第44話 償い

「君は、ここがどこだと思うかね?」


「天国ですか?」


「違う」


「じゃあ、どっかの島にある診療所か何かですか?」


「それも違う。ここは生と死の狭間。君の意識の中にある……まぁこれから死ぬか生きるかを決める場所じゃな」


「んなもん分かる訳ないじゃないですか、舐めてんですか?」


「怒らないでくれ、怖いよ顔……ちょっと聞いてみただけじゃないか……」


「……」


 このじじい……。なんか心の中を見透かされているようで変な気分だ。こいつ自体に悪い気がしないのも変な感じに拍車をかけている。何とも不思議な存在だ。


「さぁ、ここで君の意見を聞きたい。君はまだ生きていたいか?」


「なんとも……不思議な質問ですね。そんなの答えは決まっているじゃないですか……生きていたいですよ」


「私は死んでしまった方がいいんじゃないかと思う」


 医師の口から信じられない言葉が飛ぶ。命を助ける仕事をしている人物が、死んでしまった方がいいというのはどうなのか。


「なんでですか?」


「君は、意識があった時のことを覚えているかい?」


「……」


 言葉に詰まった。俺は自分の名前、誓と結婚したこと、子供が生まれて幸せな生活をしていたこと、仕事も順調で完璧な人生を歩んでいたことは覚えている。しかし、なぜ、生と死の狭間にいるのかは皆目見当がつかなかった。


「……覚えているところはあります。だけど、何でここにいるかが分かりません」


「……そうか、実はここでそれを教えることはできる。しかし、それを聞いたら君は死を選ぶと思う。それを聞いた上でどうしたいかを聞くか、教えずに生かすかをこっちも悩んでいる」


 そうか……。こいつは選択を迷っているんだ。俺の為を思って。生きていてほしいが……という葛藤が見て取れる。


「じゃあ、聞いた上で、答えを言います。もし、知らずに生きても、生きた俺はどこかで結果を聞いてしまうんですよね?」


「まぁ……聞くことにはなるとは思うが……環境次第とでも言っておこうか……」


「なら、生きてまた死にたくなるよりも最初から聞いて決めてしまった方がいいです。たぶん」


 俺は、ここに来るくらいの出来事を戦々恐々としながら覚悟を決めた。覚悟っていうのは不思議なものだ。決めると何でもできるような気がしてくる。決して舐めているわけじゃない。死にたくなるような出来事だろう。医師が話すのを躊躇うほどの……。でも、壮絶な出来事でも、俺はこのままじゃいけないと、どこかで感じていたんだ。後悔することになっても、知らなきゃいけないことだと、心のどこかではっきりと感じていた。


「君が、そういうなら教えよう。それは本当に不幸な君の人生を……」


 医師はゆっくり語り始めた。不幸な人生を送った一人の男の人生を……。



 ☆



 一時間ほど医師は話しただろうか……。話を聞き終えた俺の頬には一筋の涙が流れていた。俺は一本のビデオでも見ていたかのような感覚だった。これが自分に起きた人生の最後。俺が送った人生の最後の映像。俺は……わからなくなった。


「誓が死んだのは分かりました。力は俺が殺したんですか?」


「そうじゃ」


「俺は目覚めたらどこで目覚めることになるんですか?」


「こことは違う病院じゃろうな。頭に大怪我を負っておる」


「その先に待つのは、刑務所ですか?」


「そのあたりのことは、わしには分からん。しかし、それもあるだろう」


「俺は、ここで生を選んでいいのでしょうか?」


「それは君が自分自身で決めることだ」


 医師の言葉は今まで一番真剣で、力強いものだった。俺は力の言った最後の言葉が気になる。「お父さん、ごめんね」……か。謝らなくてはならないのは俺の方なのに。何であいつは俺に謝ったのか……。俺の生きる意味になれなかったこと。それに対して怒っているのなら筋違いだ。力は俺の生きる意味になり得た。俺が逃げただけだ。誓がいない世界を生きることに。力が俺を頼っても俺は無視した。誓がいないから。力が俺を励ましても俺は無視した。誓がいないから。俺は力も愛していたはずだったのに……。


 俺の答えは決まった。


「……俺は生きようと思います」


「ほう」


「生きて、家族に謝って、償いきれたら、今度は感謝して感謝して感謝して、それも終わったら、自分で死にます」


「そうか、因みに償いきれると思っているのかい?」


「さぁ? それは俺が決めていいことじゃない」


「じゃあ誰が決める? 誓さんや力君はもうこの世界では生きていない。君が救いを求める人間はもうこの世にはいないんだぞ?」


「関係ありません。俺は家族を忘れない。今度は絶対に守ります」


「……。もう決めたのじゃな――」


 医師の体が光り輝く。体だけじゃない、この部屋、病院、窓から見える景色、この世界全体が光り輝いて俺を包んでいく。眩しくて目を瞑った。もう何も見えない。世界は完全に白く消えてしまった。医師の言葉が頭に響く。


「君は、君の答えをどこまでも探し続けるがいい。きっといつかその君の心が世界を救うことになるとわしは信じおるよ……」



 ☆



 気付くと知らないベッドに俺は寝かされていた。さっきまでの記憶は……あんまり残っていない。ただ、優しい時間が俺の中で流れていたことだけは、なんとなく気付いていた。記憶の混濁は……ない。全部覚えている。さっきまでのこと以外はすべて覚えている。誓の死、力を殺したこと、その最後の言葉までも……。


 部屋には誰もいなかった。呼吸器もなく点滴が打たれていたが自分で外した。ベッドから起き上がり、自分で立とうとしたが、筋力が弱まっているのか、すぐに崩れ落ちてしまった。大きな音を出してしまった。誰かに気付かれてしまうだろうか。まぁ気付かれていいんだが。すると、音に気付いたのか廊下を走るような音が近付いてきた。


「新木さん! ダメです! まだ寝ていないと! 傷口開いちゃいますよ!」


 白衣を着た若い男性が俺に肩を貸す。


「ここは……どこですか?」


「病院ですよ! あなたは壁に頭を打ち付けて意識を完全に失ったところをここへ運ばれてきたんです!」


「誰かが通報したのか?」


「近隣の人みたいですよ? 詳しくは知りませんが……救急隊が来ると通報した人帰ったそうですよ!」


「俺は……捕まるのか?」


「……さぁ、僕にはお答えできません」


 ベッドに寝かされ、点滴を再び打たれる。頭は……割れるように痛かった。意識してなかったから気付かなかった。包帯ぐるぐる巻きだ。少し血が滲んでいるらしい。若い医師はそのまま新しい包帯に変えてくれた。


「新木さん、警察の方がお見えになっていますが、話、できますか?」


「問題ないです。痛みはありますが、すっきりはしているので」


「そうですか……でも、あまり無理はしないでください」


 そう言って医師は警察の人間を招き入れた。警察は二人だった。壮年のベテラン風の刑事と、新人っぽい若いカッコいい刑事さんが入ってきた。


「どうも、私達、こういうものです」


 そういって、警察手帳を見せる。


「警察って、手帳見せれば自己紹介終わりだって思っているんですか? その手帳が本物かどうかもこっちは分からないのに」


「お前……!!」


 突っかかってきそうな若い刑事。ベテラン風の刑事さんは若い刑事さんを抑えて「申し訳ない……」と頭を掻き再び口を開いた。


「私は大塚署で刑事をやっとります、乾と申します。そんでこっちは部下の太田です。実は新木さんに話を聞きたくてやってきました」


「はい、俺は新木元治です。聞きたいことは分かっているつもりです」


 俺は、刑事さんにすべてのことを話した。刑事さんは俺の目を見て真剣に聞いてくれた。嘘かどうかを考えているかもしれない。でも、嘘があるような話じゃないとは思うんだがな……。


「話してくれてありがとうございます」


「信じてくれましたか?」


「あなたの目を見れば大体わかります。こう見えても経験はそれなりに積んでいるんですよ?」


 俺の目に刑事さんがどう映っているかを悟ったのか、安心させるように言った。


「俺は……捕まるんですか?」


「まぁ、どうでしょうね?」


 なんで警察が疑問形なんだろうか……。お前らが分からないなら誰も分からないんじゃないか?


「事情を考えると……まぁ何年かは保護観察が付くとは思いますが……執行猶予で収まるんじゃないですかね? ここでもこれだけ正直に話してくれているわけだし、あなたに悪意があったとはとても考えられません。まぁ私の印象ですがね」


 人を殺しておいて、そんなんで済むわけないだろう……と思っていたが、実際裁判が行われても俺を擁護するような検察側と、俺の国家弁護士。そうか、日本の裁判なんてこんなもんか……と、台本通りの進行をする裁判長。結果俺は、五年の執行猶予と、保護観察で元の生活に戻ることが決まった。

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