第2話 弱肉強食

「なあ、ゲーム持ってきた?」


「う、うん。ちゃんと持ってきたから、もういいでしょ?」


 昼下がりの公園の中、白いドーム型の遊具の中で、ランドセルを背負った少年同士が背を丸め、お尻を浮かせ、かがみながら、コソコソと話していた。


 茶碗を逆さまにして、一部をくり抜き、中に入れるように加工されていて、外から中の様子は見えなかった。小学生が立ってもギリギリ頭が天井に付くくらいの高さの空洞は、広さもなく、五人も入れば満員となるだろう。地面には、湿った土と、暗い雑草が何とか生えていた。


 ゲームを急かす男の子のランドセルは、きりの箱のように、品のある色艶で、耳のあたりまで生えた老いを感じない黒い髪の毛は、七三に分かれ、お洒落にまとまっていた。赤と黒のチェックのシャツに、黒いスラっとしたズボンはブランド品だろうか、真っ白な運動靴が、雑草の上に居場所を主張していた。ランドセルのコマーシャルから飛び出した様な風貌ふうぼうだった。


「それとこれとは、話がべつだよ」


 真っ白な運動靴が、ゲームを渡した少年の靴を踏んだ。


 踏まれた黒い運動靴は、ひどく汚れていて、通気性を良くするためのメッシュは破れ、黒い靴紐は、今にも切れそうに、靴の形を何とか保っていた。白い靴下は薄く黄ばんでいた。


「……」


 足を踏まれた少年は、何も言わずに、泣きそうな顔をしている。坊主頭の、じゃがいものようなデコボコした顔に、涙をこらえる小さな一重、潰れた鼻、への字に曲がり、声を出さないようにする、血色の悪い唇。汚れた黒い無地のTシャツには、お腹が窮屈きゅうくつそうに、外に出たがっていた。色が抜けた、薄紺色の短パンは今にも破れそうだ。


「お前さあ、そろそろスマホ買ってもらったら?もうそろそろ中学生になるのに、ダサくない?あ、お前んちじゃ、無理か。ふふ、そうだよな。あーあ、かわいそうに」


「……」


 馬鹿にされても、太った少年は、何も言わずに、しゃがんだまま、下を見ていた。

 これが、彼らの日常なのかもしれない。黒い靴は何度も踏まれてきた歴史を感じさせた。


「お、やってるかい?」


 ドームの中に声が木霊こだまして響いた。二人の小学生は、驚いて一つしかない、出入り口の半円を塞ぐものを即座に見た。


 そこには、大人が立っていた。


「なんだよ、お前。こいつの父親かよ?」


 不機嫌そうに、七三の少年が聞くと、太った少年は責められると思ったのか、必死に首を振っている。


「いや、そうじゃない。大丈夫。おじさんも、人をいじめるのが好きなんだよ」


「はあ、なんだよそれ、お前の知り合い?この変なやつ」


「知らないよ……」


 ドームに入る昼下がりの光を遮断しながら、おじさんは、逆光の中、静かに優しく微笑んだ。


「なに、おっさん。なにしに来たの?こいつを助けに来たの?」


 知らない大人にも、ひるむ事なく睨み付けながら、七三の少年は苛立ちを隠すこともなく聞いた。


「いやいや、とんでもない。おじさんは、人がいじめられるのを見るのが好きなんだよ、君はとてもセンスがある、こんなにカッコいい小学生は初めて見たよ」


「はあ、何だこいつ」


 助けが来たと少し期待していた、太った少年の顔は別に驚きもせずに、一段と表情を暗くした、最初から誰にも期待していないような終末を感じる、暗い目だった。


「さあさあ、続けて続けて」


 我が子を見守るような優しい笑顔で、男は急かした。


「変なやつだな、どけよ、そこ」


 七三の少年は、居心地が悪くなったのか、靴を踏み付けるのを止めて、男に向けて命令した。


「なんだ、帰っちまうのか?これからだろ?」


「うるさ、何なんだよお前、良いからどけよ」


 太った少年は、そのやり取りに見向きもせずに、下を見続けていた。二人が太った少年に何も言わずに、ドームから出て行った後も、しばらくドームの中で小さく泣いた。


「ついて来るなよ、けいさつよぶぞ、きもいんだよ、おっさん」


「まぁまぁ、警察呼んだら、君がいじめてた事も、おじさん話しちゃうかもよ?サッカーでもフェアプレイが大事だろ?」


 七三の少年は舌打ちしながら、公園を出て歩き出していた。隣に並行して、おじさんが歩いているが、とても親子には見えなかった。


「なあ、少年よ、今な、小学校でどれだけ、いじめが起きてると思う?」


「なんだよそれ、しらねえよ、先生かよ、おまえは」


「いやいや、おじさんは先生は嫌いなんだ、君の味方だよ、面白い話をしようと思ってね」


「……」


 少年とおじさんは、ビルとビルの間の歩道を淡々と歩いていた。


「おじさんは頭悪いから、詳しくは分からないけどな、今、小学生は、日本に六百万人くらいいるらしい、まぁ、ピンと来ないだろうが」


 不機嫌そうな顔のまま少年は無視して歩き続けている。


「それでな、一年間で、先生や親にバレたいじめは、大体、三十万件な訳だ、分かるか?」


 少年は、チラッとおじさんを不機嫌そうな顔のまま見た。


「つまりな、二十人に一人は、いじめられてた。しかも、バレてるいじめだけでだ。わくわくしないか?クラスに一つは、いじめがあるのが、普通なのかもしれないんだ」


「それ、本当なのかよ?」


 少年は、自分の興味のある話題に好奇心が勝ったか、少し目を輝かせて聞いた。


「ああ、正確な数字は分からないが、ちゃんとした情報のはずだ、現にお前もいじめっ子だし、俺もいじめ好きなおじさんだろ?」


「おっさんは、だれかを、いじめてたのかよ?」


「それは秘密だ。大人は君たちと違って、誰かをいじめると、ものすごい怒られる。いじめすぎて殺したりなんかすると、ニュースに顔と名前が出たりして、警察に捕まっちゃうしな」


 少年が顔を引きつらせながら、立ち止まった。


「おっさん、人を殺したことあるのかよ?」


 少し期待の混じった声だった。


「ふふ、どうだろうな。それも秘密だ。大人は秘密の生き物なのだよ。ほら、最近のニュース知ってるか?先生が先生をいじめてたやつだ」


「なんか、おかあさんが話してた気がする」


「ふふ。先生が先生をいじめていいのに、君が誰かをいじめて、どうして先生に怒られなきゃいけないのさ、そうは思わないかい?そんなのは不公平だ」


 少年は、おじさんの目を見ながら、何回か真剣に頷いた。


「それに、いじめられる方だって悪いだろう?いじめたくなる奴なのだから、ゴキブリを殺して何が悪いんだよ、ゴキブリと仲良くしろって言われたって分からない。そうだろ?」


 少年は、もう、おじさんの話に夢中だった、今まで、いじめを肯定する大人なんて居なかったのだろう、少年には、このおじさんが特別で、痛いほどに魅力的に見えた。


「おっさん、見た目によらず、分かってるじゃん。そうだよな」


「ああ、そうだとも。君は間違ってないよ、弱い者が強い者に負ける、そんなことは、そこら辺の野良猫だって知ってるだろう」


 再び歩き出した二人の足取りは軽かった。都会の高級住宅街に入った二人は、どこか黒い空気をまとっていた。


「おっさん、いつまで付いてくるんだよ、俺もう帰るから。あんまり、ここら辺うろついてると、本当にけいさつ来るよ」


「おう、俺も帰るよ、良いとこに住んでるんだな、全く。うらやましいよ。じゃあな、いじめっ子少年」


 おじさんは、少年に背を向けた。少年は、ランドセルから家の鍵を取り出す。


 真っ白な大きな二階建ての家は、屋根も並行で、長方形の豆腐のようだった。大きな車庫のシャッターは閉まり、玄関へ続くであろう扉の前には、綺麗に手入れされた芝生しばふに、少年より背の高い観葉植物が、四本横に整列していた。冬には、少し飾り付けすれば、クリスマスツリーに出来そうだった。


 少年に背を向けて、二歩歩いたおじさんは、ゆっくりとポケットからスタンガンを取り出した。

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