第7話 売られたケンカは買う主義です
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明彦に説教を受けてカミングアウトしてからというもの、おれは不安はあるものの、迷う事を止めた。
オレが恒を好きなのに変わりはない。アイツがどこを向いてようと、最終的におれを向かせればいいだけの話じゃねぇか。
それなら、やることは変わらない。いつものように攻めて、攻めて、攻めまくるのみだ。
こうして迷いを止めた途端、アイツから一度だけ「後でな」と返信がきた。
その言葉を信じて、おれはアイツにまた連絡を送り続けた。
『こういうところに、お前と旅行来れたら良かったのに』
『今度はお前と見てみてぇな』
『元カレとも旅行とかしたのか?』
『お前の好きそうな土産買ったぞ』
『まだ、元カレのところなのか?』
等々…この旅行の内容も交えて送ってみたりして、送る内容に悩む事はあるけど、無理にアイツへの想いを封印して爆発するよりこっちの方が断然気楽で良かった。
おれとしてはそうして気楽に旅行を再開したつもりでいたが、その後も返ってこない返信を待っている様子は仲間から見たら大分気が張った様子だったらしく、最終日の土曜の午後、東京駅に着いた際も仲間からは「早く休んでくださいね」と気を使われ、明彦にも「家に帰って休め」と促されてしまい、おれたちは最終日の飲み会を開催せず早々に帰宅となってしまった。
帰宅を促されてしまえば、今まで棚上げしていた事柄がずしりとおれの肩に圧し掛かってくる。
『今、最寄り駅まで帰って来たぞ』
送ったところで、既読は付くが返信はない。いつものこと、と言ってしまえばそれまでだが、おれには一抹の不安が脳裏を過ぎる。
――アイツの元カレの存在。
今もソイツのところに行ってるのか? 返事がないのはそのせいなのか…?
家に足を向けるという事は、アイツの家にも近づく事になる。
もし今、アイツとその元カレが一緒に歩いている姿を見てしまったら、おれは正気でいられるだろうか。
…その存在が本当かどうかもわからないけれど、今はまだ、見たくはない。
そんな考えが頭の中を巡ってしまうともういてもたってもいられず、歩いて帰ることが億劫になり、徒歩二十分の距離にも関わらずタクシーに飛び乗ってしまった。
家まで着くと荷物を担いで部屋の中に入る。しん、とした空気に出迎えられ、思わず深い溜息が零れた。
一人暮らしの寂しい部屋の中、荷物を片付けることもなく、居間で身体を横たえる。
心底疲れていた。攻めまくるには、体力も気力も充実してねぇと、本当に厳しい。
聞きたいことで頭がパンクしそうだったが、アイツから返答が来ない限り、おれの関与できることじゃねぇ。
もし、アイツが元カレとヨリを戻していたとしても、構わねぇから奪ってやると宣言出来るだけの強さがおれにあるだろうか。
昔のおれならいざ知らず、今のおれは小説家志望のしがない派遣社員で、アイツは新進気鋭と評判のデザイナー様々だ。アイツ自身がおれを認めてなんかくれないだろう。
ああ、考えるだけで涙が出そうだ。『好き』という気持ちだけでアイツを振り向かせられたら良いのに。その気持ちだけなら誰にも負けない自信があるから。何も言ってこないアイツに一目でも会いたかった。
――そうだ、お土産買ってきたんだった。
この気持ちのまま会うのも気が引けたが、折角買ってきたお土産だけでも早めに渡してしまおう。
連絡、入れねぇと…と赤いスマートフォンを取り出すとアイツにLINEを送る。
『土産だけでも渡してぇんだけど、今からちょっとでも会えないか? なんなら家まで届けに行くし』
幸か不幸か、家までは徒歩五分の距離である。今すぐ届けに行けるくらいには時間に余裕があった。
『今からはちょっと難しい。明日なら特に用事も入ってねぇから駅とかで会わないか? 土産の礼に飯でも奢るわ』
少しして、アイツからは今まで返信がなかったのが嘘のように普通の文章が送られてきた。
明日か…なら、一日いっぱい会えるよう、時間を使いたい。
緊張しながら内容を打つと、返信してみる。
『礼なら、飯作ってくれないか? こないだのミートソースめっちゃ旨かったし、また食いたい』
これなら、飯作ってる間、家にも来てもらえるし、話をするのにも丁度いいかもしれない。
『じゃあ、作ってやるよ』
『ああ。腹いっぱい食わせてくれよな』
『わかった』
短く返事がきて、会話は終了となった。
なんだか、普通に会話しちまったけど、結局元カレ云々のことはどうなんだ?
気になるけど、この会話の後に再度蒸し返すのも躊躇われた。
…明日、会って話せばいいか。
疲れているのも相まって、明日までこの話題はお預けにすることにした。
翌日曜日。泥のように寝ていたおれに、恒からLINE通話が掛かってきた。
「もしもし…」
寝ぼけながら通話状態にすると、恒の声が耳に飛び込んでくる。
「おい、お前ん家に調味料何あるか教えろ」
「…調味料? 塩とか?」
「塩しかねぇのかよ! 胡椒は?」
「胡椒は塩と一緒になってるやつがある…」
「まじか…じゃあケチャップは?」
「ケチャップ…どうだったかな……」
ぼんやりと冷蔵庫の中身を思い出そうとするが、寝起きの頭はすぐには働かない。
「…あー、埒があかねぇから、今からそっち行くわ」
短い応対で会話は一方的に切られた。
今の、何だったんだ? ってゆーか、今から来るって言ってたよな…。
少したって頭の回転もようやく上がってきて、こうしている場合じゃねぇ、と即座に着替えを済ませた。
その直後、玄関のチャイムが鳴らされ、恒が顔を出した。
「お前ん家に何の調味料があるか、さっきの電話じゃわかりづらかったし、自分の目で把握したほうが早いと思ってさ」
言いながら恒はキッチン周りを漁っていく。
「ちょ、醤油もなければ、みりん、料理酒、砂糖に味噌もねぇのかよ…煮物とか作んねぇの?」
「作った事はねぇな…」
恒はそう質問してきたが、おれに必要なのは麺つゆとお酢、マヨネーズと塩ぐらいなものだ。それさえあれば蕎麦とパスタは作って食えるし、味の変化も出せるしな。
「ここまで調味料なんにもねぇと思わなかった……お前、マジで何食って生活してんの?」
「蕎麦とパスタ?」
「麺だけじゃねぇか」
お前の食生活心配になってきた、と呟きながら、恒は足りない調味料と必要そうな食材を探っていく。
「つーかお前ん家、調味料どころかろくな食材もねぇな…たまねぎとか常備しないモンなのか?」
ローレルもコンソメもケチャップもソースもねぇし、と恒のぼやきはもはや呆れ声になっていた。
それにしてもローレルってどういうモンなんだ? 初めて聞いたわ。
その疑問を口にすると、恒は驚いた顔でおれを見つめてきた。え、そんなに驚くようなこと言ったのか、おれは。
結局パスタも切らしていたため、調味料だけでなく食材そのものがほとんどないという事が判明し、一式買い揃える事になった。
「…よし。今から買い出し行くから、チャリ貸せ」
鍵よこせ、という恒に対し、おれは笑ったまま相手に話しかける。
「…つーか、チャリでも荷物多いと大変だろ? 荷物持ちしてやるから一緒に行こうぜ」
「それもそうだな…お前が食うモンだし、荷物くらい持たせてやってもいいぜ」
偉そうに告げる恒を見て、やっぱり可愛いだなんて思ってしまうのは本当に重症としか言いようがない。
ああクソッ…こういうのは惚れたほうが負けとはよく言ったもんだ。
そうして一緒に近所のスーパーまで買い出しに出かけた。ミートソースを作るのに必要な野菜や合い挽き肉やトマト缶、先程足りないと言っていたローレルやコンソメ、ケチャップ、ソース等…一式買い揃えた荷物は膨大な量になってしまっていた。
おれはというと、一緒にこうしてスーパーで買い出ししてるのがデートみたいだな、なんて内心ではしゃいでいたのだが、恒からしたら単なる荷物持ちでしかねぇんだよなぁ…と気持ちの浮き沈みが激しくて仕方がない。
「荷物詰めたらさっさと帰るぞ」
作る時間なくなるだろが、と追い立てる恒に、もう少しデート気分を味わわせてくれてもいいのに、と心の中で呟くのだった。
家に帰ると恒は早速調理へと取り掛かる。ウチの台所が狭い事もあり、恒は自分の家と勝手が違うと文句を言いながら作業は進められていく。
その間、おれは材料を渡したり、洗い物をしたり、と補助的なことをしながら恒の調理姿を眺めていた。
…コイツ、本当に料理作れるんだな。
顔も良くて、スタイル良くて、仕事もこなせて料理も出来るって、完璧すぎないか、お前。
おれも料理が作れない訳じゃねぇけど、面倒くさくなってほとんど作った例がない。こういう姿を見せられると惚れ直すじゃねぇか。
煮込む段階までいくと、後はパスタを茹でるだけとなり、恒はおれに話しかけてきた。
「本当はもう少し煮込みたいんだけど、どうする? 今食べるか?」
「今すぐ食いてぇ」
「わかった。パスタ茹でるからそっちで待ってろよ」
おれに居間で座って待ってるように言い、フライパンでパスタが茹でられていく。
座って待っている間も、ミートソースの旨そうな匂いが部屋の中に漂ってきて、その匂いだけで腹が鳴った。
「もうじき出来るぞ」
「すっげー楽しみだわ。匂いだけで、腹減っちまったぜ」
起き抜けに恒が来て買い出しに行ってたので、まだ朝から何も口にしていない事になる。
正確に言えば、昨日の夜から何も食べていない。旅行から帰ってすぐという事もあり、億劫で食べる気になれなかったのだ。
数分待っていると、恒が山盛りのミートソースを一枚の皿に盛り付けてやってきた。
「あれ、お前のは?」
「俺はあんまり腹減ってねぇから、お前からちょっとだけもらう」
おい、それって間接キスだろ? お前、好きだって言われてる相手にそういう事簡単にするのな。それとも元カレがいて他の男なんて何とも思ってねぇからそんな事するのか?
今日話題にしようと思っていたことが自然と頭を掠め、思わず複雑そうな表情を浮かべてしまった。
「あ、お前の分全部はとらねぇから安心しろよ」
――違う、そうじゃない。
ガクリと肩を落とし、元カレ云々の話は頭の片隅に追いやりながら、おれはミートソースに口をつけた。
やっぱり旨い。前のより旨い気がする。
「あー、マジで旨い。前のより今日の方が旨いと思う」
「そうか?」
首を傾げながら味見、と言っておれからフォークを奪うと、少しだけ巻き取って自分の口に放り込んだ。
「まぁ、旨いって言われんのは嬉しいけど」
やっぱまだちょっと薄いな、と恒は笑って再度パスタを巻き取って一口食べている。
その笑顔も、やっぱり可愛くて仕方がない。
男相手に可愛い、って表現もどうかとは思うけど、あいつの笑顔は見ていて好きだな、って思う。
フォークを返してもらうと、おれはそこからがっつくようにしてミートソースを平らげた。
山盛りになっていたミートソースもあっという間になくなり、おれは満足げに笑みを浮かべた。
「あー、腹いっぱいだぜ…」
「ソースはまだあるから、後で冷凍にでもしとけよ」
「わかった、サンキュ」
そう頷いてからまだ土産を渡していない事に気付き、置き去りになっていた荷物の中から恒への土産を取り出した。
「遅くなって悪ィ…お前への土産」
銘菓にもなっている和菓子の箱と洋菓子の箱、酒瓶を手渡し、それだと持って帰りづれぇよな、と袋に入れ直す。
「これ、一人分ではねぇなァ」
苦笑しながらも、恒は拒否しないで袋を受け取る。
「家族とでも一緒に食ってくれよ」
「そうだな、ありがたく貰っとくわ」
穏やかな空気がおれたちの間に流れていた。今なら聞けるかもしれない。そう思い口を開いた瞬間、恒が先に言葉を発した。
「じゃあ、土産も貰ったことだし、そろそろ帰るわ」
またな、と玄関へ向かいかけた恒の腕を掴んで引き止める。
「…ちょっと待てよ。まだ、話がある」
途端、相手の顔が少しきょとんとした。
「話ってなんだ?」
「こないだ言ってた『元カレ』のことだ…」
ズキリ、と胸の奥が痛む。正直、恒の口から本当の事を聞くのが怖ェ。でも、旅行中散々悩まされた内容を聞かないわけにはいかなかった。
「お前、その…元カレって本当にいるのか…?」
おれが問い掛けると、恒の目が見開き、次いで口元が俄かに吊り上った。
「何なら会ってみるか? 再来週、幕張でやるイベントをアイツと一緒に見に行くんだ」
お前一人増えてもアイツは文句言わねぇよ、と挑発のような言葉を聞いて、勿論、参加してやる! と語気を荒げて言い切ってしまった。
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