに、その炎の勢いは、炎弾が着弾してからも弱まることはない。


 周りを見回すと、町の四方も未だに炎の赤と煙の黒に彩られている。


 屋根に視線を戻してみると、煉瓦はすでに溶けて原形をとどめておらず、石の外壁すらも炎が燃え移り、徐々に融解しつつあった。


 どうやら、材質などに関わりなく、あらゆるものを燃焼材代わりにできるらしい。延焼で炎の範囲が延々と広がらないのは、不幸中の幸いってところだな。おそらく、元となった炎弾の熱量を超えないという性質でもあるんだろう。


 そう考えをまとめ、再び屋根を蹴って、体を起こした黒竜目掛け走りだす。


 放たれた複数の火球を掻い潜り、ともかく懐を目指す。


 と、黒竜が蚊でも叩くかのように、広げた手を振り下ろしてくる。あたしの半身以上の長さの爪、その三倍程度の長さの指。その間を縫うように跳び上がり、下顎へのアッパーカットを見舞う。


 が、それがヒットすると同時に、青白い閃光があたしごと黒竜の周囲を包んだ。


 以前、あたしが死にかけた放電攻撃。しかし、対策は済んでいる。


 学園での戦いの時から、シルフィにかけてもらっている絶縁フィールドの魔法だ。


 しかし、流石に打撃への耐性までは得られていない。その上、耐火の魔法については、街へ辿りついてから効果が切れている。魔法を使ってくれていた生徒が死んだのか、あるいは魔力切れか。


 身体能力を上げているといっても、所詮は骨肉が人並み外れて強靭になったにすぎない。


 ブレスをまともに喰らえば消し炭になるし、あの巨体から繰り出される打撃をもろに受ければ、十中八九立ち上がれない。


 そんなネガティブな分析を頭の隅に追いやり、電光に構わず、顎の部分を集中的に殴り続ける。人と同じように脳震盪でも起こしてくれないかという願いも虚しく、黒竜は煩わしそうに首を振る。


 その寸前に、蹴りを食らわせ、その反動で跳び退る。


「ち、大して効いてねえな・・・」


 湧きあがる徒労感を感じる。同時に諦観も。


「だからどうだってんだ、くそったれ!」


 心中のそれらを捻じ伏せるために、あえて吠える。吠えて、また駆け出す。


 七回目の攻勢。せめて未だ地に立つ敵の体勢を崩せないかと、膝と思しき部分を狙って蹴りを浴びせる。


 やっぱり、体勢を崩すには至らない。それどころか、先ほどまではかすかにあったダメージを与えている手応えすらも、感じなくなった。


 負の感情が心を侵食していく感触。諦観は絶望へとその装いを変えてゆく。


 それら積み重なったマイナスが溜息となって漏れる寸前、


「でああああああああああああああああっ!!!」


 よく知る声が上から降ってきた。いや、上空を通過していった。


 見上げると、蛍斗が放物線を描きながら、凄まじい速度ですっ飛んでいた。魔法で身体能力を引き上げたのか、はたまた射出してもらったのか。


 唖然としてあたしが見送る先、黒竜の頭上に何とか着地するや否や、手に持っていた剣らしきものを黒竜へと突き立てようとするが、体表の硬さの方が勝ったらしく、キィンという金属音だけが響く。


「うあああああああああああああああっ!!」


 狂乱したかのように、それでも剣を振り下ろし続ける。


「くそがあああっ!あいつにばっか押し付けられるかっ!俺だって男なんだよ!」


 そんなことを叫びながら折れた剣を捨て、今度は細めの金属バットを作り出し、頭部を滅多打ちにする。あたしの打撃ですら通らないのに、全く今更のような攻撃。事実、黒竜は気に留めてすらいない。全くもってらしくないその様に思わず叫ぶ。


「バカ野郎!蛍斗、てめえ!そんなもんでどうにかなると思ってんのかよ!?」


「思うわけねえだろうが!」


 逆に叫び返される。


「無駄なことをしやがってなんて呆れるか!?諦めるか!?俺は御免だ!無駄だとしても、最後までみっともなく泥臭く足掻いてやらぁ!」


「・・・」


 と、黒竜がおもむろに頭を振る。堪え切れず、振り落とされる蛍斗。


 落下するその姿は、続いて放たれた火炎のブレスに捲かれて見えなくなった。


「・・・え?」


 数秒後、ブレスが止む。落ちてくるのはただ燃え尽きた灰のみ。


 確かにこの目で見た光景が、しかし理解できない。


 頭が理解することを拒否する。


 茫然と立ち尽くすあたしを踏みつぶそうと、頭上から黒竜の足裏が迫る。それを、ぼうっと見つめ続けていた視界が急速に流れる。


 誰かに腕を引っ張られ、空を飛んでいると認識したのは、数秒遅れてからだった。


「しっかりしてください!!」


 引いているのは、シルフィ。その目からは涙が一筋流れているが、一方で眼光は今まで観た中で一番の光を湛えていた。考えたくない、認めたくないという感情が薄れ、さっき見た光景が現実感を帯びて鮮明に蘇る。


「蛍斗さんは、勝てないと知っていて、無駄と分かっていて、それでも勇敢に、いいえ無謀にも立ち向かっていったのよ!」


「どう・・・して・・・」


「あなたのために決まってるじゃない!」


 心に衝撃が走った。


「あなた一人だけに重荷を背負わせておけない。それが身に余る荷物なら尚更、と」


 衝撃が胸中で熱へと変わる。


「止めたわよ!あのミズナで勝てない相手に、生身の貴方が敵うはずないと!でも彼は微笑交じりに言ったんです。『それでも、気を逸らしたり弱点を見つけるくらいはできるかもしれない。あいつ一人に戦わせやしない』なんて格好つけて」


 熱は、全身へと巡っていく。


「『最悪でも、命を拾ってやるくらいはできるかもしれないしな』なんて、最後に付け加えて飛び出していきました。なのに、なのに・・・!自分がそれを無くしてたら・・・世話ないじゃない・・・っ!」


 絞り出すような声でシルフィが吐き出すように言った。


 嗚咽をひとしきり漏らした後、シルフィは黒竜からかなり離れた民家の屋根に、あたしを放り落とした。


「シル・・・フィ・・・?」


 機能していない頭で、かろうじて呼びかける。


「こうなったのも、元はといえば私の所為です。この世界を作ってしまった責任があるはずなのに、彼や貴方に甘えて、それから逃げてしまった。今更ですが、せめて、彼のあの姿に報いるためにも・・・。私は・・・私は自分にできる精一杯をぶつけてきます」


 そう言い残して、彼女は黒竜の方へと来た道を引き返していった。


 あたしは、ただ見送ることしかできなかった。


 全身に伝播した熱が、力へと変わっていく。


 いつの間にか拳が握りこまれていた----











「てやあああああああああっ!」


 黒竜の周囲を飛び回りつつ、手から氷柱を無数に打ち出す。あるいは紫電を放ち、竜巻を起こし、光線を照射する。それらはやはり、体表に突き刺さる寸前に霧散する。


「(それでも・・・!)」


 ケイトとミズナを信じて、無駄と知りつつ、見せつけるように黒竜へと攻撃を繰り出し、時に襲い来る攻撃をどうにかかわす。


 私につられたのか、生き残っていた生徒たちも、まばらながら、届くはずのない攻撃魔法を仕掛けている。


 ある一人が炎弾の直撃で砕け散り、ある一人は尾に叩き潰され、またある一人は爪に引き裂かれる。


 そんな凄惨な光景に折れそうになる心を必死に繋ぎ止めて、死なない戦いをただ続ける。


 それが数分かあるいは十数分か続き、いよいよ疲労を感じ始めた矢先、待ち遠しい切り上げ時は唐突にやってきた。砂煙どころか瓦礫を巻き上げて地を疾走、いや爆走する。スポーツカーに匹敵するは、黒竜の足元に至ると、突然軌道を上へと変える。


 跳び上がった勢いのまま、は少し前と同じような軌道と態勢でアッパーカットを打ち出す。


 爆発と錯覚させるような、凄まじい打撃音と衝撃が空気を震わせる。


 黒竜が仰け反った姿勢で宙へと浮いていた。

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