第42話 元治と力

 イザナギが案内する方へ俺達は急いで向かっていた。強いやつに遭遇するまであとどれくらいかかるだろうか。


「イザナギ……あとどれくらいかかる?」


「あぁーなんか奴らも移動しているな。どこに向かっているかはちょっと分からん」


「とりあえず追うしかないって感じか……」


 相手も移動している。こっちにじゃないの? 俺を探してんじゃないのか。どうするか。ただ追っていても意味がない気がする。そういえば、大蛇丸はどうなったかな。決着はついただろうか。まぁ死んでるかもしれないからあんまり考えないでおく。


「ちょっと止まれ」


 俺は周りに命令する。なぜか不安になった。今俺は誰と一緒にいる? あかねに佳凛、イザナギ。ここにいるのは全員仲間のはずだ……そのはず――だが。


 俺は全員から距離を取る。誰だ? こいつらは……いや、知っている。こいつらは俺の仲間で、今までずっと旅をしてきて、そう――そのはずなのに……名前も顔も思い出せない。それより俺は何の為にこんな場所にまで来たんだっけ? あれ? ここはどこだっけ?


 突如、俺に襲い掛かる記憶の混濁。手に入れたものが掌からとめどなく流れ落ちていく感覚。戸惑いを隠すことはできなかった。なぜなら、俺の仲間たちはそんな俺を見ても、口を開こうとしない。ただ、俺を無表情で確認している。無表情で笑っているように見える。


「あはははははは、お父さんどうしたの? あはは? 僕のことは覚えてる?」


 目の前には中学生くらいだろうか……? 身長はそれなりに高い、短髪の少年が立っていた。俺は今、こいつのことを一番理解している。理解しているというのは、俺の中の記憶が混濁している今の状態で、こいつのことだけははっきりと覚えているというだけで、こいつ自身を理解しているということではない。


「力……。お前、何をやった?」


「?? お父さん大丈夫? 目が虚ろになっちゃったよ? あははははははは♪」


「これはお前がやったのか?」


 これはというのは今現在の力の周りにいる連中のことをいった。力の周りにはかつて俺の仲間であった連中が力を囲むように並び、俺をゲテモノでも見るかのような目で傍観している。


「あはははははは♪ さぁね? どうでしょう? 本心でこっちに来ているかもしれないよ? お父さんかわいそうだね! あはははははははははははははははは!!」


 これは……効くな……。ちゃんとしてないとすぐに意識を持っていかれる。


「お父さんはすぐにこっちに来ちゃダメだよ? お父さんには優しくしてあげるんだから! あはははははは?」


 つまり本気で操ろうと思えばできるってことか。俺は勘違いしていたんだ。神の力を完全に引き出す力を持ったイザナミ。また、神の意識までも支配する力。これらはイザナミに支配された誓が一人でやっていたことだと思っていた。しかし、実際は神の力を最大限に引き上げ、支配していたのは力だったんだ。


 イザナミという強大な敵の力を俺達は過大評価しすぎていた。そして一人の力でできることはそれほど強くないと、同時に過小評価してしまっていたんだ。


 実際は、イザナミは神の力を最大限に引き出す。その力をこいつの能力で心も体も支配し乱用する。手駒が敵にやられてしまっても、ここには腐るほど人間に忘れられた神たちがいるはずだ。兵士はいくらでも増やせる。


 俺が、今ここで操られていないのは(記憶の操作はされているが……)、こいつが俺をめがけて復讐しに来ているとみていいだろう。俺は、こいつを殺した。だから今度は、自分で俺の息の根をとめようとでも思っているのだろう。少し大きくなったかと思えば、考え方は幼稚なままだな。反吐が出る。


「お父さん、僕ねぇ、考えたんだよ。どうすればお父さんが一番面白い顔をしてくれるのかをね!! あはは!! それでこの世界でずっとお父さんのこと観察していたんだ」


「で、どうだ? 見つかったか? その方法は」


「うん、やっぱり、お父さんが僕にやったみたいに、お父さんの大切な人に殺してもらうのが一番面白いかなぁって思うんだけど? どうかな? どうかな?」


「嬉しいぜ」


「??」


「お前が立派に成長していてくれててな」


「ぎゃははははははははぎゃぎゃはははははははあああああああああああははははっはははははははは!!!!」


 耳を塞ぎたくなるような笑い声が辺りに木霊する。悪意に満ちた声と、それを発する口。目尻が垂れ、歓喜に満ちたその目。その醜悪な姿が……俺には……堪らなく悲しい。



 ☆



 かつては俺と誓、そしてこいつ――力は一つの家族だった。俺は昨夜の残業のせいで夜帰ったのが遅く、朝、「おはよう」「いってらしゃい」って言ってやれなかった。不幸の連絡は突然やってきた。雨は昨晩から降り続いていた。


 警察から突然の連絡。


「新木さんですか? 実は――」


 俺が現場に着いた頃にはすでに誓は事切れていた。スピードを上げ過ぎたトラックがカーブを曲がり切れずにタイヤがスリップし横転、歩道を自転車で走っていた誓を巻き込み壁に激突し止まる。壁とトラックの間に挟まれた誓は即死。トラックの運転手は薬物中毒で何が起きているのかさえ分かっていなかった。


 力は誓の死に耐えきれなかった。力は小学校ではいじめられっ子だった。いじめられっ子の小学生は母親の存在が心の支えになっていたのだろう。母親の優しさ、強さ、笑顔、泣き顔、話し方、寝る時の歯ぎしり、ごまかす時にやる癖、頭をなでてくれる時に触れる温かい手と「私はあなたのことが好きよ。嫌いになんてならないわ」という言葉。思い出せばキリがない誓の思い出はここから先は一つも増えない。いじめられっ子の小学生は誓がいなくなると、俺に助けを求めるのは当然のことだった。


 俺は誓の死に耐えきれなかった。俺は会社では優秀で、先輩後輩に慕われ、家にいる時間はあまりとることはできなかった。だから、家のことや息子のことは誓に任せっきりになっていた。そんな俺を献身的に支える最愛の妻。その優しさ、強さ、笑顔、泣き顔、話し方、寝る時の歯ぎしり、ごまかす時やる癖、体を重ねた時にしか言わない「好き」という言葉。もう、何も聞けない、見ることもできない、感じることもできない。会社で優秀な俺は、誓がいなくなるだけでボロボロになった雑巾と寸分変わらない価値まで落ちるのは当然のことだったのかもしれない。


「お父さん……」


「……」


 誓の顔をした、幼い子供を俺は見ることもできなかった。助けに気付くことなどできるはずもなかった。そして一カ月が過ぎるころ――俺は、自ら死を選ぶことにした。


 力が学校に行っている間に……俺は台所にある万能包丁を握りしめる。何も感じることはない。俺には何もない。妻がいなきゃ生きる意味さえない――。


 力は学校には行っていなかった。朝、学校に行く振りをしていただけで、ここ一カ月殆ど公園で過ごしていた。今日も同じだった。もし学校に行って苛められたら、もう助けてくれる人は家にはいない。家にいるのは、お母さんが死んで悲しい声を出して泣いているお父さんしかいない。お父さんは僕を見てくれない。助けてくれない。くれるのは、お金だけ。お金は渡すから、自分で用意してくれないか? 一カ月前にお父さんの口から僕へ放たれた最期の言葉。


 それはとても冷たい感情で、僕のことを拒絶しているんだと思った。僕の顔はお母さんに似ているから、だからお父さん、僕の顔を見て思い出しちゃうんだ――と勝手に解釈してしまう。今日は早く帰ろう。そして、お父さんに会わずに一日を過ごそう。もぅ、僕もお父さんも人間ではなくなってしまったのかもしれないけど……。きっとお母さんはそれを望まない。僕は密かにお父さんを人間に戻して、守ってあげる決意を決めていた。


「お母さん、僕頑張ってみるから……だから……きっと」


 家の玄関が開く音がした。万能包丁を持って呆然としていたら力が帰ってきてしまった。さすがに力が家にいるのに自殺はできない。俺は包丁をキッチンの収納箱にしまい、また誓の遺影の前に座り、一日を終わらせるのであった。

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