第17話 帰還
自室に戻ったアリスの独り言をずっと聞いていたエスティアは、どうやらこの世界が乙女ゲームの世界と酷似しているという情報を拾った。
それらの話を整理するとかなりちぐはぐな所が出てくることに気が付く。
前世の知識それはエスティアも持っているが彼女ほど色濃くは持って居ない。
乙女ゲームがどんなものかは分かっても彼女の言う乙女ゲームに心当たりなんてないし、彼女の持ちえる情報との食い違いから、この世界が乙女ゲームの舞台に似通っていても同一ではないということくらいエスティアにも分かる。
だが、彼女は違うらしい。
主人公に転生したと喜んでいる彼女にとって、この世界は恐らくゲームでしかないのだろう。
それによって巻き込まれたこちらとしては怒りしか沸いてこないのだが、それをぶつけても意味がない事くらいエスティアにも分かる。
だからこそ彼女が一番嫌がるであろうゲームそのものを破壊してやろうと考えた。
そもそも破壊するまでもなくすでに変化しているこの世界でそれをする意味も恐らくないのだろうが。
サラさんを傷つけた。
そしてフィルシークの心もそのように弄ぶような人にエスティアは同情することなどありえない。
だからやるなら徹底してやるつもりでいる。
すでに犯罪に手を染めている男爵家。潰すのは恐らく簡単だろう。
なぜなら身分制度があるのだから。伯爵家が男爵家を潰すなど容易なことだ。
だが、それだけでは納得しない。
絶望的な気持ちを味合わせて完膚なきまでに叩き潰す。
エスティアはアリスを見てそう決めた。
物語にかまけて努力を怠っている彼女などエスティアの敵ではないのだから。
――――…
本来の物語ではエスティアが魔族の友を得ることなどあり得ない事だった。
そもそもエスティアの魂が神の手から滑り落ちた時点でこの世界の本来の道筋は違えてしまっている。
エスティアは眠りに付く事はなく普通の令嬢として育っていたはずであるし、その後子が授からなかったアルナスが王都でフィルシークを養子とする際にもエスティアが関わる事はあり得なかった。
なぜならフィルシークがエスティアを庇うという行為自体が存在しないため毒を受ける事もなく無事に王城に保護されたフィルシークの身元を隠すためにアルナスが養子として向かえるはずであったのだから。
そして、本来魔力に目覚めて居なかったエスティアがあの魔力暴走を生き残れるはずもなかったのもまた確かな事。
ただ、サラがエスティアの背を押す必要もなく、駆け寄ろうとして巻き込まれるというものであったが、それを止めることができなかったサラが伯爵によって命を絶たれるのもまた自然な流れだ。
アリスが父親に望み、それを仕向けた事でエスティアの怒りを買うような事態が起こったのはすべて始めが異なっていたから。
生まれた瞬間からすでにこの世界はゲームからかけ離れてしまっていた。
そして魔族と知り合ったエスティアによって命を救われた魔王一家は本来であれば命を落としているはずだ。
つまり、ゲームの前提がこの時点で覆ってしまっている。
ルフェルスが人を恨む事もなくルビーも命は落としていない。
恨む事がないため人族を襲う必要もなく、主人公はゲームが始まる前に操られた魔物によって傷ついた人々を癒すという事象事態が存在しない今、癒しの魔力を最大に育てる機会さえ失って居る。
こうした様々な事柄が一つの魂によって改変されて現在に至る。
この世界はすでに物語の始まりそのものを狂わせていた。
――――…
シェイズ伯爵家の執務室でアルナスは捜査情報を一つ一つ確認のために目を通している。だが、目撃情報は愚か、何も手がかりさえ掴めない。
アルナスはエスティアが魔法を使うことができる事を知っている。妻やサラには伝えていないことだ。
もちろんフィルシークにも以前彼を娘がどうやって救ったのかそれを正確に伝える事はして居なかった。
まだ知らせるには早いと考えているからでもある。
そしてアルナスは恐らくエスティアは無事であろうと考えていた。
だが、すぐに戻らない理由が分からなかった。
疲れた目を解しながら目を瞑る。ふわりと室内の空気が動く気配にアルナスは閉じていた目を開いた。
そして目の前に現れた人物に視線を向ける。
「お帰りエスティア。長いお出かけだったね。」
「ただいま戻りました父さま、調べる事があったので遅くなり申し訳ございません。」
「それで、何を調べていたのだ?」
エスティアは追いかけて知った事を全てアルナスに話した。
そしてボロボロの服のまま帰って来た娘を無事で良かったと抱きしめる。
すぐにリリーとフィルシークを呼び出した。
「ティア!」
フィルシークがエスティアをひしりと抱きしめる。
「君を、失ったかと。」
「この通り無事ですフィル。それよりも心配かけてごめんなさい。」
「魔力が暴走したとき助けてくれたのもティアだった?」
「ちょっとお手伝いしただけよ。それよりもフィルに怪我がなくて良かった。」
「フィアは?怪我したんじゃないの。」
「治したから大丈夫よ。」
「治した?」
「私、魔法使えるもの。」
にっこりと微笑むエスティアはフィルシークの背にそっと手を添える。
少ししか離れていなかったのに一人で動いて寂しかったのだと今更ながら気が付いた。
そして安心したのか、エスティアはそのまま目を閉じた。
もうこの手を離さない。
フィルシークはこの日からエスティアの傍に張り付いて他を寄せ付けない程に溺愛していく。
一度失いかけた事実がフィルシークの想いを引きずり出した形である。
――――…
疲れが溜まっていたらしいエスティアをメイドに任せて、アルナスはリリーとフィルシークに何があったのかを説明した。
伝えられた言葉はにわかには信じられない事だったが、その為に大切な人が危険に晒されたのだと知るとどす黒い怒りが沸きあがる。
すぐにでも男爵家を潰しにいきたい。だがエスティアはそれをまだ早いと判断した。それはアルナスも同意するところだ。
例え犯行を行ったものを捉えて証言させたところで意味はない。もっと決定的な証拠を集める必要がある。
この日以降ヤンバーナ男爵家の周辺にアルナスが放った密偵が常に張り付くようになった。そんな事など知らないまま彼らは愚かな行為を続けていく。
それは、物語の通りになるのか不安を持っているアリスが犯した失策。
もしそんな事を気にしなければ最終的な結果があそこまで狂うことはなかっただろう。
この時点ではアリスに分かるはずもなく愚行を重ねる事となる。
その一つは王城で開かれるパーティのこと。
ゲームではこのパーティの途中で王子が攫われるという出来事が起こる。
それを手引きしたのはマルクス・ヤスターパという伯爵家の人間だ。
その人物に接触し手を貸すという行いをした時点で、彼女の未来が確定したと言っても過言ではないのだが、幸せな未来を夢見る少女にはそれが分からなかった。
そしてその裏では過激派の魔族が暗躍しているなど知る由もない。
いや、知っていたとしてもそれを言及する事はないだろう。
この事件が切欠で魔族が動き出した事を掴んだ王国が、力を蓄えるために有望な若者を学院で確保するための動きを見せるのだから。
「これを手伝えば、私の出世も間違いないのだな?」
何度も確認する男に深くローブを被った人物が答える。
「当然だ、目的が達せられたならこの国のトップは総代わりする事に成るだろう。その時今回の貴方の功績がモノをいう。だから、失敗なんてしないで下さいよ。こっちの命もかかっているんだ。」
「わ、分かっている。そこは抜かりないわ。」
「では後は手はず通りに。」
目的を遂げたローブの男は去っていく。
その後姿を見送ったマルクスはほっと息を付く。
そしてそれを見届けた人物に目をやる。ハリス・ヤンバーナ。彼もまたこの件の共犯と成ったのだから。
アリスの願いのため、ハリスは自らも手を汚す決意をした。
それは明らかに物語と異なる状況ではあるのだがアリスはそれに気が付いていなかった。
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