第11話

 庭の芍薬の蕾が膨らみ初めていた。

 芍薬は蕾のうちから蜜が溢れだし、綺麗に拭いてやらないと開花できない。


 自らを滅ぼすほど溢れ出す蜜。

 手のかかる奔放な女王が、ドレスの裾を捲し上げ『拭きなさい』と命令する。


「はいはい、仰せのとおりに」


 花は、湿らせた柔らかい布で蜜を優しく拭き取った。2年に一度、彼女が美しく咲く為に私は仕えている。






『お疲れ様です。昨日は無事済んだようで良かったわね。急なんだけど、金曜日に弟さんからドライブしたいって連絡があったわよ。どうなのかしら?ちょっと心配だわ。他にも依頼は沢山きてるし、他の人にする?』


 リリーから次の仕事の依頼だった。

 リツは早速、予約してくれたようだ。


『昨日はケイさんにも来ていただいてありがとうございました。ドライブ、私が運転するみたいです。私は構わないのですが、どうですか?車の手配とか、どうなりますか?』


『こちらとしては、ドライブはあんまりおすすめ出来ないけど、花ちゃんが運転ってことは弟さんは免許を持ってないのかしら?』


『そうみたいですよ』


『そうね……それならいいかしら。人気のないところには行かないと約束して』


『わかりました。約束します』


『車はこちらで手配します。花ちゃんが当日、お店で受け取りしてください。事故のない様、気をつけてね』


『わかりました。よろしくお願いします』


『それと、毎週火曜日は山田さんの予約が固定になります。いつものお店でランチの予約だから、こちらからの連絡は省略します。また変更がある時は連絡するわね』


『わかりました。ありがとうございます』






 リリーへの返信が終わると、ベッドに夫が入ってきた。

 花を抱き寄せ、キスをする。


「ねぇ、ライト消して」


 丁寧な愛撫を受けながら山田のことを考えてしまう。夫との関係は良好であるし、愛している。その上で山田のことも気になってしまう。花にはそういうことがよくあった。決して裏切るつもりも傷つけるつもりもない。例えるなら子供達への愛情に似ている。4人の子供達はどの子も可愛く、誰か一人だけなんて決められない。みんな等しく愛している。それと同じように、夫以外の男性も等しく愛せるのだ。花の気持ちの上では折り合いがついていても、相手はそうはいかない。だから、正直に話せないでいることが心苦しいけれど、夫はそんな花を理解してくれている唯一無二の存在であった。


 山田のことは一旦、頭から追いやって、夫との営みに集中する。夫の反応が逐一、愛しい。夫の喜びが自分の喜びになることを肌で感じる度に愛しさが増す。穏やかな幸せを感じながら果てることは、夫とでないと成し得ない。愛する喜びも、愛される喜びも、ここに集約されている。そのことを山田に伝えることが出来ればいいと思う。自分とではなくても、愛する誰かと幸せになることを。





 金曜日

 レンタカー店で手続きを済ませ、キーを受け取る。


「ありがとうございました」


「いってらっしゃいませ」


 青いヴィッツ。今日の空のように清々しい。運転しやすそうな可愛い車だ。ちゃんと自動ブレーキも装備されている。車を運転して、待ち合わせ場所へ向かうと、すぐにリツは見つかった。


「こんにちは。車可愛いね」


「こんにちは。リリーさんが素敵なのを選んでくれました。どうぞ後ろに乗って下さい」


「え?後ろ?」


「隣に人がいると緊張するんです……」


「まじ?!」


 それはなくない?


「最初だけお願いします」


「……はい」


「後ろですみません」


「慣れたら前いくからね」


「はい、わかりました」


「お天気で良かったですね」


「ほんと! 気持ちいいよー海!」


「楽しみですね」


 柔らかそうな白い手がハンドルを握る。

 桜色の爪は綺麗に整えられているが、華美な装飾はない。薬指に納まる指輪は見ないことにして、華奢なブレスレットが絡みつく細い手首にに目を奪われる。角を曲がり、戻るハンドルを掌が優しく撫でる。


(ハンドルさばきがエロい……)


 後ろに座って良かった。遠慮なく眺められる。動画を録り、山田に送信。録画を終了した音が響いた。


「え!? 撮りました?」


「うん」


「撮影ダメですよ!」


「後ろ姿だから許して」


「もう撮らないでください!」


「はーい」


 山田から即返信が来た。


「花さんポニテ!?」


「うん」うなじもしっかり撮影した。


 即効で電話が鳴る。仕事中だろが。


「今どこだよ! どこ行くんだよ!」


「海行ってきます」


「はぁ?! 俺も行くから待って!」


「だめー」


「すぐ行くから!」


「仕事でしょ」


 自分でもちょっとイジワルだなと思うけど、アニキにはもう少し積極的になってもらいたいからね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る