第41話


 セミスイートのドアを開けると正面に大きな窓が見えて、一面夜景が広がっていた。


「わぁ……」


 小さく歓声を上げて美香が吸い寄せられてゆく。

 僕は美香の隣に立って、一緒に夜景を眺める。


「ねぇ、あの高い建物はタワーマンションかな?」


「そうだね、あの辺りはタワマンが沢山あるから」


「奥のほうの低い明かりはお家かな?あの小さな明かり一つ一つに人の営みがあるんだなと思うと、なんだかあったかい気持ちになるのよね」


 都会の生活はギスギスして、ゴミゴミして、余裕がない。全てが自己責任で、その冷たさに凍えそうになるけれど、こうしてひしめき合い、小さく輝く地上の星達を眺めていると、きっとみんな同じなんだ。澄ました顔で働いているけれど、みんな同じように悩み、喜び、営んでいるんだと思える。




 僕は美香を抱き寄せてキスをした。

 ふわふわと地に足がつかない

 目の前は夜景のパノラマ

 まるで宙に浮いている気分だ。




 キスを中断して美香が言った。




「シャワー、浴びてくるね」




 シャワーシャワーシャワーシャワーシャワーシャワー……




 頭の中で美香の声がこだまする。

 一瞬で現実に引き戻された。

 そうだ、これから僕は一世一代の大芝居を打たなくちゃいけない。初めてだなんて悟られちゃいけないんだ。美香がシャワーを浴びている間、僕は部屋中をぐるぐる歩き回りながら気持ちを落ち着けた。

 そうだ! コンドーム!

 こんなこともあろうかと、いつも財布に入れておいて良かった。予備も含めて2つ。よし、抜かりはない。美香が戻る前に枕の下に忍ばせた。



 僕がシャワーから出ると、美香はベッドの上に座っていた。バスローブの胸元が少し開いて、暗めの間接照明が美香の肌を艶やかに照らす。





 ───ぷつっ。

 張りつめていた糸が切れた。





「美香ぁっ」





 ごきっ








 小さい頃から運動会のかけっこなんかで、力が入るといつも俯いて頭から突っ込むクセがあった。コースアウトしてよく叱られた。



「いったぁい!」



 僕は美香のアゴに頭突きした。

 悪いクセが出てしまった。



「だ、大丈夫?ごめん、ごめんね」


「ぷっ、ふははははははっ!」


 美香は爆笑した。

 バレた。

 僕が童貞だってこと。

 勢い余って頭突きするなんて、童貞以外あり得ないもの。


 もう──終わった。


「山田さん、もしかして初めてなの?」


 なんとか笑いを収めて美香が直球を投げた。

 もうどうだっていい。

 笑えばいいさ。


「うん、そうだよ。この年で童貞なんて気持ち悪いだろ? 笑えるよな」


「ううん、気持ち悪くなんかないよ。頭突きには笑っちゃったけど」


「え?」気持ち悪くないの?


「実は、もしかしてそうかな? って思ってたの。だって、付き合って半年も経つのにキスから進まないんだもん。だから……私から誘ったの」


 恥ずかしかったんだからねっ! と美香はまた耳まで赤くなった。


 僕は……僕はなんて奴だ!

 僕が不甲斐ないばっかりに、美香にこんな恥ずかしい思いをさせてしまった。



「ごめん……」情けないけど謝ることしか出来なかった。



「ごめんじゃないよぅ」



 え?



 美香が俯く僕の顔を覗き込みながら言った。




「大好きって言って」




「美香ぁっ、大好きだーーーーーーっ!」





 美香は二度目の頭突きを上手くかわして

 僕を受け止めてくれた。



 幸せすぎて、そこからの記憶が──




 無い。




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