第3話 ノクターン

「ただいま」


 七三の少年を引きずりながら、白い重厚な玄関のドアを開けて、男は子供のように明るく言った。

 

 白い風邪用マスクに黒い無地のベースボールキャップを被り、黒いTシャツに青いジーパン。

 帽子とマスクの間の、浅黒いクマの出来た、一重の細く冷たい目は笑い、漆黒に輝いていた。


 少年は、親猫に運ばれる子猫のように、後ろえりを男の左手で掴まれ、真っ白な運動靴は引きずられていた。鍵を開ける最中にスタンガンで気絶させられたのだろう。


 想定外の光景に、少年の母親は、右手からスナック菓子を落とした。四角い袋から、黄色く丸い形の揚げられた芋が、青と黄色のペルシャ絨毯に模様を足していく。スナック菓子のパッケージに描かれた、じゃがいものキャラクターが笑っている。

 黒の中に少し茶色の染めた後が残る、息子に似た七三の髪型で、後ろ髪は短く、前からは見えない。丸く膨らんだ鼻に、太く上を向く眉毛、大きな口は声も出せずに開かれ、ぱっちりとした目は左右に泳ぎ、急いで息を吸う音だけが響いていた。


「少し、お邪魔しますよ。お茶でも出してもらえますか?変な動きをしたら、お宅の息子が、どうなるかは知りませんけどね」


 右手でスタンガンの音を鳴らしながら、男は靴も脱がずに、少年の母親の前に立ち、動けないままでいる相手の太った腹に、躊躇ちゅうちょなくスタンガンを与えた。

 つまらなそうに男は、ため息を吐き、ドアの鍵を閉めた。




 優雅なピアノの音が響いていた。


 少年の目が覚めた時、男は白く大きな三人掛けのソファーに座って、紅茶を飲みながら、冷蔵庫から出したのだろう、高そうなブルーチーズを食べていた。


 ソファーは背もたれがフジツボのように加工されていて、何十万円もしそうだったが、その白い重厚さに、対照的に真っ黒な男の上半身は、不思議と調和されていた。

 白を基調としたリビングは、走り回れそうな広さで、白いソファーの前、大人が両手を広げるより大きな、黒い壁掛けのテレビと、ソファーに座る男だけが黒く浮き上がっていた。


 白い背の低いテーブルの上には少年の携帯電話から、ショパンのノクターン第二番が、永遠と流されていた。静かな夜を思わせる、穏やかでゆっくりとした優しいピアノの音色は、本来はロマンティックな子守唄といった感じだろう。


「起きたか、いじめっ子少年。気分はどうだい?」


 優しいピアノの音色と調和するような、優しい声だった。


 少年は、事態を読み込めずに何かを言おうとしたが、口はガムテープで塞がれていて、座った状態で、足を伸ばしたまま、両手は後ろで合わさるように、両手両足をガムテープで固定されていた。


「はは、川の字ってやつだな。いじめっ子家族の川の字か、傑作だ」


 男はポケットから携帯を取り出して、写真を撮った。そこには、大きなテレビの前、少年を挟むように、同じ格好の、少年の母親と父親がいた。


「君のお父さんが、呑気に帰って来てくれて助かったよ、まだ夜の八時だ、良い頃合いじゃないか。警察が来てないって事は、誰にも見られてなかった証明だろうしね、はは、全く警察は何やってるんだか」


 少年が焦るように首を左右に向けると、母親と父親が、自分と同じ格好になっているのを見て、目を見開いている。


 少年の父親は、やや後退した黒髪を横に流し、おでこに深い皺〈しわ〉を三本むき出していた。手入れのされていない太く白髪混じりの眉毛は、小さな一重の瞳より太く、いやらしさを感じる大きな口と福耳はガムテープで押さえつけられている。

 黒いスーツに白いシャツは苦しそうで、灰色のネクタイでシャツをまとめているが、第一ボタンは閉まらないのかもしれない。


「金持ちは、愛のこもった手料理なんか作らないんだろうね、はは、愛ねえ」


 無表情を変えないままチーズをかじる男は、じゃがいものような顔で、鼻は低く潰れている。一重の小さく細い目は、開けているのか分からないくらいだが、黒目しか見えないような瞳は、底知れない恐怖を感じさせ、何を考えているのか分からなかった。帽子を取った頭は、耳の上にしか髪が残っていなかった。


「はあ、つまらないねえ。愛ねえ」


 男はタバコを取り出して、吸いながら、どこか遠くを見ているようだった。

 動けない三人は、声にならない訴えを投げかけるが、穏やかなピアノに消されていく。


「じゃあ、始めようかね。金持ちの家の包丁は、ろくに使いもしないのに、生意気なくらい良いね。全く」


 男は、タバコを飲みかけのティーカップに沈め、包丁を持ちながら、家族と向き合うように、背の低いテーブルに座った。男がかがむと、家族と目線の高さは同じだった。


「それじゃあ、喋れないもんね、喋れるようにするけど、大声とかはダメだよ、分かるよね?」


 三人は震えながら首を縦に何回も振った。


「別に大声出しても良いけど、おじさん本当は包丁で刺す勇気無いだろって思ってるなら、間違いだからね」


 男は喋り終わる前に、少年の伸びた足の裏に、包丁を突き刺した。まるで、庭の花にじょうろで水をあげるように迷いのない動きだった。包丁の切っ先三センチほどが沈み、血が白い大理石の床に垂れている。


 少年は、口のガムテープが破れるくらいの悲鳴をあげた。


「なんだ、痛そうだね。君は他人の足を踏むのが好きだから、足裏への刺激が好きだと思ったんだけど。ふふ。なるほどね、人をいじめるのは楽しいものなのだね」


 男は、優しく満足そうに微笑みながら、二回ゆっくりとうなずいた。


「大声は出さない、いいね?」


 足裏から血を出し泣いている息子から目を離し、夫婦は頭が取れる勢いで首を縦に振った。少年は涙と鼻水で呼吸しづそうに、うめいている。


「役者の顔は、はっきりと映さないと、監督としては三流だからね」


 男はポケットから携帯を取り出し、録画を開始して、家族が映るように設置した。


「この動画は、とある、いじめっ子の話です。どうせ、すぐ消されるだろうから、保存して、モザイクをかけるなりして、各自で拡散して下さい。きっと、面白いですよ、皆さんの正義を信じています」


 男は動画をネットに流すつもりなのだろう、流暢りゅうちょうに喋り出した。


「それでは、いじめっ子に話を聞いてみましょう。おやおや、反省で泣いているのでしょうか、でも、だまされてはいけませんよ」


 家族の口を封じるガムテープを、包丁で切り離していく。

 

「おい、何が目的なんだ!金か!」


 最後に解放された、父親の口が待ちきれずに喋り出した。


「お父さん、静かにして下さい。お金なんていりませんよ。私は、いじめをしていた、あなたの子供に話を聞きたいんです」


 男は優しい口調で話し、恐ろしく速いスピードで包丁を向けて黙らせた。

 ぐむむと、父親は苦い顔で男をにらみみつけながら、口籠くちごもった。母親は、怯えるように、夫を上目遣いで見ている。


「仕切り直してインタビューを続けようか、泣いてる場合じゃないだろ少年、皆が見てくれるんだ、ちゃんと喋らないといけないよ、嘘も無しでね」


 少年は泣きながら、力無く頷いた。


「よし、じゃあ、まず、お名前と、年齢を教えてもらおうかな?」


「……いちのせ……とおるです、う、じゅうに、さい、です」


 鼻水をすすりながら、不気味なインタビューは始まった。


「とおるくんか、うんうん、小学六年生だね。今日は、公園で友達の足を踏みながら、ゲームを強奪ごうだつした訳だけど、どうして、そんな事をしたのかな?」


 男の声は優しいまま、教育テレビの、お兄さんのような、わざとらしい喋り方だった。


「ごめんなさい、ごめん、なさい。ゆるして、ください」


 少年は弱々しく上目遣いで、涙と恐怖で赤くなった目を必死に男に向けた。


「どうして、いじめたか?って聞いてるんだよ。それに、これに関しては、謝る相手も、許してくれる相手も、おじさんじゃないだろ?」


 少年はただ泣くことしか出来なかった。少年を挟む両親は、我が子を驚きの目で見ていた。


「とおるちゃん、あなた、そんなことをしていたの?」

「そんなの、この男の作り話だろ、なあ、そうなんだろ、とおる?」


 両親は、交互に、信じられないといった顔で、我が子の返事を待った。

 とおるは、下を向いて何も答えられない。


「作り話なんかじゃないですよ、ちゃんと録音も、ありますよ」


 男は細く小さなボイスレコーダーを取り出して、流し始めた。


「なあ、ゲーム持ってきた?」


「う、うん。ちゃんと持ってきたから、もういいでしょ?」


 足を踏まれ、いじめられた子の、すすり泣く声と、優しいノクターンだけが響くころ、両親は、我が子をにらみつけていた。味方がいなくなるのを感じた少年は、下を向いて泣きながら謝り続けていた。


「なんで、こんな事をしたんだ、とおる……」

「そうよ、ゲームなら、言ってくれれば、いくらでも買ってあげたのに……」


 両親は、枯れかけの、ひまわりのように、力無く息子に聞いた。返事は返ってこない。


「画面の前のあなたにも、これで、この子が、いじめをしていたのは、明らかでしょう。全く。許せませんね。もし、あなたの子供が、こんないじめを受けていたら、どうしますか?もっとヒドイ事も当然してるはずです。それで、もし、自殺してしまったら?ふふ、恐ろしくて、全くもって許せませんね」


 男は楽しそうに包丁を左右に揺らしながら、家族だけが映る画面に話しかけた。


「どうして、こんな事をしたか。気になりますよね、それは、簡単なことなんですよ」


 男は、包丁でピアノの指揮をゆったり取りながら、話を続けた。


「あなたは、幼稚園くらいのころ、砂場で遊んでいます。目の前に、米粒みたいなのを口にくわえているアリが、トコトコと歩いています」


 目を閉じて、気持ち良さそうに指揮を取りながら、男は教育番組のように続けた。


「ただ、なんとなく、アリから米粒みたいな物を引き剥がし、ただ、なんとなく、あしを引きちぎるでしょう。プチっと取れるのが気に入って、動体と頭も、引きちぎるかもしれない」


 家族は、ただ黙って困惑の表情で男を見ていた。少年は、まだ下を向いて泣いている。


「さて、問題です。あなたは、なんで、そんなことをしましたか?ふふ。そうなんですよ、理由なんて無くてもいいんです、ただ何となく、自分より弱い、反撃されないだろう相手を、攻撃できるのが、人間なんですよ」


 男は目をゆっくりと開き、寝起きのような顔で続けた。


「人間というより、動物ですね。安心したいんですよ、自分より弱いやつがいて、優越感や、自分が強いと認めてくれる相手がいる、自分の思い通りに出来るのは気持ちいいですからね。あいつの、たてがみより俺の方が立派だから、俺の方が強いからって、ライオンは、群れのボスと、ボスの子供を皆殺しにして、メスに自分の子供を産ませて、新しいボスになるそうですよ、ふふ」


 男が、座ったまま、おもむろに、少年のほほを横殴りにはたいた。

 少年が泣くのをやめて、引きつった顔で男を見る。


「それで、あの子以外に、何人いじめてきたんだ?」


 男の声に優しさはなかった。


「……さ、さんにん。です……」


 少年の弱々しい告白に、両親は何も言えずに、横目で苦い顔をしながら、我が子を見るしか出来なかった。


「うちの娘も、君にいじめられていた」


 男は、少年の右肩に力強く包丁を突き立てた。静かに怒りのこもった声だった。

 少年の悲鳴が響く前に、男は、少年の首を片手で絞めて黙らせた。


「とおる!た、頼む、やめてくれ!」

「とおるがやったことは、謝るわ、本当にごめんなさい、お金なら払いますから、お願いします!」


 両親が、それぞれ泣きながら必死にお願いしても、男は見向きもしなかった。

 

「そして、小さな手紙を残して、愛はタオルとドアノブで、首を吊って死んでしまったよ」


 優しいピアノの音色が、どこか寂しそうに男の背中に流れている。


「俺と妻は、学校に君の名前と、した事が書いてある手紙を見せて、相談したんだけどね。何もしてくれなかったよ。調査をしますとか、適当に先延ばしにされたんだ。その夜に妻は、疲れて娘の後を追ってしまったよ」


 男は、泣いていた。その声はくたびれていながらも、強い怒りが込められていた。首を締めている少年から手を離す。


「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ゆるしてください……」


 両親も何か言おうとしたが、男が素早く包丁を向けると黙るしか出来なかった。


「謝らなくていいよ、それに、謝る相手が違うだろ、全く。いじめるお前と、いじめられてしまった子、そんな子達に育てた、君達夫婦と私。気づかないふりの教師と、認めたくない学校。そして、いじめっ子を殺す俺。誰が悪いと思う?」


 男は少年の首に、恐ろしい速さで真っ直ぐ包丁を突き刺した、後ろの壁にまで包丁は突き刺さり、そのまま貼り付けにされた。


 残された夫婦が、それを見て悲鳴を上げる前に、男は両手で夫婦の首を締め上げた。男は夫婦を見ずに、目の前の少年をにらみ続けていた、歯茎をむき出しながら、怒りに顔を変形させていた。


「法律的には、きっと俺だけが間違いなく悪者なのだろうね、頭の悪い俺にだって分かる。何があっても、救いが無くても、子供を殺され、妻を殺されても、人を殺しちゃいけない。ふふ。そうだろ。ああ、そうだとも」


 夫婦は動かなくなっていた。


「いじめと殺人、見て見ぬ振りは、ダメだよ。覚えておいてね」


 男は優しく涙の流れる笑顔を携帯電話に向けながら話し、録画を止めた。


 ソファーに静かに座り、男は動かなくなった家族を見ながら、タバコに火を付けた。

 首を少し右にかたむけながら、男は力無く泣いていた。ため息と共に吐き出された煙に、三つの死体が、ぼやけていく。


 しばらく声を出して泣く男に、いつまでも優しく、ノクターンの音色が流れていた。

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