第3話 勇者ちゃん、裸を見られる②


 さて、この千代田区霞が関にある通称『桜田門』と呼ばれるビル──警視庁本庁舎は、地上18階・地下2階からなる建物だと一般に知られている。


 親父──局長の言う地下16階は、大多数の国民には知らされていない所謂、秘密基地である。


 つまり入り口は隠してある訳で、このままこの地下1階駐車場から庁舎に入っても、目的地には辿りつけない。


 俺の記憶が間違ってなけりゃ、確か──ここだった筈。


 辿り着いたのは、駐車場を少し奥へと進んだ『16番駐車スペース』。


 軽自動車専用スペースで奥過ぎず、ましてや入り口からも近く無い場所だ。


 一度振り向いて、今乗って来た車を見る。

 丁度発進を終えていて、ぐるりと駐車場を一周して専用出口から無音で外へと出て行った。


 あの運転手が見てる前で、あんまり『入り口』を開けたくなかったから好都合だ。

 

 俺はペンキで白地に黄色く縁取られた、大きな『16』の文字の上に立つ。


「えっと、今日が九月で第二日曜で──」


 ややこしいんだよなぁこの照会番号の算出方法。


 頭の中で1から9までの数字を時計回りに丸く配置して、1から始めて月番号で右回り──月の曜日を数えて左回り──日の数字にまた左回り。


 最後に自分に割り振られた番号を足して、今年の干支の順番を引いて──。


「願う。国土防衛局、第6情報室所属。ハチ・ハチ・ナナ・ロク・ゴ」


 そう言いながら、駐車場の隅に設置してある防犯カメラを見上げる。

 しっかりと顔と目が映る角度だけに気を遣った。


【認証中──照会。登録名ライカ・リョウヘイ。ストライク・オフィサー。入場を承認】


 地面に巧妙に隠されたスピーカーから、無機質な合成機械音声が流れる。


 よし、合ってたか。


 日で変わる5桁の番号と声紋、そして虹彩認証の三重セキュリティ。

 なおかつ事前に登録してある登庁予定と権限のある上役の許可があって、初めて入場を許される。


 それが警視庁本庁舎の秘匿階層、セキュリティエリアだ。


【ゲート解放。二十秒以内にお通り下さい。エージェント雷火】


「了解、っと相変わらず短過ぎるんだよ解放時間」


 直ぐ目の前の床がパッカーンと四角く開き、そしてゆっくりと蓋が降りていく。

 開閉の時間込み込みで二十秒。それを過ぎてしまったら、再び認証作業をしても同じ番号じゃもう絶対開かない仕掛けになっているのだ。


 急ぎ足で四角形の入り口に飛び込み、地下へと続く階段を降りていく。


 蓋が完全に閉まると、一面真っ暗闇。

 次いで小さな丸い光が、階段一段の端と端に浮かび上がる。

 踏み外さない様注意しながら、その丸いガイドライトを頼りに降りていくと、しばらくして壁に突き当たった。


「ここら辺──だったかな?」


 ペタペタと手探りをして、お目当ての突起物を探す。


 あったあった。

 大体左下、腰の位置のへそより少し上。

 手のひらに触れたひょっこり感触を確認し、左手の人差し指と親指で摘む。

 これは指紋認証。

 これまた登録してある人間・日付によってその時読み取る指が変わるとか言うめんどくささの極みみたいなセキュリティシステム。

 またしてもチャンスは一度きり。ここでミスれば、この暗闇空間に軟禁されながら保安職員の到着と共に連行・処罰されちゃう恐ろしい罠である。


 手順も指も間違っていなかった様で、壁は音も立てずに上方向にスライドし始める。


 開いた隙間から放たれる光に目を細めて、俺は一歩踏み出した。


「待ってた」


 うおっ!

 超近い! そして気配が無くてびっくり!


 突然、高身長の女性に声をかけられ、思わず身構えてしまった。

 覚えのある声だと即座に察する事ができたから良かったものを、これで全く知らない奴だったら攻撃してたかも知れない。


「お、お久しぶりです。南条さん」


 声の主は──南条まいあさんだ。

 黒髪ボブカットと眼鏡が良く似合うクールビューティーで、スタイル抜群の潜入諜報員アンダーカバーオフィサー

 気配を殺す術に関しては戦闘工作員ストラク・オフィサーの俺なんかより遥かに優れた技能を持っている一流のエージェントだ。


 ついさっき局長から言い渡された、特務工作員エージェント三五四号その人。

 今回の任務の前任者である。


「久しぶり。三年?」


 身体のラインが態とらしく浮き出ているジャケットに、胸元までを大胆に開け放したブラウス。

 タイトスカートに艶かしい黒ストッキング、そしてハイヒール。

 どこからどう見ても、「ちょっとえっちなOL」感を醸し出しながら、南条さんは小首を傾げた。

 

「そうですね。最後の任務報告会以来ですから」


「復帰、おめでとう? 残念?」


 無表情な上に声に抑揚も無いから分かりづらいが、これでも俺の事を気に掛けてくれてたのだろう。

 三年前、俺が工作員を休職する事を最後に報告したのはこの女性ひとだからな。


「まぁ、あんまり嬉しく無いです」


「そう。でも、大きくなった。私が先代から工作員エージェントナンバーを引き継いで、もう三年になるのね。月日が経つのは速い」


 ああ、そうだったな。

 俺が新設ナンバーの七九九。南条さんが三五四。

 番号的には南条さんの方がかなり若いが、ほとんどの工作員は師から後継に引き継がれる継承制だからな。

 俺が初めて任務に就いたのが八年前で、その時南条さんはまだ見習いで中学生だった。


 ──育ったよなぁ。

 昔から美少女だったけどかなり薄い身体してたあの女の子が、こんなボン・キュ・キュになるなんて。


「ん──」


「うわっぷ」


 女体の成長の神秘に想いを寄せていたら、突然南条さんに抱きしめられた。

 176センチの俺とほぼ同じかちょっと低い身長なもんだから、多少背伸びをしているのだろう。

 長くて細い腕を首と胴に回して、ぎゅうっと力を込めて引き寄せられる。


「な、南条さん?」


「うん。うん」


 何かを確かめる様に、彼女はペタペタと俺の背中や腕、そして胸や腹を仕切りに触る。


「肉体的にはなにも衰えてない。むしろ三年前より引き締まってる。サボらず鍛えてた? 偉い」


「あ、あはは。まぁ、もう習慣付いちゃってますから」


「良かった。これで任務を引き継いでも問題は無さそう」


 ああ、三年もブランクがある俺がちゃんと任務をこなせるか、心配だったのか。

 この人も歴戦の戦士。引き受けた任務は確実に遂行する優秀なプロフェッショナルエージェントの一人だ。

 それにしても、俺の胸に当たるこの幸せ感触。堪らんなぁ!

 プニプニっていうか、フニフニっていうか、マシュマロよりもお餅に近い魅惑の触感が最高です!

 あれ、もしかして南条さんノーブラじゃ──。


「実戦も予想されてるから、君がちゃんと戦えるか確認したかっただけ。それ以上でも以下でも無いから、そんなに興奮させないで」


 きっ、気付きますよねそりゃあ!

 だったらそんな必要以上に密着しないで欲しかったなぁ!

 そもそも抱きしめる必要ありましたかねぇ!? 背中に回っていただければ、それで充分だったかと!

 これは避けられない結果でして、僕個人にはなんの責任も!

 全ては俺の『俺』が思春期真っ只中なせいでして!


「スケベなのは生命力が強い証だけど、昔から君は女の子に弱い。何度言っても治らない悪い癖」


「ご、ごめんなさい……?」


 あれ?

 これ、俺が説教される流れになってる?

 早く軌道修正しないと!


「あ、あの引き継ぎは──」


「……久々に会ったのに、ツレない。三年間一回も連絡してくれなかったし、他に好きな娘できた?」


 壁際まで押され、鼻と鼻がくっつきそうな程肉薄される。


 かっ、壁ドン?

 うおっ!? 幸せ感触が更に圧迫されてぐにって、ぐにょんって!!


「──い、いやいやっ! そもそも休職中は一般人扱いの俺が、特務工作員に連絡なんか取りようがないじゃないですか!」


「秘匿回線じゃない一般思念通話は制限されてなかった。任務中なら留守電にも入れられた。家にも遊びに来た形跡が無い。美術館に付き合ってくれる約束、絶対忘れてるでしょ?」


「えっ!? だって俺、南条さんの家に遊びに行ったことなんか一度もな──」


「住所は知っている筈。昔教えた」


「そ、そりゃ知ってますけど! 一人暮らしの女性の家に遊びに行くなんて俺にはハードルが高いですって!」


「いつでも来ていいって伝えた。待ってた。寂しかった。悲しかった」


 は、はぁ!?

 だって三年前でそんなそぶり、見せた事なかったじゃん!

 そうでなきゃ俺、今だに童貞なんか守って無い!


 据え膳があるなら遠慮なく平らげる男ですよ俺ってば!


「あ、あう。あの、その、えっと」


 何を言っていいのかわからず、もごもごと口ごもる。


 そんな俺の顔至近距離から真顔でジッと睨み──南条さんは呆気なくその身体を離した。


「ほら、少し言い寄られただけでその慌てよう。お姉さん、やっぱり心配」


「──は?」


 澄ました顔で振り返り、南条さんは何事も無かったかのように歩き出す。


「対象は可愛い女の子。彼女に私達をどうこうしようと言う考えは今のところ見受けれないけれど、もしそうだとした今貴方は騙されていた。気をつてエージェント雷火。あの娘は私には扱えないから、貴方が後任を任されている」


 い、今の全部──演技?

 

「ほら、ついてきて。引き継ぎは歩きながら行う。この任務は私の様な諜報員では無く、貴方の様な戦闘員にしか対処できない」


 く、くそぅ。

 まんまと騙されて、赤っ恥も良いところだぜ。


 恥ずかしい。あー恥ずかしい!

 やっぱこの人油断ならねぇ!


 負けた気分で陰鬱としながら、俺は南条さんに続いて地下フロアを真っ直ぐに伸びる廊下を歩く。

 白が強い照明の下、どこまでもクールに歩く南条さんの背中を見て、思わず独り言ちた。


「──さすが、くノ一」


 その言葉にピクリと反応し、南条さんは立ち止まる。


 バッと振り返り、また真顔で俺の目をジッと見つめて、口を開いた。


「──くノ一だからってあんな事、誰にでもするわけ…………ない」


 それだけ言うと眼鏡のフレームを右手の人差し指で持ち上げ、そして向き直してツカツカとヒールの音を鳴らして歩き出す。


 え、えぇ……。


 どっちなのぉ?

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