日の姫と闇を従えし者

叶 望

日の姫と闇を従えし者


 かつてひとつの島があった。


 空に浮かぶ浮島を持つその島には多くの人々が住み、それぞれの居場所を作っていた。浮島と言っても宙に浮いているわけではない。

 一本の柱によって支えられた島を人は天の国と呼んでいた。その下にあたる大地は中の国と呼ばれ、その更に下には死の国という場所があると言われていた。

 その中でひと際大きな勢力をもつ日の宮と影の宮と呼ばれる集落があった。特別な力を持つ存在が生まれるその集落は次第に力を強めていく。

 多くの集落を取り込み肥大したその勢力は島を二分するほど大きくなり、天高い浮島を選んだ日の宮と大地を選んだ影の宮はそれぞれ長い年月関わることなく過ごした。

 しかしある時、浮島を開拓しつくした日の宮はとうとう地上に目を付けた。広大な大地と豊かな資源を求めての事だ。

 その地にはかつて妖や禍が渦巻いていたが、影の宮はそれを従えることに成功し、平和を築いていた。

 悪しきものを従える影の宮を打ち真の平和をもたらすという大義名分のもと、日の宮は広大な大地を欲し影の宮を暗い夜の闇に紛れて襲撃した。

 突然の天からの奇襲に影の宮の者たちは訳が分からないまま大混乱に陥った。その影の宮を統括していた集落の長、夜見は身重の妻をただ一人逃がして戦いに破れ息絶えた。


 影の宮はその日のうちに滅ぼされてしまった。


 それから、13の年月が流れ日の宮によって中の国は統率されていたが、ひとつ大きな問題を抱えていた。

 影の宮によって従っていた妖たちが再び暴れ始めたのだ。人々に禍をもたらす妖に対抗する術のない人々が数多くその命を落としている。

 日の宮もそれを黙って見ていたわけではない。日の宮の特別な力を持つ巫女の力で妖の本質を見抜き、封じる事に成功していた。

 しかし、封じることは出来ても滅することは出来ないままでいた。日の宮の力は守りに特化しているためだ。


 封じは出来てもそれは、いずれ破られる。


 次第に人々の不安が膨れ上がり、それが妖たちの力となるという悪循環になっていた。


 日の宮の宮殿で13になったばかりの少女が一人の青年と向き合っていた。

 輝くような黄金色の髪を持ち、淡い翡翠の瞳を持つ愛らしい顔立ちの少女はこの日の宮を継ぐ次期後継である姫巫女である。

 赤の刺繍の入った白い衣を身に纏っている少女は腕を腰に当てて青年を見上げている。


「いけません!灯火様。巷では人攫いが横行していると聞きます。怪しげな集団が恐ろしい集会を開いているという報告も入って来ている今、視察など許可できません。」


 対する青年は栗毛色の髪を頭頂で括り、鶏冠のように流している。

 赤い刺繍と黒い衣を身に纏い、その腰には太刀を下げており、袖には動きやすそうな切れ込みが入っている。

 海のように澄んだ青い瞳は揺るがぬ光を灯し真っ直ぐに姫巫女へと向けられていた。


「だからこそです呉羽。民が不安に思っているなら、私が姿を見せれば少しは不安も和らぐはずです。それに、守り人である貴方がいれば大丈夫でしょう?」


 上目づかいに姫巫女が尋ねれば、守り人である呉羽はそれ以上の言葉は告げない。何者からも守るというのが守り人の役割なのだから。

 結局いつもの通りに押し切られて呉羽は灯火の言うように、共に視察へ向かうこととなった。


 新鮮な野菜や果物、肉、絹や麻、綿などで織った布や糸、竹で編んだ籠や細工を取り扱う市が行われていた。

 その通りを守り人に守られながら視察を行う灯火は、ふと目の端に黒いものを捉えた。


 長い黒髪を一括りにした少年だ。


 麻の服に身を包み、薄汚れてはいたが、その端正な顔立ちと透き通った泉のような青い瞳が灯火の瞳を惹いてやまない。


 少年は市から品物を取って走り去っていく。


「おい!そこの…。」


 守り人の呉羽が思わず声を上げて追いかけようとしたが、物を盗られたはずの店主に止められる。


「お待ちください、品物のお代なら貰っているので良いのです。」


「代金を支払ったようには見えなかったが?」


 首を傾げる呉羽に店主はそっと置かれていた木彫りのそれを手に取った。

 丁寧に彫られてはいたが、何の形なのか判別はできない。その木彫りの彫った溝に黒い髪が巻かれている。


「何だこれは…。」


 怪訝な顔で尋ねる呉羽に店主は苦笑して答えてくれた。どうやら、魔除けの品らしい。


「しかし、魔除けであれば日の宮から受け取ったものがあるだろう?」


 日の宮では税を治める時に呪いの札をそれぞれ渡している。魔除けとしてのそれは確かに効果があるはずのもの。

 日の宮の巫女によって作られた木札は守りの力が込められている。


「あれは駄目ですよ旦那。妖を怒らせるだけで確実に守ってくれるわけでもないし、効果がいつ切れるのかさっぱり分からないのです。それよりもあの子が置いていく魔除けの方が役に立ちますよ。一回こっきりではあるけれど、必ず妖から守ってくれるのですから。」


「馬鹿な、そんな力を持つ者が居るはずがない。気のせいではないのか?」


「日元の地に居る多くの者たちがそれを知っています。この魔除けには確かに効果があるのです。」


 店主の表情には嘘を言っているようにも見えない。灯火もこれを聞いて複雑な表情を浮かべている。

 自分たちが作ったものが役に立たないどころか、逆に妖を怒らせているなど今まで知らなかったからだ。


「あの少年は、一体何者なのだ?」


「さて、何者と聞かれましても…。ただ、彼の母親はとても美しい人でした。13年前にこの地に来て住み始めてまもなく生んだ子があの子です。どこの者かは存じませんが、おそらく高貴な血筋の方ではないかと皆噂していたのです。」


「どこに住んでいるのだ?」


 呉羽の問いに店主は少年の走り去った方向を見てため息をつき、首を横に振った。


「誰も知らないのです。ただ、5年も前に母親が死んだというのは聞きましたが…。」


 店主の眺める先には森が広がっている。深い森はまるですべてを拒絶しているようにもみえる。


「妖だ!」


 ひとつの叫び声が集落に響く。逃げて来る男の後ろから巨大な大蛇がうねりを上げて向かってきていた。


「ひぃ!」


「に、逃げろ!」


 様々な声が飛び交い、我先にと逃げ出すもの、荷物を纏めるもので市は大混乱に陥った。


「きゃあ!」


「姫様!」


 姫巫女が人混みに紛れて呉羽はその手を離してしまった。人に押され、流れに逆らうことが出来ずに燈火と呉羽は離れ離れとなった。


「どうしよう…。」


 灯火は集落の家々の間を歩きながら、彷徨っていた。道など知らない上に、どうやって帰ればいいのかさえ見当がつかない。

 呉羽が探しに来てくれるのを待ちながらも歩き続ける。暗い裏道に入り込んだのにも気が付かず、姫巫女は途方に暮れていた。


「こんにちは、お嬢さん。迷子ですかな?」


 後ろから声がかかって、振り向いた灯火は思わず目を見開いた。奇妙な面を付けた者たちに取り囲まれていたからだ。


「え?」


「私たちが連れて行ってあげましょう。」


「あ、あの…だ、大丈夫です。」


 にじり寄ってくる者たちから思わず後退って灯火は逃げようとした。

 しかし、その手を掴まれてしまう。


「い、いやぁあああ!」


 叫び声を上げた灯火の口は塞がれて、縄でぐるぐると縛られる。

 じたばたと暴れる灯火ではあるが、女の身である上に、少女の力では大人の力には到底及ばない。


「何をしているんだ!」


 絶体絶命という時によく透る少年の声が聞こえた。先ほどの黒髪の少年だ。涙目になりながら、助けを求めようとしたが、少年の背後に忍び寄る怪しげな仮面を見て叫んだ。

 しかし、口を塞がれていて言葉を伝える事ができない。


「がっ!」


 あっという間に少年は意識を刈り取られ、灯火の意識も闇へと沈んだ。


 その少女を見た時、助けなければという衝動に駆られて思わず叫んだ。

 ほんの一目市場で垣間見ただけの少女、妖に追い立てられて人々の押し寄せる流れによって迷い込んだ少女。

 黄金色の髪はまるで太陽のように見えた。


「うっ…痛。」


 夜叉はうっすらと目を開いた。どこかの建物の一室のようで、四隅には何かの香が焚かれており、白い煙が充満している。

 頭がずきりと傷んだのに加えて、何だか頭に霞がかかったように重たい。目の前には少女が眠っている。太陽みたいな少女だ。

 他にも何人かの子供たちがそれぞれ肩を寄せ合って集まっている。

 ずっと前からこの部屋へ入っていたのか、彼らの瞳は虚ろで何も映していないように見えた。

 手足は縛られて上手く動くことができない。もぞりと動いた時に、少女とぱっちりと目が合った。


「あ、あなた…は?」


「…俺は夜叉だ。傷むところはないか?」


「私は灯火、怪我は無いみたいです。ここは…。」


「さぁ?出口は一つしかない。それに、この煙も良くないものだということ以外は分からない。お前は何か知っているのか?」


「人攫いが怪しげな儀式をしているとしか…。」


 灯火は呉羽から聞いていたことを口に出してさっと顔を青ざめさせた。今になって自分が攫われて何かの儀式に使われようとしているのだと気が付いたのだ。

 儀式と聞いて怪訝な顔をした夜叉だったが、口を開く前に扉がぎぃと音を立てて開いた。そして、縄を掴まれて連れ出される。

 ぞろぞろと並び歩く様はまるで死に繋がる道を歩いているかのようだった。

 広い講堂のような場所に出ると、木の牢の中に入れられる。講堂の中にも怪しげな煙が充満しており、夜叉はだんだんと体の力が抜けていくのを感じた。

 頭は朦朧として意識を集中させるのが難しい。講堂の中には大勢の怪しげな仮面をつけた者たちが集まっており、まるでこれから何かの芝居を始めるかのような奇妙な熱が篭っている。

 一人の仮面をつけた人物が高い場所に立った。彼の側にはむき出しの寝台のようなものが置かれている。


生贄の祭壇だ。


「諸君、良く集まってくれた。日の宮が影の宮を打ち破り、支配を始めて13年の時が経った。しかし、妖は数多く禍をもたらし、人々を苦しめている。そんな状況を打ち破るためにも生贄を捧げ、神降ろしの儀式を行おうと思う。神の力でかつての平和を取り戻すのだ!」


「おぉおおお!」


 歓声が上がり、一人ずつ子供を牢から出して祭壇に連れて行く。

 そして台に子供を乗せると手首を小刀で切り付けて、衣服を切り裂いてその身体に何かしらの図を描いている。

 刃が身体を刻むたびに子供の身体がびくりと跳ねた。どくどくと手首から血液が流れだして祭壇を赤く染めていく。

 そして、仮面の人物が何らかの呪文を唱えて最後に小刀を子供の胸に突き立てると、びくりとひと際大きく身体が跳ねて、子供は動かなくなった。

 そして、次、次と子供たちが捧げられていく。その様子を混濁した意識の中で夜叉は見ていた。

 残すところ二人となったが夜叉と灯火は牢でその場に蹲っているままだった。灯火は涙を流して震えている。

 仮面をつけた者が牢から灯火を連れ出そうとした時、夜叉の身体は反射的に動いた。


「ほう、生きが良いな。」


 腕を掴んだ夜叉に仮面の男は楽しげな声を上げた。

 朦朧としたままではあるが、灯火を庇う夜叉を見聞していた男は灯火から手を離すと、夜叉を代わりに連れて行った。


「あっ…。」


 虚ろな瞳の灯火が夜叉の方へ手を伸ばすが、その手が届くことはない。

 重い身体と思考が全てを鈍化させていた。


「神よ。生贄を捧げます。どうか、我らに平和な世界を与えたまえ。」


 その言葉を始まりに、仮面の男は夜叉を刻んでいく。衣服は切り裂かれて、訳の分からない文様が身体に刻まれる。血液が流れ出て、虚ろな瞳の夜叉の心臓がどくりと跳ねた。

 小刀が胸へと振り下ろされようとした時、夜叉の意識は白く塗りつぶされ、夜叉の奥深くに眠る力が呼び覚まされる。


「何!」


 仮面の男は不可思議な力に跳ね飛ばされた。ゆっくりと夜叉の身体が起き上がり、解けた黒髪がざわりと揺れた。

 台の上から睥睨するように見下ろす夜叉の瞳はまるで闇の底を見ているように深く暗い。

 身体から迸る強い力に講堂に集まっていた者たちは全員が立っていられずに床に這い蹲っている。


「おぉ、神よ!我らの願いを聞き届けたまえ。」


 仮面の男が叫んだが、夜叉が振り向くことはなかった。手を前に突き出したかと思えば、次の瞬間にはその手に剣が握られていた。

 見たこともない程巨大な大剣だ。

 それを横薙ぎに振ると講堂に居た者たちの首が宙を舞った。


「くっ、くっ、あっはははは!」


 狂ったように愉しげに剣を振るってあっという間に講堂を血の海へと変えた夜叉は傍に居た仮面の男にやり口の端を歪めて視線を向けた。

 その視線を受けて男は思わず後退った。


「ひぃ、ま、待って!神よ、話を!」


「鬱陶しい。」


 そう告げた瞬間に、仮面の男の身体が青白い炎で燃え上がる。


「ひゃあああ!あ、熱いぃいいい!」


 悶え苦しむ男を無視して、夜叉は血の海と化した講堂を一瞥すると、手を掲げてぐしゃりと握りつぶした。

 その瞬間、血の海は一瞬で燃え上がり、男と共に燃え去った。

 そして、自らの身体を即座に癒すとゆっくりと牢へと足を運ぶ。牢の中の灯火を見て、剣で縄を断ち切ると、そっとその手を灯火の頭に乗せた。

 すると、虚ろだった瞳に光が戻り、身体は自由を取り戻した。


「あっ…私…。」


 目が覚めたといった灯火が声を上げた瞬間に、ぐらりと夜叉の身体から力が抜けて傾いだ。

 どさりと倒れた夜叉に灯火が慌てて駆け寄る。血の気の引いた夜叉を抱きしめて灯火は茫然としたまま動けなかった。


【王よ、我らが大王よ。いつでも我らはすぐ傍に、貴方の力となりましょう。】


 ざわざわと頭に鳴り響く声。身体中に何かが這いまわる感覚に夜叉は呻いた。

 それは、まるで自らを引きずり込もうとしている何か。それに捕まりかけたところで、荒い息をしながら夜叉は目を覚ました。

 額に張り付く髪の毛がどれだけ汗をかいていたのかを物語っている。ゆっくりと息を吸って、やっと夜叉は落ち着きを取り戻した。


「気が付いたのですね?」


 声のする方を見れば、金色の太陽のような少女が傍に座っていた。


「とも、しび?」


「良かった。ずっと眠っていたから心配していたのですよ?」


「俺は…生きている?」


「ええ、貴方のおかげで私も生き延びることができました。」


 そっと夜叉の手を灯火は自らの手で包み込んだ。


「ありがとう夜叉。」


「俺は、覚えてない。」


「それでも、貴方に助けられたのは事実です。感謝の気持ちを受け取ってください。」


「…分かった。」


 夜叉は全く納得できていないという表情をありありと浮かべながらも頷いた。


「夜叉、貴方には力があります。どうか、その力を私に貸してはいただけませんか?」


 灯火の提案に夜叉は首を傾げる。力とは何のことを差しているのかが分からないのだ。大した力は持っていない。多少妖を退けることは出来てもそれだけだ。自らが何かをしたという事はない。

 それでも、傍に居たい、守らなければという気持ちが夜叉の中に湧き起こる。夜叉は灯火の願いを聞き入れて、その手を取り、彼女の傍に居る事を選んだ。

 この時、日の宮と影の宮の力が一つに集結される切っ掛けとなった。

 妖を従える力を持つ夜叉と守る力を持つ灯火は二人で力を合せ、平和な国を築いていった。


-END-

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