第13話
花はここへ来たことを少し後悔していた。
困ったな、かわしきれない。
リツから放たれる色気がいちいち突き刺さる。指先、首もと、ふとした表情、随所から飛んでくるその矢をかわすのに忙しいし。
ふいに、夫と出会った頃を思い出した。今でも夫のことは愛しているが、あの頃のようにドキドキはしなくなった。それは悪いことではなくて、ドキドキの代わりに今は心地好い安らぎがある。
だけど、久しぶりのこのドキドキは勘違いするには充分な効果がある。困ったな……
ボーッとしていると、リツが顔を覗きこんで言った。
「ちょっと海に入ってみない?」
一瞬、キスされるのかと構えた自分が恥ずかしい。
「大丈夫かなぁ」
不安そうな花の手を引いてリツが連れてゆく。自然にこういうことが出来るのがリツだ。
「つめたい!」
スカートを束ね探り探り歩く。サンダルを脱いだ素足は踵から爪先までキチンと手入れされていた。色気はこういうところから滲みでる。
「まだ冷たいですね」
「はは、でも気持ちいい!」
波打ち際を手を繋いで歩く。山田が見ればギリギリと歯ぎしりしたことだろう。
リツが花を見つめる視線も、それを受ける花のはにかんだ微笑みも、なにも語らなくても全てが明らかだった。
「きゃ!」
「大丈夫?」
転びそうになる花を抱き止める。
柔らかな髪からふんわりと芳い香りがして、どさくさに紛れて顔を埋める。
「危ないですね! やっぱり戻ります」
かわされた。いい感じだったのに。
上手くいけばキスできるチャンスだった。
思わず肉食系のスイッチが入ってしまった。
いやいや、いかんだろ。理性がスイッチをOFFにした。
「ふぅ、暑いですね」
花はハンカチを取りだし汗を拭う。
あれ?見覚えがある。あのハンカチは……
「あ、そろそろ戻らないと」
「もう時間?」
「すみません……」
往復に時間がかかるので、滞在時間がどうしても少なくなってしまう。
「いいよ、少しでも。いい時間だった」
「うん、楽しかったですね」
ほんの1時間ほどだったが、濃密な時間だったように思う。
帰り道、リツは眠ってしまった。やんちゃな男の子のような寝顔が可愛い。睫毛が長いな……そういうところにドキドキしてしまう。
待ち合わせ場所に車が滑り込み、リツは眠そうにしながら降りた。
「じゃ、またね。次はカフェ行こう」
「楽しみにしてます」
手を振って見送るリツ。角を曲がるまで見送る。なんとなく、帰れない。後ろ髪引かれるってこういうことか。
山田からのLINE未読が50以上あった。
な
に
し
て
る
ま
だ
か
?
呪
呪
呪
呪
呪
相変わらず気持ち悪い。今日は仕事にならなかったようだ。リツはとりあえず電話してやった。
半コールで着信。
「もしもし?どうした?なにした?」
「何にもしてねーよ」
「だだって、ううう海だろ?」
「そうだよ、浜辺でひざまくら」
「ふざけんなよっ!あ、あ、ちょっと待って」
思わずデスクで怒鳴ったようだ。慌てて移動している。
「ははは浜辺でって、はははは花さんはその、あの、び、び、ビキニとか…」
「アホか」わが兄ながら情けない。
「そんなわけないだろ! 大人だよ? 泳がないし、まだ冷たいし」
「あ……そうなの……?」
経験のない山田には想像がつかない。
アニメや漫画で海へ行くと女子はだいたい三角のすごく小さいビキニじゃないか!
◆◆◆◆◆☆☆☆☆☆◆◆◆◆◆☆☆☆☆
車を返却した帰り道、花は複雑な気持ちだった。
今までいろんな男性とデートをしてきたけれど、花にとってデートは男性相手でも女性相手でもあまり変わらなくて、男性とは求められてキスぐらいはしたけれど、特別な意味は無かった。一人の友人として相手を尊重していて、求められれば受け入れてしまうのだ。ただ、夫だけは違った。ドキドキしたのだ。そして、リツにも……。
山田のことも気にはなるが、それとは違う。山田の場合は、子供を心配する感覚に似ていた。放っておけないのだ。
だけどリツは……ダメだ、あまり深く考えないようにしよう。これ以上気持ちを掘り下げて、何かを堀当ててしまったら──
取り返しがつかなくなる。
そんな予感がした。
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