第9話 少女と大蛇

 その声に俺は動きを止めてしまった。


「え?」


 誰の声だ? イザナギじゃない。もっと大きな、腹の底から出したような、威圧感のある声だった。


 その刹那、蛇の尾がものすごいスピードで俺を締め上げた。


「ぐ……あ……」


 イザナギでガードしているにもかかわらずこの威力か、まともに食らったら即死だな。


「元治! 今助ける!」


「動くな! 矮小な人間よ。わしは貴様らに聞きたいことがある」


 蛇に威圧され、相沢は体を動かすことができない。


「くっ……」


「貴様からは強い力を感じるな、神の名を言ってみろ」


「神の……名? イザナギのことか?」


「イザナギだとっ!!」


 蛇がイザナギの名前を聞いて一瞬たじろぐ。何だ? やっぱりイザナギってすごいの?


「人間ごときにイザナギ様が力を貸すわけがない! わしを騙そうものなら今ここで貴様の命摘み取ってやるぞ!」


「おい、イザナギ。お前が出てきて話せよ」


『むむっ!! 致し方無い。我がイザナギだ、貴殿の名はなんと申す』


「本当にイザナギ様であられるのですか? 私は太古の昔、貴方様に救って頂いた蛇。大蛇丸であります。覚えてらっしゃらないでしょうか?」


『大蛇丸だと!? そんなはずはない、大蛇丸はまだすごく小さくて、かわいい奴だった! それに色も白かった! しかし其方を見ると確かにあの頃の気配を感じることはできる……どういうことなんだ?』


「あぁ、あの頃の私を知っているとは……やはりイザナギ様なのですね。あの頃からすでに何千年もの月日が過ぎております。私はその間、生き続けました。体はここ数年でかなり大きくなりましたが……」


『なんと真か!? 生き続けたのか!? 主殿! こやつは我のペットであった!』


「いや、ペットって言われても……」


 勝手に盛り上がる俺のペット、イザナギとさらにそのペット、大蛇丸。話に誰もついていけていないが、とにかくこの黒い大蛇は敵じゃないみたいだ。


 二人の感動の再会での会話を聞いていたが、長年の人間たちによる邪気に当てられ、白かった体は時間が経つとともに黒く変化していったそうだ。また、神に近い存在へと昇華していき今ではこんな姿になったという。


「正直言って、お前でかいから邪魔」


「人間、今すぐ殺してもいいんだぞ?」


 俺と大蛇丸の仲は最悪だった。イザナギが俺たちを窘めることが多い。大蛇丸が人間嫌いというのは説明されたのだが、相沢と常坂、麻由美さんには友好的だったのが余計に腹立つ! イザナギの主人は俺だぞ!


「何故、イザナギ様の主人が貴様なのだ。人間は滅ばなくてもよかったが、貴様には滅してもらいたかった」


「おい、てめぇ。女好きだかイザナギ好きだか知らねぇが、それ以上言ったらすげぇ嫌がらせすんぞ!」


「貴様ができる嫌がらせなどたかが知れる」


「もぅイザナギとは喋らせない! 相沢も常坂も麻由美さんもお前との接触は一切禁ずる、後イザナギに死ねって命令させる!」


「何ッ!! 貴様それでも人間かッ!!」


「それでいいんならついてきてもいいぜ」


 俺はニヤリと笑みを浮かべ大蛇丸を挑発する。こいつが孤独だった時間の長さを知っているからこその心理攻撃だ。


「……子供の喧嘩ね」


「カッコわるぅー」


「だっさいわね……」


 うるさいハエどもだ。当のイザナギも『主殿……』と呆れている様子。うるさい、55歳のじいちゃんをなめるからこうなるんだ。


『お、大蛇丸よ、実際主殿の言うことを聞かないとお主が頼みたいこともできないのではないか?』


「そうなんですが……くそ、何でわしがこんなクソ人間に頼み込まなきゃならん」


『仕方ないだろう』


「ん……なんだ? 頼みごとは物によっちゃ協力するぞ?」


「実は……」


 そういうと大蛇丸は口を開いて、俺を食い殺そうとする。


「おらぁ!!」


 どごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおん。


 俺はイザナギを纏った拳で、思いっきり大蛇丸を殴っていた。


「おい、蛇。覚悟できてんだろうな」


「違う待ってくれ! よしほら、出てくるのだ、ハジメ」


 鼻血を出しながら懇願する大蛇丸。少し面白い光景だ。大蛇丸は口を開けると、中からおずおずと小さな女の子が出てきた。こっちをうかがって恐る恐るといった感じだ。


「この子はハジメという、わしが拾ってここまで育てた」


「お前にはロリコンの趣味があったのか?」


「ぐぐっ……」


『お主からも少しだけだが神の気配を感じるな』


「え……この子も適合者?」


『いや、適合者というほどではない、恐らく大蛇丸の中にいたことで神の資質が受け継がれているのだろう』


「一応聞くけど、大蛇丸は適合者なの?」


『違う。長い時を生きたことで神に近い存在になったというところだな』


 なにそれ、じゃあ実際俺よりすごいの? あんましそうは見えないんですけど。


「で、このハジメをどうすればいいんだ」


「育ててほしい」


「はぁ!?」


「この子はどこで生まれたかもわからない、小さな命だ。わしは出会ったとき食ってしまおうかとも思ったのだが、どうしてもハジメの瞳が無垢でな、殺すことができなかった。人間嫌いなわしが、だ」


「このままお前と暮らせばいいじゃないか」


「わしは蛇だ。この子とはずっと一緒にはいられん。できれば其方たちの中に入れてやってはもらえんか?」


「わかった」


「いいのか? 礼を言う……」


「だけどお前も来るんだ。この子の父親はお前だ。それが条件だ」


「しかしわしは……」


「いいか、お前が親なら今日初めて会った人間に子供を簡単に渡すな! 俺はお前が見ていないことを理由にこの子をいつか殺すかもしれないぞ?」


「……」


「この子がいるってことは、俺たちにとっても、他に人間がいることの証明にもなっている。悪いことばかりじゃない。だが、この子にとってはお前が唯一の家族なんだ! 見捨てることは許さない! その前に!! お前はハジメと離れたいのか!?」


 大蛇丸は俺の言葉を聞いてハジメの顔を見る。ハジメは大蛇丸に向かって満面の笑みを投げかけた。大蛇丸から大粒の涙が零れ落ちる。


「わしは……一緒にいたい! 人間とか、蛇とか関係なく、この子の将来を見ていきたい! ハジメはわしの……子供だ!!」


 大蛇丸は我慢していた何年分もの涙を流した。ハジメと出会ってから何年も悩んでいたのだろう。人間の世界に戻すことが最善であると。しかし、ここまで育てて情がわかないやつだったら今ここで俺が殺していたところだ。


 その日、大蛇丸の流した涙で周辺には湖ができていた。後にその湖には素敵な名前がつくことになる。

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