梟は雀と烏と共に夜を過ごす

第8話 梟は烏と雀と共に夜を過ごす

「凉萌ちゃん、今日のオレのお仕事なぁに?」


砂糖を煮詰めたような甘い声で私の名を呼ぶ男の声が聞こえた。

不自然なほど自然に後ろから抱き着いてきたその男、ハーバヒトは珍しく己から仕事をする気なのか声を掛けてきた。

他者に触れられることを得意としない私にとっては鬱陶しいと思うほどの抱擁。

けれどもそれを指摘する前に執務机に山となっている書類を片付けるのが先決だ。


(……嗚呼、また隊長は重要書類をこっちに投げましたね)


あの粗チン野郎いつかその粗末なモノ潰す。と恨み言を内心で吐きながら、表には微塵も出さず。背中に引っ付いている男に無言で資料を差し出した。


「なぁに?」


「貴方へ。本日の仕事内容です」


「はいはーい、オレ頑張っちゃうね!」


にっこりと笑うハーバヒトは、不満など一切ないとばかりに資料を受け取った。

最近のハーバヒトは働き詰めで、どこかで休みを作ってやらなくてはと思うのだけれども、如何せん仕事の量がそれを許してくれない。

その上、ハーバヒトは殺しの仕事なら喜び勇んで行ってしまうので、止めることも難しい。

ふと、ハーバヒトの頭をぽんぽんと撫でてやった。

羽兎が少し前に言っていたのだ。


『ハーバヒトを甘やかしたいならば凉萌様から触れるのが一番手っ

取り早いですよ』


そう拳を身体の前で作りながら言ったそのセリフを思い出しただけなのだが……、実行したらハーバヒトは石像のように固まってしまった。

何か悪いことをしただろうか?

不安はないにしろ、不快にさせていたらそれはそれで謝らなくては、と口を開いた瞬間、ハーバヒトが動いた。


「んへへ」


「なんですか? そのだらしない笑い方は」


へにゃりと眦も口角も下げたハーバヒトは未だ頭の上に乗っている私の手の上に己の手を添えた。まるでもっと撫でろと言わんばかりの犬のようだ。

ハーバヒトの言動は分かりやすいようで分かりにくいですね。

そんなことをある時隊長に言ったことがあるのを連想ゲームのように思い出した。

その時隊長は「お前にだけだってのー」と呆れた顔をしながら気だるげに頭を掻いていた。

しかしながら今ハーバヒトに行った方法は有効的なようですね、とまだにへにへと笑っているハーバヒトを見て小さく頷く。

ここは西の大陸でもっとも大きな国。


『ヴァンダーフェルケ』


私達が居るのはヴァンダーフェルケ城近く。国区第一地区。王宮のすぐ近くにこの部隊は存在している。

否、私達の部隊だけではない。この国の大半の軍隊はこの国区第一地区に集まっている。正確には集められている。

まるで守るのはこの王城だけで良いと言わんばかりに。

そうしてもっとも王城に近い場所に在るのが私の所属している、通称【烏】と呼ばれる部隊は存在している。


何故【烏】などと呼ばれるか。

それは他の軍人は皆白い軍服を身に纏っているのに反し、私達の軍服の色は何者にも染まらない漆黒。

まるで死神のようだと裏では言われているが、そんな陰口は気にもならない。

綺麗な世界でしか生きてこなかった、価値観の違い過ぎる人間には何を言っても無駄なのだと学習している。

この国の軍人の半分は貴族や王族に連なるモノが在籍している。半分も、だ。

庶民上がりの兵を馬鹿にし、親のコネクションで地位を上げていくその姿は醜いという言葉がピッタリだろう。

そんな人間ばかりが前国王時代に大量に居たせいか、西の大国だと言うのに治安は悪くなるばかり。


そこで、立ち上げられたのが、私の所属しているこの部隊。

『王室特務部隊』通称【烏】である。

カラスの羽根の如く漆黒の軍服を身に纏うその姿と、死肉を喰らうように王族に良からぬことをしようとする者達を冷徹に狩る姿勢から、皮肉を込めてそう呼ばれるようになった。

王族の為。それはひいては国民の為にもなる。

王族が腐敗していた時期もあった。前国王がまさにソレに宛ては在るだろう。


だが今は違う。民の為になろうと尽力をする王族を守るのが私達の仕事。

もっとも、貴族連中には良い様に使われているけれども。私達とて利用しているのだから、おあいこというやつだろう。


それに、と思考したあとで、やめた。

ハーバヒトがひらひらと手を振りながら執務室を去って行ったのが見えたからだ。

私はソレを視線だけで見送って、机にある書類を整理し始めた。


(……別に呼び名は姿形だけでそう呼ばれるようになったわけでもないですからね)


カラスとは、その臓腑までもが黒いという。本来なら空気に触れれば赤く染まる血液すらも黒いと謳われている。本当かどうかなどはどうでも良いけれど。

血の通らない、冷徹な殺戮者そのものだと言われているようで、私は存外この呼び名が気に入っているのだ。

気に入っているというのも変な話なのかも知れないけれども、お似合いな通り名だとは思っている。


「おい、凉萌ェ。ナニぼんやりしてやがんだァ」


「……突然現れないでください。隊長こそ、一体どちらに居らしたんですか? 油を売っている暇が果たしてあったのでしょうか?」


「あー、あー。聞こえない」


「この租チンが」


「お前は相変わらず昔から可愛げがねぇ女だなァ」


「隊長に『可愛い』などと生涯思って貰いたくはないので、この路線で行かせて頂きます」


「お前実は俺のこと大好きだろ」


「はあ。嫌いな人間に従う義理はありませんから。人間性には害しかありませんが」


「一言多いな!?」


「――手を握られただけで孕む」


「ん?」


「そう、噂されていますよ」


暗にそう言えば、隊長は「遊び過ぎたか」と頭をポリポリと掻いていた。


「幾ら独身とはいえ、四十手前のおっさんが一体何をしているのやら」


「歳には触れないで! 敏感なお年頃なんだからァ」


両腕で自分の身体を抱き締めながらそう言う隊長についでとばかりに思ったことを口にした。


「隊長。加齢臭が最近酷いので私にあまり近付かないでください」


ベッドの枕から異臭が発生してましたよ。と告げれば隊長はその場に崩れ落ちた。


「何やってるんです? 蹲っていないで仕事をしてください。こっちは貴方のサイン待ちなんですから」


「……凉萌ちゃんよォ」


「なんです?」


「最近、俺に対してアタリきつくない?」


「年寄りに掛ける情けくらいは持っていますが、仕事をしない駄人間に掛ける優しさはミジンコ程もありません」


「年々口が悪くなってく……パパ哀しい」


「誰が『パパ』ですか。貴方の遺伝子は継いでいませんが?」


「悪ノリにも乗ってくれない……」


「人生に於いて、一度も貴方の悪ノリとやらに乗った覚えはありませんが」


今日はイヤに食い下がりますね、と心底面倒くさいことこの上ない隊長に対して眉間に皺を寄せる。

……そう言えば、この人ぐらいだ。仕事以外で私の表情筋を動かす人間は。


(まあ、今は仕事中なのですけれども)


そう。今は仕事中だ。ハーバヒトも羽兎も仕事中である。


(それなのにこの人は……)


はあ、と呆れたと言わんばかりに溜め息しか出ない。

そんな時だった。コンコン、と扉がノックされたのは。

隊長は未だにぶつぶつと何かを言ってはひとりで落ち込んでいる。

仕方がないですね、と私は執務机に手を置いて、座り心地の良い椅子から腰を上げ、扉に近付く。

なんの警戒心も湧かないのは、慣れ親しんだ気配だったからか。

扉の前で立っていたのは男性。


「やはり貴方でしたか。一体なんの用事です?」


「レイヴンに呼ばれたから来た」


「隊長に? そのような話は聞いていませんが」


「そこで蹲っている様子を見るに、私のことを伝える前にお前が沈めたのだろう」


凉萌。と静かな声で名を呼ばれた。ハーバヒトの砂糖を煮詰めたような甘い声ではない。湖面を微かに揺らすような、そんな静かな声。


「レイヴン。要件はなんだ? くだらないことなら沈め直すが」


「……あ? なんでお前さんがここに居るんだよ」


「……お前が呼んだからだろう」


「普通にこんなとこ来んなよ。護衛も連れてねェみたいだし」


「構わん。お前達の管轄している場所で何か私に起きたならば、お前達の首が飛ぶだけだ。」


「いや、そこは構って!?」


「要件を早く言え。私はこう見えて、……少なくともお前よりは忙しい身なんだが」


「そりゃそうでしょうよ」


ヴァンダーフェルケ国王サマ?


嫌味な顔をしていらっしゃる。と私は二人に挟まれている状態の中、思う。

こう見えても二人の仲は悪くはない。むしろ良い方だろう。

しかしこうやって話し合えるまでにどれほどかかったか。

まだ【烏】が出来る少し前のことを思い出して、右目が疼いたような気がした。

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