第8-2話 歌のレッスンは有料ですか?




 土産を受け取った翌日から、仕事がわりと落ち着いている事もあり、空き時間に薫から勧められたアニメを見て勉強することにした。いくつかアニメを流していると、ある主題歌が耳に留まった。テンポも好みだし、これは覚えたい。

 譲でも誘ってカラオケでも行くか。アイツなら余程の用事がなければ乗ってくるだろう。


『譲、今日か明日あたり暇か? 暇だったらカラオケ行こうぜ。曲の練習したい』


 そうして譲に連絡を取ったのだが、相手は珍しく仕事で繁忙期を迎えているらしく、切羽詰ったような返信を送ってきた。


『すみません~! 今ちょっと忙しくて、一緒に行けなくてごめんなさい』


 すみません、のスタンプを連打してきている辺り、余裕がありそうに見えなくもないが、まぁ、相手が忙しいのはわかった。

 薫とは来週会うし、家の距離がちょっとあるから平日の今からでは誘いづらい。

 となると、家が近くて誘いやすいのはアイツか。

 土産を貰った日以降、時間はあいてもアイツの連絡に返信しているし、俺の誘いには乗ってきそうだ。


『今日、暇か? 仕事の後でカラオケ行かないか? 歌の練習してぇんだけど』


 送って数分経った後、即座に返信がくる。コイツ、仕事してるんだよな?


『定時で上がれるから、駅で待ち合わせしようぜ』


 OKのスタンプと共にきた内容は予想内の反応で、思わず口元が綻びてしまう。


『了解。じゃあ十八時半に駅で』


 こちらも返信すると、相手からは既読が付くだけで返信はなかった。

 待ち合わせの最寄り駅で時間通りに合流すると、俺とコイツはファストフード店で夕飯を食べてから、近くのカラオケ店へ足を運んだ。


 会員証は隆が出し、俺が最新曲のいっぱい入っている機種でと口を挟んで部屋が決められていく。ワンドリンク制なのでその場で飲み物を頼んでから割り振られた部屋へと向かった。


「カラオケとか久しぶりに来たわ」


 少し広めの部屋に入り、俺は充電されていた操作盤を取り出す。

隆はテレビの脇にしまわれていたマイクを取り出し、一本を俺に差し出してきた。


「お前も普通にカラオケとか行くんだな」

「どういう意味だそれは」

「お前って仕事ばっかしてるイメージだからさ」

「まぁ、それは否定しねぇけどな」


 苦笑しながら選曲し、最初は適当な曲を入れて声の調子を整えていく。途中でドリンクが届いて、隆がその対応をしているのを見ながら俺はそのまま歌っていた。一曲終わると、隆が軽い拍手をして、俺を見つめてくる。


「結構、歌うまいじゃねぇか」

「そうか? 周りが上手いのばっかだからこれくらいは普通だろ」

「…いや、きちんとリズム取れてるし、音程もしっかりしてるからおれは上手いと思うぜ」


 ただ上手い、じゃなく理由を教えられると悪い気はしない。


「でも、この曲がうまく歌えなくてさ」


 アニメの主題歌なんだけど、と俺が検索した曲を見せると、コイツもこの曲を知ってるという。


「ああ、これはいい曲だよな。どの辺が歌えねぇのかちょっと聞かせてくれよ」

「うまく歌えなくても笑うなよ?」


 そう言いながら検索した曲を送信する。すぐにイントロが流れ、俺はマイクを持って歌い出した。

 そうして歌っていると、途中で隆の表情が驚いたものに変化する。


 やっぱどっか間違ってたか?


 最後まで歌いきってから感想を聞こうとした所で、先に隆が口を開いた。


「お前、なんで途中から下のハモリパート歌ってたんだよ? そこのメロディラインは上の方だぞ?」

「え、マジか! 上ってどれだ」


 どの部分で? と問えば隆はマイクなしでその部分の上パートを歌い出す。その歌声がやっぱり綺麗で、ちょっと聞き惚れてしまった。


「…って感じだけど、聞いてたか?」

「聞いてたけどわかんねぇ」

「しゃあねぇな…一緒に歌ってやるから、もっかいこの曲入れてくれよ」

「わかった」


 言われるままに選曲して送信すると、先程も聞いたイントロが流れ出す。

 今度は隆もマイクを持って俺と一緒にメロディラインを歌い出す。途中、俺が間違えているという所までくるとアイツは上の主旋律を歌い、綺麗にハモっていた。


「今の所、違ってたのわかったか?」


 間奏中に言われたが、すぐには対応出来ない。


「ちょ、あとでもっかいその部分だけ歌って見せてくれよ」

「了解」


 慌てて言うと、隆は笑って応答し、曲の続きを歌い始めた。

 何度か練習し、なんとかメロディラインを歌えるようになったところで、俺は違う曲を歌い始めた。隆も普通に曲を入れて歌っていたが、コイツは元ボーカルだけあって本当に上手いんだ。そっちを本業にした方が良かったんじゃねぇのか、って今でも思いたくなるくらいだ。


 それからもいろんな曲を歌っていたらあっという間に二時間が経過し、カラオケは終了となった。


「あー、歌い足りねぇ気分」

「おれはどっちかってーと、飲みてぇ気分だけどな。ウチに来ないか?」


 なんなら、ウチでもうちょっと歌の練習付き合ってやるけど、と言われ心がぐらつく。

 まぁ、誘ったのはこっちからだし、ちょっとぐらい付き合うのはいいか。


「旨い酒があるなら行ってもいいけど?」

「酒ならまかせとけ」


 上機嫌で応える隆に、コイツも現金だなと内心で笑ってみせた。




 隆の家へ来るのはこれで三度目だ。古いアパート一階の奥の部屋。近所という事もあって、既に場所は覚えてしまっている。


「早く鍵開けろ」

「先行くなよ。ほら、開けたぞ」


 鍵と扉をあけて中へ入るよう促す隆に、小さく「お邪魔します」と口にして中へ入った。

 俺が部屋の電気をつけて、居間に敷いてあるラグの上に座り込むと、隆はスマートフォンをテーブルに置きながら話し出した。


「今日、暑かったから汗かいてるだろ? 先にシャワーでも浴びて来いよ」


 確かに汗はかいてるし、人混みの中を歩いた服装を着替えてしまいたいのはやまやまだが、泊まるつもりなんてなかった為、今日は着替えを持ってきていない。


「いや、着替え持ってきてねぇし」

「着替えぐらい貸すけど」


隆が寝室から洗い立てのスウェットとTシャツ、新品のボクサーパンツを一式セットで持ってくる。


「服は新品じゃなくて悪ィけど、パンツは新品だから勘弁してくれ」


隆はそう言うが、近所なんだし、一度家に帰ってシャワー浴びてきた方が早いんじゃないだろうか。


…それに大事な事がもう一つ。


「それ、パンツのサイズ、違わねぇ?」


 同じ男としては悔しいが、コイツの方が身長あるし、体格もいい。服のサイズも大分違うと思うんだが。


「そこを指摘すんのかよ! まぁ、少しぐらい大きくても平気じゃねぇ? 大体使い古しよりマシだろ。それにイチイチ家まで戻ってたら歌の練習する時間なくなるし、飲むなら、もういっそ今日はウチに泊まりでいいんじゃねぇか?」


 苦笑しながら告げる隆にそれもそうか、と思い直して、素直に着替えを借りてしまう事にした。


「じゃあ、先にシャワー借りるわ」


 渡された服を一度横に置き、スマートフォンや時計をテーブルの上に置くと服を脱いで風呂場へと向かった。

 シャワーを浴びながら、さっきまでカラオケで歌っていたアニメ主題歌を口ずさむ。やっぱり途中から下の音程に流れてしまうので、まだ練習が必要だと脳裏で呟いた。


 あ、そういや泊まりになるって家に連絡入れてねぇわ。風呂を出たら連絡入れとかねぇとな。

 浴室を出ると、今度は入れ替わりで隆がシャワーを浴びてくることになった。


「お茶とか酒、出してあるから先に飲んで待っててくれよ」

「わかった」


借りた着替えを身につけて、テーブルに目を向けると卓上には隆が言ったとおり、既にお茶や酒などの飲み物の準備がされていた。喉が渇いていた俺は、まずは座り込んで注がれていたお茶に口をつける。程よく冷えたお茶が喉を通るのが心地良い。


 一心地ついたところで、俺は次に自分の家へと連絡を入れた。両親は既に休んでいると困るので、連絡のつきそうな兄貴に連絡をしておく。また友達の所か、と言われたが適当に誤魔化しておいた。

 そういやコイツとの関係って何なんだろうな。友達、といわれれば友達なのか。からかってるのは面白いが、それだけのような気もする。


「なんだ、先に飲み始めてるかと思ったけど、まだ飲んでねぇのか」


 上がってきた隆に声を掛けられ、ハッとしてスマートフォンから目を離すと声の主を見上げた。


「家主より先に酒を飲むほど、礼儀知らずじゃねぇよ」

「ふぅん…そっか」


 隆は小さく頷きながら二人分の酒を注ぎ、片方のグラスを持ち上げる。


「んじゃ、乾杯」

「乾杯」


 グラスを鳴らしてから口をつけると、甘いラムの風味が口内に広がった。


「このラム、旨い」

「だろ? 結構お気に入りなんだぜ」


 満面の笑みで赤い瓶を揺らして見せる隆に、こういう所が犬っぽいんだよな、と苦笑してしまう。


「そういやさっきの店で聞いて思ったんだけど、やっぱお前カラオケも上手いのな」

「そうか? まぁ、音程は外さねぇけど」

「さすが元ボーカル。なんか、ボイトレとかしてたのか?」

「ボイトレというか、おれは元々音大出てんだ。声楽出身」

「マジか!」


 初耳な内容に、ますます歌を専門でやってた方が良かったんじゃねぇのかという思いが沸いてくる。


「歌を仕事にしようとは思わなかったのか?」

「あー…多少は考えたけどよ、クラシックはガラじゃねぇし、おれ程度の歌い手なんて結構いるだろ」

「そういうもんなのか?」


 あんなに上手いのに、それでもコイツがそういうなんて、随分と歌の世界は狭き門なんなんだな。まぁ、デザインも似たようなもんか。


「ボーカルやれてたのも皆の力があってこそだし、おれだけだと厳しいだろうな。それで歌と同じぐれぇ話を書くのも好きだったし、今は文章で飯を食えるようになるのを目指してるところだな」

「前に言ってた目指してる事、ってのがそれか。随分畑違いの方向に進んだんだな」


 歌と文章じゃ大分方向性が違う気がする。表現する、という点ではイメージは似てるがそれでも難しそうだ。


「まぁな。最初はセンセイとかも考えたけど、文章を書くなら派遣のほうが時間が自由になるしさ」

「…先生ってことは、人に教えるのとかもできんのか?」

「そりゃな」

「へぇ、やっぱ音大だとそういう授業とかもあるのか?」

「そういう授業があるんじゃなくて、指導のセミナーも通ってたし、こんなナリでも教員免許持ってるからそれぐらいは訳ねぇよ」


 声楽専攻に教員免許の取得まで、初耳だらけの発言に、こんな強面の先生とかどうなんだよ、と思わず声を上げて笑ってしまった。


「こーら、笑うんじゃねぇよ」

「だって、お前が先生とか、面白すぎだろ」

「歌のセンセイならやれてるっての」

「そうだったな。なぁ、センセー、歌教えてくれよ?」


 ニヤニヤ笑って見せると、頬を指で軽く撫でられた。


「教えてやるよ、ゆっくりな?」


 そう言って隆は俺を見つめると、今度は俺の腹に手をあてる。


「歌うときは腹筋に力入れて、腹から声を出すんだ」


 お前の腹、薄いなーと呟きながら、隆は俺の腹を撫で回した。


「…ちょ、指導ってそんな触り方すんのかよ…! ヤラしいだろッ…」


 脇腹まで撫でられるとくすぐったくて、俺は身体を捩って軽く睨みつける。


「ばーか、イヤラシイ触り方ってのはこうやるんだよ…」


 指先でなぞる様に腹を撫で回され、今度はゾクリと背筋が粟立つ。


「歌の指導してくれんじゃねーのか…」


 からかいすぎたな、これは。全く…もう歌のレッスンどころじゃねぇし、相手がその気なら少し付き合ってやるか。


「お前、発情しすぎじゃねぇの?」

「そうじゃねぇよ、好きな相手が目の前にいたら、触りたくなるモンだろ? こうやって、さ…」


 背筋をなぞられると、俺の口から小さな吐息が漏れる。次いでその吐息を塞ぐように唇が重ねられた。


「ん…っ……」


 身体を抱き締められながら、ゆっくりと隆の腕が腰に回り、腰骨の辺りを撫でられる。

 その撫で方がくすぐったいやら、何やらで俺はじっとしていられなくなった。


「…くすぐったい…って…」

「すぐにそう言ってられなくなる」


 その場に押し倒されて再度唇を重ねられる。舌を絡ませると、ラムの味が仄かに舌を伝ってきた。

 普段、こういうディープなキスは好きじゃねぇんだけど、コイツとのキスは悪くねぇんだよな。あんまベタベタしないし。

「甘ェ……」

「ミートソースよりはいいだろ」


 再度口付けして、服を脱がされる。俺ばっかり脱がされるのが癪で隆の服も脱がせると、見事な腹筋が目に飛び込んできた。思わず指で形をなぞる。


「やべぇ、お前のその腹筋なんなの? 歌ってそんなに腹筋使うのか?」

「まぁ、腹筋は結構鍛えた方だな」


 隆の腹を触る俺の手を掴むと、隆はニヤリと笑って俺の指先にキスをしてきた。


「…だから、お前の触り方、ヤラしい……」

「ヤラしい事してるしな?」


 そのまま腕から肩、首、とキスを落とされる。そのまま今度は下着ごとスウェットを脱がされ、やっぱりサイズが大きいと脱がされやすい、だなんて関係ないことを考えていた。


「ちょ…、欲求不満かよ? ばぁか…」


 皮肉を言いながら隆の髪を掴んで、さりげなく引き離そうとするが、その気になった駄犬には無駄なようだ。


 全く…よくもこうサカれるもんだ。こっちはそもそも、欲求自体人より少ないほうなんだ。普段は仕事ばっかで自慰だってろくにしねぇってのに。


 ああでも、コイツにはまだ元カレ云々でからかってる最中だったか。ここで燃料投下しとくのもいいかもな?


「…そう、だな…元カレともまだヤる機会がねぇしな……」


 俺の発言に隆の目がギラつく。あー、いい発火材料になったみてぇだな。こういうトコが面白ぇんだよな、コイツ。


「……でも、野郎相手はおれがハジメテなんだよな?」


 あ、やべぇ。そんな事言ってたか。


「まぁ、な。今後はわかんねぇけどな?」


 ニヤリとほくそ笑んで見せると、相手は俺の首の付け根に噛み付くようなキスを落として痕をつけると、耳朶に軽く噛み付いて囁いてきた。


「…今、この姿を見てるのはおれだけだ…好きだ、恒」


 耳の裏にキスをされ、ビクリと身体が揺れる。


 この声は、本当にヤバイ。好きとか、そういうのはわからなくてもこの声だけは、相手に少し付き合ってやってもいい程度には気に入ってる。


「ばーか…知らねぇ、よ…」


 ふい、と横を向いて視線を逸らす。そうして誤魔化すと、隆は嬉々として笑って見せた。




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