第2話 勇者ちゃん、裸を見られる①


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「──三年振りか。元気してたか?」


「…………突然呼び出して、一体何の用だよクソ親父」


 もう薄ぼんやりとしか思い出せなかった、実の父親の顔を睨みつける。


 オーダーメイドの高級なスーツに身を包み、オールバックにピシッと決めた隙の無い髪型。

 中年故の皺がで始めたその鋭い目付きは、認めたくは無いが俺に似ている。


 何が「元気してたか?」だ。どの口がほざきやがる。

 今更父親面なんか、どういう神経してりゃあ出来るんだか。


「まぁ、そう怖い顔をするな。ほら乗れよ」


 そう言って親父は車の後部座席のドアを開いた。


「乗らねぇよ。要件だけ言え」


 こうしてわざわざ東京駅くんだりまで来ただけでも有り難く思えってんだ。

 殆ど脅迫じみたやり方で呼び出した癖に。

 

アンタと仲良くドライブなんかごめん被る。断固拒否だ。


 わざとらしく顔を背けて、周囲を見渡す。


 ランチタイムを迎えた都心のターミナル駅では、都会の忙しさに翻弄された大人達がせかせかと行き交っていた。


 丸の内南口のロータリー。

 送迎のバスや乗り合わせを待つタクシーなんかで混雑しているこの場所で、一際目立つ黒塗りの高級リムジン。


 どうやらこれが親父の車、らしい。


 ふと視線を移すと、開いた運転席のドアに姿勢良く直立しているスーツ姿の中年男性が俺に軽く会釈をした。


 俺も何と無く頭を下げる。親父の『仕事』関係の人間に会うのなんか──三年振りだ。あんまり好きになれない。


 て言うか、わざわざ息子に会う為だけに専属の運転手なんか引き連れやがって、いちいち癪に障る野郎だ。


「ここではちょっとな。人目に付き過ぎる。何、悪い話をしようってんじゃない。良いから乗れって」


 そう思うんならこんな如何いかにもな車で来るんじゃねぇよ。軽トラで来い軽トラで。お前なんかそれで充分だ。


 偉そうに手を招いて、さっさと来いと催促してくる姿にまた苛立つ。


「──こっちだって忙しいんだ。手短に終わらせてくれ」


 ここでこうして睨み合っていてもらちが開かない。

 周囲を通り過ぎるリーマンやOLの奇異の目も鬱陶しく感じてきたから、俺は仕方なく車に乗り込む。


 ──どうせ、俺に拒否権は無いんだ。


 今の生活の自由も、高校に通う事も、バイトする事すらこのクソ親父の許可が無いと出来やしない。

 それに妹──流華ルカの件もある。


 俺とお袋の稼ぎだけじゃ、アイツの定期的な入院費と維持費は賄いきれない。

 それを打ち切られようもんなら、流華の将来に関わる。


 本当に、本っっ当に嫌だが、ここは親父の言う事を聞くしか選択肢が無い。


「よっと、ほら。父さんの座るとこ無くなっちまうだろ。詰めろ積めろ」


「こんだけ広いんだから、わざわざ隣に座るこたねーだろうが」


 普通の車だと三列できるぐらいの広さなのに、なぜか中心にテーブルを設置してその周りにシートを配置している。

 テレビドラマなんかでよく見る、『金持ちの車』の正にソレな内装だ。

 胸糞悪いぜ。


「いいじゃ無いか。別れて暮らす息子と三年振りに顔を合わせたんだからよ。ほらほら」


「ふざけん──だから近ぇよ馬鹿野郎!」


 なんでこっちが寄ってんのに、わざわざにじり寄ってくるんだ!


「出せ。桜田門だ」


 親父が乗り込んだ後にドアを閉めた運転手が、その指示で運転席へと移動する。


 そして車は動き出した。

 ロータリーを抜け、車道に出る。


 高級車ってのは、本当にエンジン音がしないもんなんだな。革張りのシートも何だか慣れなくて座り心地が悪い。

 て言うか広すぎだろ。

 何だこの扉は、ああ冷蔵庫か。

 おいおい酒が入ってんぞ。ボトルを見ただけでも高そうだって分かる。 

 その隣は──グラスか? 

 酒なんか飲んだ事ないから分かんないけど、こんなギラギラしたグラスで飲まにゃいけんもんなのか? 

 うわっ、カットフルーツまで入ってやがる。

 親父が切るわきゃないから、部下だか専属のシェフだかに切らせてんのか?

 不良官僚め。国民の税金を何だと思ってやがる。


「ところで猟介りょうすけ。ちなみになんだが──母さんは元気か?」


 うわー、わざとらしいー。

 平静を装ってるつもりなら、悪いけど失敗してるからな?

 そわそわと忙しなくスーツの襟を直したり、激しすぎる貧乏揺りとかもう隠す気あんのかっレベルだ。

 相変わらずお袋に未練タラタラなのか、女々しい野郎め。


「ああ? 元気も何もピンピンしてらぁ。アンタと別れたのが相当嬉しいらしいぞ? 良かったな」


 いやマジで。

 そりゃ最初の頃は生活への不安感からかちょっと暗かった時期もあったが、お嬢様育ちとは言えバイタリティの塊みたいなお袋だ。

 あっという間に今の生活に慣れて、毎日本当に楽しそうだ。


「俺に会うって、母さんに言ってきたか? なんか言ってなかったか? ほ、ほら。伝言とかさ。手紙とか」


「特に何も? 浮気されて離婚した元旦那の事なんか知ったこっちゃねぇんだろ。俺ももう高二だしな。何も心配してねぇよお袋は」


「そ、そうか──そりゃあ、良かった」


 うわ、この世の終わり見たいなツラしてやがる。ザマァ!

 別れたくなかったんなら、初めから浮気なんざしなけりゃ良かったんだ。


 その結果、俺や流華は『あの家』から離れられたし、お袋はお袋で遅咲きの青春を謳歌できたんだから、そこんとこだけは親父に感謝しなけりゃな。

 今仕事先でお袋に言い寄ってる男が居るって教えたら、コイツどんな顔すんだろうか。


「それよりどこ行くんだよ。用事って何だ」


 小遣いだけ貰ってさっさと帰りたいんだけど。

 せっかくのバイトの無い日曜日。

 本当だったら今頃は朝の子供向け特撮番組とか、女児向けアニメとか流華と見ながらまったりしてるはずだったのに。


 あいつ、ちゃんと録画してくれてっかな。

 俺が家を出る時、まだ寝ぼけてフラフラだったもんなぁ。


「ああ、昨日の新聞。見たか?」


「俺が新聞なんか読むほど出来た息子に見えるのか?」


 馬鹿言うんじゃ無いよ。

 あんなちっせえ文字、眺めてるだけで目眩がするに決まってる。

 ラノベとか漫画なら何冊でも読めるんだが、新聞はどうもな。

 あのインクの匂いも苦手だし、ヒラヒラしてめくり辛いのもイライラする。


「お前な。少しはニュースとかも見ろよ。俺の息子なんだから」


「アンタの息子である事を誇った事ねーし、誰かさんのせいで削られまくった青春を取り戻すのに忙しいんだ」


 今までの自分の行いを胸に手を当てて良く思い出すんだな。

 こんな立場じゃなけりゃ、アンタのその整った面をボコボコにして──ぶっちゃけると殺してやっても良いぐらいには憎んでるって言うのに。


「かぁー嘆かわしい。俺がお前ぐらいの頃はそりゃあもう知的って評判でな? 母さんと出会ったのもそんぐらいで、良く俺に見惚れてはキラキラした視線を──」


「うっせぇよ。失った過去だからって嘘つくのやめてくんない?」


 あのお袋がそんな態度取るわけ無いだろうが。


「本当だって。マジで母さんは俺にベタ惚れでな?」


「良いから話を進めろよ」


 苛立ちが募り始めた俺は、フルスモークがかかった窓から外を見るばかりで、親父の顔を極力見ないようにしている。


 そうでもしないとこの走行中の狭い車内と言う密室で、悲惨な殺人事件が起きかねない。


「分かったよ。あー、冷たい息子だ事。知ってた? 反抗期ってダセェんだぜ?」


 親父はそう言いながら、スーツ内側のポケットからタバコとジッポーを取り出し、口に一本咥えて火を点ける。


 真鍮製で、至るところが傷だらけの無骨な無地のジッポー。


 その蓋を勢い良く閉めた瞬間から、車内の空気が一変した。


 重く、どこか冷たい張り詰めた空気。

 親父が『ダメ親父』から、優秀で冷静な『政府官僚』に切り替わった所為だ。


「──────まず、一昨日おとといの夜──未明と報道されてるが、深夜二時頃の話だ」


 そう言いながら親父は手を伸ばし、前席と後部座席とを隔てる透明なガラスの板に指で軽く触れた。


 浮かび上がるのは、沢山のアイコン。

 うげ。このガラス、透過モニターのタッチパネルかよ。

 どこまで金が掛かってるんだこの車。


 親父はその沢山並ぶアイコンの内、おそらくニュースサイトを表示する類のアプリを開き、ダブルタップで拡大する。


 映し出されたのはサーチライトに照らされている、黒煙を上げた──これは、富士山?


「富士山頂近くで小規模な爆発が起きてな。これも報道では小隕石の落下として出てるんだが」


 報道では──『情報』を扱う部署の室長を務めるこの親父が、そんな言い方をするって事は──。


「……お得意の情報操作かよ。何に巻き込まれようとしてんだ俺は。勘弁してくれ」


 少し『昔』なら渦中に居たが、今の俺は平凡で何処にでもいる只のイケメン高校生だ。

 しちめんどくさい政治やら陰謀やらとは、できるだけ距離を置かせて貰いたいんだけど。


「何せ標高の高い所での爆発なんでな。火元が分からないなどとなったら、無責任なマスコミ連中が『富士が噴火した!』なんて騒ぎたててしまう。小隕石ってのも苦しい言い訳なんだが、それを締め上げるのはまた後日だ。『私』の名の下に『指導』してやる」


「知ったこっちゃねぇから話を続けてくれ」


 アンタの『仕事』の話ももうウンザリなんだ。

 虫酸が走って都大会クラスなら優勝しちまう勢いだぜ。


「まぁ、結論から言えば────『異邦者』だ」


「ああ? なんだって?」


 専門用語を使うなら、ちゃんと理解出来るよう言ってくれないかな?

 主語がお留守だぞ?


「『異邦者』だよ。他になんて言い表せば良いのか分からないんで、政府関係者はそう呼んでいる。分かりやすく言えば──他の世界から転移して来た奴らの総称だな」


「お前、それで分かりやすいって思ってんなら大分勘違いだからな? こっちは一ミリも理解してないぞ?」


 馬鹿なの?

 もしかして俺の元親父ってば、可哀想なぐらい頭弱くていらっしゃる?

 せっかく良い大学出して貰ってんのに、そこまで残念だったとは恐れ行ったぜ。

 若かりし頃のお袋も本当男を見る目が無ぇなぁ。まぁ、家が決めた許嫁だったらしいから、選択の余地も無かったんだろうけど。不憫でならねぇ。


「一般には公にしてない事なんだが、この世界とは違う──『異世界』と呼ぶべき別次元の世界が存在している事は、実は大分前から分かっていたんだ。政府が把握しているだけなら、戦後間もない頃から頻繁に、頻度で言えば数年に一回ぐらいの間を開けて発見・接近されていたからな」


「おーい。なんのお話に影響されたか知らねぇけど、仮にも息子の前で恥ずかしい妄想垂れ流すのは親としてどうなんですかー?」


 思わず親父の顔面の前に手をかざしてひらひらと揺らしてしまった。


「悪いが本当の話だ。『お前レベル』にも秘匿にしていた、政府の秘匿事項──その中でも特A項に属する機密情報だ。信じられないのも無理は無いが、『私』がこういった話でお前に嘘を言った事があったか?」


 どうやら、マジで言ってるみたいだな。っつっても信じるかどうかはまた別の話なんだが。


「何を根拠にして、お偉方は『異世界』なんて眉唾な話を信じたんだよ。吹かしてるだけかも知んないだろ?」


「行ってきたんだよ。実際に。案内付きでな」


「──『異世界』にか?」


 そんな旅行みたいに軽く行けるとこなのか?


「ああ。と言っても、数百名余りを送り込んで、帰ってきたのはたった八名っぽっちだがな。行き先はバラバラだが過去4回ほど、『異世界遡行』なる転移実験を行なった。その結果、五体満足で帰ってこれたのは直近の二回だけだ。1回は音沙汰無し──多分全滅しているんだろう。二回目は死にかけた一人だけが帰還し、直後に息絶えた」


「気の毒すぎて言葉も無ぇよ。人間を物としてしか見れねェ上司を持って、部下も遣る瀬無かったろうな」


 安全かどうかすら判明してない危険な任務に、偉ぶったジジイどもの嬉々とした命令で送られた奴らを思うと涙が止まら──無いというより泣いていないんだが。まぁ、心の中で供養してやろう。南無。


「馬鹿言うな。ちゃんと『死んでも問題無い奴』を選んで送っている。下手したら異世界との外交問題になるからな。しっかりと『教育』も施した」


「うげぇ。洗脳済みの受刑者かよ。終わってんな」


「察したか。流石だな」


 そんな褒め方されても嬉しくもなんとも無いんだけど。

 アンタらのやり口なんざ嫌って程見てきたからな。


「話を戻すぞ。一昨日の爆発というのはその異世界からの来訪者。つまり『異邦者』がこの世界に転移して来た時に生じたものだ」


「そこは分かったんだが、つまり俺に何をしろって?」


 もう嫌な予感しかしないんだが。


『室長。あと五分ほどで警視庁庁舎に到着致します』


 車内スピーカーから、突然男の声が響いた。


 どうやらこの透過モニター、防音性もあるらしく運転席までのこちらの声を遮断していたようだ。


「ああ、地下に向かってくれ」


 ドアの手すりに幾つかあるボタンの内、一つを押しながら親父はそう答えた。


「かしこまりました」


 あんまりにも感情が篭ってないせいか、機械音にも聞こえる返答に少し寒気を覚える。


 まぁそうだよな。

 こう見えてこのクソ親父は政府要人。

 エリートにして官僚様であらせられる。


 この広い後部座席で、運転手にも秘密にしたい謀りごとなんか腐るほどして来たんだろう。


 だからこその防音ガラス。だからこその車内スピーカー。

 運転手も口を挟むタイミングを見計らっていたに違いない。

 そう言うスキルが無いと、こんな難儀な車の運転手なんか務まらないんだろう。

 そしてそう言う奴ほど、感情を殺して仕事をするのが上手い。

 選び抜かれて今の職に就いてるんだろうし、初対面でパッと見ただけでも只者じゃ無いのはすぐに分かった。

 きっとSPも兼任してる筈だ。

 そうでなきゃ、この親父がこんな簡単に街を出歩け無いからな。


 敵が多いもんなぁ。このクソ親父。


 ほんっとめんどくせぇ話だ事。


「さて、お前にはここでとある人物と面会して貰いたい」


 親父はそう言いながら、スーツの胸ポケットから今時珍しいポラロイド写真を取り出す。


 スマホやこの透過モニターに映し出せば良いだけの話なのにそうしないって事は、デジタルデータに残したくないほど秘匿したい人物って事か。


 なんだかんだで、アナログほど隠蔽しやすい物は無いからな。


「この人物だ。十秒で覚えろ」


 手渡されたポラロイド写真はモノクロで、ヤケに影の濃い立像を写し出している。


 パッと見ただけじゃ判断できないようにする為に、わざと荒く雑に撮っているのだ。


「──女?」


 写っているのは、俺とそう変わらない年頃の──下手したら年下ぐらいの女の子だった。


 色までは分からないが髪はロングストレートで、目鼻立ちもくっきりしていて、文句の付けようが無い美少女だ。クラスに居たら学校全体レベルで目立つタイプである。


 さっきまでの話の流れからすると、このが──。


「時間だ」


 親父が透過パネルの下に備え付けられているシガーライターを外して俺に手渡す。


 指が触れ合わないよう気をつけて受け取ると、俺は写真の端っこをシガーライターに押し付けた。


 ポラロイド写真は勢いよく燃え上がり、俺はそれを手のひらで握り潰す。

 証拠隠滅しやすいように、元々燃えやすく加工してあったのだろう。

 手のひらを広げて見ても、もう数ミリもポラロイド写真は残っていなかった。

 あるのは薄く黒ずんだ燃え滓のみ。


 ああ嫌だ嫌だ。

 三年経ってせっかく体が忘れかけてくれていたのに、もう『思い出し』て順応してしまっている。


 やっぱり親父──『雷火』の家に関わるとロクなことねぇなぁ。


「さて、猟介────いや、特務工作員エージェント七九九号。お前に任務を言い渡す」


 親父は『局長』としての毅然とした言葉で俺に告げる。


 クソっ。断れねぇのを知っていて、こんな態度取りやがって。

 いつか──絶対に──殺してやる。


「……承認。任務内容を照会する」


 嫌々ながらも、俺は決められた返答をする。

 慣れ親しんだ受け答え。忘れかけてたはずの、忌々しい言葉。

 内臓の奥から反吐が迫り上がって来そうだ。


「任務内容は護衛、もしくは自然な範囲での尋問。場合によって拷問も許可する。貴様はこの女からできる限りのありとあらゆる情報を聞き出し、『国益』として局に報告。対象名は『アム・バッシュ・グランハインド』。年齢はこの世界に換算して15歳。身長は155センチ。体重は目算で50キロ前後。この女は──」


 そこで一度言葉を区切り、親父は眉を顰めた。




「──自称、『勇者』だ」




 自分が何を真面目に語ってんのかを思い出してしまったのだろう。

 気の毒にも思えるが、ここで同情してやれるほど俺は親父に優しく無い。


「了解。任務を受諾」


 素っ気なく答え、丁度のタイミングで警視庁の地下駐車場へと停車した車のドアを開ける。


 本来なら運転手が開けるのを待ってりゃ良いんだろうけど、もう俺は三年ぶりの『お仕事』モード。

 自分でやれる事は、自分でするのが工作員エージェント


 敵も味方もこちらで選別する。あの運転手を、俺はまだ信用していない。


「良いな。できるだけ対象に気取られない様に情報を聞き出せ。期間は制限しない。お前の裁量権をレベル5まで引き上げる。その意味、わかってるな?」


「呪禁の解禁は?」


「二呪までならお前が判断しろ。三呪解放は『私』の指示を仰げ。直通のチャンネルは開けておく。まさか番号を忘れたなんて言わないだろうな」


「覚えてるよ。思念通信が久々すぎるだけだ。すぐ慣れる」


 皮肉を込めてそう返事をし、車を降りる。


 出迎え無し。警備も居ない。駐車場に車が一台も無いって事は、今この建物は何らかの規制がされているのだろう。



 レベル5の裁量権って事は、つまり結果に至るまでの過程を問わないって事だ。

 工作員エージェントに与えられる権限の中でもいくつかに分類される、最上級の中の一つ。

 武器の携行までは許可されていないって事は、非武装ミッション。

 それならまだ気は楽だ。無駄に殺しをしなくて済む。


「では工作員七九九号。対象は地下16階のセキュリティエリア。B6取調室に隔離してある。微細な任務内容は、そこで待機している工作員エージェント三五四号から引き継げ。健闘を祈る」


 反対側のドアから社外に降りた親父が、いつの間にか吸い終えていたタバコを吐き出し、もう一本を咥えてまた火を点けながら言い放つ。


 何が健闘を祈る──だ。

 心にも無い事を。

 この親父──雷火らいか紀之介きのすけにとって、息子だろうが部下だろうが心配する対象には成り得ない。


 このクソ野郎は徹頭徹尾、頭の先からつま先まで真っ黒く染まった『雷火』の男。


 つまりは、この国の守護と言う名のいぬでしか無い。


 その煙の向こう、建物内部に続く自動ドアを見つめて俺は動き出す。


「特務工作員七九九号──雷火猟助。任務を開始する」


 ああ、クソっ。


 三年ぶりの──『お仕事』だ。

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