第3-2話 起死回生のチャンス到来






 翌朝。

 携帯のアラームが鳴り響いて、恒がもぞりと動いた。自分の携帯アラームじゃない事を確認し、寝ぼけ眼で辺りを見回す。


「…ん、あれ…俺、寝ちまってたか?」

「寝ちまってたか、じゃねぇよ。いきなりベッドに倒れこむから、お前生きてんのか、って心配になっただろうが」


 恒の髪をかき回すようにして頭を撫で、顔を近づけて告げると、相手は納得したように笑っておれを見つめた。


「疲れて酒飲むと高確率で寝ちまうんだよなぁ」


 悪ィ、の一言で済ませて、恒はおれの携帯アラームを勝手に止めた。


「あー、でもお前のアラームのおかげで助かったわ。今日は用事あるから早めに家に帰ろうと思ってたんだよ」


 せっかく二人でベッドにいる――しかも昨日とは違ってちゃんと意識がある――状態で、チャンスだと思っていたのに、もう帰るのかよ。思わず不満が口を突いて出た。


「マジか。昨日そんな事一言も言わなかったじゃねぇか」

「朝に帰れば問題ないから言う必要ねェと思ってさ」


 そう言うと恒はさっさとベッドを降りて身支度を整えていく。

 相手が早々と帰ろうとしているのに、そこを引き止める手立てが上手く思いつかない。


「あ、昨日の酒の代金、今度払うわ」


 割り勘でいいだろ? と玄関先で告げてくる。このままだとそのまま帰られてしまうため、おれも急いで玄関へ向かった。


「代金は別にいいから…送ってく」

「は? 別に送ってもらう必要なんてねぇだろ」

「でも駅まで結構道わかりづらいし」

「道は覚えてるからいらねぇ」


 んじゃまたな、と玄関を開けて出て行くアイツに、引き止める言葉も出せず、またなとだけ告げておれは玄関先に取り残されてしまった。


 テーブルの上には飲み交わした酒の残りやグラスが出しっぱなしにされており――さすがに生ものは食べつくした――空虚感が漂っている。

 後の祭りとはこういうことを言うんだっけか。


「あぁ…マジ、何やってんだおれは……」


 深々と溜息をついて、ベッドへと戻っていく。

 さっきまでアイツが此処に寝てたんだよな…と思った瞬間、自分とは違う香りがタオルケットから立ち上ってきて、一気に頭に血が上った。


 これは別の意味でヤバイ。ここにいると本当にやばい事になる。


 頭を冷やす為にも、今日は外出して外で作業でもした方が良さそうだ。

 顔を洗って身支度を整える。テーブルの上もきちんと片付けようとして、自分のものとは違うピアスが置かれているのに気が付いた。

それがすぐアイツが昨日つけていたものだというのにも気が付いて、忘れ物を理由にまたすぐ会えるといいのに、と片付けも忘れて会える口実を考え始めるが、口実なんて結局すぐに思いつく筈もなく、無常の中、テーブルの上を片付けるに留まるのだった。






 片付けを済ませると、ノートパソコンや資料をまとめて図書館へと足を運んだ。

 大賞の締め切りも忘れて、アイツに夢中になっていた、なんてのは言い訳だ。

ずっと文章がまとまらない。書きたい気持ちはあるのに、それが形になってくれねぇ。それも逃げでしかないのかもしれねぇけど。


 今日はアイツのことを一時的に忘れてでも、作業にのめりこんでしまおう。


 その勢いでがむしゃらに書き進めてみると、あんなに書けなかったのに集中して進められ、気が付くと閉館時間に程近く、人の姿も随分まばらとなっていた。

 昼飯も食わず、ずっと書き上げていたので身体が凝り固まっている。両腕を上にあげて伸びをすると、パソコンから視線を離して周囲を見回した。


「あ」


 そこに、朝に出て行った今一番会いたかった顔があり、苦笑を浮かべながら挨拶をする。


「…よお」


 相手はびっくりした表情でこちらを見てきたが、本棚の前からこっちまで移動し、小さな声で話しかけてきた。


「今日はお前、ここを利用してたのか」

「それはこっちの台詞だ。用事あるって言ってなかったか?」

「用事終わったから、本を探しにきてたんだよ」

「そっか」


 ま、そういうこともあるだろうな。コイツもよくこの図書館を利用しているみたいだし。


「…そういえばお前、ウチに忘れ物してっただろ」

「あ、やっぱりお前ん家に置き忘れてたのか。家についてからないのに気付いてさ。失くしたかとも思ったんだけど」

「今は持ってきてねぇけど、家には保管してある」

「そうか、ありがとな」


 軽く笑う相手に今がチャンスじゃねぇか、と今思いついた『口実』を口にしてみた。


「なんなら、忘れ物取りに来るついでに今日も泊まりに来るか? 酒も一人じゃ飲みきらねぇし」

「いや、さすがに連日とか悪いだろ。明日月曜だし、お前、仕事だろ?」

「別にかまわねぇ。大丈夫だから」


 語気を強めて言ってから、ここが図書館だというのに気付いて再度、声をしぼめる。


「…迷惑とかはねぇから」


 そう言うと恒は少し考えてから言葉を紡いだ。


「うーん…そういや酒代とか払ってねぇんだよな…」


 それは別にいらねぇ、と言いかけたところを遮って恒が言葉を繋ぐ。


「夕飯食べてねぇよな? なら、今日の夕飯をうちから差し入れるっていうのでどうだ? 俺、実家暮らしだし。結構大量に飯作るんだよ。お前一人分ぐらいどうってことねぇよ」


 兄弟がいるってのは聞いていたが、実家暮らしだというのは初めて聞いた。


「あぁ、それマジで助かる。飯はいつも外食かコンビニ弁当ばっかだから、手料理とか嬉しいわ」


 正直な感想を告げて、笑顔を浮かべる。家庭的な料理とか、最近食べてねぇんだよな。それに差し入れてくれる飯にも興味あるし。


「じゃあ、決まりだな。帰り、ウチに寄ってくれるか?」

「勿論」


 話がまとまったところで、おれはノートパソコンの画面に保存を書け、電源を落とすと帰り支度を始めた。恒も借りる本を見つけて自動貸出機で本を借りると、一緒に図書館を後にした。

 恒の家に寄るという話だったので東口を歩くのかと思えば、相手はどんどんおれの家と同じ方角へと歩いていく。

 訝しげに思いながらも疑問を口にせず、別の会話で恒の後をついていく。


「兄貴がいるのは聞いてたが、実家暮らしなんだな」

「ああ。兄貴二人と両親とおれ、犬、猫で五人と二匹で全部だな」

「あー、あのアイコンの猫な」

「馬鹿可愛いんだ、ウチの猫」


可愛がっている様子を見せながらも、とうとうおれの家に向かう途中のコンビニがある通りまで来てしまい、少し混乱しながら横断歩道を渡る。細い路地を右手に曲がってすぐの私道まで来ると、恒はおれをここで待つように告げた。


「お前んち、ここから近いのか?」

「近いもなにも、ここだ」


 私道脇に建つ煉瓦の壁に囲まれた家を指差して笑ってみせる。


 え、マジか。こんなに近くに家族と住んでいたとは思わなかった。


「荷物置いて、着替えと飯持ってくるから少しだけ待ってろよ」


 恒の言葉を聞いて、おれはハッと我に帰る。


「家族に挨拶とか…」

「あー、今日は別にいいし。また今度ウチに来るときな」

「わかった。じゃあ、待ってるから」


 小さく頷き、おれは私道の入り口で待つことになった。

 そうして十分ほど待っていると、恒が荷物を抱えながら戻ってきた。鞄とは別にスーパーの袋のようなビニール袋を提げている。


「これ、お前の飯」

「サンキュ。中身なんだ?」

「今日は自家製ミートソーススパゲティ。旨いぞ」


 自信満々に告げる恒に、おれは食べるのが楽しみになってきていた。

 そこから歩いて五分ほどでおれの家に着いた。こんなに近いんじゃ、朝に送るって言った時に断る筈だよな。

 鍵を開け、先に恒を中に上がらせてから扉を閉めると鍵をかける。


「飯の前にシャワー貸りるぞ。今日は外出してたから汗かいてんだ」

「洗濯機の上の棚にバスタオルがあるから使ってくれ」

「了解」


 言って恒は無造作に脱ぎ始める。ちょ、風呂場の前にカーテンあるからそこで脱げよ!

 文句を言うと、面倒くせぇの一言で終了し、恒はそのまま素っ裸になって風呂場へと向かっていった。

 恒の裸を見れんのはちょっと嬉しいが、こっちにも一応対応する時間ってものをくれよ。まだドギマギしてんだろが。


 本当に、アイツには振り回されっぱなしで困る。


 短い時間でシャワーを済ませると、恒は持ってきたTシャツと黒のスウェットに着替えたので、おれもシャワーを浴びて寝巻き代わりのシャツとグレーのスウェットに着替える。さすがにおれは恒の前で素っ裸になる勇気はなく、着替えを持って風呂場に向かい、仕切りを閉めて入った。別に気にしねぇのに、と恒は言っていたが、そういう問題ではない。

 着替えも済むと恒が持ってきたミートソースで晩酌することにした。皿に移し変えて暖めなおし、昨日開けなかった会津の日本酒を用意する。


 お互いに乾杯すると、カチンというグラスの小気味良い音が鳴り響いた。

 相手はミートソースより先に日本酒に口を付け、気に入ったのかまた杯を重ねている。おれは酒を一口飲んだ後、早速ミートソースに口をつけた。思っていた以上に濃厚で、挽肉と野菜のうまみの混じりあった味に深みのあるソースだった。


「何だコレ、マジで旨い。今まで食べたものより断然旨い」

「だろ?」


 恒がドヤ顔で告げるのにも頷ける旨さだ。


「コレ食った後だと、レトルトのミートソース食えなさそうだわ」


 あまりの旨さに勢いよく食べ始め、あっという間に完食してしまった。


「あー、もう無くなっちまった…もっと腹いっぱい食いたいぐれぇだ」


完食したおれの勢いに恒はちょっとびっくりしていたが、そんなおれを見て嬉しそうに笑みを浮かべていた。


「そんなに気に入ったんなら、今度作ってやるよ」

「ホントか! マジで嬉しいわ」


 おれも満面の笑みで返すと、恒はますます笑みを強めて笑った。

 そこからツマミなしで酒を飲み交わす事になり、おれも手酌でおかわりを注ぐと、相手にも勧める。


「昨日気付いたけどお前、ピアスの穴あけてたんだな」

「ああ。右と左で一つずつだけどな」


 お前も空けてるんだよな、と問われ、右に二個、左に三個空いてると答える。


「ライブの時の名残で、今はそんなじゃらじゃらつけたりはしてねぇ」

「へぇ、いいな。俺ももう一個あけようかと思ってるトコなんだよ」

「どっちにあけるんだ?」

「左に一個かな」


 そう言う恒におれは恒の左耳たぶに軽く触る。


 ――昨日告白してるし、今日も泊まりに来るぐらいだ、イケるよな? まぁ、嫌がられたらやめてジョークにしてしまおう。


内心で呟いて、触れた耳朶にそっとキスを落とした。


「恒…好きだぜ」

「…ちょ、くすぐってェ……」


 とびきりの声で囁いて見せると、相手は嫌がる様子を見せず、ただくすぐったいとだけ告げた。


 嫌がってないってことは、進めてもいいってことだよな?


 おれは恒の頬に軽く触れると今度は唇を重ね、呼気を取り入れようと薄く開いた口に舌を差し込み、歯列を軽くなぞった。相手も応えるように舌を絡めてくる。

 唇が離れると、恒は薄く笑って言葉を投げかけてきた。


「…ミートソースの味がする」

「さっき食ってたからな」


 今気にするところってそこなのかよ? 変なところを気にするんだな。

面白そうに笑って再度キスしようとすると今度は頭を押され、笑いながら制止された。


「こら、酔ってんのかよ?」

「酔ってるかもな…」


 お前に、とは言わねぇ。誤魔化しのきくように答えてそこから押し倒そうとすると、恒は肩に手を置いて、軽く非難するように口を開いた。


「俺、男相手は初めてなんだけど」

「心配すんな、おれも初めてだ」

「ハジメテ同士とか、怪我すんのがオチじゃねぇか」


 爆笑しながら、恒は自分のスマートフォンで何かを調べ始める。


「ほら、男同士のやり方。こーゆーのらしいぞ」


 おれに図解を見せて、ケラケラ笑っている。ちょ、お前どこでその図解検索した。


「一回それ見せろ」


 携帯を借りてその図解を見ると、やたら詳しく解説されていたが、ようするに第二間接を腹側に曲げた辺りに前立腺というのがあって、そこを押すと快感に繋がるということがわかった。

 こういうヤり方、今時じゃ検索まで出来るもんなんだな。納得しながら携帯を返すと、恒が再度何かを調べてさも面白そうに口を開いた。


「あ、男同士だとバニラセックスって挿れねェヤツも主流らしいぞ?」


 …だから、どこでそんなの検索してんだよ、お前は。

 そういって携帯を見せてくる恒の唇に軽くキスして耳元で囁く。


「今日は最初はなっから挿れるつもりはねぇよ。だから、安心してヤろうぜ?」


 耳を肩に寄せ、くすぐったそうにしている恒がちょっと面白そうな表情でこっちを見た。


「ここでやんのかよ?」

「…それもそうだな。ベッド行くか」


 相手を促してベッドへ向かわせる。おれは手持ちにローションがないため、さっき調べた際に必要そうだと思ったバスタオルとオリーブオイルを用意してからベッドへと向かった。


「ほら、一回避けてくれ。これ敷いたほうが良さそうだからな」

「めんどくせぇなァ…」


 先にベッドへ横たわっていた恒はぼやきつつもなんとか横に避ける。空いたスペースにバスタオルを敷き、その上に恒を寝かせると、恒はナイトテーブルに置いたオリーブオイルを面白そうに見つめ、口を開いた。


「こんなの用意するんだ?」

「さっきの図解と説明だと必要そうだったからな」

「へぇ? やっぱり、お前のソレを挿入するってことか?」


 小さく皮肉げに笑いながら、恒は下からおれを見上げてくる。


 その上目遣い、マジでクるからやめろ。今だってギリギリなんだぞ。


「いや、挿れねぇ。ヤりてぇのはヤりてぇけど、お前を大事にしてぇし」


 傷付けるようなやり方はしたくねぇんだ。お前も気持ちよくして、それでいつかきちんとヤれればいい。


「今は、お前が気持ちよくなるようにしてやりたい」


 覆いかぶさりながら恒の唇を塞ぐ。恒はおれのキスを受け止めながら、挿れない事に対して少し安堵の表情を見せていた。笑っていたけれど、わりと緊張していたらしい。

おれはそのままシャツの中に手を差し込み、胸から腹を撫で回すと、くすぐったそうに恒は身体を捩った。


「くすぐってェって」

「…くすぐったいだけか?」


 シャツを脱がせ、首から鎖骨に舌を這わせる。途端、吐息のような押し殺した声が零れ、恒は顔を横に背けた。


「…ストップ、やめろ……」


 肩を押して行為に抗おうとしてくる恒の耳元で囁きかけ、耳朶を軽く食む。


「恒、好きだ…」


 途端、息を呑むような音が漏れ、恒が下から睨みつけてくる。


「…っ、お前の声、卑怯…」

「何とでも言え」


 耳にキスをして、こわばるように身を竦めていた相手の頬、首…と順に唇を落としていく。それからスウェットを下着ごと脱がすと、恒の脚にキスを落とし、腰の下に枕をいれ、高さを調節する。


「ちょっと待て、なんの準備だこれ」

「後ろにいれる準備だ」

「挿入しねぇって言っただろ」


 言いながら蹴りを入れてこようとする恒に、あえて好奇心を刺激するような事を言ってみた。


「モノは挿れねぇし、凄く気持ちイイらしいぜ?」


 おれの言葉に恒は押し黙り、脚の力を抜いた。どうやら好奇心のほうが勝ったらしい。


「…マジか。じゃあ、物は試しっていうしな……よし、どんと来い!」


 恒の言葉におれは呆気にとられた。勝気な表情を見せる癖に変なところで好奇心旺盛で、男前な態度を見せてくるからこっちの方が対応に困ってしまう。


「…後悔はしねぇな?」

「俺がいいって言ってンだろが。まさか、お前怖気付いたとか?」


 ニヤリと笑う恒に対し、おれはヤケクソになって叫んだ。


「逆に後悔させてやるからな!?」


 人の気も知らないで、とおれは恒の唇を塞いだ。




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