第56話 気まずい空気……??


 俺と穂波さんの同居継続が決まり、菅沢家への帰省も無事に終えて、幾日か経ったある日。俺はいつもと変わらぬ様子で家の家事・洗濯を一通り終えて、今は一人のんびりとフローリングに座布団やクッションを何枚か敷き詰めて、その上に寝っ転がり、スマートフォンで動画配信サイトの動画を流し見していた。


 既に夏休みの宿題は、暇な時間が多かったので、すべて終わってしまった。

 家事以外やることのない、怠け者と化していた。


 外は、茹だるような暑さで、少しでも日に浴びれば大量の汗を掻いてしまうほどの暑さ。セミが所々で大合唱を奏でており、より一層暑さを助長する。


 そんな猛暑日続く中、この家の家主である穂波ほなみさんは、夏休み期間にも関わらず、学校で出勤して仕事をしている。


 教師は学生と違い、れっきとした社会人。夏休み明けの文化祭に向けての打ち合わせや、授業の用意など、色々な事務作業に追われているそうだ。

 大変だなと思いつつも、正直今は、穂波さんが家に居なくて助かっている。


 穂波さんの実家で宣言した『穂波さんがいない生活なんてありえない宣言』、別名愛の告白宣言以降。お互いに距離感をはかりかねる日々が続いていた。

 今日の朝だって……


「そ、それじゃあ、行ってくるわね」

「はい、いってらっしゃい……」


 お互いにぎこちないあいさつを交わし、視線を探り合う。

 そんな雰囲気に耐えられず、すかさず口を開く。


「今日は何時ごろ帰ってきますか?」

「へっ!? あっ、そ、そうね……18時くらいかしら。遅くなるようだったら、連絡するわ」

「わ、わかりました……」


 そして、再び訪れる沈黙。


「そ、それじゃあ行ってくるわね」

「はい、いってらっしゃい……」


 という会話を三回くらい繰り返してしまう始末。


 昨日の夜も、お小遣いと食費を貰おうとした時。


「穂波さん、今週の食費をいただきたいんですが……」

「え、えぇ……わかったわ」


 おどおどしながらも、穂波さんはベッドの上に置きっぱなしにしてある財布をおもむろに手に取って、そのまま財布の中身を見たまま固まってしまう。


「ど……どうしました?」

「い、いやっ、何でもないわよ!」


 焦った様子で財布から札を取り出して、俯きがちに恥ずかしそうに頬を染めながら、タンクトップ越しの立派な谷間にお札を挟みこむ。

 俺の視線は、自然とその豊かな胸元へと向かってしまい……


 今からその胸に触れると考えただけで、ごくりと唾を飲み込んでしまう。

 その様子を見ていた穂波さんが、頬をさらに赤く染める。


「じゃ、じゃあ……始めましょうか」

「は、はい……」


 ぎこちないまま、謎の儀式が始まる。穂波さんはぽしょぽしょとした声で話し出す。


「では……毎日汗水流して働いている菅沢穂波に感謝の意を込めて……何か述べよ?」

「なんで、疑問形になってるんですか……」


 思わず突っ込んでしまうと、穂波さんは顔を恥ずかしそうにしながら声を上げる。


「いっ、いいから感謝の言葉を述べなさい!」


 穂波さんにせかされる形で、俺は頭を下げて感謝の意を述べる。


「はい、毎日汗水流して働いている穂波さんに感謝いたします」

「なんか、前より感謝の気持ちが伝わってこないのは気のせいかしら……」


 穂波さんが目を細めて俺に訝しむ視線を向けてくる。


「気のせいですよ。毎日ちゃんと感謝しています」


 本当に、誠心誠意感謝してますよ。そうでなければ、今頃俺はここで暮らすことが出来てないわけですし……。


 穂波さんは一つ咳ばらいをして、言葉を続ける。


「まあいいわ。それじゃあ……私のムネ……に……」

「……穂波さん?」


 俺が顔を上げて、手を伸ばすタイミングを窺っていると、穂波さんが顔を逸らしてしまう。

 どうしたのだろうと思っていると、穂波さんが顔をこちらに向け、うるんだ瞳で俺を見つけてくる。


「恭太なら……いいよ?」


 凄い甘美的な声で言ってきたので、色々勘違いしてまいそうになる。だがこれは、健全なお小遣いを貰うための儀式。それ以上でもそれ以下でもないのに……


 何故だろう、俺まで意識してしまって、胸の鼓動がドクドクと脈打っているのが聞こえる。


 しばらく見つめ合い、お互いの息遣いが聞こえてきてしまうくらい、辺りは静まり返っていた。


 その時だ、穂波さんが我に返ったような表情を浮かべると、顔をみるみるうちに真っ赤に染めて、耐えきれなくなったばかりに谷間に挟んでいたお札を引っこ抜いて、そのまま俺に投げつける。


「って、良くないわよバカぁぁぁ!!!!」

「何がぁ!!?」


 それから、穂波さんは逃げるようにして、風呂場へと駆け込んでいってしまいましたとさ。


 ……という一件がありました。


 まあ、香織さんの前であんな宣言しちゃったんだ。穂波さんも意識せざる負えないだろう。そして、俺も穂波さんが実家で言った一言を、尋ねられて……。


「僕はもう、穂波さんの事が好きなんです。だから、もう一緒に住むことが出来ないなんて、考えられないんです!」


 思い出すたびに、何度も頭の中でフラッシュバックして、悶絶する。


 あぁぁぁ!!!!

 死にたい、死にたいよぉぉぉぉ!!!!



 床の上をコロコロと転がり、恥ずかしい気持ちを爆発させる。

 そして、ふと我に返り冷静になると、頭を抱えたままため息が漏れる。


「はぁ……何であんなこと言っちゃったんだろう俺」


 あんなの、穂波さんにプロポーズしてるも同然だ。しかも、両方の親の前で……

 俺はなんて恥ずかしいことをしてしまったんだ。


 何度も俺が言い放ったシーンが頭の中に浮かび上がり、またもや悶絶する。

 転がっていると、ガンっと背中がベッドの足に激突した。

 そこでまた、我に返って冷静になる。


 ダメだ、ダメだ! 今は忘れろ俺!

 何か気晴らしになるものを探すんだ!


 そう意気込んで、立ち上がり、また意味のない掃除を始めてしまう今日この頃なのだった。

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