第5話 名前違い

 というような出来事が起こり、俺は今に至るのだが……


 先生の衝撃の発言に俺は開いた口が塞がらない。


「なななななな、なんで俺が先生の家なんかに!?」

「だって、富士見くん家ないんでしょ? それとも何? 私みたいなおばさんの家じゃ嫌だってこと?」


 むぅっとふくれっ面をしてご機嫌斜めな顔で見つめてくる穂波先生。やっぱりいつものクールさはない。口調も可愛らしい、むしろちょっとドキドキしてしまっているまである。


「いや、そんなことはないですが……」


 俺が目を逸らしながらそう答えると、穂波先生は満足げな表情で再び前を向いた。


「そう、それなら早速私の家へレッツゴー!」


 普段のクールさからは考えられないくらい、はしゃいだような声を出す穂波先生、そんな姿を見て思わず言葉を零す。


「ありえない……」

「ん?」


 一度アクセルを踏み発進した車は、すぐさまガタっという振動と共にブレーキが掛けられて停止する。

 ガクンと身体が揺さぶられてから、俺は穂波先生を指さした。


「ありえない! どうして、今まで10人もの生徒を停学・退学処分してきた鬼の穂波と恐れられたあなたが、こんな普通の生徒の自分なんかを助けてくれるんですか? しかも一緒に暮らしなさいって……これは何かの罠に違いない!」


 俺がそう先生を指さしながら宣言すると、穂波先生はサイドブレーキをかけてから、はぁっと盛大なため息をついた。


「やっぱりみんな私だと思ってるのよねー」


 額に指をあてて呆れたような様子の穂波先生。


「その噂は、全部栄先生の方よ!」

「へ?」


 俺がポカンとした表情を浮かべると穂波先生が怒気を強めてもう一度言ってくる。


「だ・か・ら! 停学・退学処分事件の噂は全部栄先生の仕業なの!!」


 一瞬の間が空いた後、俺は盛大に声を上げた。


「えぇぇぇっ!!?」


 またも衝撃の事実に開いた口がふさがらない。


「聞いてきた生徒には何度も説明してるんだけどねー。みんな信じてくれないのよ」


 まあ、そりゃそうだろう。あんないつもゆるゆるふわふわー、っとしている保奈美先生がそんなことするわけないと誰しもが思うし、いつもクールで鋭い口調で生徒を睨みつけている穂波先生がしている方がしっくりくる。

 俺だって、いまだに信じ切れてないし。



「あれは全部『ほなみ』違いなのよ。私は今まで誰も生徒を停学や退学処分にしたことはないわ。ホント、人を見た目で判断しないで欲しいわ全く……」


 ため息を漏らして穂波先生が肩を落とす。


「いや、それが事実だとしても、先生そんな明るいキャラじゃないですし……テンション違い過ぎるというか・・・・・・」


 そうだ、そこにいるのは普段のクールさとは程遠い、明るい感じのお姉さんと言った表現が正しいような、はきはきとした口調の菅沢穂波先生だった。


「これが私の素の姿よ。大勢の人の前で話すと、どうしても私って表情が強張って刺々しい感じになっちゃうのよね。だから、別にクールにしているつもりはないわ」


 なんと……それじゃあ本当にあの停学・退学処分の噂は全部『ほなみ』違いの間違いで、本当は栄保奈美先生の方が鬼の保奈美ということに……


 あのほんわかゆるゆるふわわーんの笑顔を想像すると、その裏にある顔が見えた気がして段々と保奈美先生が恐ろしく見えてきた。


「と・に・か・く! 私いつもはこんな感じだから! これからもよろしくね、富士見くん!」


 そう訴えてくる穂波先生は、俺に信じてもらおうと必死だった。その表情がまた可愛らしくて……俺は思わずぶっ! っと吹いてしまった。


「ちょ、ちょっと! なんで笑うの!? ひどい!」

「ふふっ、はははははっ……い、いや、ごめんなさい……」


 俺は笑うのをこらえながら、ふっと表情を和らげて微笑み返す。


「その・・・…よろしくお願いします。穂波先生」

「うん、よろしくね! 富士見くん!」


 

 と、停学・退学事件の誤解を解いたところまではよかったのだが……



「で、なんで俺は先生の家で暮らすことになってるんですか!?」


 俺が尋ねると、穂波先生は車を走らせながら当たり前のように言ってのける。


「そりゃだって、富士見くんは私が受け持っているクラスの生徒よ。助けないわけにはいかないじゃない」

「それは、ありがたいんですけど……」

「それにね、うちの学校はアルバイト禁止だし、親からの仕送りが無い状態じゃ、誰かに養ってもらうしかないでしょ? 他の家ではご迷惑になってしまうし」

「え? アルバイトの件見逃してくれないんですか!?」


 てっきり許されたのかと思ってたよ。


「あたりまえじゃない。教師たるもの、校則違反を見逃すわけにはいかないわ。だから、今日から私が富士見くんがうちの高校を卒業するまで責任もって預かるの」

「いや、そっちの方が校則違反よりもまずい気が・・・・・・」


 担任と生徒が同じ家で暮らしているなんて、万が一誰かに知られたら退学どころでは済まされない。


「いや、それこそ先生に迷惑になりますし。先生の親御さんにもご迷惑じゃ……」

「あぁ、そこは平気よ。私一人暮らしだから」

「へ!? 一人暮らし!?」

「えぇ、そうよ。何か変かしら?」


 キョトンと首を傾げる穂波先生。いや、変とかそういうことじゃないでしょうが……


「いやだって、先生と生徒が一つ屋根の下で暮らすって、さらに色々とまずい気が……」

「そこは安心して、こう見えても私、口だけは堅いから誰にも気づかれないわ」

「いや、そういう問題ではなく……」


 先生と生徒という関係性だけでもまずいのだが、若い男と女が同じ家で同棲するということに関してはいいのだろうか?


 俺は幼馴染の瑠香と普通に同じ部屋で寝たりしていたので、そういう男女が同じ部屋でということに抵抗はないのだが……


 まあ、先生の方が大人の女性なんだし、そこら辺は色々と経験してきているのだろう。

 それなら、まあいいかな……って、やっぱりダメだろ!


「ついたわよ」


 そんなことを考えているうちに車は停車していた。辺りを見渡すと、目の前には4階建てくらいのマンションが建っていた。どうやらここが穂波先生の家らしい。


「ほら、荷物もって早く付いてきなさい」

「は、はい……」


 どうやらもう後戻りはできないようだ。俺は諦めて後部座席にある荷物を背負い、穂波先生の後をついていく。


 マンションにエレベーターはなく、中階段をトコトコと登っていく。そして、4階建てのマンションの最上階の4階の廊下をさらに歩いて角まで来たところで、穂波先生が振り返った。


「ここよ」


 そう言われて、穂波先生が指さす場所を見ると、『SUGASAWA』と書かれた表札が掛かっていた。

 穂波先生は鍵穴に鍵を差し込んで施錠を解除する。

 ガチャっと玄関のドアを開けて、中に入り電気をつけた。すると、何を思ったか慌ててドアをバタンと急いで閉めて、ドアを背にして俺の方へ向き直る。


「ごめん、ちょっとここで待っててくれる?」

「あ、はい……わかりました」

「いいよ、っていうまでは入ってきちゃダメだからね? 絶対だからね?」


 念を押して、穂波先生は、一つ深呼吸をして意を決したように目に見えない速さで玄関のドアを開け閉めし、家の中へと入った。

 一瞬で穂波先生の姿が見えなくなり、家の中からドタドタと物音が聞こえてくる。

 大丈夫だろうかと心配しているうちに、あっという間に穂波先生が戻ってきた。


「お、お待たせ……」



 相当焦っていたようで、ぜぇぜぇと大きく口で息をしながら冷や汗をタラタラと掻いていた。


「だ、大丈夫ですか?」

「えぇ、このくらい問題ないわ。さ、どうぞ」

「は、はい…お、お邪魔します」


 恐る恐る先生の家へお邪魔する。嫌な予感を内に秘めながら……

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