第9話 梟は烏と雀と共に夜を過ごす

「またこんなところに居たのか」


「おや。アウル殿下。何故このような場所に?」


「それはこちらのセリフだ。スパロウ家の令嬢がこんな森の中で何をしている」


「言っておきますけれど、この場所を教えてくださったのは貴方ですからね」


「……そう言えばそうだったな」


眉間に皺を寄せながら大樹の木の根元に腰掛けている私の隣に座った男性。

殿下、つまりはこのヴァンダーフェルケ国の王子。しかも第一王子だ。

そんな身分の人間が何故、従者も護衛も連れずに出歩いているのか。

まあ、それは私も似たようなことが言えるのですが。

何代か前の王族の血が混じっている、つまりは王族に連なる一族であるスパロウ家の令嬢という立場での言葉では、もちろんない。


「私の婚約者は好き勝手に動く。捉えることの方が馬鹿らしく感じる」


「殿下も同じ様なモノだと思いますけれども」


「ハッ。お前と同じにされるとはな」


鼻で嗤った殿下に、悪意はない。何故ならこの言い合いが私達の普通だからだ。


「時に殿下」


「なんだ」


「本当に私達は婚姻するのでしょうか」


「……婚約者だから、するのだろうな」


「親の決めた女で良いのですか? 私が殿下のお立場だったなら、もっと素性の良い女性を迎え入れたいと願いますが」


「随分と自分を卑下した発言だな。お前らしくもない」


「まあ、なんと言いますか。今日とうとうお義母様に『わたくしの娘の方が殿下の奥君にふさわしいですわ!』と、震えながら言われてしまったもので」


生粋のお嬢様である義理の母親は、自尊心は天ほど高いくせに強気な発言があまり出来ない。

いつも影から私を睨んではメイドに小言を言うくらいしか出来ないお方だ。

そんな義母が私に向かって初めて強気な発言をした。感情がかなり高ぶっていたのだろう。

そのセリフを吐く前にお父様が義母の前で、弟と妹に対して「凉萌のように在れ」と言ってしまったから。

人一倍自尊心が高く、私の生まれを貶している義母はそれに逆上し、とうとう心の内を吐露してしまったのだ。

お父様はそんな義母に対して哀れんだ眼差しを送るだけで、弟と妹は所なさげに服の裾を掴んでいた。


義母が何故そこまで私を排斥したがるのか。

もともと義母はお父様の婚約者であったらしい。しかしお父様は私の生みの親である母を隣に置いた。それも自尊心の高い義母には気に食わなかったのだろう。

だが何より義母が気に食わないのは、私が東の小国の遊女の胎から生まれたことだろう。

なんでもお父様が一目で気に入り、そのまま連れて帰って来てしまったのだとか。

義母が陰で良く言っていたのを聞いたことがある。


『誰の子かもわからないのに、どうして旦那様はあの娼婦から生まれた娘を大事にするのです』


そう泣きながら。肩を震わせていたのを見て、私は生みのお母様の姿と重ねてしまった。過ごした記憶は少なく床に臥せっている姿の方が想い出には多いけれども、その中で決して忘れない言葉がある。


『好きになっちまったもんが負け。後も先もなくね。お前は誰に負けるのかねぇ』


ベッドの上で私の頭を撫でながら煙管の煙を燻らせ、微笑んだお母様。

お母様は遊女であった自分に誇りを持っていた。だから何を言われても笑い飛ばせるのだとも言っていた。暗い顔をしていても良いことなんざないさぁね、と最期の時まで常に笑顔で在ったお母様。


『お母様もお父様に負けたのですか?』


『あたしがあの男に負けたかどうかは、お前がもっと大人になったらわかるかも知れないねぇ』


『そういうものですか』


『そういうもんさ』


吸い口を咥えて煙を吸うと、そのまま、ふぅ、と吐き出した。

お母様の吐き出したその煙の先を目で追う。吐き出された煙は当然ながら溶けるように空気に馴染んでしまった。

お母様がお父様に負けたか否かは、結局今となってもわからないまま。

お母様はそのすぐあとに長引いた風邪を拗らせて亡くなってしまったから。

お父様は仕事を放り投げて、ただ静かにその手を最期まで握って離さなかった。


それから一年間だけ喪に服し、明けた先に待っていたのは新たなる『母親』だった。

気位も自尊心も高い新しい母は、自分を生んだ母親よりもずっとか弱く見えて。

箱入り娘とはこういう女性のことを言うのかと、幼心に思った。

しばらくしたら子を孕み、そうして弟と妹。一気に二人もの姉弟が出来た。

喜ばしいことだと思った。喜ばないといけないと思った。

お父様はお母様が亡くなってから、元からあまり感情を表に表さなかったけれど、それ以上に能面のような顔をする時が増えたし、逃げるように仕事により一層励むようになったから。

少しでもお父様にとって嬉しいことがあるのは良いことだと。

義母は子が生まれてからも、お父様の関心を惹こうとしていたみたいだけれども、その効果は無かったらしく。

そうして過ごしていたある日。食事をしている席でお父様は仰られた。


「凉萌。この度お前はアウル殿下と婚約することが決まった」


淡々とした言葉。その言葉は、娘を持つ後妻とはいえ正妻の娘が居る母親として許せなかったらしい。顔を真っ赤にさせてお父様を睨み付けていた。

私はというと、特に感慨もなく「承知致しました」と頷いた。


今思えば、私も『箱入り娘』だったのかも知れない。


この狭い世界で生きていた私には、外の世界で羽ばたくという考えすら浮かばなかったのだから。

それももう何年も前の過去のことだ。それよりも今は気がかりなことがある。


「まあ、そんなくだらないことはどうでも良いんです。今夜の舞踏会、私は面白くもないのに笑ったりなんて出来ませんからね」


「そんなことをお前に求める貴族連中は居ないだろうな」


「誰か私を殿下の婚約者という立場から引き摺り落としてくれる気概溢れた方はいらっしゃられないのでしょうか」


「率直に私と夫婦になるのが嫌だと、お前の父親に泣きつけば良いのではないか」


「知っているくせに良く言いますね」


「なら、戯言だと理解しろ」


私達の関係性は変わらない。余程のことがない限りな。

殿下は遠くを見つめながら言う。

私は両膝を立ててその膝の上に頭を傾け、頬を乗せた。


(余程のこと、ですか)


きっとそれは、イレギュラー中のイレギュラーなのだろう。

期待するだけ無駄だとすぐさま諦めた。

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