第2話 宿なし

 今日は5月2日。

 明日から世の中はGWに突入する。

 

 俺が通う県立下野谷高校2年3組の教室は、いつもと変わらぬ平穏な日常が毎日のように流れていた。


 教壇の前でクラスの担任、菅沢穂波すがさわほなみ、先生が帰りのSHRでてきぱきと用件だけを生徒たちに話している。 


 教壇の前に凛々しく立つ様は、若手教師とは思えぬ貫禄があり、一人のおふざけも許さないという鋭い視線、凍て付くような教室の空気感。今話を聞かずに教室内でふざけている奴は誰もいない。


「それでは明日からのGW、くれぐれも羽目を外し過ぎないように、以上! 日直、号令!」

「起立!」


 まるで軍隊のような掛け声を日直が掛けて、スッと全員が無駄な動作なく立ち上がり、ピシっと姿勢を正して先生に向き直る。


「気を付け、礼!」


 スっと角度30度で1・・・2・・・3・・・とお辞儀をしてまた姿勢を正す。

 それが終わってもなお、生徒たちは姿勢を崩さない。

 

 菅沢穂波教官は、出席簿など荷物を教壇でトントンと整えて抱えると、トコトコと教室のドアへと歩き出した。


「それでは、よいGWを」


 そう言い残してガラガラっとドアが閉められ、先生の足音が遠ざかる。


 それを確認して、ようやく生徒達の緊張の糸が切れ、教室の空気が弛緩する。皆が一同に、ふぅっと身体の力を抜いて脱力する。


「いやー、相変わらず氷の穂波健在だな」

「ほんと、何されるか分かったもんじゃねぇ」

「あと10か月近くあの人が担任だなんて、やってられないぜ・・・・・・」


 ぶつぶつと男子生徒からそう言った不満が漏れている。だが、これは軽蔑ではなく恐怖に近い感情であろう。


 うちのクラスの担任、菅沢穂波先生、教員になって3年目の彼女は、美人でありながらも凛々しい立ち姿やそのクールさとは裏腹に、刺々しい突き刺さるような話し口調や誰も近づけない強い眼光から、氷の穂波として生徒から恐れられている。



 氷の穂波のクラスになったら最後、一年間少しでも不祥事が起これば、ただじゃすまないと言われている。今まで生徒指導をした回数が過去3年間で10回以上。しかも、その全員が停学ないしは退学処分になっているという噂により、鬼の穂波という相性も付いているほどだ。


「はぁー、今日も穂波先生かっこよかったぁー」

「ああいう、他を寄せ付けないスマートな感じ。カッコいいよね!」

「分かる! 美人でクールで高嶺の花っていうか!」


 一方で、女子生徒からの評判はそうではないらしく、恐れる存在というよりは尊敬する先生という立ち位置らしい。

 一体あの鬼の穂波のどこがいいんだろうか?


「あ~あ。保奈美先生が担任だったらどれくらいうれしかった事やら・・・・・・」

「本当だよな。同じ名前でも大違い!」

「あの笑顔には毎日癒されるよなぁー」


 下野谷高校には『ほなみ』という名前の先生が二人いて、もう一人は保健の先生で名前を栄保奈美さかえほなみという。こちらは、誰からも愛されるほんわか系ふるふわ先生で、いつも可愛らしい笑顔を絶やさない可愛い系の先生だ。ちょっとドジで天然なところも見ているだけで癒される。

 穂波先生との対照的な感じから、美しい方の保奈美先生とか、小さい方の保奈美先生と言われている。何が小さいのか、それは察してほしい。


 何で鬼の穂波の方がでかいんだ。普通逆だろ神様? っと揶揄する声も少なくない。


 一方で、女子生徒からは保奈美先生の評価はそんなによくないらしく。


「絶対あれは裏があるって!」

「男子は分かってないわよねー」

「すぐ騙されるんだから」

「ホント、男子って馬鹿よね」


 と、めっちゃ陰口を叩かれている。


 ってか、最終的に保奈美先生の陰口ではなく、クラスの男子が馬鹿という結論になっているが、とにかく保奈美先生を好む女子生徒はあまりいない。


 まあそれは置いておくとして、俺は今日、人生最大のピンチを迎えようとしていた。



 この1カ月、実家をなくした俺は友達の家に1週間ほど居候させてもらいながら転々としていたのだが、今日ついに俺の命日が来るかもしれないのだ。


「恭太荷物どうする?」


 SHRが終わり、俺の元へ向かって来てそう述べたのは、昨日までお世話になっていたクラスメイトの大和市場やまといちばだ。


「今からお前と一緒に家に行って、荷物まとめてからバイト行くよ」

「わかった。それじゃあ、とっとと行くか!」


 教科書などをまとめてカバンに入れて、市場の家へ向かおうとした時、ふと後ろから声を掛けられた。


「よっ、恭太! GW中の宿は決まった?」


 そう尋ねてきたのは、俺の幼馴染で同じクラスの京町瑠香きょうまちるかだ。 茶髪の髪をポニーテールに結び、ブラウス越しでも分かるはち切れんばかりの胸のふくらみが特徴の美少女だ。


 俺は瑠香の問いかけに対して首を横に振る。


「そっかぁ……ごめんね、私の家が帰省しなきゃよかったんだけど」

「いや、仕方ないって。瑠香に迷惑ばかりはかけられないし」


 ご両親も顔なじみということもあり、はじめの一週間は瑠香の家に居候させてもらっていたのだが、流石にずっとは気が引けたため、翌週から別の友達の家を転々とした。というよりも、瑠香のご両親からの威圧感が半端なかったので避難したといった方がいい気がする。


 それからも何人かの家を転々としてきたのだが、GW中は何処の家も帰省や旅行に出かけてしまうとの事で、都合が合う家が中々おらず、ついに俺は宿をなくした。

 

 まあ、GW中はアルバイト三昧で、遊ぶ予定も特にないので、最悪漫画喫茶で何日かやり過ごせばどうにかなるだろうと、この時の俺は楽観的に見積もっていた。

 GW明けからは再び瑠香の家にお邪魔する予定となっている。


「俺も悪いな、GWは従妹がこっちに来るって言うからよ」


 市場が申し訳なさそうに謝ってくる。


「仕方ないって、家の事情が最優先だし」


 俺がそう取り繕うと、瑠香が気持ち前のめりで言ってくる。


「GW明けからはまた泊めてあげるからね?」

「ありがと」


 瑠香に優しく微笑みかけてから、俺はふと教室前にある時計を見つめた。


「おっと、そろそろ出ないとバイトの時間に間に合わねぇ。それじゃ、瑠香またGW明けに!」

「うん、またね!」


 胸元の辺りで手を振りながら瑠香は見送られ俺と市場は教室を後にした。この後起こる出来事などまだ知る由もなく……

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