応援コメント

人と神」への応援コメント

  • 人はピンチになると何かにすがりたくなるもの。
    特に神様である必要はないけれど、手っ取り早いのが神様。
    普段は疎遠なのに、ピンチになると頼っちゃう。
    別に悪魔でもいいんだけどね。そっちの方が力になってくれるかも。
    代償はあるかもしれないけれど、追い詰められたら、神様も悪魔様も同格。
    そんな気がする今日この頃(いつもの妄想)

    作者からの返信

    神に祈る。全てが叶う訳ではないと知っていても、何か深刻な事態が起こると、空を仰いで祈りを捧げてしまいますね。
    うん、確かにそうかもしれない……確実に願いを叶えてくれそうな悪魔は魅力的ですね。それが世にも美しい美青年だったりしたらますます……(私もいつもの妄想です^^;笑)

    編集済
  • 苦しみの中で、自分自身の中に導く光を見つける。
    大事なことですね。

    作者からの返信

    神に祈る時、願いが言葉になりますよね。
    祈るというのは、言葉にする行為を通して同時に自分自身の脳にも何かを気づかせ、言い聞かせているような、そんな気がするのです。
    神に祈ったり、神を呪ったりする苦しみを経て、人は最終的に自分自身の中に光を見つけるのかもしれない……そんなことを思ったりします。

    編集済
  • 困難に直面した時、人は神様に祈りますよね。

    だけど乗り越えられるとしたら神様の力ではなく、きっと自分自身の力。
    神様に祈るのは気休め程度に考えて、自分自身の光を見つけるのが、良いのかもしれませんね( ´∀`)

    作者からの返信

    無月弟さん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡

    まさにその通りですね。困難に直面した時に何かに向かい祈りたくなるのは、人間の本能のようなものなのかもしれません。そして、必死の願いがやはり叶わなければ、願いを聞いてくれなかったことを強く恨んだり……もしかしたら、人が「神」を創ったのは、何かそういう強い感情を受け止めてくれる先が欲しかったからなのかな、と。
    「神に祈る」とか「神を呪う」というような経験を通して、人は結局自分自身の中に光を探しているのかもしれない。そんなことを思うのです(*^^*)

  • 苦しい時の神頼み何て言いますが、そう都合よく助けてはくれませんね。

    ですが自分は、それでいいのだと思います。
    例え何もしてくれなくても、祈った分だけ、その人自身の頑張る力になることもあるのですから(#^^#)

    作者からの返信

    無月兄さん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡

    そうですね。こう考えると、やはり神は「人間の生み出したもの」なのだという気がしてきます。自分自身の力ではどうにもならないことが起こったとき、何か目に見えない大きな存在に祈り、縋りたくなるその思いが「神」という存在を生んだのかもしれない、と。
    どれほど願っても、望みは全て叶う訳ではない。そういう経験を通して、やはり人は自らの中に光を見出すという道を辿るのかもしれませんね(*^^*)