第54話 恭太の決断

 穂波さんがお風呂へと向かった後、俺と母さんは、俺と穂波さんが泊まっている部屋で、二人向かい合うようにして腰かけた。

 お互いに微笑み合いながら照れていると、母さんがふと口を開いた。


「なんか、改めてこうして二人でいると気恥ずかしいわね」

「そうだね……」


 この前まで一緒に住んでいて、二人で話しをしていた記憶が、凄く昔のように感じられてしまう。

 母さんは、一つ息をついてから、話始める。


「さあ恭太、母さんに思っていること、言いたいこと、全部ぶちまけちゃいなさい。私は、それを全部受け止める覚悟はできているわ」


 母さんは、真剣な表情でそう言ってきたので、俺は息を一つ吐いてから、口を開く。


「母さんは、俺のこと嫌い?」

「そんなわけないでしょ。愛しているわ」


 ストレートに返されると、それはそれで照れる。

 それを誤魔化すように、次々質問をしていく。


「今まで俺と生活してて、辛かった?」

「そんな風に想ったこと、一度もないわ」

「俺の事、邪魔じゃない?」

「邪魔なわけないじゃない。大切な私の息子」

「じゃあ、なんで俺を置いて出て行っちゃったの?」

「そ、それは……」


 母がここで初めて言い淀んだ。

 だが、覚悟を決めた身だと自身でも言っていたように、息を一つ吐いてから、頭を下げてきた。


「ごめんなさい、あの時の私はどうにかしていたわ。拓雄さんの事で頭がいっぱいいっぱいで……拓雄さんに指示されたままに、気が付いたら家を売り払ってしまっていたわ。あんな高圧的な態度で、『一人暮らしをしなさい』と急に言ってしまって、本当にごめんなさい。一生恭太に恨まれても仕方ないことを私はしたわ」

「……頭上げてよ、母さん」


 母さんは、今にも泣きだしそうな表情を浮かべながらも、頭をゆっくりと上げた。


 俺は、ここで確認しておかなければならない事がある。


「母さんはさ、今もあの人のこと好きなの?」


 突然尋ねられた再婚相手、拓雄のことに少々驚いた表情を浮かべた母さんだったが、すぐに口角を上げて答える。


「えぇ……好きよ」

「そっか……」

「でも、これ以上私の息子にひどい目を合わせようものなら、私は別れるつもりよ」

「いやっ、そこまでは……」

「よくないわよ! 私が間違ってたの。だから、もう一度恭太とちゃんと一緒に暮らせるように……」

「そういうことがして欲しいわけじゃないんだ。俺はただ、母さんが拓雄さんに向けている笑顔が、俺に向けている笑顔よりも幸せそうだったから……それで……」

「恭太……」


 そこで、母さんはまたあの優しい眼差しを向けている。


「ごめんなさい。あなたにはこの優しさがうまく伝わっていなかったのかもしれないわね」


 そう言って、母さんは俺の頭に手を回して俺を抱きしめた。

 ふわっと母さんの安心する匂いが香ってくる。


「拓雄さんに私が向けている笑顔よりも、私にとっては恭太に向けている笑顔の方が愛情を注いでいるの。でも、恭太にとってはそれが私が悲しんでいるように見えてしまっていたのね、ごめんなさい……」


 そうだったのか。やっぱり、俺の勘違いだった。ちゃんと言わなきゃわからないこともあるんだ。母さんが俺のことを嫌いなんてことは、最初っからあり得ない話だったんだ。


 母さんは、抱きとめていた俺の顔を話して、正面で向き合った。


「お母さん、どうやって笑ったら、恭太に愛してるって伝わるかしら?」

「うーん……急に言われてもなぁ……」


 でもなぜだろう。今はもの凄く同じ笑顔でも愛情を感じられている。胸が満たされている感じがしているのだ。多分それは……


「その……恥ずかしいこと言うけどいい?」

「えぇ。教えて?」


 母さんは、俺が答えるのを柔らかい表情で待ってくれている。

 だから俺は、恥を忍んで口を紡いだ。


「そ、そのぉ……抱きしめてくれれば、伝わると思う……」


 自分でホント何言ってるんだと思う。でも、それくらいしか思いつかなかった。

 それを聞いた母さんは、少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐに破顔して、また俺の頭を抱きしめてくれる。


「よしよし……恭太」

「うん……」


 なんか、小学生低学年くらいに戻ったような気分だ。

 でも、今はこれが凄く落ち着くし、なにより安心した。


 二度目の母さんとのハグを終えて、向き直り、俺は再び口を開いた。




「ありがとう。その……俺は母さんが心から好きな相手なら、別に再婚してもいいって思ってたし。俺をここまで育ててくれたことも感謝してるんだ」

「うん」

「だから……母さんがそれで幸せなら、俺は止める気ないし、二人で暮らしてもらって構わない。まあ、俺は拓雄さん事、好きじゃないとは言っとくけど……」


 頭を掻きながら本音を言いきると、母はフフっと笑う。


「ありがとう恭太。恭太は本当に優しい子ね。でも、貴方は私の子なの。だから、もっとわがままになってもいいのよ? 私と二人で暮らしたいなら、そう言ってもいいのよ?」


 わがまま。


 その言葉を聞いて、俺はふと考える。


「恭太は、これからどうしていきたいの?」


 母さんが優しく尋ねてくる。

 ここで、俺が母さんともう一度一緒に暮らしたいと言えば、また高校卒業まで暮らすことになるのだろう。

 そしたら……穂波さんとの同居生活も終わり、また生徒と教師という普通の生活に戻るのだろう。


 でも、何故だろう?

 穂波さんとここで離れてしまえば、取り返しのつかないことになる。

 そんな感情に駆られていた。


 助けてもらった恩があるから? ポンコツ穂波さんがこれから一人で心配だから? 

 いや、どれも違う。


 俺は穂波さんの事を、どう思っているのだろう?


 間違いなく、ただの冷酷かつポンコツ教師で同居人。というだけの関係だけでは表しきれない何かが、俺の中でわだかまっていた。


「俺は……」


 俺が今後どうしていきたいのか。

 それは……

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