第6話

 真っ暗なオフィスに山田が浮かび上がる。

 深くため息をついてつっぷすと、カバンから花のハンカチが覗いていることに気がつく。取り出して匂いを嗅いだ。ささくれだって、カリカリに乾いた心がじんわりと温かに潤う。今まで支えになるものなんて無かった。会社では歪な人間関係にしがみつき、いつもヨロヨロと腰が引けて覚束ない。そんな山田に、花はそっと寄り添ってくれている気がした。



 


 すっかり遅くなり、玄関を開けると弟が階段に座って通話していた。


「LINEで送って?え?電池ない?メモ取れないよ」


 弟のリツは山田より5歳下で全く正反対の男だ。イケメンで仲間も多く、お金持ち。実家はとっくに出て都会のど真ん中のタワマンで独り暮らし。自他共に認めるキラッキラのリア充だ。


「アニキ、ペンある?」


 ガサゴソと大きく開いてカバンを探り、ペンを渡す。


「はい」


 リツは自分の手にメモをとり、ペンを山田に返した。なんかその仕草一つ一つがいちいちカッコいい。出来る感満載でなんかムカつく。


「ありがと。おかえり」


「あぁ」


 山田がペンをカバンに戻すときに、チラッと見えたものをリツが目ざとく見つけてつまみ上げた。


「これなに?」


 ジップロックに入った花のハンカチだった。香りが消えてしまわないようにジップロックにしまっておいた。


「やめろよ!」


 慌てて取り返し、カバンにしまった。なんで一番見つかりたくないものを一番に見つけるの?


「だから、なにそれ? 下着?」


「違うよ!」


「じゃあなに? まさか盗んだ?」


「そんなわけないだろ! ハンカチだよ。借りたものだよ!」


 カバンを抱きかかえ、階段をかけあがり自室のドアをバタンと閉めた。


 リツには分からない

 僕の気持ちなんか──




 ベッドに横たわり、花のハンカチを顔に被せて目を瞑った。花さんは今頃何をしているのかな。


 彼女いない歴年齢。

 大学は理系で女子が少ない中、さらにサークルはロボ研で女子0。高校は男子校、もちろん中学生の多感な時期に異性との交流なんてあり得ない。

 見事なほど女子との接点がないまま、社会人になった。もう、話し方すら分からないときに花さんに出会った。今年で35。ある意味、ギリギリだったかもしれない。


 しばらく微睡んでいると、ドンドンとノックされ慌ててハンカチを枕の下に隠した。


「は、はい」


 ドアを少し開けてリツが顔を出す。


「おいっす。飯は食ったの?」


「あぁ、済ませてきた」


「じゃ、コレ」


 缶ビールを差し出す。


「なんだよ……」


「いいじゃん、たまには」


 椅子にまたがり缶ビールを飲むリツ。山田もベッドに腰掛け、プルタブルを引く。プシュッという音も、よく冷えてかいた汗も、ビールをより美味しそうに見せる。お互い缶を掲げて乾杯をした。兄弟で飲むなんて久しぶりだ。


「で、さっきの何?」


「何って?」


「ハンカチだよ。誰の? 借りたの?」


「誰でもいいだろ」


「彼女できたの?」


「違うよ!」


「じゃ何なの?」


「何でもいいだろ」


「親父に言っちゃうよ」


「ほっとけよ! なんだよその子供みたいな脅し!」


「ほっとけるわけないだろ! 彼女いない歴年齢の兄貴に女の影なんて」


「お、俺だってなぁ! あれ、あれだよ……」


「ん?」



☆☆☆☆☆☆◆◆◆☆☆☆☆◆◆◆☆☆☆



「レンタルおばさん?」


「うん」


「おばさんなの?」


「花さんは違うよ!」


「若いの?」


「俺より少し上かな…」


「ふーん、独身?」


「主婦……」


「人妻なの!?」


「うん……」


「ダメじゃん」


「べ、別に付き合う訳じゃないから……」


「うーん……そっかぁ。じゃあ 一回会わせてよ」


「な、なんでだよ!」


「どんな人か会ってみたい」


「なんで会わせなきゃなんないんだよ」


「悪い人だったらどうすんの? アニキ、すぐ騙されそうだもん」


「花さんは悪い人なんかじゃない!」


「あー、ソレ。騙されるヤツのセリフだから。アニキは免疫ないから、ちょっと優しくされるとコロッとイッちゃうからな」


 図星である。


「騙されてない‼」


 顔を真っ赤にして反撃するけど、これ以上言葉が出ない。悔しいけどリツの言うことにも一理ある。


「わかった、会わせるよ。会えば花さんが悪い人じゃないってすぐ分かるから!」




 勢いで約束してしまった。

 リツに会ったら……

 花さんはどう思うだろうか?

 リツはイケメンで女性の扱いにはなれている。リツの影に霞むことはいつものことだけど、花さんはそんな人じゃないと信じてる。信じたい……

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