第22話   案山子女 その2②

「残念だわ。気づかなければ、このまま本当に、町に帰らせてあげようと思っていたのに」

 玄関の土間に縛り上げられた私たち三人を見ながら、祥子さんはやはり優しそうに微笑んで言った。しかしその表情を見ると、祥子さんがいない間に私たちが写真を見るであろうことは、十分分っていたようにも見えた。

 私たちを縛ったのは祥子さんではない。

 祥子さんはミクに火を向けながら、私にヒロトの手足を縛らせた。それから私自身の足も縛らせると、ミクに私の手首を縛るよう命じたのだ。まだ小さくて力のないミクが緩くしか縛れないのを見ると、祥子さんは、もっときつく縛れよ、と怒鳴った。そしてミクにも自身の足首を縛らせてから、ようやく薪を火が消えないようシンクに立て掛けて置き、私たちの縄の縛り方を確認し、少しでも緩いと、左手の代わりに足で縄の一方を踏んで、さらにきつく縛り上げたのだ。

「古墳はかなり高いところにあるから、すぐには行けないって言ったでしょ」

 祥子さんは縛り終わると、また元の優しい顔に戻り、キッチンの戸棚から透明なガラスの小ビンを取りだして言った。

「でも、実はもう一つ古墳があるの。ずっと低いところだけど。……ここは古くからの米の産地なんだけど、実は大昔から奇妙な祭りがあってね。案山子祭りと言うの。案山子のような蓑を着た村人が、村々の家を襲うのよ。神様の役回りをする村人は神社に作った黒い輪の中に案山子を追い込み、最後は蓑を焼き払ってめでたし、めでたし。ねえ……黒い輪って何だと思う? 私は洞穴だと思ったの。昔、案山子のような状態になる奇病が流行って、その時、この辺りの王だった人が部下に命じて病人を洞窟にまとめて押し込み……焼いた。だからここで王の古墳が山頂で見つかったと聞いた時、それなら絶対、案山子をまとめて閉じ込めた洞窟もどこかにあるはずだと思って、探し続けたの。そしてついに見つけたわ。私だけの大発見! でも……そこには大量の人骨と、焼けて炭化した藁の残骸しかなかった。だから私はどうしても、そんな奇病が本当に存在するのか、証明しなければならなくなったの」

「そ、そんな変な病気あるわけないだろ!」

 ヒロトが怒鳴ったが、声は震えていた。

 祥子さんは、フフッ、と笑い、何か白い粉の入ったビンを、私たちに見えるように持ち上げた。

「これ、何だと思う。洞窟にあった人骨を削った粉よ。私はこれを大鍋に作った汁に混ぜて、普段お世話になっている村の人たちに、お礼だと言ってご馳走したの。みんな喜んで食べてくれたわ。だって若い娘は村に私一人だけだったし、娘みたいだと言って可愛がってくれてたから。ただ……変化が急すぎたのよ。お昼に汁を食べてから、また農作業に戻っていった人たちは、すぐに全員変わってしまったらしいの。観察を始める前に、……」

 ガタン、とキッチンの奥にある勝手口の戸が強風に揺れた。ゴーッと山を下る風の音。それとは別に、パタパタと雨粒が戸に当たる音も聞こえ始める。本当に嵐になりそうだ。

「つまり、失敗よ。でも変化後のあの藁人形を観察すると色々面白いことも分かったわ。まだ目玉とか、体の奥の内臓なんかは、わずかに生きてるみたいなのよね。もちろん新たな疑問もわいた。どうして感染者を洞窟に閉じ込めて焼き払ったのか。もしかして空気感染? それにあの祭りのとおりなら、感染者が何かの条件で動き出して、他の人を襲うこともあるの……?」

 祥子さんは眉をひそめていたが、またすぐ笑った。

「とにかくそういうわけで、観察できなかったし、藁人形になってからもう何日も動く気配もないけど、今のうちに穴を掘って埋めてしまうことにしたの。近くの畑にね。もう五人くらい移動させたわ。……ええ、あの荷車で。藁で軽いから、片手が使えなくても全然大丈夫だった。そうよ、最初からこうしたらよかったのよね。実験に使うのは子供三人くらいで十分。縛っておけば動く心配もないし、目の前で変化していく様子も観察できるし……」

「ねえ祥子さん、落ち着いてよ!」

 祥子さんの目は異様に輝いていて、何を言っても無駄な気はしたが、私は言わずにはいられなかった。あまりにも言うことがおかし過ぎる。

「祥子さんは何か変な夢を見ているだけだよ。そんなおかしな伝染病、見たことも聞いたこともないし、絶対にあるわけないと思う。つまり……この村には元から案山子以外誰もいなかったんじゃないかな。ずっと一人で暮らして、寂しくて、おかしくなって、そんなこと考えただけだよ。祥子さんも言っていたじゃない。あれは元からこの村にあった案山子だよ!」

「じゃあこの腕は何なの?」

 祥子さんは笑ったまま、自分の左腕に巻いた包帯を、私の目の前で解いた。包帯がパラリと床に落ちる。

 私は声が出なかった。

 祥子さんの手首が……藁になっていた。

「私自身は汁を飲まなかったの。でも茶碗に入れる時、うっかり左手の中指に汁を掛けてしまって。すぐ洗ったけれど、翌朝見たら中指が藁になって、全然感覚がなくなっていた。怖くなって、中指をハサミで切り落としたわ。切り口は火で焙った。全然痛くなかった。でも……翌朝にはその周辺に藁の部分が広がって、翌朝にはさらに……切っても、焼いても、止まらないの!」

 ハハハ、と祥子さんは手首を振りながら、声も出せない私たちの前で笑った。

「だから急がないといけないの。この藁が全身に広がる前にこの論文をまとめて、世界に向けて発信するの。だって大発見でしょ。私の名前が後世に残るのよ。そうよ。そのためなら多少の村人や子供の犠牲が何なの!」

 ガタンガタン、とまた勝手口の戸が激しく揺れる。ザッと雨音も激しくなった。

「安心して」

 そう言いながら祥子さんは白い粉のビンに少し水を入れ、ビンを軽く振って混ぜた。それからビンを棚に置き、ポケットからスポイトを取り出す。

「無理やり口をこじ開けて、飲ませたりしないから。ほら。スポイトに入れて鼻とか耳の穴に数滴垂らすだけで十分なの。村の人に飲ませた汁よりずっと濃い液よ。きっと見る間に変化が始まるはず。ほら、動かないで。どうせ皮膚にかかっただけでも、感染からは逃げられないんだから」

 いやだ!

私もヒロトもミクも、柱に括りつけられたまま暴れて抵抗し続けた。笑顔を引っ込めた祥子さんが、一番近くにいたミクを左腕で押さえつけ、顔にスポイトを近づける。

「きゃあああああっ!」

 ミクが叫んだ。隣にいたヒロトがもがき、祥子さんのスポイトを持った右腕に、上体を起こして噛みつく。

「痛いっ!」

 祥子さんは叫び、ミクを突き飛ばした。

「ああそう、分かったわよ。じゃあ、あなたからやってあげる!」

 祥子さんは無表情にヒロトの正面に立ち、スポイトの先を顔の上に向けた。

「どうせどこに垂らしても、感染するのは同じなんだから」

 ガタンッ ガタンッ バンッ バンッ

 勝手口の戸が激しく揺れた。

 バキンッ!

 外の雨風がゴゥッと吹き込んできた。勝手口の戸が外れて倒れたのだ。風で? 思わず私も、祥子さんでさえ、そちらに目を向ける。

 本物の恐怖が、そこにあった。


 まるでホラー映画―しかもゾンビ映画の主人公にでも自分がなったような気がした。扉を開けたら、大量のゾンビがそこら中にいた、というような場面だ。

 戸板が壊れた勝手口の向こうにいたのは、ゾンビではなかった。大量の骨だった。骨が濡れた服を引っ掛けて立っている。ズボンや靴は抜け落ちたのか、見当たらない。しかし目玉や内臓の一部は、腐り落ちそうになりながら、まだ頭蓋や腰骨に引っかかって残っていた。それ以上に骨のあちこちに絡まっているのは、ずっしりと雨を含んで垂れた藁だ。ボタボタと水滴を落としているそれらを見れば、骨人間がもとは何だったのかは明らかだった。

 あの藁人形の案山子だ。しかも十体近くいた。それが動いてここまで来たということは、まだこんな状態でも完全に死んでいないということ!?

 腐り落ちそうな目玉は、どれも憎々しげに祥子さんを見ていた。見ながらゴギッと音を立てて、勝手口からキッチンに足を踏み入れてきた。一体。また一体。ベキッ。ビシャッ。内臓が溶け落ちて、床を叩く。それでも骨人間たちの歩みは止まらない。どんどん入って来る。

 ゴギッ、グシッ、ベシャッ ズルッ

「ぎゃああああ、いやだぁ、助けてぇぇっ!」

 ミクがいきなり泣き叫び始めた。弾かれたように、ヒロトが顔を引きつらせたまま、逃げようと体をよじり出す。私は……動けなかった。絶対に動くはずのないものが動いている異常さに、吐き気のするような嫌悪感を覚えた。

 祥子さんは、笑っていた。

「そうか。動く条件は雨なんだ。雨に濡れることで、多少体力が復活するんだ。そういえば、あれから今日まで一回も雨が降ってなかったものね。教えてくれてありがとう。でも……相変わらず歩き方はよぼよぼじゃない。そんな歩き方で、どうやって私に復讐できるの?」

祥子さんはゲラゲラ笑いながらそう言い放ち、コンロの近くにあったサラダ油のペットボトルを左腕で抱え、右手で蓋を開けた。

「せっかく埋めてあげようと思って大きな穴まで掘ったけど、まあいいわ。ここでこの家ごと焼いて葬ってあげる。宴会の最中に火事になって、という話で警察も納得するんじゃないかしら。ああ、そうか。……あなたたちが邪魔ね」

 一瞬だけ、祥子さんは私たちに目をやった。

「しょうがないから、あなたたちは人間のまま、死なせてあげる。完全に焼けたら、縄で縛った痕跡だけは消さないといけないけど」

 言いながら祥子さんは近づいてくる骨人間たちや、その足元の床に、油を振り撒いた。それから、まだ火の消えていなかった薪を握り、油に火をつける。

一気に油が燃え上がった。骨人間たちは炎に焼かれて、上顎と下顎をカチカチ鳴らしながら、苦しそうに骨の体をくねらせた。

「じゃあ皆さん、ごゆっくり」

 祥子さんは奥の部屋に走り、ノートパソコンと資料の束を抱えて戻ってくると、はっと気がついた様子でシンクの横に置いたままだった小瓶に右手を伸ばした。一瞬早く、焼かれて苦しそうに体を反らした骨人間の手がビンに当たる。

 びしゃっ

 まだ蓋をしていなかったビンの中の白い液が、祥子さんの手の甲にかかった。

「あ……ぎゃああああああああっ!」

 祥子さんが絶叫した。

「なんてことするの。こんなに濃い液がかかったら……こんなにかかったら……!」

 ドンと何かが私の背中にぶつかってくる。

「ひ……っ」

 悲鳴を上げそうになった。ぶつかってきたのは、逃げようとずり動いていたヒロトだ。ヒロトの背中で縛られた両手の縄の結び目が、わたしの背中で縛られた両手のすぐ前にある。

 やっと我に返った。そうだ。とにかく逃げないと!

「動かないで。今縄を解くから!」

私は急いで背中で縛られた両手をヒロトの縄の結び目に近づけ、解こうと指を動かした。しかし縛られているせいでうまく力が入らず、なかなか解けない。そのうち炎の熱さが部屋の中に充満してきて、頭がクラクラしてきた。もうどこが結び目なのかも分からなくなってきた時、急にヒロトの声が聞こえた。

「あと少し! たぶんもう少しで解ける!」

 指に当たっていた縄を思い切り引くとシュッと縄が動く音がして、ヒロトの手が自由になった。後はヒロトが全部の縄を解き、私たちは泣き叫ぶミクを引っぱって玄関の土間から外に出た。

「いやああああああああっ……あっ……っ……」

 祥子さんの絶叫に、一瞬だけ振り返る。

 祥子さんが、膨らんでいた。額も頬も肩も腕も太腿も、服を引きちぎりそうに膨らみ、そして皮膚を食い破るように、大量の枯れた植物繊維が表に現れだした。

 祥子さんは目を見開き、口を裂けるほど開いて絶叫した。もう声は出ていなかった。喉も口も、歯以外は藁に変わっていた。その祥子さんを逃がすまいとするように、炎に巻かれた骨人間たちが取り囲む。押し潰す。

「アサミ!」

 もう風雨の中に走り出たヒロトが叫ぶ。私ももう振り向かないで走り出した。

 暗い雨の中、最初は案山子だと思った全ての骨人間たちが、藁と衣服をズルズル引きずりながら、祥子さんの家へと向かっていくのが見えた。家の勝手口と玄関からは既に火の粉が噴き出している。それでも家にたどり着いた骨人間たちは、躊躇うことなく中へと入って行った。

 私はただひたすら、雨の中をミクと手をつないで走り、走れなくなると歩いた。正しいかどうかは分からなかったが、ヒロトと相談して、最初に祥子さんと出会った時に見えた、村で一番大きな道を下ることにする。

 すぐに三人ともずぶ濡れになった。冷えたて歯がカチカチ鳴った。舗装されていない山沿いの道を雨の夜に歩くのが危険なのは分かっていたが、休まず歩いた。ぬかるみに足を取られて斜面をずり落ちそうになっても、歩き続けた。

 怖かったのだ。とにかく早くこんな恐怖の村から離れたかった。それよりもっと怖かったのは……

 本当に自分たちは大丈夫なのか、という疑問だった。

 あの藁人間になる感染症は、ものすごく感染しやすいと祥子さんは言っていた。大昔の感染者の骨の粉を溶かした汁に指先が触れただけで、すぐ洗ったのに感染したのだ。あの白い骨粉の液が直接手の甲にかかったら、その場で藁人間に変わってしまったのだ。

 じゃあ大昔は、どうやって感染したの?

 骨粉の液じゃないはずだ。祥子さんの言っていた空気感染とは何だろう。祥子さんとずっと一緒にいて、祥子さんの作ったラーメンを食べた私たちは……

 それでも私たちは歩き続けた。きっと街の明かりが見えて、家族に会ったら、こんな心配も恐怖も忘れてしまうに違いない。そう自分に言い聞かせながら歩いた。

 どれだけ歩いたか分からない。急に視界が開け、暗い夜の雨空の向こうに町明かりが滲むのが見え始めた。

 そこまで来て、ようやく私たちは立ち止まり、振り返った。

 越えてきた山は暗く、闇に閉ざされている。その向こうに一点だけ、うっすらと明るいところがあった。

 まだ燃えていた。燃え盛っていた。

 まるで、助かったと思ったら大間違いだよ、とあざ笑うかのように。

 





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