第83話 青春のひととき

 校長室の中、応接スペースとなっている黒光りのソファに腰かけて、対面では校長と教頭先生が向かい合っている中。私は、きりっとした姿勢で佇んでいた。


 既に机の上に用意してくれたお茶は、冷めてぬるくなっている。

 大東だいとう校長は、ふぅっと大仰にため息を吐いてから、口を開いた。


「あなたは、それで本当にいいのですね? 菅沢先生」

「はい……構いません」


 私ははっきりと言い切った。

 校長と教頭先生は顔を見合わせて頷き合い、再び私に向き直った。


「わかりました。では、菅沢先生の意向通りに事を進めさせていただきます」

「ありがとうございます」


 私は深々と頭を下げて校長に一礼した。


「失礼しました」


 校長室を後にして、ふっと力が抜けた。


「これで……よかったんだよね」


 自分に言い聞かせるかのように、ぽつりとそんな独り言を呟いてしまう。

 私は一度大きく深呼吸をしてから、切り替えるようにして職員室へと戻る。


 その途中、教室が並ぶ廊下からは、普段より騒がしい声が、各クラスから響いてくる。

 この時期になると、どの教室でも居残りで文化祭の準備に向けて作業しているところが多い。

 

 私が受け持つ二年三組も例外ではなく、がやがやと教室の中からは活気あふれる声が聞こえてくる。


 教室に顔を出すかどうか悩んだが、生徒たちの自主性を重んじて、今は遠目から眺めるだけにしておいた。教室内では、コスプレ衣装作りに精を出している生徒達が多数見受けられ、真剣な様子で手作り衣装作りに励んでいる。


 私は執事のコスプレなので、さほど事前に用意するものが少ないが、彼ら彼女らにとっては、こうしてクラスメイト達と一緒に、わいわいがやがや、時には一生懸命真面目に取り組んで作り上げてた衣装もまた、青春の一ページに刻まれていくのだろう。


 皆が笑顔で何かに取り組んでいる姿を見て、まだ眺めていたいと思ってしまう。

 

 しかし、私にはまだまだやるべき仕事が沢山あったので、名残惜しくはあるものの、足を動かして職員室へと戻って行った。



 ◇



 夕陽が差し込む職員室。

 ようやく最後までテスト問題を作り終えることが出来て、ふぅっと椅子の背もたれにもたれかかった。


「終わったー……」


 辺りを見渡すと、他の先生たちは部活動の様子を見に行っている人や、会議で席をはずしている人が多く、職員室の中は私以外誰もいない。

 

 多くの先生の机が、授業のプリントや配布資料などで山積みになっている。


 一方で私の机は、簡素で荷物も少なく寂しげな様子で、一角だけ異色な模様を呈していた。


 我ながらよく一人で、片づけられていると思う。

 机の下や後ろには、大量の段ボール箱が積み上げられており、後はこれを運び込むだけだ。


 私は椅子から立ち上がり、職員室の窓際へと足を運び、夕焼け空を眺めた。

 夏場のジメジメとした空気はいつの間にか過ぎ去り、少し肌寒さ感じられる秋の陽気へと移り変わっている。


 改めて、時の流れが年齢を重ねるごとに早く進んでいくのを身にしみて感じてしまう。


 教師になって、今の自分じゃだめだといましめ、ここまで鬼教師として続けてきた。

 

 今までは自分をひた隠したまま、生徒たちに怯えられるような孤高の存在として君臨していた私は、恭太との同棲生活を始めてから、少しずつ変化してきた。


 恭太を家で預かり、家でグータラな私に変わって家事全般をしてくれるようになり、京町さんに認めてもらうためにバトルなんかもした。


 そこから、恭太とは教師以上の関係性になってしまったのだと思う。

 夏休みに母親を説得する時だって、恭太にはいつも助けられた。

 最終的には、恭太のお母さんにも公認で同居を認めてくれるようになってしまったのだから。


 どこかでこの時が来るのは分かっていた。それを事前に察知していれば、ここまで大ごとにはならずに済んだ。だから私は私なりに、けじめを付けなければならない。


 後々のこともすべて整えた。これでよかったのかは分からない。

 けれど、これが恭太にしてあげられる、最後の手助けだから……。


 その事実を、まずは本人に伝えなくてはならないのだけれど……言うことが出来ずにここまで先延ばしにしてきてしまった。


 今週末には、待ちに待った文化祭も始まる。

 恭太と京町さんは、クラスの指揮を執って、クラス賞獲得に向けて必死に頑張ってくれている。だからそこ、このことを口にするのが、恭太たちの努力を無駄にしてしまうという後ろめたい気持ちが、尾を引きずったままここまで来てしまった。


 だが、恭太には、私の心の内すべてを話さなければならないのだと思う。


 私は、職員室の窓から沈んでいく太陽の光を眺めながら、この半年間を振り返るようにして、感慨に耽っていた。

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