第16話 魔法の訓練


 シェイズ伯爵家の広大な庭の片隅で、魔術の教師から指導を受ける事になったフィルシークとそれを見学しにその場に居合わせる事になったエスティアは、長い授業を受けてやっと実践に移る事が出来ると安堵の息を漏らした。

 ある程度の知識を魔王城で得ているエスティアにとっては苦痛の時間だ。

 だが、こちらとあちらでは常識が異なるのは当然で改めて聞きなおしていた所なのだ。


「では実践して見ましょうか。」


 教師の言葉に頷いてフィルシークは自らの魔力を集中させて言葉を紡ぐ。

 柔らかな茶色の髪がふわりと魔力の風で靡いた。

 緑の瞳は真剣そのもので慣れない魔法に必死だ。

 そもそもイルガーナ王国の王族は揃って魔力が強い。

 だから本来であればフィルシークはとっくの昔に魔力の訓練をしているはずだったのだが、正妻の嫌がらせだったのかフィルシークは自身の魔力や魔法についての知識が見事に欠落していたのだ。

 その為に急遽こうした授業を行う事となったのだが、始めて扱う魔法にフィルシークの魔力が一瞬ぶれた気がしてエスティアは立ち上がった。

 魔力の流れがおかしい。そう気がついた時にはすでに遅かった。

 フィルシークは強大すぎる魔力の扱いに失敗し魔力が暴走してしまったのだと気が付いた教師が慌てて魔法による結界を構築する。

 その瞬間、トンと背中を押されたエスティアはまだ体の調整が出来ていなかった為に簡単によろけてしまった。

 未だ魔力を纏っていないと満足に動かすことの出来ない体はあっという間に結界の内側に取り残されてしまった。

 唖然として後ろを振り向いたエスティアが見たのは、悲しみの表情に顔を歪ませるサラの姿。今までずっとエスティアに付き添い傍に居続けた彼女がなぜと考える間もなく、エスティアの体は暴れ狂う風の魔力にその体を攫われる。


「いやぁあああ!」


 吹き飛ばされる私を見てサラが叫んだ。まるでこんな事態を想定していなかったかのように。

 それを呆然と眺めていたエスティアの肌を風の魔力が次々と刻んでいく。

 赤い血がかぜの魔力に混じっていく。宙に投げ出されたエスティアのドレスもボロボロに破れて飛んで行く。

 このままだと不味いとエスティアはその危険地帯から脱出しようと魔力を紡ぐ。

 だが、暴走した魔力が溢れているこの場では上手く魔力を紡ぐことが出来ない。

 ぐるぐると巻き込まれつつも冷静に考えていたエスティアは中央に空洞がある事に気が付いた。台風の目と同じだ。

 そう考えて何とかそちらに移動しようともがいていく。

 風を抜ける際に体から血しぶきが上がるがそれに構うことなく飛び出した。

 ふわりと降り立つエスティアは中央で意識を無くしたまま立っているフィルシークを見つけた。

 フィルシークにそっと近づいて抱きしめる。

 そして自分の意識をフィルシークに同調させて何とか暴走を止めようと試みた。

 魔力の流れを鎮めてゆっくりとその力を解放して行く。

 そして魔法が完全に解除された後には、エスティアの血に塗れたフィルシークが残されただけだった。


――――…


 教師からの報告を聞いたアルナスは、あまりの事態に涙を流すことさえできなかった。

 アルナスの手元には敗れたエスティアのドレスの血が付着した切れ端のみ。

 エスティアの姿を見つける事は出来なかった。

 アルナスはその場に居合わせたサラにも事情を聞いたが、半ば放心状態の彼女が哀れで暫く休暇を与えるとフィルシークの様子を見に部屋へと赴いた。

 だが、その部屋の扉が開く事はなかった。

 自分の命の恩人であり、屋敷の娘であるエスティアを自分の魔力で殺してしまったとフィルシークは悲しみのあまり部屋に閉じこもってしまったのだ。

 妻のリリーは話を聞いて呆然としていたが、エスティアが死んだなど認める事はなくただ、心ここに在らずといった状態になってしまった。

 アルナスはどこかへ飛ばされてしまった可能性もあると捜索隊を出したが、ついぞ見つかる事はなかった。


――――…


 暗い夜道を一人の女性が歩いている。その足取りは重く暗い。

 屋敷から暇を貰ったサラはただ歩いていた。

 だが、決して闇雲に歩いているわけではなくしっかりとした目的地が彼女にはあるようだ。その様子を空高くから眺めているものが居た。

 淡い金の髪に白磁のような肌を持ち青い瞳を持つ少女。

 ボロボロのドレスがまるで天からの御使いのように錯覚させる。

 じっとサラの向かう先を眺めているが、いつもの柔らかな表情はそこにはない。

 無機質なほど厳しい表情を貼り付けてエスティアはその姿を追い続けていた。

 宙に浮く人間など見たら誰もが腰を抜かしそうではあるが、今のエスティアにそんな配慮はなかった。

 ただ、魔力を使って自らの体を浮かせている彼女は風に煽られてサラの絶望した瞳を見た時点で揺るがない決意をその身に宿らせたのだ。


「私の大切なサラさんにあんな顔をさせたのは誰?」


 サラが何の理由もなくエスティアを傷つけるような事はしない。

 それを行ったのであれば何らかの理由があるはずだと考えてこうして後をつけている。

 サラは休む事もなく向かった先はとある街から離れた場所にある一軒の家。

 その家の中に向かったのを確認するとエスティアは魔力を糸状にして糸電話を作った。それを使って聞き耳をたてる。


「約束通り、エスティアさまが魔力暴走に巻き込まれるようにしました。弟を離してください。」


「おっと待ちな、それで証拠は?」


「これを。」


 サラは男に切れ端を渡す。その切れ端には血が付着している。

 誰の血なのかは見ただけでは分からないが、男はそれを受け取ると満足そうに他の男に指示を出した。


「おい、離してやれ。」


「行きましょう、フレッド。」


「サラ、お前まさか。」


 家から二人の男女が出てくる。サラともう一人は青年だ。顔立ちがサラと似ており、茶色の髪は肩にかかるほど長いようだ。

 無造作に髪を括っている辺り何日も徹夜して研究していたような学者のようだ。

 瞳の色は赤み掛かった茶色で先導するサラに引っ張られて困惑しているままだった。


「フレッド、私は屋敷に戻ります。恐らく、命はないでしょうが私の事は気にせず生きてください。」


「何を言うんだ、たった二人の兄弟だ。僕も行く。」


「だめよ、貴方は未来有望な魔道技師。私とは関わりなく生きて。」


 魔道技師とは魔道具を作る職人のことだ。

 失われた時代に作り方は失伝しているがいくつか解明されてきている。

 それを再現して作るのが彼らの仕事だ。


「いやだ。僕にも責任があるんだから行くよ。このままだと天の下を歩けなくなってしまいそうだ。」


「…それは。」


「姉さんのお願いでもこれは聞けないから。」


「分かったわ。」


 二人が屋敷に向かって歩き出す。

 そしてエスティアはその跡を追うのではなく、家に残っていたものたちをそのまま見張っていた。夜になってその家に尋ねてきた人物はドレスの切れ端を受け取ると金を渡してその場を去った。

 エスティアはその男を追いかけて行った。男はとある屋敷に入って行く。

 エスティア再び糸電話を繋いで様子を探った。

 どうやらここはヤンバーナ男爵の屋敷のようだ。

 男はそのまま屋敷の中を歩いてある一点で止まった。応接室だろうか、それとも屋敷の主の部屋だろうか離れているエスティアには分からない。

 だが、その屋敷の主である男が切れ端を受け取ると満足げに娘を部屋に呼び出したのを聞いた。


「アリス、これがお前の言っていたエスティアという娘が死んだ証拠だそうだ。」


「まぁ、本当?魔力暴走が起こって本当に死んだのね?」


「ちりじりに切り刻まれたのだろうと言っていた。お前の望む通りの結果だったか?」


「ありがとうお父様、これで私の未来も安心だわ。」


「お前が安心できるのであれば、私もうれしいよ。」


 遠くで聞こえる会話を聞き逃すまいとエスティアはずっと耳を澄ましていた。

 どうやらこれを仕掛けたのはアリスという女の子のようだ。

 でもなぜこんな事をしたのかが分からなかった。

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