第3話

 花はいつものようにスマホにワイヤレスイヤホンを繋ぎ、音楽を聴きながら家事をする。眼鏡にすっぴん、普段はあまり化粧はしない。

 午前中に家事を済ませ、午後は地域やPTAの仕事などをしているうちに子供達が帰ってくる。休日はみんなの昼食と夫の世話が加わり、休日のほうが忙しい。毎日がこの繰り返し。

 結婚してから仕事はしていなかった。10年以上のブランクがあり、もとの職に戻る自信はない。家庭に入ってしまうと社会との繋がりがなくなる。働くなら、直接人に関わって反応をダイレクトに感じられる仕事がいい。人の役に立ちたかった。ホワイトリリーは花が見つけた中で一番、融通が利いて面白そうな仕事だった。



 面接の翌日、リリーからLINEの着信があった。長文の就労規約の後に来週のスケジュールが入る。


「料亭……現地に直接か……」


 山田とのランチの依頼だった。

 リリーは考えた末、花には山田の依頼と女性の依頼を中心にする予定にした。山田には何度も会っていて信頼のおける人柄だと感じているが、若い女性が苦手なので断られるかもしれない。山田は異性関係に消極的すぎることがいつも気になっていた。だけど、花ならそんな山田を何とかしてくれるかもしれない。そんな予感がする。おネェの勘は当たるのだ。




 火曜日

 正座で待つ山田は腕時計を見る。

 正午を少し過ぎてしまった。目の前には二人分のランチ懐石がすでに並んでいる。


「失礼します! 遅くなり申し訳ございません!」


 初日から遅刻してしまった花が慌てて現れた。襖を開け、膝をついて頭を下げる。

 顔をあげると、正座がくずれてのけ反る山田の驚いた顔が見えた。


「あ、は、はい、どうぞ」


 固まったまま席へ促す山田は、花が予想以上に若いことに緊張していた。自分と変わらないんじゃないのか?どうしておばさんじゃないんだ?


「失礼します。ホワイトリリーから参りました花です。宜しくお願いします」


「あっ、山田です。宜しく、お願いします」


 仕事以外で若い女性と話すことはまずない。買い物や出かけることはほとんどないし、近所のコンビニの店員も男性かおばさんだ。2次元に嫁はいるが。


「すみません、お料理さめちゃいましたよね……」


 残念そうに料理を見つめる花がうつむき、顔にかかりそうな髪を耳にかけると、小さなピアスが揺れた。


「あ、いえ、どうぞ召し上がってください」


 固まりそうな精神をかろうじて繋ぎ止めながら声をかけた。最後までもつだろうか?


「はい、ありがとうございます」


 いただきますと合唱して髪をまとめると細い首すじがあらわになる。現実のものではないように感じる。異世界なのか?パラレルに迷い混んだ?箸を綺麗に使う指先からも目が離せない。煮物を一口頬張り「美味しい」と笑う。食べるのを忘れて箸を持ったまま無遠慮にぼーっと見入っていると、花と目が合ってしまった。


「すみません、私ばっかり食べちゃって」


「い、いえ、どうぞ!ぼ、僕もいただきます!」


 無駄に力が入る。

 人が食べる姿って、こんなに艶かしいものだったか? 花が咀嚼して飲み込む喉の動き。同時に山田の中の何かも飲み込まれたような気がした。もし、もしも、何かの拍子に花の唇から液体が溢れたら、山田は声を上げてしまっただろう。


「山田さんは、この近くでお仕事をされているんですか?」


「は、はい!かか会社は歩いて3分くらいです!」


 突然に質問され、またも力が入ってしまう。


「いつもリリーの方と食事をされているんですか?」


「は、はい……」


 これはきちんと説明しておかねば。あらぬ誤解を招くかもしれない。


「あ、あの……僕は小さい頃に母を亡くしまして、もし母親がいたらどんな感じなのかなと……それでレンタルでお願いして毎週火曜日にランチを……家では親父と二人で夕飯なんですが、男二人だと会話もなくて……」


 小さく、早口にそう言って汗を拭う。


「あ、でも、花さんは僕の母親世代より随分お若くてびっくりして……話にまとまりなくてすみません、緊張して……」


 山田はずり落ちたメガネを直しながらそう言った。


「私も緊張してます。初めてのお仕事なんで」


 花はふふっと恥ずかしそうに微笑む。


「お母様の代わりなら、私で勤まりますか?」


 心配そうに尋ねる花に山田は食い気味に否定する。


「母の代わりでなくていいんです! むしろ花さんとランチのほうが……」


 言いかけて、モーレツに恥ずかしくなる。何言ってんだろう。気持ち悪いと思われてしまう。


「良かった。私で良ければいつでも呼んでくださいね」


 これは営業なんだろうか?

 いや、そうは思いたくない。この優しい笑顔を金で買っているなんて、思いたくない。

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